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●日経スペシャル ガイアの夜明け 「りそな攻防200日」 〜実質国有化で再生できるか〜


実質国有化された「りそな」。その再生への半年を取材した。「りそな」再生を託されたのは、
「門外漢」経営者、細谷英二会長。会長にとって改革の出発点は「危機」であることを行員に
認識させることだった。「厳格に・嘘をつかない・先送りしない」という3原則を行員に課し、自らも断行、
資産査定の厳格化に踏み切った。また投入された公的資金を「負の遺産」一掃のため大胆利用。
先送りを拒否し、中間決算では大赤字を出す。さらに、銀行が変革できない元凶として「人事部」に
狙いを定め改革を断行。また若手による「再生プロジェクトチーム」を作り、抜本的な改革を目指す。
細谷改革が目指すのは、りそなを「銀行業」から「普通のサービス会社」することだ。
そこから見えたのは銀行を中心とする日本経済・護送船団の「限界」だった。

◎「りそな」への公的資金投入が示す、護送船団の崩壊

今年の3月1日。大和銀グループとあさひ銀行が統合し、「りそな」グループが誕生した。
それからわずか1ヵ月後の決算で、りそなは公的資金の申請を余儀なくされる。わずか1ヶ月の間に
何が変わったのか?そこには銀行の自己資本の健全性に対し、厳正な監査を要求された
監査法人の変化があった。一人の会計士の死が、「変化」を加速したのか?りそなは追い込まれていく。
公的資金申請を発表する会見、勝田前社長は監査法人の「変化」を「背信」だと述べた。
また一方で「弱者連合だった」と限界を認めた。旧経営者が公的資金申請の決断をするまで
言えなかった「限界」とは何だったのか?関西地銀の受け皿となり「護送船団」を維持することで、
大和銀行は存在感を示してきた。この路線の発端となったのは1995年にニューヨークで発覚した
「大和銀巨額損失事件」だった。事件を起こした井口俊英氏は今、アメリカで数人の友の資金を
預かり投資顧問業を営んでいた。邦銀が世界を席捲していた当時、現在の銀行危機は想像できたのか?
井口氏が自らの事件を通して見た銀行危機の原点とは?また当時の銀行局長が語る金融行政の
「敗因」とは?また、金融庁幹部は繰り返される公的資金投入をどう意義付けるのか?

◎危機を明らかにし、護送船団と決別 細谷会長が見た「危機」とは何か?

大和銀行やあさひ銀行の時代から見ると3回目の公的資金投入。しかし「公的資金」投入の目的には
変化が見られたようだ。竹中金融担当大臣が公的資金投入するにあたり、最も強調したのは、
銀行経営に「ガバナンス」を確立すること。経営責任明確化するため、経営陣は即刻退陣。
新たな経営の最高責任者に選ばれたのは、銀行業とは無縁の経営者、細谷英二氏だった。
公的資金を原資に、細谷会長は巨額の損失引き当てを断行する。門外漢経営者の目に銀行は
どのように映ったのか?細谷会長が繰り返すメッセージがある。「銀行業から普通の会社へ。」
その言葉の裏にある「金融危機」の真相とは何なのか?細谷会長が打ち出す、若手再生プロジェクト
チームや、人事部改革などを通して、銀行の抱える問題点、そして再生への道筋を探る。
(text from TV-tokyo Site and Mail Magazine)

テレビ東京 53min 2003-12-09 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)












 

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