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●プロジェクトX(141) 「不屈の町工場 走れ魂のバイク」


日本最大のバイクレース「鈴鹿8時間耐久」。日本の4大メーカーは、
最新鋭のマシーンを送り込み、凌ぎを削る。かつてここに、わずか数人の
小さなチームで大メーカーに挑んだ町工場があった。バイクのエンジン部品を
手作業で改造する小さな工場「ヨシムラ」。親父の名は、吉村秀雄。マフラーや
カムシャフトなど、たちまち奇跡の部品を生み出すその手は、「ゴッドハンド」と言われた。
吉村の部品には、世界のメカニックも真似の出来ない技術が吹き込まれている。
「ヨシムラ」は、あの本田宗一郎さえも脱帽した町工場なのだ。しかし、この町工場が
世界に認められるまでには、長い苦難の道のりがあった。吉村秀雄は、九州・博多の
鉄工所の次男。戦前、史上最年少の19歳で「航空機関士」に合格したが、敗戦で技術を
発揮する場が失われ、生きる目標を見失っていた。そんな吉村に、昭和29年、
運命の出会いが訪れる。進駐軍の兵士からレース用にと、バイクの改造を依頼された。
バイク・エンジンの躍動感や加速感。かつて我を忘れて取り組んだ飛行機と似ていた。
「これだ」と確信した吉村は、早速、バイクのチューンナップに乗り出した。家族総出で
取り組んだヨシムラのマシーンは、レースで驚異のタイムを叩きだした。勝利を重ねる
町工場「ヨシムラ」の名は、瞬く間に全国に広がった。やがて、ホンダから部品を提供
してもらいマシーンを改造するという契約を果たした。しかし、間もなく危機が訪れた。
「吉村はライバルだ」。自らレース専門会社を設立したホンダは吉村との契約を断ち、
部品の提供をストップ。吉村は孤立した。さらに、工場の未来を懸け、アメリカの市場に
飛び込んだが、共同経営者に会社を乗っ取られる。再起を掛けた新工場も火事で焼失。
吉村自身も技の命・両手が動かぬ瀕死の重傷を負った。絶体絶命のピンチ。
その時、吉村の前に現われたのは、「レースで勝ちたい」と願うバイクメーカーの
技術者だった。吉村は家族と共に、一発逆転を掛け、昭和53年「第一回鈴鹿8時間
耐久レース」に打って出る…。番組は、技術一本に突き進んだ吉村秀雄とその家族の
生き様を取材。大メーカーに立ち向かった町工場の壮絶な物語を描く。
(text from NHK site)

NHK総合 45min 2004-04-14(2004-04-13の再放送)
Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)











 

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