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●新日曜美術館 「セントラルパークがアートになる」 〜クリスト&ジャンヌ・クロード〜

今年2月、巨大芸術がマンハッタンの街に生まれる。現代美術の巨匠クリスト&ジャンヌ・クロードの新プロジェクト「the Gate」である。クリスト&ジャンヌ・クロード(夫妻)は、冷戦の象徴・ベルリン旧国会議事堂やパリの名所ポンヌフ橋を、すっぽりと布で梱包したプロジェクト等で知られている。人々が慣れ親しむ光景を変容させることで、普段は気がつかないその時や場所、存在の意味を、見る人それぞれに問うというコンセプトのもと、他に類を見ない数多くのプロジェクトを生み出してきた。今回の「the Gate」は、ニューヨーク・セントラルパーク内の遊歩道が舞台となる。全長37キロに及ぶ市民の散歩道に、高さ5メートルの門を7500基立てる。各門にはオレンジ色の布が吊り下げられ、風や光で表情を変える布の下をだれもが自由に歩くことができる。摩天楼の高層ビル街に出現する布の道。そのいきもののようなうごめきは、人工的な大都市のスカイラインと対比され、そこに生きる人々のエネルギーを強調する。展示期間は2週間。これまでの作品と同様、限られた時間のなかで生まれ、消えていく命あるプロジェクトである。現実の暮らしが営まれる場を舞台とするため、制作に際しては周囲の説得が欠かせない。今回は、約40年間ニューヨーク市、および周辺住民との交渉が重ねられた。安全性や自然環境への配慮、何人の日常も妨げないこと等数多くの条件が課された。人種も暮らしも多様なこの街で作品を生み出すことは現代社会のあり様を芸術に取り込む作業なのだ。また総額22億円に上る費用は、the Gateの構想を描いたドローイングの販売によって調達される。それらの作品はギャラリーで展示され、人々のプロジェクトへの理解と関心を高めていく役割も果たす。たった2週間ひとつの光景をうみだすために、社会と複雑に係わり合い観客を巻き込んでいくという過程そのものがクリストの「作品」なのである。番組は開催期間中の貴重な単独インタビューや二人の現場作業を撮影し、ニューヨーク史上最大のアートプロジェクトとよばれるこの作品を記録する。また参加スタッフ、住民などさまざまな立場からプロジェクトへの関わりを追い、現代という時代を確かに刻み、美に昇華するクリスト&ジャンヌ・クロードの世界を探る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 45min 2005-03-13 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo





●新日曜美術館 「風景に命をそそぐ」 〜三岸節子のヨーロッパ〜

「2時に目が覚めて眠れず、ゴルゴーニュの麦畑をいかに描くか、さまざまに思いめぐらす。これが出来なければ、成功しなければ、個展の目が出ないだろう。渾身の勇気、熱意を込めて格闘である」(日記、1979年・74歳)「私の描く作品は、花にしても静物にしても、風景にしても、作品を描きすぎる。……10枚の作品を1枚に凝集する。それが出来なければボンクラの画家で終わるのみである」(日記、1975年・70歳)来年生誕100年を迎える画家・三岸節子(1999年没)。大規模な展覧会開催を前に、晩年20年あまりフランスに滞在して「本物の画家」になろうと苦闘した時期の、真情を克明に綴った日記の存在が遺族の協力で明らかになった。戦前、異色の画家・三岸好太郎の妻として互いに影響を与えあい、夫の死後も画壇の第一線にたち続け、戦後早々、美術界初の個展を開き、1951年にはサンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれるなど、功成り名を遂げて60代の老境にさしかかっていた三岸節子は、1968年、突然「日本への訣別」を宣言し、息子一家を引き連れて渡仏する。以来20年あまり、病を得て84歳で帰国するまで、滅多に訪れる人もないフランスの片田舎に居を定め、ひたすら制作に打ち込む。南仏、ブルゴーニュ地方、ヴェニス、スペイン、シシリー島……名所絵はがきに終わらない風景画を描くため、精力的な取材旅行を繰り返しながら、「本物の油絵を描く」ことに心血を注いだ三岸。その壮絶な戦いの日々が、今回の日記公開によって初めて明らかにされる。番組では、日記をはじめ、残されている滞仏時代の膨大な写真、そして小学生時代から三岸と生活を共にし、取材旅行にも必ず同行した孫の太郎氏の証言などを交えて、ヨーロッパに挑み、本物の画家になろうとした戦いの日々を再現する。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 45min 2005-04-24 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo





●新日曜美術館 「ガラス工芸家ルネ・ラリック」 〜空間装飾への挑戦〜

ルネ・ラリック(1860−1945)は、アールヌーボーの時代に、宝飾のデザイナーとして世にデビュー。その後、アール・デコを代表するガラスの工芸家として活躍し、1925年のアール・デコ博では爆発的な人気を得た。ラリックというと、日本では香水ビンや置物のデザイナーとしてしか知られていないが、彼の仕事は単なる工芸家としての枠を超えたものであった。その革新性は、好みの色や形を容易に作り出すことの出来るガラスの特徴を巧みに生かし、用途を大きく拡大したことである。アルザス地方にガラス工場を設立しその技法の開発や量産化を成し遂げたラリックは、自動車のカーマスコットや豪華客船、列車などの乗り物、さらには建築空間にまでその世界を広げていった。今もベニスからロンドンに向けて走るオリエント急行の食堂車の中には、ラリックが装飾を手掛けた裸婦像と葡萄紋様のガラスパネルがある。ラリックは、豪華列車の旅という移動の空間を、劇場にも似た美の空間に仕立てていた。晩年のラリックは、教会の内装も手掛けている。英仏海峡に浮かぶジャージィー島にある聖マシューズ教会には、3メートルにも及ぶ百合をデザインしたガラスパネルの十字架など、画期的な試みがなされている。今年3月、ラリックの空間演出の原点となった作品「噴水の女神ガラテ」など彼の革新的な試みに焦点を当てた箱根ラリック美術館がオープンした。番組では、これを機にラリックの先駆的な美的空間が、どのようにして生み出されていったのかを探っていく。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 45min 2005-05-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo








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