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●NHK人間講座 「京料理千二百年 和の味の追求」

熊倉 功夫 Kumakura Isao 林原美術館理事 1943年生
東京生まれ。東京教育大学文学部史学科卒業。日本文化史専攻。文学博士。京都大学人文科学研究所講師、筑波大学教授、国立民族学博物館教授を経て現職。茶道史を中心に日本文化を広く見据え、旺盛な評論活動を展開。日本の料理文化史、柳宗悦など幅広く研究。著書に『茶の湯』(教育社)、『寛永文化の研究』(吉川弘文館)『茶の湯の歴史』(朝日新聞社)、『後水尾天皇』(岩波書店)『近代数寄者の茶の湯』(河原書店)、『日本文化のゆくえ』(淡交社)『文化としてのマナー』(岩波書店)、『日本料理文化史』(人文書院)などがある。

◎第1回 「テーブルにスプーン・大饗料理」
雑誌に特集が絶えず組まれるなど、今や京料理は一種のブームである。京料理とは何を指すのかはっきりした定義はないが、千年の都であった京都で洗練され、熟成された料理であり、日本料理の中核をなしているものといえる。世界的に日本食が人気がある今、日本料理を考え、明日の日本料理の行方を見据えるために、その原点である京料理の歴史をたどる。第1回は中国の影響を強く受けた平安時代の貴族の料理を紹介する。

◎第2回 「庶民の食卓・一汁三菜」
平安時代の庶民は何を食べていたのか。平安時代の絵巻物「病草紙」には、一汁三菜の膳に座る庶民の姿が描かれている。今回は、この一汁三菜を実際に再現する。高く盛られた飯に2本の箸を突き刺された皿、一汁三菜の中身、長い箸と一枚の板の膳から、当時の庶民の食卓と習慣を推測する。また当時7万人が住んでいたといわれる平安京、市場で売られていた食材を、現在の京都の錦市場で探し、当時の庶民の味に対する感覚を探る。

◎第3回 「大寺の美味・精進料理」
肉や魚などの動物性の食材を使わない、「精進料理」。ダイエットや健康への関心などの面から注目が集まっている。番組では、まず京都のイタリア料理のシェフが発表した精進料理のレシピを紹介し、その“野菜の料理”としての可能性に着目する。精進料理が日本で育まれた背景として、宗教的なタブー、特に中国からやってきた仏教の禅宗の影響を考察する。いまも昔ながらの修行が行われる大徳寺僧堂の厨房では、質素な暮らしをしながら厳しい修行をする中で、精神修養の一環として料理が考えられてきた。そこから、野菜の調理法として「煮る」などの料理の工夫が発展していった。さらに大徳寺に残る約四百二十年前の記録をもとに、代々大徳寺の料理方として技法を受け継いできた料亭に、当時の料理を再現してもらう。

◎第4回 「膳の数で勝負・本膳料理」
日本料理の様式の基本形を作った「本膳料理」。京都市の二条城において、豪華な本膳料理の饗応があったという記録がある。一六二六年、将軍徳川家光が、後水尾天皇をもてなした際のごちそうである。京都市の料亭には、この時のメニューの絵が伝えられている。七十品目以上にものぼる豪華な料理は、食べるよりも見て楽しむという要素が強かった。そこで、室町時代の武家社会において、本膳料理が主従関係の確認の場として成り立っていった過程を解説する。しかし、本膳料理は豪奢になりすぎて、第二次大戦後は急速にすたれていく。そこで、昭和初期のレシピをもとに、祝いの席に作られた本膳料理を再現する。一品一品に春の意匠が込められ、見て楽しむ趣向が凝らされている。膳の形式は後の会席料理に受け継がれる。

◎第5回 「包丁自慢の男たち・見せる料理」
日本独特の料理屋のスタイルに、カウンター料理(板前割烹)というのがある。一流中の一流の料理が客席の前のカウンターのまな板の上で見事に生まれ、客は見て楽しみ、すぐに味わうことができる。日本には、昔から料理をつくる様子を人前で見せるという料理のパフォーマンスの伝統があった。平安時代には、料理を趣味とする者が登場、桃山時代には、料理そのものを意味する包丁は、武家・公家の重要な学芸の一つとなる。室町時代には、包丁の流派が誕生し、今日まで続いている。見せる料理の楽しさを伝える。

◎第6回 「料理の革命・懐石の誕生」
千利休がわび茶を完成した16世紀末、茶の湯料理・懐石が誕生し、京料理に革命が起きた。それまでの本膳料理では、一度に目の前に多くの膳が並び、見るだけの装飾的なものや、冷たくなって食べられない余分のものなど、料理の本質を失っていた。それに較べ、懐石は膳が一つに限られ、一つ一つ食べおわるごとにそのつど、暖かくて十分に調理された料理が運ばれた。その他にも、素材や器に季節感を持ち込むなど、懐石の特質と趣向の面白さを、京料理は引き継いでいる。

◎第7回 「祇園円山・料理屋の誕生」
客を迎えて酒や料理を振舞う「料理屋」の原型は、四百五十年前、京都・円山の寺院で始まった。その後、様々な形態の料理屋が登場し、日本最高と言われる料理屋文化が京都に花開いた。鯉や鮎などの川魚を生簀に泳がし、客の注文に応じて捌く料理茶屋や、芸妓・舞妓の舞を見せつつ酒と肴でもてなす「お茶屋」。そして、料理を客の元に配達して振舞う仕出し屋など、伝統の中で育まれた料理屋の諸形態を見ていく。

◎第8回 「京の名物・水、水菜、豆腐、まつたけ」
京名物として現在も全国に知られる豆腐、湯葉、麩、そして京野菜。豆腐や麩は、質の良い水に恵まれなければ出来ないが、江戸時代以来、京都の水は「名水」として全国に知られ、大坂などでは商品として取引されるほどであった。かたや京野菜は、人口稠密な都の市中から出される大量の生ごみや堆肥などによって、その深い味わいが培われてきた。京都の自然と風土が育んだ京名物と、それらの風味を最大限に活かす京料理の技を紹介する。

◎第9回 「伝統と創造・京料理の真髄」
京料理には大きな流れが四つある。有職料理(本膳料理)、精進料理、懐石料理、おばんざい。おばんざいは、決して贅沢でなく質素ななかに素材を生かした家庭料理である。今回はおばんざいと京料理の特質の一つである食器の見事さについて語る。さらに京料理を取り入れながら独自の料理を創造した二人の天才、北大路魯山人と湯木貞一を紹介する。シリーズのまとめとして、京料理が和の味をいかす料理として千二百年の伝統の上に、さらなる創造を生んでいくための条件を探る。
(text from NHK site)

<回によっては、受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2004-04-14〜06-09(すべて2004-04-07〜06-02の再放送分を録画)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)





●ETV特集 「転べ それから立ち上がれ」 〜ヤンキー先生・義家弘介〜

「教育とは、方法論ではなく、抱きしめてあげること。」 自らの経験をもとに実践を続ける高校教師・義家弘介さん。NHK総合テレビで放送中の土曜インタビューで放送後、当日だけでも200件近い再放送希望が寄せられ、大きな反響をよんだ。土曜インタビューで放送できなかった、義家さんの授業の取り組み、一人一人の生徒との格闘を追加取材。さらに、教育問題を追い続ける作家・重松清さんとの対談を通して、義家先生の実践を描いていく。

北海道余市町にある「北星学園余市高校」で、社会科教師を受け持つ義家弘介さん。北星余市高校は1988年、全国で初めて「他校中退者」受け入れを始めた学校として知られ、義家さんは、その中退組の第1期生。札付きのヤンキーとして暴走した果てにたどり着いたこの学校で、一人の教師に出会い立ち直り、1999年に、教師となり母校の教壇に戻ってきた。しかし、「元ヤンキー」「卒業生」という肩書きだけで、話が通じるほど今の生徒たちは甘くない。10年の間に、不登校、ひきこもり、大麻・・・と生徒たちの世界も激変していた。義家さんの目指しているのは、建前上の禁止や、問題を起こした生徒を単純に退学させて処理する“禁じる教育”ではなく、“転ばせて痛みを学ばせる教育”である。大人の前でコトを起こさないことを求めても、問題は潜行するだけで、何も解決しない。問題が起きることをおそれず、生徒に寄り添い一緒に歩くことを目標にしている。

今年も、北星学園余市高校には、全国から240人の新入生が入学した。そのうち5〜7割が、不登校の経験者で、年齢も15歳から27歳と幅広い。義家さんは、校内で最も激務といわれる生活指導部長のほか、“最も落ち着かず、最も問題を起こす”「一年生」の現代社会を受け持つ。義家さんはどうやって若者たちと心を通わせるのか。また、複雑な青少年問題とどう向き合い、どう解決しようとしているのか。自らも2人の娘を持ち、現代の家族、教育に深い関心をよせてきた作家・重松清さんが、波乱の人生の中から築き上げてきた義家さんの実践と「教育哲学」に、じっくりと迫っていく。
(text from NHK site)

NHK教育 90min 2004-06-05 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)







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