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●房総プロムナード 「房州うちわ」 〜伝統を守る人々〜

千葉テレビ 20min 2004-05-16 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)




●プロジェクトX(143) 「創意は無限なり」 〜超音波診断機エコー〜


中高年が通う「人間ドック」。そこで威力を発揮する診断装置がある。
超音波診断装置、「エコー」。探触子を体の表面に当てるだけで、僅か5ミリの
初期ガン病巣も、心臓内の弁の動きも確実に見極められる。毎日、日本全国で15万人が、
この装置で診断を受けるという。この夢の装置を初めて世に送ったのは、日本人だった。
時代は、戦後間もない昭和25年。切っ掛けを作ったのは、東京・お茶の水にある
順天堂医院、その脳外科で働く新米医師・和賀井敏夫。実はこの年、和賀井は、
担当していた16歳の女性患者を亡くしてしまう。当時、脳腫瘍の検査にはレントゲンが
使われていたが、それでは病巣を見極める事が殆ど出来なかったからである。
だが間もなく、和賀井は、造船所では超音波を使い船体内部の傷を検査していること
を知る。「超音波で脳腫瘍を発見できないか」。そこに、戦中、兵器を作っていた
日本無線の技術者たちが参集。プロジェクトは始まった。しかし、開発は過酷を極めた。
超音波は、金属には反応したが、体内の臓器には反応しなかった。体の断面を
描き出すには、患者を風呂桶の水の中に入れる必要があった。何度試作機を作っても、
医学界からは認められない。和賀井は病院の教授に疎まれ、船医となった。
技術者たちも、経営悪化を理由に会社を追われた。だが、メンバーは決して開発を
諦めなかった。合い言葉は、「創意無限」――創意を実現するためには、無限の努力が
必要だ…。和賀井は、「日本で認められないならアメリカだ」と単身、渡米を決意。
技術者たちは、自ら大きな借金を背負いながらも試作機作りを続けた。メンバーの努力は、
開発開始から実に26年。遂に、花開く。臓器の構造や動き、総てが瞬時に見極められる
診断機が現実の物となった。番組は、体内の診断に革命をもたらした「エコー」の
開発物語をつぶさに取材。医師と技術者の飽くなき挑戦の姿を描く。
(text from NHK site)

NHK総合 45min 2004-05-11 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)









 

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