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●プロジェクトX(166) 「激走せよパリダカ 日の丸トラックvsモンスター」

平成9年1月。西アフリカ・ダカール。日本のトラックが快挙を成し遂げた。世界最高峰のラリー、通称「パリ・ダカ」。日野自動車がトラック部門で1位から3位までを独占した。欧米に比べ、小型な日野自動車のトラック。アフリカの険しい大地を制した技術力は世界を驚かせた。昭和44年東名高速道路が開通。鉄道、海運をしのぎ、トラックが新たな物流の担い手となっていた。東京日野に本社を置く日野自動車。エンジン開発の責任者、鈴木孝・当時41歳。業界でのシェア拡大が、鈴木の肩にかかっていた。その最中、業界を衝撃的なニュースが襲った。環境庁が、排ガス規制を始めると発表した。光化学スモッグによるぜんそくなどが社会問題になっていた。鈴木たちは、排気ガスを減らすエンジン開発に取り組んだ。排気ガスの少ないディーゼルエンジンの開発に成功した。しかし、国は規制をゆるめることをしなかった。鈴木ら技術者たちに、開発の手を休める時間など全くなかった。やがて現場は疲弊していった。変わり続ける規制値を追い続けるだけ。若い社員から不満が上がり、辞めていく者も出た。そんな時、鈴木は「パリ・ダカ」にトラック部門があることを知った。鈴木はパリダカへの出場が、若い技術者への励みになると思った。そして、初出場の「パリダカ」。リーダーの鈴木は驚いた。出場する車は、巨大なトラックばかり。モンスターと呼ばれていた。一方、日野のトラックは、一回り以上小さかった。完走も無理だと思われた。迎えたレース本番。アフリカの大地は容赦なく牙をむいた。サハラの砂嵐。500キロも続く灼熱の土漠地帯。日野のドライバーは、勝負をかけて力一杯アクセルを踏んだ。番組は、組織再生のため世界最高峰のパリダカに挑んだ技術者たちの闘いを描く。
(original text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK総合 45min 2005-03-02(2005-02-22の再放送) Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)

> HDD-Gにビデオカプセルを残してある 0017



> 2014-06のダビング依頼によりディスク化した









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