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●新日曜美術館 「時を刻む襖絵」 〜日本画家 田渕俊夫〜

長谷川等伯らの国宝障壁画で知られる京都の智積院。昨年秋、60面に及ぶ襖絵が納められた。描いたのは、日本画家の田渕俊夫(67)。日本画の常識にとらわれないユニークな手法で、常にみずからの感動を絵にし続けてきた田渕は、今回、伝統的な襖絵の制作にOHPを用いている。描いた下図をOHPで直接襖に投影し、映し出された影をたどって絵を描くという。みずからの感動を絵にするためには技法は問わない。2000年、ベトナムのバイクのけん騒を描いた代表作「時の証人」では、ビニールシートを切り抜いて作ったバイク型を用いて、アニメーションのような動きのある日本画を生み出した。斬新な手法を取り入れているのは、決して表面的なパフォーマンスのためではない。描く対象の本質をとらえるためだ。「本物は目の前にある姿ただ一つ。絵で本物は描けない」と田渕は言う。絵の限界を知るが故、次々と新しい技法に挑むことで、対象の本質に近づこうとしている。時を刻む襖絵のフィルターを通過する風景は、いったいどんな風に世に送り出されるのか?番組では、画業40年で挑んだ襖絵創作の日々を一年にわたって追 った。
(text from NHK site)

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NHK教育 45min 2009-01-11 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo





●新日曜美術館 「日本画・その先を行く」 〜菱田春草と「落葉」〜

落ち葉積もる林が、ほのかな遠近の中に続いている。画面手前の木肌や葉は西洋画的な写実でありながら、木々の濃淡で表された空間は日本画的な奥行きをみせている−。近代日本画の名作「落葉」。菱田春草(ひしだしゅんそう1874-1911)が、この作品を発表したのは、ちょうど100年前、明治42年(1909)。賛否両論が巻き起こるほど革新的なものだった春草の代表作は、どのようにして生まれたのか?そこに込めた思いはどのようなものだったのか?当時、春草は失明の危機にあった。前年、網膜炎を患い、絵筆を持つことを禁じられていた。若いころから、常に新しい試みを続けていた春草だが、その作品は、西洋かぶれの「朦朧体(もうろうたい)」などとさげすまれ、ほとんど売れなかった。貧困にあえぐ中、武蔵野の林を散歩しながら次の構想を練るしかなかった。失いかけた視力が回復していったとき、林は、生命力、再生を暗示する無限のモチーフとしてうつった。そして、起死回生をかけて、西洋の写実表現と、日本画の持つ奥行きを、両立させることにかかんに挑んだ。春草は確信していた。「洋画といわれるものも、日本画も、日本人が構想し制作するものが、すべて日本画と見られる時代が来るであろう」と。苦心の末に、春草が渾身(こんしん)の思いで切り開こうとした「落葉」の新たな地平に迫る。
(text from NHK site)

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NHK教育 45min 2009-01-18 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo





●新日曜美術館 「美と戯れる人」 〜日本画家・加山又造〜

「人と同じことをしちゃいけない・・・」その画家は、いつもの口癖をつぶやきながら、子どものようなあふれんばかりの好奇心で次々と新しい美の世界に飛び込んでいった。没後5年を迎えた日本画家 加山又造。古典的な技法を操り、けんらんたるびょうぶ絵を数多く制作。現代の琳派とも称されるが、その画業の出発点は、ヨーロッパの超現実派や未来派の手法を取り入れた前衛的な抽象画であった。40代半ばからは裸婦像に挑戦。透き通るような肌の無国籍風の女性を描き、乾いたエロティシズムを表現した。それと平行して、水墨の世界にものめり込み、白と黒の画面の中に深い精神性を追求している。さらに晩年には、パソコンを使ったコンピューターグラフィックスも手がけていた。今、その作品が初めて国立新美術館で一般公開されている。日本の“様式美”にこだわりながら、自由な発想で日本画の新しい可能性を切り拓いていった加山又造。作家の五木寛之さんが、加山又造の「美と戯れる心」に迫る。
(text from NHK site)

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NHK教育 45min 2009-02-22 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo







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