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●知る楽 仕事学のすすめ 「藤巻幸夫 人心巻きこみ力」

◎藤巻幸夫 FUJIMAKI Yukio・・・1960年東京生まれ。上智大学卒業後、伊勢丹に入社。「解放区」「リ・スタイル」「BPQC」などを立ち上げ、カリスマバイヤーとして知られる。2000年伊勢丹を退職し、アパレル会社を経て、2003年福助社長へ就任。2005年セブン&アイ生活デザイン研究所社長、イトーヨーカ堂取締役執行役員衣料事業部長兼任。その後独立し2008年2月フジマキ・ジャパン代表取締役副社長。ブランドプロデューサーとして講演会やテレビのコメンテーターなど幅広い分野で活躍。著書には「志マーケティングのすすめ」「自分ブランドの教科書」「人脈の教科書」等、多数。
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トランスレーター: 勝間和代|1960年東京生まれ。上智大学卒業後、伊勢丹に入社。「解放区」「リ・スタイル」「BPQC」などを立ち上げ、カリスマバイヤーとして知られる。2000年伊勢丹を退職し、アパレル会社を経て、2003年福助社長へ就任。2005年セブン&アイ生活デザイン研究所社長、イトーヨーカ堂取締役執行役員衣料事業部長兼任。その後独立し2008年2月フジマキ・ジャパン代表取締役副社長。ブランドプロデューサーとして講演会やテレビのコメンテーターなど幅広い分野で活躍。著書には「志マーケティングのすすめ」「自分ブランドの教科書」「人脈の教科書」等、多数。


第1回 「“自分ブランド”をつくれ 」
「人心巻きこみ力」の前提にあるのは「自分ブランド」をつくること。仕事に「志」を抱き、その実現のために力を注ぐことで生まれるオンリー・ワンの強さだ。若き伊勢丹バイヤー時代、藤巻さんは「自分ブランド」の確立を徹底的に行った。売り場3坪のバーゲン品担当という不本意な仕事でも、嫌な仕事に酔いしれる。ロールモデルとなる優秀な上司に食らいつく。海外の有名ブランドのプロのバイヤーから仕事への志を学ぶ。壁にぶち当たりながら、ひたすら自分を見つめ続けた藤巻さんの青年時代から「自分ブランド」をつくることの大切さを学ぶ。

第2回 「“人脈”が仕事を変える」
藤巻さんは数万枚の名刺を持っている。今でも毎晩外食。人脈作りに余念がない。藤巻さんのモットーの一つが「金を稼ぐより人を稼げ」。「人脈」こそ、仕事と人生を楽しくするし、自分が苦境に立たされた時に役立つものだと確信している。伊勢丹時代、給料と時間をふんだんに使い、率先して幹事役を務めるなど社内社外の「人脈」つくりに奔走、そのことが藤巻さんを世に押し出したファッションスペース「解放区」の成功につながった。自分をさらけ出す。格好つけない。忙しくても直筆の手紙を書き、相手の心を惹きつけるなど、人脈作りの達人に、そのつくり方を学ぶ。

第3回 「実録“熱い組織”のつくり方」
2003年、藤巻さんは経営破たんした衣料品メーカー「福助」の社長に就任した。真っ先に行ったのは300人の社員一人一人を面接、「人材マトリクス」を作成する事。営業から商品開発に移すなど、適材適所を徹底、福助を闘える「チーム」へと変えていった。また「意識改革は「現場」から」をモットーに社長室を飛び出し、怒鳴り、褒め、社員と本音の議論を闘わせた。また、本社をファッションの本場・青山に移し、社員にブランドの見方を指南するなど「熱い組織」作りを行った。そして福助は見事再生を遂げる。藤巻流「熱い組織」のつくり方指南。

第4回 「“志”を忘れるな」
藤巻さんが一番大切にしている言葉は「志」。どんな挫折があっても貫けと主張する。福助再生のあと、藤巻さんはイトーヨーカ堂の役員に迎えられ、衣料事業の立て直しに着手する。しかし、顧客ターゲットを見誤り、得意の巻きこみ力も発揮できず、思った様な業績を上げることができなかった。さらに心臓疾患に見舞われ入院。藤巻さんは失意のまま退社する。ところが大勢の社員が見舞いにかけつけてくれた。藤巻さんは「志」は無駄にならない事を実感した。いつまでも「志」を貫くことの大切さを聞く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2009-04-02〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知る楽 仕事学のすすめ 「林文子 おもてなし販売論」

仕事学のすすめ。5月の主人公は東京日産自動車販売社長・林文子さん。林さんは男性中心の自動車業界でトップセールスとして活躍。その後、輸入車販売会社や大手スーパーの経営者を歴任。昨年6月から現職。未曽有の自動車不況の中、陣頭指揮に立つ。林さんの成功のカギは「おもてなし」。女性ならではの細やかな気配りと"人のためになりたい"という相手を思いやる心を仕事の基本に置く。褒めて、励まし、悩みにまで耳を傾け、顧客や部下と単にビジネスを超えた信頼関係を築くことが、逆境にあっても売上を伸ばす秘訣だと語る。女性ビジネスパーソンのさきがけ、林文子さんが、女性の視点を活かした林流「おもてなし販売論」を、ものが売れない今、じっくりと語る。|トランスレーター: 藤巻幸夫
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◎林文子 HAYASHI Fumiko・・・東京日産自動車販売社長。1946年東京都生まれ。都立青山高校卒業後、企業で事務職として働きはじめるが、31歳でホンダの販売店に転職。女性セールスがまだ珍しい時代にトップセールスを達成する。BMW東京の支店長、ファーレン東京(現フォルクスワーゲン)代表取締役社長、BMW東京代表取締役社長、ダイエー代表取締役会長を歴任、2008年6月から現職。著書「一生懸命って素敵なこと」「不思議なほど仕事がうまくいく「もう一言」の極意」など多数。


第1回 「トップセールスの原点」
31歳で自動車セールスの世界に入った林さん。男性中心の社会で林さんは入社翌月でトップセールスを達成する。その秘訣は「おもてなし」。林さんは「御用聞きセールス」を敢行。買い物の手伝いや掃除、植木屋の手配、夫婦喧嘩の仲裁まで行った。性能重視のセールスが主流だった時代、顧客を「おもてなし」、その心に飛び込む林さんの方法は見事に成功した。時には一緒に家族旅行に行く程、仕事を超えて顧客と交流する林さんにはその後、会社が変わっても車を買ってくれるファンまで生まれる。顧客に物を買ってもらうには何が必要か。林さんのトップセールス時代から学ぶ。

第2回 「“褒める”ことから始まる」
自動車不況の真っただ中、林さんは敢えて社長室から抜け出し現場へ出向き、店長や販売員と直接対話を重ねている。移動中の車からも携帯電話で現場を鼓舞する。林さんは逆境の今だからこそ「褒める」ことで士気を上げようと心掛けているからだ。林流「褒め方」のコツは褒める場所を探すこと。部下の状態を詳しく記憶し、ちょっとした変化を見逃さない。また業績が優れない店舗には「朝の一台が売れてうれしい」と褒める。叱る時でさえ「期待していたのに困るなあ。あなたならできると思うのに」と期待感を持たせながら伝える。経営のノウハウよりも最終的には現場力だと信じる林さんに、ビジネスにおける「褒める」ことの意味とノウハウを聞く。

第3回 「“仕事”も“生活”も面白く」
女性ビジネスパーソンの多くが今も抱える「仕事」と「生活(家庭)」の両立。林さんも長い間、悩み続けてきた。夫の理解、男性上司、同僚、部下の理解。それを林さんは度重なる対話を繰り返し、時には頭を下げながら関係性を築いてきた。今年1月、林さんは女性力推進プロジェクトを立ち上げ、女性社員の悩みを聞き出した。「上司に子供のために早退するといいにくい。」「夫の理解が得られない」等、率直な声に林さんはアドバイスする。「勇気を持って話し、男性の包容力に頼る」「具体的な対案を出して話し合う」。第三回は女性ビジネスパーソンに向けて「仕事」と「生活(家庭)」の両立法を伝授する。

第4回 「“女性力”が企業を変える」 --->EL1200
女性ビジネスパーソンの先駆けである林さんは今、女性が企業で働きやすい環境作りに 奔走している。一家で自動車を購入する時、女性販売員から買いたいという顧客の声から、女性セールスやマネージャーの育成を始めている。林さんは言う。「今の企業には「女性力」が求められている。」販売では、細かな気配りが得意な女性にも適正があると考えている。最終回は、林さんが考える女性力とその活用法、さらに女性が働きやすい環境をどう作っていけばいいのか、うかがう。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2009-04-30〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知る楽 仕事学のすすめ 「柳井正 わがドラッカー流経営論」

長引く不況の中、業績を大幅に伸ばしているファーストリテイリング。会長兼社長として活躍する柳井正さん。1984年広島で一号店をオープンして以来、わずか25年で世界的アパレルブランドを築きあげた柳井さん。その独創的な経営には、20世紀を代表する経営学者ピーター・ドラッカーの理論が大きく関わっている。柳井さんが「自分のおじさん」と心酔するドラッカーからどんな影響を受け、実践してきたのか。経済評論家の勝間和代さんが4回にわたって徹底的に聞く。
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柳井正 YANAI Tadashi・・・1949年山口生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、72年、家業の洋服店を継ぐ。84年、「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」一号店を広島に出店。後に、略称の「ユニクロ」はブランド名として多くの顧客に親しまれるようになる。90年代、一気に店舗数を増やし、99年には東証一部上場。その後フリースがブームとなり、カジュアルウエアの分野で全国的な知名度を得る。現在は中国、韓国、アメリカ、イギリス、フランスなどにも事業を拡大。「世界中で作り、世界中で売る」企業を目指す。著書には「一勝九敗」がある。


第1回 「顧客を創造せよ」
ユニクロのフリースやヒートテック、g.u.(ジーユー)の990円ジーンズ。これまでのファッション界の常識を破る商品を次々と生み出しているファーストリテイリンググループ。その裏にはドラッカーの言葉「顧客の創造」がある。柳井さんが「顧客の創造」をどの様に経営に活かしたのか。爆発的なヒットを飛ばしたヒートテックを事例に語る。その成功には「ババシャツ」と呼ばれ、見向きもされなかった女性用インナーに、着心地とファッション性という 新たな価値を付加して「顧客の創造」を図った柳井さんと担当者の柔軟な発想があった。

第2回 「人間が幸せであるために」
第二回は柳井さんが「おじさん」と慕うドラッカーとの関わりと、敬愛する 理由について聞く。柳井さんがドラッカーを本格的に読み始めたのは、ユニクロを出店し始めた80年代から急ピッチで店舗拡大を行っていた90年代にかけて。最も共感したのは他の経営書と異なり「人」が存在していることだった。企業は人の幸福にどのように接すればいいのか。それは今、柳井さんの経営の根幹になっており、国籍、性別、年齢など全ての垣根を取り払い、人の持つ資質が最大限活かされることが企業活動に不可欠と語る。法定雇用率を大幅に上回る8%の障害者雇用もその一つ。障害者雇用の現場を取材し、柳井イズムがどう浸透しているかも紹介する。

第3回 「主役は“知識労働者”」
柳井さんは「これからはブルーカラーもホワイトカラーも無い。すべての労働者が自分で考え自分で行動する“知識労働者”たるべきだ」と主張する。「知識労働者」も実はドラッカーが作った言葉だ。柳井さんは店長を「知識労働者」の中心とみなし、多くの権限と責任を与え、あたかも自営業者の様な店舗の経営者たることを求めている。顧客のニーズは店舗ごとに違う。柔軟な対応ができるのは店長でしかないというのが考えだ。都内最大規模の世田谷千歳台店の店長の一日にも密着。柳井さんの唱える「知識労働者」とはどういった姿なのかを具体的に紹介する。

第4回 「企業は社会の道具だ」
最終回は柳井さんの考える企業の在り方に徹底的に迫る。ドラッカーは「企業は社会の道具」と述べ、企業の社会貢献の重要性を訴え続けた。日本人の優秀な職人を海外の工場に派遣して現地の人に技術指導し、品質管理の徹底を行う「匠プロジェクト」。全商品を対象にしたリサイクルを行い、難民キャンプなどに提供する「全商品リサイクル活動」。今後の企業に求められる、働き方の多様化に対応した「地域限定正社員制度」など、いずれも企業が「社会の道具」であることを意識した取り組みだ。さらに柳井さんはFRグループのステートメントとして掲げる「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」にも、社会に資する企業を作り上げたいという柳井さんの思いが籠もっている。
(text from NHK site)

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●知る楽 仕事学のすすめ 「人を動かすデザイン力」 佐藤可士和

仕事学のすすめ。12月の主人公はアートディレクターの佐藤可士和さん。佐藤さんは、美術大学を卒業後、大手広告代理店に入社、以来斬新なデザインやアイディアで日本の広告業界に名をとどろかせてきた。新人時代には尊敬する先輩から「カッコつけ過ぎていて、カッコ悪い」と酷評され、つらい時期もあった。しかし、医師のように問診して企業や商品の本質を突きつめる方法論を身につけてからは、アイディアが枯れる心配が無くなったという。現在、商品の広告にとどまらず、その開発や教育機関にまで仕事の幅を広げてきた佐藤さんに人を動かすデザイン力の源は何かを語ってもらう。
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佐藤可士和 SATO Kashiwa・・・1965 年、東京生まれ。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科卒業後、博報堂へ勤務。その後、2000年に自身のクリエイティブスタジオ「サムライ」を設立。博報堂時代には、ホンダ・ステップワゴン、商品開発から行ったキリンビバレッジ・チビレモンをはじめ、独立後は、スマップのアートワーク、キリン極生の広告キャンペーン、NTTドコモ「FOMA N702iD /N703iD」のプロダクトデザイン、ユニクロ、楽天グループのクリエイティブディレクション、明治学院大学のブランディングなど幅広く活動。明治学院大学、多摩美術大学客員教授。東京ADCグランプリ、毎日デザイン賞、朝日広告賞など多数受賞。

第1回 「“整理”が生み出すブランド力」
佐藤さんは、自分の仕事を企業と社会のコミュニケーションの回路を作っていくことだと言う。そのため、企業やクライアントに徹底してヒアリングを行い、ビジョンやコンセプトをつかんだ上で、それをデザインという形にしてきた。その時に大切なのが情報を整理し、その企業の本質を見極め、それを磨き直すこと。その作業が企業のブランド力を高めるコツである。最近行っている具体的な仕事例を紹介しながら、佐藤可士和の仕事術を伺う。

第2回 「“そもそも何か?”を突きつめる」
美術大学を卒業後、大手広告代理店に入社した佐藤さん。新人時代は、商品を売るという大前提よりも自分の作品だと肩に力が入りすぎていたという。それが尊敬する先輩からの「カッコつけ過ぎていて、カッコ悪い」という評価で目が覚めた。彼はエゴを捨て、「そもそも商品とは何か?」を突きつめることで車のミニバンのヒットにつなげた。「アイディアは相手の中から見つけ出すもの」と語る佐藤さん。転機となった尊敬する先輩との出会いやCM広告から得た佐藤さんの仕事哲学を学ぶ。

第3回 「新しい視点の見つけ方」
小さいころから、ディック・ブルーナの書いたうさぎのミッフィーの絵本に慣れ親しんできた佐藤さん。高校時代には、現代アートのデュシャンの便器を逆さにした「泉」に衝撃を受け、それが「なぜかっこいいか」をずっと考えることが新しい視点を見つけるという意味で今の仕事にも役立っているという。佐藤さんが、今こだわっているのが、生活実感から生まれる「リアリティー」という言葉。ビール会社のCMでは、本当の親子や家族に台本なしで自由にしゃべってもらい、家族の絆のリアリティーを出そうとした。佐藤さんの仕事の原点を伺う中でその極意に迫る。

第4回 「大学が変わる!クリエイティブの可能性」
2004年、佐藤さんは明治学院大学の「シンボルマーク」を作るというオーダーを受ける。そこから、その大学のビジョンを社会にアピールしていくという「ブランディング・プロジェクト」に乗り出した。関係者に聞き取りをする中で、大学の特性をあぶり出し、単にロゴマークを作るだけでなく、HPを刷新し、受験生にその大学を見学してもらうオープンキャンパスなどの企画に携わってきた。大学の授業も受け持ち、彼が「クリエイティブ・シンキング」と名付けた社会ですぐ役立つような授業を行っている。こうした活動から、学生や職員の意識が変わってきたという。佐藤さんが、これまでの実践を基にクリエイティブ思考の可能性を語る。
(text from NHK site)

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