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●プロジェクトX(140) 「100万座席への苦闘」 〜みどりの窓口・世界初 鉄道システム〜


1日の列車本数7万本の鉄道大国・日本。ビジネスや帰省など、人々の
長距離移動を支えるのが、全国8000もの端末を持つ「みどりの窓口」である。
今から46年前、日本で始めてのオンラインシステムに挑んだのは、国鉄と電機メーカー
日立の技術者たちだった。切符予約を東京のコンピューターと全国の端末とを結び、
発券する「みどりの窓口」は、社会基盤に巨大システムを導入する初めて試みとなった。
その実用化の陰には、続発するトラブルと闘い続けた人々の、14年間に及ぶ壮絶な
ドラマがあった。昭和33年、高度成長に向かう日本。しかし駅の指定券売り場では
怒号が飛び交っていた。長い列は一向に進まず、指定券を取るのに半日も待たされる
ことがあった。原因は、手作業による受付方法にあった。各駅に予約を申し込むと、
拠点駅にある予約センターに電話連絡。そこには、列車ごとの予約台帳を載せた円卓が
高速で回転。係員がひとつひとつの注文に必要な台帳を取り出し、書き入れていた。
しかし特急列車の増発が相次ぎ、手作業はもはや限界。ついには客が発券を待つ間、
乗りたい列車が空席のまま出発する事態となった。抗議が、国鉄に殺到した。
「コンピュータを導入できないか。」国鉄は日立とともに、予約の自動化に乗り出した。
「マルス」と名づけられた座席予約システムは昭和35年、試験導入に成功。
その5年後には全国150の駅に配置され「みどりの窓口」と名づけられた。
しかし、緒に就いたばかりの巨大システムは脆弱だった。各駅からの要求が
集中する午前9時にはコンピュータがパンク。各地で切符の二重発券のミスも続発した。
さらに、断行された大ダイヤ改正では、九州中の急行列車に大規模な配席ミスが
起こる不祥事を起こした。システムの信頼は、がた落ちとなった。国鉄側の
リーダー・尾関雅則は、トラブルの原因はチームの組織にあると思った。
「これはプロジェクトではない」発注側の国鉄はコンピューターのことを知らずに
無理な発注を押し付け、受注側の日立は鉄道という巨大交通網を軽んじたまま
プログラムを作っていた。尾関は恐れた。「もうすぐ100万座席の時代が来る。
同志にならない限り、プロジェクトの成功はない」尾関は前代未聞の改革に乗り出し、
新システム導入に鉄道の未来をかけた。情報化時代に先駆け、未知の技術の
実用化に執念を燃やした人々の苦闘を描く。
(text from NHK site)

NHK総合 45min 2004-04-06 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)











 

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