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●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「古今亭志ん生」 〜えー、人間とオいうものは〜 山本晋也

「落語界の巨人」「昭和の大名人」と称され、今なお新たなファンを魅了し続けている落語家、五代目古今亭志ん生。 「その芸風は、よく言えば天衣無縫、はっきり言って“いい加減”。でもそれがたまらなく可笑しかった」と語るのは、映画監督の山本晋也さん。 新宿・末広亭など、志ん生落語の匂いのする場所を舞台に、山本監督のユニークな志ん生論が炸裂します。
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1939年東京・神田生まれ。1963年、日大芸術学部演劇科卒業。NETテレビ(現・テレビ朝日)のアルバイト、岩波映画の助監督などを経て、1965年、映画監督デビュー、以来およそ250本の映画を監督。その後テレビのレポーター、コメンテーターとして活躍。立川談志の弟子として談遊(だんゆう)の名をもらい、高座に上がることもある。近年は映画・テレビドラマの俳優としても活躍。


第1回 「いいかげんの魔力」
セリフはとばす、登場人物の名前は変わる、演るたびに違う志ん生落語は一見“いい加減”。でも、何が飛び出すかわからないワクワク感がありました。「えー、人間とォいうものは」、とぼけた口調の第一声がユニークな志ん生とは、本当はどういう人だったのか? 山本監督は、晩年の志ん生をおぶって高座に通ったという愛弟子・古今亭圓菊さん(77才)を訪ねます。抱腹絶倒のエピソードとともに明らかになるのは、いい加減な芸風に隠された志ん生の真摯な姿。70歳を過ぎてなお、昼夜を問わず365日稽古に励んでいた師匠の姿を今も忘れないと圓菊さんは語ります。軽くやっているようで、実は厳しい修練で裏打ちされていたという志ん生落語。落語『火焔太鼓』を味わいつつ解き明かされる“いいかげんの魔力”をお楽しみ下さい。

第2回 「なんて勝手な人だろう」
志ん生は、家族と共に極貧の暮しをした落語家。住まいの殆どは“長屋”でした。家賃が払えず夜逃げした長屋、大量発生するナメクジが部屋の壁一面を這い回った通称“なめくじ長屋”など、いわば長屋暮しのスペシャリスト。毎日の食べ物にも困る暮しでしたが、家族はひたすら志ん生の才能を信じました。そして、善人も悪人も肩寄せ合って生きる“長屋=人間のるつぼ”の中で、志ん生の個性は育ったのです。「貧乏はするもんじゃねえ、味わうもんだ」「俺は貧乏してない。家族が貧乏だっただけ」、勝手ともいえる志ん生ならではの名言。そんな志ん生落語の神髄は、やはり長屋落語です。NHKに残る超レア映像の『風呂敷』は、長屋落語の十八番。狭い所にひしめきあって暮す人達の息吹と、長屋の佇まいが目に浮かぶ細かい仕草に、ご注目下さい。

第3回 「ひょっとすると身投げだ」
ある日、部屋からぼーっと庭の池を眺めていた志ん生が弟子を呼んでこう言いました。「池の側んとこに、鳩が止まっているだろ。さっきから見てんだけども、あすこから一時間も動かねえ。何考えてっかわかるか、お前」「鳩がですか? さあ、何考えてんでしょうね」「ひょっとすると、身投げだ」このエピソードを聞いた山本監督は、志ん生の深いところにある独特の生命観、無常観を感じたといいます。それが、単なる爆笑落語ではない、かといって高尚な芸術でもない、唯一無二の志ん生落語の域に到達させたのではないか。志ん生は、終戦間近の昭和20年5月に慰問団の一員として満州に渡ります。昭和22年に生還して後の志ん生は、「芸が変わった」「明るくなった」といわれますが、大陸で過ごしたであろう600日について自ら語っていません。満州に渡って程なく終戦。想像を絶する状況下で一体何があったのか? そこに志ん生落語の秘密があるのではないか? 山本監督が推理します。登場する落語は『黄金餅』。凄惨な噺を軽く飄々と演じてみせるウラの十八番。人間の業の深さを肯定する志ん生ならではの一席です。

第4回 「酒はやっぱりうまいなあ」
最終回は、志ん生の長女・美濃部美津子さんとの対談。志ん生に似た軽妙な口調で、自由奔放な父の素顔をエピソード満載で語ってくれます。空襲が恐いと家族そっちのけで逃げ出した父を追いかけた話、母親の内職ひとつ手伝えない不器用で落語以外何をやらせてもダメだった話、でも、毎日欠かさず稽古をしていた父のことを悪く言ったことがなかった母。長屋全員が同じような貧乏暮らしで、それが普通だと思っていた、うちはいい家族だった、と当時を懐かしむように語る美津子さん。亡くなる前夜、吸い飲みで酒を飲ませると「酒はやっぱりうまいなあ」と言い眠ってしまい、そのまま息を引き取った父。好きなお酒とともに見送れて良かった、と美津子さんは微笑みます。「満州に行ったらお酒もあるし、空襲もない。行ったら?」という美津子さんのすすめで満州に渡ったという志ん生の、“空白の600日”にも話は及び、その謎がいよいよ明らかに!
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-09-06〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ なんでも好奇心 「ワイナリーへいらっしゃい」 〜探訪・日本人のためのワイン〜 森田美由紀

ブドウの育った土地柄を映し出すワイン。日本にワインが伝わった歴史から、香りを引き出すワイン醸造の最先端。
料理にワインを合わせる秘訣。これまで縁遠かった人にもワインとの距離がぐっと縮まる4回シリーズ。
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北海道生まれ。 1987年、NHKに入局し、アナウンサーに。現在は教育テレビの「芸術劇場」(音楽)、BS-2の「音楽のある街で」などを担当。

第1回 「ぶどう酒とワインの間」
安土桃山の頃、南蛮船で運ばれてきた「チンタ」との出会いが日本人とワインのつき合いのはじまりである。明治以降、舶来趣味、西洋趣味と共に広がるが、庶民には戦後に至るまで「葡萄酒」は「赤玉ポートワイン」などで代表される甘いリキュールであり、どこかに薬用の意識が残っていた。番組ではワイン史に詳しいソムリエの田崎真也氏を招き、日本人とワインの関係を振り返ると共に、最近ようやく注目されるようになったワインのためのブドウの条件を語ってもらう。

第2回 「“甲州”の秘密」
「ブドウに選ばれた土地」と呼ばれる山梨県の勝沼。奈良時代に国分寺に植えられて以来という歴史ある品種が「甲州」である。ワインにすると飲みやすいが、味も香りも余り特徴がなく一流とするには弱いと評されてきた。ところが最近このブドウに柑橘系の芳香を発する物質が含まれていることが判明し、その香りを生かす醸造法が開発された。去年の秋作られた試作品はテイスティングの世界的権威からも評価されたと言う。番組では地元農家にも見放されかけていた伝統品種「甲州」の復活物語を描くと共に、勝沼各地のワイナリーを巡ってそれぞれの工夫を凝らしたワイン作りを紹介する。

第3回 「香りの魔術師に聞く」
ブドウのままではほとんど香りを持たない甲州ぶどう。ところが一度、発酵してワインになると数百種類にも及ぶ化学物質が生まれ、香りを放つという。ワイン醸造の最先端ではこの何百種類と言う化学物質から「スーパースター」となる芳香物質を探し出し、その銘柄の個性の要とする研究が行われている。フレーバー・バイオケミストリーと言われる香りの科学の最前線にいるのがボルドー第二大学醸造学部の主任技術研究員である、富永敬俊さんだ。千年間気づかれることがなかった「甲州」の香りを特定したのもこの富永さんである。番組では来日する富永さんにワインの個性を決する香りの世界の魅力を聞く。

第4回 「解明・料理との相性(マリアージュ)」
ワインは「飲む調味料」だと田崎真也さんは言う。料理と調味料としてのワインを合わせて食事が完成する。その組み合わせの大原則はまず色で考え、次に香りで合わせること。焦げ茶や黒みがかった色に仕上がった料理には、スパイシーな濃い赤のワイン。野菜を活かし緑色に仕上がった料理に合うのが、緑がかったイエローのワイン。冷涼な地域で育ったこのワインには、料理と共通する植物の香りが含まれているのだ。番組ではなぜこの料理にこのワインが合うのか、実例に基づいて田崎さんに聞く。調味料としてのワインの多彩な個性に迫る。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-09-07〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ この人この世界 「縄文ミステリーツアー」 〜教科書にのらない文明人たち〜 小山修三/白井貴子

縄文時代のイメージが、いま急速に書き換えられている。縄文人は「遅れた野蛮人」ではなく、自然を熟知し、
狩猟採集生活を主体的に選び取った「文明人」だったのだ。最新の考古学の成果を駆使して、教科書にのらない文明人の謎に迫る。
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小山修三(国立民俗学博物館名誉教授)・・・1939年、香川県生まれ。国際基督教大学教養学部人文科学科卒。カリフォルニア大学デイビス校大学院人類学部博士課程修了。Ph.D.文化人類学、民族考古学、縄文専攻、オセアニアや北米の少数民族社会を研究し、そこから日本の縄文社会を考える異色の研究者。現在、吹田市立博物館館長。著書に「縄文学への道」(NHKブックス)、「森と生きる〜対立と共存のかたち」(山川出版社)、「縄文探検〜民族考古学の試み」(中公文庫)、「狩人の大地〜オーストラリア・アボリジニの世界」(雄山閣)など。

白井貴子(シンガー・ソングライター)・・・神奈川県生まれ。1981年、「CHANCE」のヒットをきっかけにロックの女王と呼ばれ、女性ポップ・ロックシンガーの先駆者的存在となる。88年、ロンドンへ移住。帰国後、鎌倉で自主レーベルRODを設立。テレビ、ラジオ、舞台で活躍中。


第1回 「なぜ 米を主食にしなかったのか?」
縄文時代の遺跡から稲の化石が出土し、すでに稲が存在していたことが明らかになった。「縄文人はライフスタイルとして、稲作生活を選択しなかったのではないか」と、小山修三さんは語る。当時は今よりも温暖で、豊かな海の幸・山の幸に囲まれていた。彼らはあくせく土を耕す生活よりも、生き物たちの習性を知り、知恵を使って狩猟と採集で生活する道を選んだというのだ。縄文時代の漁法の再現も交え、縄文人の生活哲学の謎を解く。

第2回 「なぜ街は1500年も続いたのか?」
青森・三内丸山遺跡は1500年もの間、人口500人規模の街として成立していた。その長期繁栄の秘密は栗林の更新作業にあると小山さんは語る。縄文人は環境をコントロールするために火を使いこなしていた。森に火を放つことでうっそうとした森は明るくなり、野うさぎやムササビなど小動物が集まってくる。現代でもアボリジニ部族は毎年森に火を放つことにより、食糧の増産を図っているという。石器を使った木の伐採の実験も交え、縄文人の「食」確保の戦略を追う。

第3回 「巨木をどうやって運んだのか?」
海まで続く幅22メートルの舗装された長い道。燈台代わりに使われた直径2.2メートルもの巨大な六角柱。青森・三内丸山遺跡から浮かび上がるのは巨大な交易港の姿だ。これほどの大木をどうやって運んだのか? 「祭りの際の非日常のお祭りパワーこそが縄文人の力だった」と小山さんは語る。お祭りパワーは現在も世界各地に残っている。北米先住民のポトラッチは自分がもてる富の全てを振る舞い尽くすという壮絶な宴。諏訪大社の御柱祭りは巨大な柱に大勢の人が乗ったまま急坂を滑り落とす。縄文人たちの「非日常パワー」のすさまじさに迫る。

第4回 「ヒスイはなぜ消えた?」
縄文時代に珍重されたヒスイ。その盛衰が縄文時代の東日本文化の栄枯盛衰を映しだしている。縄文商人たちは全国各地にヒスイを商いに歩いた。当時はステータスシンボルとして、貨幣的な価値が与えられていたという。しかし縄文後期、しだいに大陸の影響を受けた西日本が力を付け、ヒスイ文化が大陸の砂金文化に取って代わられていくことで、縄文文化は衰退し、弥生文化への移行へとつながったという。ヒスイを軸に縄文文化の栄枯盛衰を読み解く。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-10-05〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ この人この世界 「にほんごの立役者 漢字の力」 阿辻哲次

中国から日本に伝えられた漢字を、日本人は工夫を重ねることでモノにし、語彙や表現を増やしてきた。
日本語を豊かにした立役者・漢字の特徴を4回にわたって明らかにする。
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1951年、大阪市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。活版印刷業を営む家に生まれたことから漢字と接触する。漢字を中心とした中国の文字文化史を専攻。甲骨文字など古代文字学の知見をふまえて、パソコン・ワープロ等による現代テクノロジーの媒介としての漢字を研究する。著書に「図説漢字の歴史」(大修館書店)、「漢字学─説文解字の世界」(東海大学出版会)、「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)、「タブーの漢字学」(講談社現代新書)など多数。

第1回 「一目でわかる漢字パワー」
漢字はそれぞれの文字に意味が備わっていることから表意文字といい、ひらがなやカタカナ、ローマ字には意味がなく、単に発音を表す表音文字という。漢字とひらがな・カタカナを使って書く日本語は、世界でも珍しい書き方をする言語である。中国から伝えられた漢字を日本人が自由に使いこなすことができるようになったのは、漢字が表意文字であったことにあった。漢字にはそれぞれ固有の意味があり、一字一字が意味の伝達に大きな効果を発揮できる構造をもっていたからだった。文字としての情報伝達力つまり、読み方がわからなくても、形を見れば意味がわかる、という漢字の特質について見ていく。

第2回 「字源のウソ・ホント」
漢字は中国の前漢末期から後漢はじめにかけて考案された「六書」という理論に基づいて作られた。番組ではこの中から (1) モノの形から作る象形(例:山) (2) 目には見えない抽象的な概念を表す指事(例:上、下) (3) 象形と指事によって作られた文字群をさらに組み合わせて作る会意(例:息) (4) 漢字の一部を読みの当て字によってつくる形声(例:梅、櫻)について説明する。さらに (5) 意味は関係なく単なる当て字の方法で作られた仮借(例:不)という成り立ちもある。当て字という方法が導入されることにより、文章を完全に表記することができるようになったのである。

第3回 「意味が変わった漢字アレコレ」
漢字の中には時に想像を絶するような意味が備わっていることがある。「うやうやしい」とか「へりくだる」という意味を表す文字「恭」は、高級官僚試験「科挙」にまつわることで大きく意味が変化し、何と「大小便」を表す言葉としても記されているのである。このように「本義」からは全く想像のつかない意味の変化がどのようなプロセスをたどって起こったのか。また、「東西南北」の4つの漢字がどのように作られたのかを見ていく。

第4回 「驚きの造語力」
漢字は「歩行者天国」「嫌煙権」など、短く簡潔にわかりやすく意味を表す言葉を作ることができる。それは漢字が表意文字であるからこそ可能なのだ。いま氾濫している外国語のカタカナ表現も、その意味をくみ取って漢字で表すことができる。たとえば「このスキームに対するアカウンタビリティは…」を「この計画に対する説明責任は…」と言い換えることによりぐっとわかりやすくなるはずである。さらに漢字は新しい単語を作ることだけでなく、「鰯」などのように文字そのものを作ることも可能なのだ。漢字が表意文字であることを活用した先人の知恵に学ぶ。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-10-06〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)







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