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●ETV特集 「父とチャコとボコ」 〜金子光晴・家族の戦中詩〜

去年夏、東京の古書店で、詩人・金子光晴の「三人」と題した手書きの詩集が発見された。昭和19年、妻(愛称チャコ)と息子(愛称ボコ)の三人で山中湖畔に疎開していた光晴が、家族三人の詩を清書して作った私家版の詩集。そこには、家族への愛情と反戦の信念が素直につづられている。「この生きている眼でボコをみることができる。そのよろこびを分りあうのは父とチャコと二人だけだ。人よ。こまやかな人間の生を、なぜもっといつくしまない。夜々、重い爆弾を抱いて人の街のうえにはこぶのは誰だ。また誰のために何を守るのか。むなしいもののためにさらに むなしいあらそいよ。」(『裏富士にて』より)チャコとは妻である作家・森三千代(もり・みちよ)。ボコとは一人息子の森乾(もり・けん、後の仏文学者)である。光晴は、この疎開中、喘息体質の乾に、松葉を燻(いぶ)した煙を吸わせ、徴兵から逃れさせていた。詩集「三人」は、全38編中、光晴の詩は24編、他の14編は三千代と乾の作品。三人は、空襲を逃れてたどり着いた山中湖畔の粗末なバンガロ−で、自ら野菜を作り、一つコタツに足をつっこみ、時に喧嘩をしながらも静かな時を過ごした。詩集を発見した詩人、原満三寿氏は、光晴が家族詩集を提案し、それぞれの詩を光晴自身が手書きしたものと推測している。
「われら三人の住む家は、飛びゆく」 「戦争の国々をこえて、国境のない人間の団らんのはてに。」
息子、乾を中心として結ばれた家族愛が、この戦争によって奪われまいとする思いが込められていた。金子光晴は、もともと華麗な作風の「コガネ虫」で詩壇に登場。抵抗の詩人と呼ばれるようになる。しかし、今回発見された詩集「三人」に貫かれているのは、先鋭的な反戦の意志を表明する「抵抗の詩」ではなく、より根源的な非戦の思いだった。そこにあるのは、“イデオロギ−”や“思想”ではなく、光晴の“自分の最も柔らかな皮膚”だった。戦争の時代、エゴイズムで国家に対峙していた金子光晴。番組は、未発表詩集「三人」を読み解きながら、これまで知られていなかった光晴の詩の原点を、光晴の孫娘と、在日アメリカ人の詩人ア−サ−・ビナ−ド氏が探る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 60min 2008-01-20 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)









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