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●わたしはあきらめない 45分スペシャル 「宮川花子」


1955年生まれ 漫才師

婦人警官からお笑いの世界に転身。20歳のとき、巡業先で知り合った大助と結婚。
売れない芸人同士の二人はお笑いの道をあきらめて就職しようとするが、大助は夫婦漫才を
やりたいと言い出した。すでに娘が生まれていたが、23歳のとき「宮川大助・花子」として再出発。
軽妙な花子のツッコミと芸一筋の大助が作る笑いは人気を得て、8年目には上方漫才大賞を受賞。
お笑い界のスターの座を確立していった。33歳の時、健康診断を受けると胃にできものが
できていると言われ、手術を決意。大助に「“がん”だったらどうしよう」と聞くと
「僕も一緒に死んだる」いつもの夫の様子に安心した。3ヶ月の闘病生活が終わり仕事に復帰したが、
それから3年間は病気と共に生きた。腸閉塞、ヘルペス、過労などが続き、入退院の繰り返し。
死んだほうが楽とさえ思ったが、カツを入れながら舞台に立ち続けた。
しかし「今度入院したら終わりや、再手術や…」そんな気持ちから花子はどんどん自暴自棄になっていく。
夫婦や親子の会話もなくなり、気がつくと花子の生活は荒れに荒れていた。そんな花子に大助が
ついに爆発、大喧嘩になった。「うちの家、ボロボロになっているのがわからんのか」
「どうなってもかまへんね。漫才やって、いまさらそれが何になんの」大助と大喧嘩を繰り返しながら、
花子は徐々に自分を取り戻していった。手術から5年目の定期検診の日、「もう転移の心配はありません」と
医者に言われた。大助に「ところで私、“がん”やったの?」って聞いたら「俺は知らん!」と言った。
しかし夫の頬には光るものが見えた。大助は知っていて、ずっとしらを切りとおしていたのだ。
がんを克服し、宮川花子はますますパワーアップし、夫婦漫才の面白さは増した。
宮川花子がどん底で見つけたものとはいったい何か。
(text from NHK site)

NHK総合 45min 2003-12-10 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)












 

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