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●DR-3839作成時取出GP映像群に加えて Disc5
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◎プロフェッショナル 仕事の流儀(100) 「笑いの奥に、人生がある」 ~落語家・柳家小三治~

当代きっての名人と呼ばれる孤高の落語家・柳家小三治(68)。 チケットは即日完売。無駄な動きを極限まで削ぎ落としたその話芸は「目の前の小三治が消えて登場人物が現れる」とまで称される。小三治が考える芸の神髄は、笑わせようとしないこと。駆け出しの30代に小三治は、のちの人間国宝で師匠の五代目柳家小さんから、芸を全否定された。本当の面白さとは何なのか、散々悩み抜く中で光明を見いだすきっかけになったのは、昭和の大名人・古今亭志ん生の言葉だったという。「落語を面白くするには、面白くしようとしないことだ」。8月、小三治は池袋での演芸場での真夏の10日間の寄席に挑んだ。池袋は芸の見方が厳しい常連客が多く、落語家の腕が試される場所として有名だ。持病のリウマチに記録的な猛暑が追い打ちをかけ、体調を崩す小三治。連日、長蛇の列を作る客の期待に応え切ることができるか。名人と呼ばれてなお、さらに芸の道を究めようとする柳家小三治の真摯な日々に密着する。<60分拡大版>
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 60min 2008-10-14 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1359|30チャプター付加、音声1=150%・同一内容の音声2=100%ママ





◎日経スペシャル カンブリア宮殿 「地方発!世界と闘う同族企業」 ~オンリーワンのススメ~ 林原グループ社長・林原健

世界の食品・医薬品メーカーが注目するバイオ企業が岡山県にある。林原グループ。同族経営の非上場企業だ。この会社の商品は「トレハロース」。デンプンから作られる天然由来の“糖”だ。「素材の鮮度を保つ」「食感を高める」「保水性を高める」などの特性に企業が注目。スナック菓子やカップ麺から美容液さらにはクールビズシャツにまで利用され、今や取引企業は7000社、アイテム数は1万以上を数える。このトレハロース、実は19世紀初頭に存在が発見されて以来、世界各国で学者たちの研究の的となってきたが、人為的に作り出すことは不可能というのが学会の常識だった。そんな“夢の糖質”を、創業126年の歴史を持つ林原が世界で初めて、大量生産を成功させた。一体なぜ世界レベルの研究開発を、地方の中小企業がやってのけたのか? そこには同族非上場ならではの独創的な経営術があった。がん治療薬「インターフェロン」などの医薬分野にまで研究の幅を広げ、オンリーワンの特許を生み出し続ける林原の秘密に迫る。

≪ゲストプロフィール≫
1942年 岡山市生まれ
1961年 慶応大学在学中に父の死去に伴い19歳の若さで社長就任、水あめ事業からデンプン化学事業への転換を宣言
1970年 林原生物化学研究所を設立
2008年 現在年商は720億円、特許は5000超、ホテル事業を含むグループ20社を率いる

会社は1883年(明治16年)創業の超老舗企業。一時は水あめ製造で日本一に。本社は岡山市。

(original text from TV-Tokyo site)

ノイズなし・軽い音声ノイズ箇所あり
テレビ大阪 54min 2009-07-27 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1375|28チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ


> 林原、更生法を申請=私的整理での再建断念  時事通信 2011年2月2日配信
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甘味料に使う糖質「トレハロース」の生産などで知られるバイオ関連企業の林原(岡山市)は2日、私的整理の一種「事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)」による再建を断念し、東京地裁に会社更生法の適用を申請したと発表した。林原健社長は同日付で辞任した。更生法を申請したのはグループ4社のうち、林原と林原生物化学研究所、林原商事の3社。太陽殖産は資産超過のため、引き続き事業再生ADRで再建を進める。帝国データバンクによると、負債は4社で約1500億円。林原は1883年創業。抗がん剤「インターフェロン」やトレハロースの量産技術を確立したほか、運輸・倉庫業やホテル経営など事業の多角化を進め、恐竜や類人猿などの研究も行っている。

> 太陽殖産が更生法申請=林原グループ、負債417億円  時事通信 52011年月26日配信
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帝国データバンクが26日明らかにしたところによると、バイオ企業の林原(岡山市、会社更生手続き中)グループの太陽殖産(岡山市)は、東京地裁に会社更生法の適用を申請した。負債総額は約417億円。同社は林原グループの不動産管理会社として1946年設立。駐車場管理のほかに保険代理業やリース、デザイン業なども手掛けていた。しかし、グループの過去の不適切な会計処理が明らかになり、中核の林原など3社の経営が破綻。太陽殖産については資産超過の状態にあることから、当初は更生法適用申請には至らなかったが、他の3社と一体的に更生処理を進めるのが適切と判断した。





◎にっぽんの現場 「ちばてつや 再びの“マンガ魂”」 ~ありがとう トキワ荘の仲間たち~

昭和を代表する漫画家のひとり、ちばてつやさん(69)が4年半ぶりの新作に挑んでいる。作品の舞台は駆け出し時代、仲間と腕を磨き合ったトキワ荘。自伝的色合いが強い友情物語だ。体調は良好ではない。心臓に問題を抱えているほか、数年前に患った網膜剥離で視力が落ち、遠近感が取りにくい。思ったような線が描けない。描き始めて4か月目。トキワ荘以来の友、赤塚不二夫さんが亡くなった。「気が抜けてしまったというか、筆が進まなくなっちゃって」激しく気落ちした。締切時間だけが過ぎていく…。ペンを執るが、しかし直しを始めた。数日するとさらに描き直しを。ペン入れ作業になかなか入れない。絵は最後に描く。そして、ようやく納得できるラストカット。それは『あしたのジョー』のラストカットを彷彿とさせるものだった。ちばさんの仕事場に密着、今回の作品にどんなメッセージを込めようとしているか見つめる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 30min 2008-10-11 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1360|21チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ
> BDR-1004に、インタビュー ここから 「漫画家 ちばてつや」 あり





◎にっぽんの現場 「“早く 安く”を打ち破れ!」 ~家電メーカー 商品企画部~

今回の現場は大阪・大東市にある老舗家電メーカー、船井電機。「早さ」と「安さ」を武器に他社ブランド製品を作り、年間4000億円を売り上げてきた。しかし最近、激安を売りにする中国メーカーなどの台頭で、その強みが薄れた。そこで去年、一大プロジェクトを立ち上げ、初めて「自社ブランド」の薄型テレビ開発に乗り出した。「これまでにない新しいデザインを」と、商品企画部が助っ人に頼んだのが、有名工業デザイナーの村田智明さん。しかし、その斬新なデザインに社内は騒然。「技術的に難しい」「もっと多機能にして欲しい」と変更が相次ぎ、デザインの最終決断がなかなか下せない。会社の体質や社員の意識を変えられるのか。自社ブランドの開発をめぐり、あの手この手で奮闘を続ける船井電機の商品企画部に密着する。
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 30min 2007-08-23 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1368|21チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ
> 船井電機、持株会社体制に移行。新商号は「船井電機・ホールディングス株式会社」 PHILE WEB 2023年3月6日配信
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船井電機は、持株会社体制への移行および商号変更を行うことを発表した。体制移行および商号変更は2023年3月31日の実施を予定している。グループの持続的成長および事業の更なる発展を図ることが目的だと同社は説明。会社分割により、現在の船井電機の不動産に関する事業を除くすべての事業に関する権利義務を株式会社FE-Techに承継し、持株会社体制へと移行する。また、持株会社としてグループの事業を支援し成長を加速するという役割をより明確にするため、商号変更を行うという。持株会社が用いる新たな商号は「船井電機・ホールディングス株式会社」(英文表記:FUNAI ELECTRIC HOLDINGS CO., LTD.)。「船井電機株式会社」の商号は、2023年3月31日以降、承継会社となるFE-Techが使用する予定。(編集部:小野佳希)





◎にっぽんの現場 「さなぎの食堂 定食日記」

労働者の町・横浜市寿町に、1食300円から食べられる定食店「さなぎの食堂」がある。お客さんは日雇い労働者、単身生活を余儀なくされるお年寄り、求職中の中高年。横浜市が求職者に配る「パン券」も使えるため、この食堂の温かい食事は多くの人の命を支えている。低価格の秘密は、材料に様々な余剰食品を使っていること。味は良いが規格外の大きさで売れない野菜や、コンビニチェーンの弁当工場から提供されるおにぎりの具、消費期限が迫ったレトルト食品や調味料。しかし厨房に立つ31歳の青年シェフはこれを、「健康に良い定食」に見事に生まれ変わらせる。番組は、それぞれに過酷な人生を過ごしてきた利用客と、シェフら食堂スタッフの毎日に密着。不況の中で奮闘する労働者の町の食堂を見つめる。
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 30min 2008-11-29 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1368|23チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ





◎知るを楽しむ 人生の歩き方 「稲盛和夫 ど真剣に生きる」

1932年 鹿児島県生まれ。京セラ名誉会長。鹿児島大学工学部卒業。1959年、京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。社長・会長を経て、1997年より名誉会長を務める。また1984年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。一方、1984年に稲盛財団を設立すると同時に「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰している。他に、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、経営者の育成に心血を注ぐ。著書に『稲盛和夫の哲学』『成功への情熱』『敬天愛人』(以上、PHP研究所)、『生き方』(サンマーク出版)、『ガキの自叙伝』(日本経済新聞社)など多数。
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20代で起業し、世界的企業を育て上げた稲盛和夫。その成功の背景には、様々な挫折を経てつかんだ独自の哲学があった。トップに必要な心とは? 天職と出会うには? 人生の目的とは? 自らの歩みを振り返りつつ稲盛が語る。

第1回 「リーダーの条件」 ノイズなし・20チャプター付加
京セラとKDDIという2つの大企業を一代で作った名経営者・稲盛和夫。9年前に経営の第一線からは身を引いたが、その手腕に学びたいと、4000人近くの中小企業経営者が塾を作っている。稲盛は全国の塾を手弁当で回り、経営者として持つべき心構えや哲学を語る。「経営は心で決まる」「能力よりも人間性が大事」など厳しい経営現場を通じて得た哲学は、人の生き方そのものにつながっている。

第2回 「挫折だらけの青春」 ノイズなし・17チャプター付加
京セラを一介の町工場から、世界的企業に育て上げた名経営者・稲盛和夫。しかしその前半生は、挫折の連続だった。病気に苦しみ、志望校には不合格、やっとの思いで就職した会社は経営不振で倒産寸前だった。逆境の中から、稲盛はどのように自分の道を見いだしたのか? 成功の扉を開くために必要なことを、自らの体験から語る。

第3回 「会社は誰のものか」 軽いノイズあり・20チャプター付加
弱冠27歳にして、稲盛和夫は京セラを設立した。当初の目的は「自分の技術を世に問うこと」。ところが創立3年目、若手社員が将来の生活保障を求めて“反乱”を起こす。何のために会社を経営するのか…。悩んだあげく、稲盛は全従業員の幸福を追求すること、社会に役立つ事業をすることを経営の根本と定めた。「会社は誰のものか」が話題となる現在、自らの体験を踏まえ、会社のあるべき姿を語る。

第4回 「何のために生きるのか」 ごく軽いノイズ箇所あり・19チャプター付加
経営者として大きな成功を勝ち取った稲盛和夫は65歳の時、突然得度して周囲を驚かせた。その背景には「人が生きる目的は、会社を大きくしたり財産を殖やすことではなく、心を鍛え、魂を磨くことだ」という稲盛の哲学がある。若い僧に混じっての修行の日々は、経営とは全く違う感動を稲盛に与えた。自らを律し、社会に役立つ活動をし、若者を育てる。晩年の生き方と人生の意味について語る。
(original text from NHK site)

「その時歴史が動いた」と重なるので再放送分を録画
NHK教育 25min 2006-06-14~ Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)

> HDD-C 0487, 0214, 0460, 0547|音声1=180%・解説副音声=100%ママ
> BDR-1059に、ザ・リーダースペシャル 「京セラ創業者 稲盛和夫」 あり
> BDR-1083に、100年インタビュー 「稲盛和夫」 あり





◎クローズアップ現代 「河瀨直美監督 いのちのメッセージ」

今年のカンヌ国際映画祭で、最高賞に次ぐ審査員特別賞に輝いた河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」。認知症の男性と子供を失った介護士の女性との命の交感を描いた作品である。作品の背景となったのは認知症を患う養母の介護経験と長男の出産。その経験が、デビュー以来「生きる意味」を見つめてきた河瀬さんに、改めて「命とは何か」問い直させるきっかけとなった。授賞式で「日本が大切にしなければいけないことを世界に発信できた」と語った河瀬さん。ロケ地・奈良でのインタビューを中心に、河瀬さんの想いに迫る。(NO.2421)
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 26min 2007-06-05 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1360|22チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ





◎NHK映像ファイル あの人に会いたい 「画家・岡本太郎」

「調和=ぶつかりあうこと」: 岡本太郎の人生のキーワードは「ぶつかりあい」だ。漫画家の父 岡本一平と小説家の母 岡本かの子と子どものころから対等に意見をぶつかりあわせていたという。パリ留学中には「抽象と現実のぶつかり合い引き裂かれた所に、人間の本当の存在がある。」と考え、抽象とも具象とも言えない独自の絵画を確立した。1970年の日本万国博覧会で岡本太郎は「人類の進歩と調和」というテーマに反発し、「それとは正反対のものをバーンとぶつけてやろう」と考えたという。それが「太陽の塔」だ。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 10min 2008-10-07(2004-08-29の再) Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1362|12チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ





◎NHK映像ファイル あの人に会いたい 「写真家・林忠彦」

「軽く傷つけたぐらいの写真ではダメ」: 人物写真の傑作を数多く残した写真家。昭和15年、22歳のときにプロとしてデビューし、戦中・戦後を通して雑誌のグラビア撮影を中心に活躍した。戦後まもなく撮影した太宰治・坂口安吾・織田作之助の写真は特に有名で、林忠彦の名を不朽のものとした。戦後三羽烏と呼ばれた作家、太宰・坂口・織田を撮影した時のエピソードのほか、20年かかってやっと川端康成の鷹のように光る目を撮影できたというエピソードなどを語る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 10min 2008-10-25(関西は2008-10-28に教育で放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1362|12チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ





◎ドキュメントアワー 「大河にかけた遥かな夢」 ~流水の科学者・岡崎文吉~

ノイズなし
千葉テレビ 55min 2006-05-26(1999年 北海道地区で放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Mono (MPEG-1)

> GP-1194|38チャプター付加、音声1=180%・同一内容の音声2=100%ママ







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