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●新日曜美術館 「輪島 椀の創造」 〜漆工芸家 角偉三郎〜

漆工芸家・角偉三郎(かど・いさぶろう 1940-2005)。生涯に生み出した”器”は、1000種以上。「漆っちゃなんやろ」と問い、「生活の中の漆」を求め、溢れる程の創作意欲を見せた工芸界の革命児だ。 石川県輪島の下地職人の息子に生まれ、15歳で沈金の修行を始めた角は、パネルに漆で絵を描く作品で公募展に次々入選。38才という異例の若さで改組日展の特選を受賞する。しかし2年後、角は一切の公募展から退いてしまう。漆を使い絵画的な表現をすることに意味が見出せなくなったのだ。苦悩の日々を送った末にたどり着いたのが、かつて輪島の隣町・合鹿で作られていた無骨だが力強い漆椀。美術作品の中の漆ではなく、毎日の生活で繰り返し使われ、両手で掴み、口唇にふれる器の中にこそ、漆の本来の姿があると考えたのだ。ざっと削った大椀の木地に漆をドドッとかけ流す。近づくだけでかぶれるという漆を、じかに手に取り、エイヤッと椀に塗りつける。豪快さと美しさを両立させた造形と、使うほどに輝きを増す艶を持った角の漆器は使い手の圧倒的な支持を集めるようになる。 漆をつきつめ漆と共に暮らす喜びを示した角偉三郎。彼が開いた「漆」の新境地を伝える。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 45min 2007-07-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo





●新日曜美術館 シリーズ・画家と戦争(1) 「戦争画が生んだ名作」 〜小磯良平「斉唱」〜

神戸出身の洋画家・小磯良平の代表作「斉唱」。モノトーンの静謐(せいひつ)な画面。はだしで制服姿の9人の少女がひたむきに歌っているのは賛美歌だろうか。描かれたのは太平洋戦争開戦直前の昭和16年。実はこの頃、小磯は従軍画家として戦争記録画を手がけていた。「斉唱」にはやむを得ず軍に協力したことへのあがないの気持ちが込められている、平和を待ち望む祈りが込められていると言われてきた。しかし最近、「小磯が必然的に群像を描くことになる戦争画に積極的に取り組んだ、その成果が『斉唱』なのではないか」とする説が唱えられている。 小磯の戦争画と「斉唱」は構図や描法がよく似ている。番組では、戦争記録画は大きなカンバスで群像表現に挑み、構図や写実を磨く絶好の機会であり、その修練の末に「斉唱」が誕生したことを検証。30代後半という脂の乗った時期に戦争の時代を迎えた小磯。自らの芸術を追及するために戦争画をも利用した画家の執念。近代日本絵画史上の傑作「斉唱」誕生の秘密に迫る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 45min 2007-07-15 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo





●新日曜美術館 シリーズ・画家と戦争(2) 「靉光 時代の自画像」

靉光(あいみつ/本名・石村日郎)は、1907年、広島県に生れた戦前を代表する画家の一人。動物の肉のようにも見える奇妙な物体の中で、一つの眼が異様な光を放ち見る者を凝視する『眼のある風景』。日本のシュルレアリスムの傑作と言われるこの作品は昭和13年、国家総動員法が成立した年に描かれた。虚空を見つめる視線が強烈な存在感を放つ3枚の『自画像』が描かれたのは、戦時中、昭和18年から19年にかけてのことだ。どの作品もその時代を象徴するかのような独特の闇に覆われているが、同時に時代を睨み返すような意思の力を感じさせる。前衛芸術への弾圧が強まる中、戦争画を描かず、『鳥』、『花』、『蝶』などの一連の幻想絵画を描いた靉光。「戦争画を描くのに多くは軍人や大砲を描く。しかしそれが蜂であってもいいじゃないか。自分は戦争の絵を描いているのだ」と語っていたという。そしてこれらの傑作を残して戦地へと赴いた画家は、終戦を迎えるが戦地で病死する。ふるさとに残されていた作品の多くは原爆で焼失した。昭和の洋画において大きな功績を残し、独自のスタイルを築いた画家は、今年生誕100年を迎える。戦争へ向けてひた走る時流に翻弄されながらも、靉光は何を思い、何を掴もうとしていたのか。靉光の絵筆の軌跡を辿り、戦争によって絶たれた才能を見つめる。
(text from NHK site)

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NHK教育 45min 2007-07-15 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo

> DR-3240「怪獣のあけぼの 後編」で、池袋モンパルナスが紹介される。








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