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●トップランナー 「音楽家・椎名林檎」

98年に「幸福論」でデビュー。以降、「歌舞伎町の女王」「ギブス」「本能」などシングルが立て続けに大ヒット。情熱と退廃、相手のすべてを受け入れるかのような包容力と、世界を全否定するかのような破壊力・・・既存のJ-POPとは一線を画す音楽性や独特の世界観で、一気にその名を轟かせた。今年デビュー10周年を迎え、輝きを増し続ける彼女が、この10年を振り返り自らの目指す音楽について語る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 40min 2008-08-06(2008-07-14の再放送) Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「作曲家・服部良一」

「心の中からメロディーをひっぱりだすのがコツ。器用な人はダメ。僕みたいに不器用でなきゃ。」: 服部良一は生涯におよそ3千曲を作曲した。「別れのブルース」「蘇州夜曲」「東京ブギウギ」「青い山脈」など誰もが口ずさんだメロディーが日本人の生活に希望や潤いを与えてきた。服部メロディーにのって、戦前は「ブルースの女王」淡谷のり子が誕生し、戦後は「ブギの女王」笠置シヅ子が誕生した。服部流の作曲のコツや名曲誕生秘話を語る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 10min 2008-05-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「国語教師・大村はま」

「できてもできなくても力いっぱい学んだ人たちに恵まれる平安が必ずある」: 中学や高校の教壇に52年間立ち続けた国語の先生。手作りの独創的な教材で子どもたちの勉強への意欲を引き出した。国語学者としても活躍し、戦後の国語教育の基礎を築いた。1947年に学校制度改革で義務教育になったばかりの新制中学に赴任したとき、机も教科書もない荒れ果てた焼け野原の中学で勉強嫌いの子どもたちと体当たりで「教える」ことの原点を悟ったエピソードなどを語る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 10min 2008-05-27(2006-07-09の再放送) Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)

> 2016-09-10に再生可能を確認
> GP-1056にもあり
DR-658にわくわく授業(チャプター付き単品)あり
GP-460に、こころの時代「優劣のかなたに」あり ---> 2016-09の調査では見つからず

>「授業の神様」の情熱 大村はま評伝、教え子執筆  2010年9月7日15時27分 asahi.com
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「授業の神様」といわれ2005年に亡くなった国語教師・大村はまの98年の生涯をつづった『評伝 大村はま ことばを育て 人を育て』が8月に刊行された。教え子の一人で「大村はま記念国語教育の会」事務局長の苅谷夏子さんが、死後に読むことを許された日記などを基に、6年がかりで書き上げた。「生前、先生は自分の教え子が、自分が育てた言葉の力を使って自分をどう描くのか、『とても楽しみ』という顔をなさっていた。その顔を思い浮かべながら書き進めた」と話す。兄の死や姉へのコンプレックスに悩んだ少女時代、読書に打ち込んだ女子大の寮生活、そして旧制高等女学校や戦後の新制中学での計52年にわたる教師生活。新聞や雑誌を活用した手作りの教材で、魔法のように子どもの学ぶ力を引き出す授業の様子が、生き生きと描かれる。大村は、生徒たちには好かれながらも、高い理想と並はずれた熱意のあまり、行く先々の学校で同僚たちの反感を買った。「生徒にはあんなに寛容だったのに、職業意識ゆえか同業者を見る目は厳しかった。上辺を繕うような言葉が言えない人でしたし」退職後は著述や講演を通じて国語教育向上に尽くしたが、晩年、思うように話せなかった講演を悔い、老いを嘆く姿に胸をつかれる。「教員の方々に読んでほしい」と苅谷さんは言う。「大村はまのしたことは容易にはまねできない。それでも、てっぺんを目指せばここまでのことが成し遂げられる仕事なのだ、と誇りを持ってほしいんです」 小学館、3360円。(小原篤)







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