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●「空飛ぶタイヤ」 Vol.1|第1話

池井戸潤による原作を仲村トオル、田辺誠一ら実力派キャスト共演で映像化した社会派ドラマ第1巻。運送会社社長の赤松は、自社トラックの死傷事故が原因で警察から取調べを受けるが、彼は社員の技量を信じ再調査を要請する。第1話を収録。

監督: 麻生学、鈴木浩介
出演: 仲村トオル、田辺誠一、萩原聖人、水野美紀
脚本: 前川洋一
原作: 池井戸潤
収録時間: 74分
(text from Rakuten-rental site)

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> text from wikipedia
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『月刊J-novel』に2005年4月号、2005年6月号から2006年9月号に連載され、2006年9月16日に単行本が、2008年8月1日にはジョイ・ノベルスコレクション版が実業之日本社より刊行された。第28回吉川英治文学新人賞、第136回直木三十五賞候補作。2009年9月に、上下に分冊して講談社文庫版が刊行された。2010年には朝鮮語版が刊行された。2016年1月には実業之日本社文庫版が刊行された。2009年にWOWOWでテレビドラマ化された。

◎概要
タイヤ脱落事故と大手自動車メーカーのリコール隠しをテーマにした作品。事故を起こした運送会社の社長が、自社の無実を証明すべく巨大企業の闇に挑む経済小説であり、2002年に発生した三菱自動車製大型トラックの脱輪による死傷事故、三菱自動車によるリコール隠しなどを物語の下敷きとしている[1]。本作の前にも経済をテーマにした作品を発表してきた作者だが、「まともに経済小説を書こうと思って書いたのは、これがはじめて」とのこと。2009年にはWOWOWの連続ドラマW枠でテレビドラマ化された。自動車会社が有力スポンサーの地上波では、作品の性質上、制作は難しいと思われたが、有料放送のWOWOWでは地上波のようにスポンサーの影響を受けることなく番組制作を行えるため、ドラマ化が実現する運びとなった。

◎あらすじ
父親の後を継ぎ運送会社を経営する赤松徳郎は、ある日自社のトラックがタイヤ脱落事故を起こし、死傷者を出してしまったことを知る。事故原因を一方的に整備不良とされ、「容疑者」と決め付けられた赤松は警察からの執拗な追及を受ける。さらには会社も信用を失い、倒産寸前の状態に追い込まれてしまう。しかし赤松は、事故原因は整備不良ではなく、事故を起こした車両自体に欠陥があったのではないかと考える。自社の無実を信じる赤松は家族や社員たちのために、トラックの販売元である巨大企業の自動車会社に潜む闇に戦いを挑む。



> 三菱自動車の“重罪” プレジデント 2016年5月2日(月)13時15分配信
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軽自動車の4車種で燃費試験不正を行っていたことが発覚した三菱自動車。同社の不正の歴史は古く、90年代から連綿と続いていた。しかも調べれば調べるほど問題の原因は根深く、すでに分かっていること以外にも疑わしい点がある、とモータージャーナリストの池田直渡氏は言う。この事件の、そして三菱自動車の本質的な問題とは何なのか?

■三菱自動車の記事を“封印”していた理由
筆者は三菱自動車のクルマについては原稿を書かないことに決めていた。「封印」と言ってもいい。それは、2002年に2件の死亡事故という最悪の結果を引き起こしながら、その後も懲りずに隠蔽を続けた、三菱の体質に根源的な疑いを持ったからだ。最終的な決め手となった事件について書いておきたい。一連のリコール隠し問題がひとまずの決着を見た2005年、三菱は新型車アウトランダーを発売した。当時筆者は自動車雑誌の編集部にいたが、アウトランダーの発表会から激高して帰って来た同僚がいた。「三菱の広報の人が言うんですよ。三菱は過ちを犯しました。それについて深く反省をし、すでにみそぎは済みました。これからは攻めです」その言葉を聞いた時の、筆者の絶望を想像してほしい。2002年の死亡事故からたった3年しか経っていない。それでもうみそぎは済んだというのか……。リコール隠しはどう割り引いてもひどい問題だったが、それを乗り越えて頑張って再起してほしい。当初はそう願っていた筆者にとって、それはとても残酷な言葉だった。以来、三菱の原稿は1本も書いていない。試乗の機会があっても行っていない。試乗してクルマの出来が良かったら、良いクルマだと書くしかない。しかしそれで、原稿を読んでクルマを買った読者にもしものことがあった時、原稿の書き手としてどう詫びればいいのか。かと言って、それを理解してもらうために、毎回毎回、原稿の序文で三菱のリコール隠しについて触れ「乗って分かるクルマの出来とは別の問題に、筆者は責任を負えない」と断るのも常軌を逸しているではないか。試乗だけでは不明な部分に何を隠してあるか分からないクルマは乗ったら負けだ。だから、頑なに書かなかった。もちろん、かつても、そして今も、三菱の中には本気で改革を考えている人は絶対にいる。2005年当時の三菱のキャッチフレーズは「答えは、クルマで出します。」だったのだ。筆者自身もずっと「少し意固地過ぎはしまいか。人の善意をもっと信じてもいいのではないか」という思いを抱えてきた。そういう思いで過ごして来て、今回の燃費データ不正の報道に触れたのである。あんまりだ。今回だけは書かなくてはならない。そう決断してこの原稿を書いている。

■三菱自動車がした不正の中身
今回明らかになった三菱自動車の不正の内容については、すでに各社がかなり詳細に報道しているので、細かい技術的な点は各報道に譲りたい。まずは、以後の話の理解に必要な部分に絞って概要をまとめよう。三菱自動車は、国交省に届け出るJC08モード燃費について意図的な不正を行った。不正の手口は、試験装置に車両固有の走行抵抗データを入力する際に、当該車両の数値を過小に操作し、実際より良好な燃費結果を出したというものだ。それにより低燃費性能でランク分けされる減税率を有利にし、販売成績を上げることを狙ったと思われる。発覚のきっかけは、日産からの問い合わせだ。三菱は現在、軽自動車の開発について日産との間で合弁会社NMKV社を設立しており、三菱と日産で販売する軽乗用車は実質的に三菱が設計生産を行っている(日産の軽商用車はスズキのOEM)。燃費性能の試験装置は専門性が高く、メーカーや一部の大型サプライヤー、公的機関でもない限り試験機材を持っていない。つまり不正を行っても、発覚の恐れは極めて低かった。バレないと踏んでいたのだろう。だが、次世代モデルの開発を日産が行うことになって雲行きが変わった。日産が現行モデルの性能を確認するため社内でテストを行ったところ、実験結果のつじつまが合わず、三菱自動車に問い合わせを入れた。三菱が社内調査を行った結果、不正が発覚し今日に至っている。

■疑問な点はまだいくつかある
すでに、自動車産業全体を揺るがす大事件へと発展したわけだが、今回三菱自動車が行った不正そのものについて、筆者はまだ大きな疑問を持っている。三菱によれば、日産から届け出燃費と実測値の間に5〜10%の差異があったと指摘を受けたと言っている。不正操作が行われた「走行抵抗」とは、空気抵抗と転がり抵抗の合計だ。低燃費技術の半分はこの走行抵抗との戦いである。これまで長い時間をかけて改善に次ぐ改善が行われてきた成熟技術であり、いまさら半減させるような余地はない。そんな不自然な減らし方をすれば一目でばれてしまうし、ばれない程度に押さえて加工した程度では、5〜10%という燃費改善は達成できない。件の数値が特定の過渡的状況のみでの乖離だと言うなら別だが、テストモード全てを通しての結果だというなら、不正はこれ以外にもあると考えなければ辻褄が合わない。もう一点、今回の件に関して、決して些末とは言えないことがある。それは車両固有の走行抵抗を計る方法だ。これは一定の速度から惰行させた時の速度低下にかかる時間を計測するものだが、その計測方法を国交省が定めた計測法ではなく、米国の計測法で計測している点だ。しかもこのルール違反は今回不正が認められた軽自動車だけでなく、他の数多くの車種でも行われていたことが分かっている。この測定方法は一概にどちらがより有利と言えないはずなので、法令違反をしてまで米国式測定方法にこだわる必然性がない。

■組織ぐるみの隠蔽の裏に、おごりはなかったか
筆者はここについて欲得尽くの不正ではなく、三菱という企業の慢心や驕りの臭いを感じる。自らを勝手に例外扱いするエリート意識。相手が監督官庁であろうとも容喙されたくないという自己肥大。例えば、日露戦争の旅順攻囲戦で頑なに戦術転換を拒否した伊地知幸介少将の姿が重なるのだ。それは冒頭で述べた2000年代に連続して発覚した三菱の「リコール隠し」に色濃く表れていたと思う。三菱のリコール隠しは1977年以降、不具合情報を運輸省(現・国交省)に届けず、内密に加修する闇改修が20年以上にわたって行われていたものである。もちろん全ての不具合が改修されたわけではなく、後述するが黙殺されたケースも多々ある。報道によれば、この改修記録は通常のリコール書類と別に更衣室のロッカーに秘密裏に保存されていたというから、杜撰とか場当たりという怠慢に起因するものではなく、明らかに組織ぐるみの意図的な隠蔽である。それが姑息ではないから質が悪い。悪いと知っていて逃げ隠れしているのではなく、自らの無謬性を信じて「運輸省なんかに何が分かる」と馬鹿にしていたとしか思えない。このリコール隠しが発覚した際も、運輸省からの度重なる事情聴取にしらを切り、死亡事故をきっかけに警察が家宅捜索を行って証拠書類が押収されたという経緯なのだ。

■普通の不正問題とはレベルが違う
2件の死亡事故についても説明が必要だろう。2002年に三菱のトラックでは設計不良によって神奈川県と山口県で2件の死亡事故が起きている。神奈川県ではハブの設計不良によって脱落した車輪の直撃で、ベビーカーを押していた母親が死亡。山口県ではトラックのプロペラシャフトの一部が脱落し、残ったシャフトがブレーキ配管を損傷。制動能力を失ったトラックが暴走し運転手が死亡した。特にハブについては同様の脱落事故が同業他社との比較で明らかに異常が認められるほど頻発しており、問題視した運輸省は前述の様に聞き取りを行っている。にも関わらず、三菱はこれを「整備不良によるもの」とユーザーに責任を押しつけ、取り合わなかった結果、リコールが行われずに死亡事故が引き起こされた。通常、自動車の設計時に、部品の強度を決めるにはいくつかの段階を踏む。一番最初は強度計算によるものだ。次に試作部品による台上実験を行い。さらに経時劣化や過酷使用に備えたシミュレーションと、実走実験が行われる。同業他社では常識的に行われている確認だ。しかし三菱ではシミュレーションと実走実験を行わなかった。この態度も自らの技術に慢心し、自社には自社のやり方があるという頑迷さを感じるのみである。2件の死亡事故という重大な問題が発生したにも関わらず、しかし三菱はここでも反省と謝罪を拒絶するのである。51件という不自然なタイヤ脱落事故の全てについて、原因は運送会社やユーザーの整備不良にあるとして突っぱねたのである。それは今後の死亡事故の可能性に目をつぶったということだ。企業倫理以前の話だ。人としての倫理の領域で何かがおかしい。筆者は、当初このリコール問題が発覚した頃、三菱に対して、多少の同情を感じていた。社長とは言え雇われであってオーナー社長ではない。歴代社長の任期も、リコール問題の立て直しを託された結果特例的に長かった益子修氏を例外とすればせいぜい6年以内だ。20年以上前から行われてきた隠蔽工作を、自分が社長になった途端糾弾することは人としてなかなかできない。長年世話になり尊敬してきた諸先輩の経歴と晩節をぶちこわす覚悟が果たしてできるだろうか? そう考えたのだ。しかし調べが進む内に、これまで書いて来た様に、ありふれた不正問題では無いことが判明してきた。人命に関わり、かつ問題は現在進行形だったのだ。自動車メーカーとしてやるべきことをやらず、死亡事故が起こって後も、方法を自ら正そうとしなかったという人倫の問題だったのである。

■もし自分の会社で組織ぐるみの不正が行われていたらどうするか?
人が営む企業だから、ミスや実力不足は起こり得る。自動車という製品であれば、時にそれは人命に関わる。リコール制度はそれを最小限にとどめるためにある。不具合を認めて改修を行うことでユーザーのリスクを減らし、メーカーに対しても製造責任の無謬性を求めないという血が通った制度なのだ。例えば、リコールを行い、定められた手続きを踏んでいるにも関わらず改修に応じないユーザーがいた場合、事故の責任はユーザーにあるのだ。だから、仮に不幸にして人命が失われたとしても、欠陥を認め、きちんと対応したのであればどこまでも責任を求めるべきだとは思わない。しかし、この一連の問題では、人命より重い何かを守ろうとした構図が明らかにある。それが下らない自尊心であったとしたら許すべき範囲を逸脱している。三菱自動車の闇はあまりにも深すぎる。ひとりの人間として、こうしたことが自分の会社で起きた時に、何ができるのかを考えておかねばならない。ひとつは内部告発である。実際三菱のリコール隠しも、匿名の内部通報者から多岐にわたる詳細な情報が運輸省にもたらされていた。永の年月勤め上げて来た会社がこれ以上劣化していくことを防ぐには、理想的な回答だろう。本当に愛社精神があるなら、その更正に尽力すべきだ。徹底的な自己否定を内部から行うべきなのである。しかし、それは誰にもできることではない。強靱な精神の持ち主にのみ可能な選択肢だろう。もしあなたが、そうした絶望的な会社の状況を知ってしまったとしたら、そして内部告発者として戦うことが難しいなら、現実的な答えは退職願を書くことだ。企業にいると、自分と企業を同一視しがちだが、間違ってはいけない。それは決して同一ではない。あなたの人生はあなたのものだ。心安らかに棺桶のふたを閉じられるチャンスを失ってはいけないと筆者は強く思う。一番大切なのは、恥じない人生を生きることではないか。 池田直渡=文








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