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●歴史秘話ヒストリア 「裁判はじめて物語」 〜明治の人々はどうしたの?〜

日本で初めての近代的な裁判制度を確立した江藤新平。「裁きとは、お上が悪人をこらしめるもの」という江戸時代以来の風潮を江藤はどう変えていったのでしょう? 裁判制度が始まった当初は、裁判に携わる人が足りず、知事が裁判官を、警察官が検事を行いながらも、社会的に納得できる判決を出そうと悪戦苦闘。やがて江藤は、人々がお上を訴える行政訴訟まで可能にし、その権利を行使する人も現れます。東北の商人vs大蔵省、その裁判の結末は・・・?

◎エピソード1|“お裁き”から“裁判”へ 何がどう変わったの?
日本で初めて近代な裁判の制度を確立した江藤新平。その出発点は自分の身を襲った暗殺未遂事件だった。江藤は、法を整備し犯罪を取り締まり、裁判を行う組織、司法省を設立し、これまでの“お上が民を裁く”という考え方から“民の権利を守るための裁き”へと人々の意識の転換を図る。明治4年、裁判所が作られ、初めての近代的な裁判が始まった。当時の裁判はどのように行われたのか。人々は、いかにして“裁判”という初めての体験を受け入れていったのかを描く。

◎エピソード2|庶民VS.政府 何がどう裁かれた?
4年前、ある旧家のふすまの下張りから発見された、民衆が国の役人を訴えた裁判の記録をもとに、それまでにはあり得なかった、庶民対政府の裁判の詳細に迫る。明治5年、江藤は、民衆が役人を訴えることができるという画期的な通達、司法省達第46号を出す。この通達を知った東北の豪商・村井茂兵衛は、大蔵省に奪われた尾去沢銅山を取り戻すための裁判を起こすが、銅山を奪った大蔵省の実力者・井上馨は、裁判をうやむやにしようと画策。判決で井上の罪は認められたものの、銅山が村井家の元に返ってくることはなかった。その後も村井家は諦めることなく、大蔵省を訴え続けていく・・・。

◎エピソード3|江藤を追いつめた残酷な裁判
政府の役人の不正を追及していった江藤は、高官たちから煙たがられる存在となっていた。大蔵省により司法省の予算が削減される中、江藤は政府に対して、司法の整備こそが国家を発展させるという信念を訴え続けるが、征韓論の論争に破れ、志半ばで政府を去る。この頃、江藤の故郷・佐賀では、士族たちの政府に反発する機運が高まっていた。これを封じ込めるために、密かに軍隊を送った政府に対して怒りを感じた江藤は、士族とともに蜂起し、政府軍の前に敗れ去ってしまう。四国・高知へと逃走する江藤だが、そこには東京に向かい、裁判の場で政府が抱える問題点を公にしようという目的があった。しかし捕まった江藤は、佐賀へと送り返され、意見を述べることすら許されない形ばかりの裁判にかけられ、非業の死を遂げる。
(original text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、少しザラついている>
NHK総合 45min 2009-05-20 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●歴史秘話ヒストリア 「いつだって好奇心」 〜水戸黄門 知られざる熱中人生〜

ドラマでおなじみ水戸黄門こと徳川光圀は、助さん格さんを携えて諸国漫遊した人ではありません。10代のころ不良少年だった光圀は、あることをきっかけに歴史ファンに変貌し、日本中に眠る歴史資料を集め、自分で歴史書を作ろうと一念発起します。さらに、好奇心旺盛な光圀は、ある時は国宝発見の考古学者、ある時はベストセラーの出版者と、さまざまな活動を行います。今回は知っていそうであまり知らない、黄門様の素顔に迫ります。

◎エピソード1|水戸黄門 ベストセラーを出す
鎌倉の名所旧跡をイラスト付きで紹介したガイドブック。歴史上の有名人のサインを集めた解説本など、光圀は生涯で90以上の本を手がけている。その原点は、光圀18歳の頃。古代中国の歴史書を読み感銘を受けた光圀は、不良少年と揶揄された生活を一変させ、歴史の奥深さに目覚める。やがて、日本史の総決算ともいうべき歴史書「大日本史」の編纂に取りかかる。光圀が手がけた様々な本は、大日本史編纂のため日本中で収集した資料をもとに作られたのだ。それは、自分で集めた知識を人に広め教えたいという、好奇心旺盛な素顔が現れた出版事業だった。

◎エピソード2|楽あれば苦もあり 介さんの旅
水戸黄門の諸国漫遊。そのお供で有名な助さんのモデルと言われる人物、佐々介三郎。介さんは、現実には漫遊していない光圀に代わり、大日本史編纂のため日本各地で歴史資料の収集に駆け回っていた。京都大学文学部に残る介さんの手紙には、東大寺や高野山など名だたる寺社仏閣を次々と巡り、お寺の関係者も知らなかった新史料を発見したという報告や、長旅への不安を洩らす言葉が綴られている。介さんの波瀾万丈の旅を辿る。

◎エピソード3|水戸黄門 未来への遺産
自ら調べたことを後世に残そうという光圀の思いは、現代でも貴重な国宝の発見・保護にまで発展する。それが、栃木県大田原市の神社に今も保存される石碑、国宝「那須国造碑(なすの くにのみやつこの ひ)」。光圀は、石碑が飛鳥時代のものであることを突き止めると、その石碑に記された人物の手がかりを探ろうと、古墳の発掘にまで乗り出す。さらに、これら貴重な遺物を後世に残すため、保存作業まで手がけたのだ。こうした後世への心配りは、大日本史編纂にも現れていた。光圀は晩年、安易な執筆を戒める、厳しい「大日本史」の編纂方針を掲げる。それは、完成が遅れても後世に役立つ歴史書にしたいという、光圀ならではの信念だった。
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2009-05-27 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●歴史秘話ヒストリア 「親父!いい加減にしてくれよ!」 〜信長に振り回された家族たち〜

もしお父さんが織田信長だったら、あなたの人生はどうなると思いますか? 織田信長の一家は兄弟姉妹や子供が20人以上という大家族。でもなぜ、誰も天下取りを引き継ぐことができなかったのでしょう? 巨大なカリスマ家長・信長を尊敬しながらも、その常識はずれの個性にほんろうされる織田家の騒動と悲劇を、家族を心配して信長と対立する弟や、信長の無茶な教育にとまどったり、父を超えようと悩む息子たちの姿を通して描きます。

◎エピソード1|兄・信長は鬼となった!
織田信長と弟・信勝は、対照的な兄弟だった。嫡男・信長は本来格式を重んじる武家にあって奇抜な格好を好み、身分よりも実力で家臣を選ぶ。一方、両親の愛情を一身に受けて育った信勝は、旧来の織田家安泰を望む常識人となる。古参の家臣たちは弟・信勝に家督を譲らせようと画策、兄弟の亀裂は大きくなってゆく。ところが弘治2(1556)年、両者が激突すると信長軍は倍以上の兵の信勝軍を撃破、そのうえ信勝らを全員赦免することで一挙に人心を掌握する。孤立した信勝は2年後、再び謀反を計画。これを知った信長は、ついに弟を手にかけることとなる。当時、信長と親しかった宣教師の手紙にも綴られた兄弟の悲劇。

◎エピソード2|がんばれ長男!信長流教育のすべて
信長の後継者教育は苛烈だった。長男・信忠は早くから父と共に戦場に赴き、19歳で岐阜・岩村城攻めの総大将を任される。信忠は武将たちの命を救うことを条件に開城に成功するが、父・信長は助けるはずの武将たちをことごとく処刑、戦国の世の厳しさを思い知らせた。信長に「器用なだけの愚か者」と厳しい評価を与えられた信忠は奮起、26歳の時 武田攻めで大きな功績をあげ、ついに信長から天下を譲ると約束される。ところがこの直後、本能寺の変が発生。この時近くにいた信忠は「逃げのびて織田家を継ぐ」という道を選ばず、数百の手勢で1万の明智光秀軍に立ち向かい戦死する。信忠の選択は正しかったのか? 織田家の運命に大きな影響を与えた信長の後継者教育に迫る。


◎エピソード3|父よ 僕はあなたになりたかった…
本能寺の変後、織田家の後継者に躍り出たのが三男・織田信孝。実は信孝は、本来出生順では次男になるはずだったが、直後に生まれた別の子供・信雄(のぶかつ)の母の方が家柄が上だったため、三男とされてしまった。格式で次男と差をつけられた信孝は戦場で活躍、何とか父に認めてもらおうと奮闘する。本能寺の変直後には弔い合戦の総大将として明智光秀を破り、家督を継ぐかに見えた。しかし次男・信雄が反対、信長家臣だった羽柴秀吉までがこれに味方し、得意の根回しで信孝を孤立させてゆく。秀吉・信雄に攻め込まれ、捕えられた信孝は愛知の寺に送られ切腹させられる。寺には今も、信孝が切腹の時にはらわたを投げつけたという血染めの掛け軸が秘蔵され、その無念さを物語っている。
(original text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、少しザラついている>
NHK総合 45min 2009-06-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●歴史秘話ヒストリア 「絶望するな ダザイがいる」 〜太宰治 大傑作「人間失格」誕生秘話〜

今年6月19日でちょうど生誕100年を迎える作家・太宰治が今回の主人公です。代表作「人間失格」や心中事件から、弱々しくて暗い、そんなイメージを抱きがちですが、実際はどうだったのでしょう・・・。野心むき出し、選考委員に連日手紙を送って狙った芥川賞。普段は執筆だけに集中しすべての家事は妻任せでも、いざという時は大八車を押して家族を助ける深い愛情。かと思えば、家庭を壊すことで大傑作『人間失格』を書き上げるなど、不器用で空回りしながらも賢明に生きようとしていました。激動の昭和を駈け抜けた作家・太宰治の『人間失格』誕生秘話です。

◎エピソード1|芥川龍之介になりたい
太宰治の憧れは、人気作家の芥川龍之介。芥川と同じ東京帝国大学に進学すると、作家気取りで芸者と同棲、ここから太宰の空回りが始まる。実家から勘当を言い渡され、ショックを受けた太宰は心中未遂事件を起こし、相手の女性を死亡させてしまう。昭和10(1935)年、日本最初の文学賞・芥川賞が創設されると、その受賞に執念を燃やす。しかし1回目は、候補者の一人に選ばれるが落選。選考委員の川端康成には、作品ではなく私生活の乱れを指摘されて大喧嘩。3回目に有力候補の一人として太宰の名前が上がると太宰は、喧嘩を売った川端へ長い手紙をしたため受賞を懇願するが、結果は落選。“芥川になりたい”と肩に力が入れば入るほど、太宰の空回りが続く・・・。

◎エピソード2 太宰の決意 家庭生活を維持します!
健全な家庭生活を維持することが職業作家には必要だと考えるようになっていた太宰は、昭和14(1939)年、石原美知子と結婚。規則正しい執筆生活を続けるようになり、美知子の協力を得て、独特の「一人語り」の文体を確立。「駈け込み訴へ」「走れメロス」「女生徒」などの名作を生み出す。太平洋戦争が始まると、戦時下の暗く辛い時代の中で、人々へのささやかな慰めとして、笑いとユーモアをテーマにした「お伽草紙」を執筆する。戦禍が激しくなると、荷物を避難させるために、普段はペンしか持たない太宰も、美知子と赤ん坊のために自ら大八車を引く。太宰はプロフェッショナルな職業作家になっただけではなく、家族を守るたくましい男性へと変わったのだった。

◎エピソード3|「人間失格」 誕生秘話
日本の敗戦を境に、太宰は大きな違和感を覚えるようになる。それは戦後、多くの文化人が簡単に民主主義を唱え出したことにあった。太宰は自分を含む日本人が戦争に協力し、その罪の自覚をすることが必要であると主張。「罪を深く自覚する者が謙虚でやさしい人間になれる」と太宰は考えていたからだ。その思いを作品「斜陽」に込めて発表。さらに続けて、これまで犯してきた自分の罪を洗いざらい吐き出す「人間失格」の執筆に取りかかると、太宰の生活は激変。家庭を顧みず、愛人を囲って毎晩浴びるように酒を飲む。それは太宰が人間の悪や醜さを描く時、自分が幸せな家庭生活を営んでいてはいけないと考えたからに他ならない。太宰は「罪」を描くために、また「罪」を重ねるという矛盾を繰り返す・・・。昭和23(1948)年5月、「人間失格」全206枚脱稿。そのおよそ1ヶ月後、太宰は玉川上水に愛人とともに身を投げて帰らぬ人となる
(original text from NHK site)

ノイズなし
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●歴史秘話ヒストリア 「さわるな危険!宮武外骨」 〜反骨の闘士 時代と格闘す〜

今回の主人公は、頭から癇癪玉を破裂させて怒っているこの人、宮武外骨(みやたけがいこつ)です。明治時代後半、庶民を食い物にする悪徳商人や官僚の腐敗を、笑いを武器に徹底攻撃、人気を集めた雑誌がありました。その名は「滑稽新聞」。反権力、ちょっとエッチで風刺が効いた紙面作りが話題となり、月間8万部を売り上げました。発行した宮武外骨は、生涯に120あまりの本や雑誌を出版、投獄4回、罰金発禁は29回に上りました。世間から奇人と呼ばれ、時に危険人物視されながらも、反骨を貫いた表現者の生涯を描きます。

◎エピソード1|予は危険人物なり
自由民権運動華やかなりし頃、日本の針路を巡りさまざま活発な議論が交わされていた。こうした空気を吸いながら、若き日の宮武外骨はジャーナリストを志す。東京で雑誌の編集を手がけ始めていた頃、明治憲法が発布されると、それまでの議論を忘れ去ったかのように日本社会はお祝いムード一色に。違和感を感じた外骨が、憲法発布をパロディにしたところ、不敬罪で逮捕投獄されてしまう。出獄した外骨は、活動の場を大阪に移し、ある雑誌の編集を手がける。徹底した反権力の姿勢に加え、センスよく色気と頓智が詰め込まれた「滑稽新聞」は大阪の人々の圧倒的な支持を集める。

◎エピソード2|新たな闘い方を探して・・・
大正時代、外骨は自ら行動を起こす。衆議院議員選挙に立候補、制限選挙の欺瞞を徹底的に暴いたのだ。やがて普通選挙を求める運動が盛り上がっていくと、正面から政治的な主張も展開、言論の自由や社会の変革を訴える。しかしこうした外骨の言動は政府によって危険視され、監視の下に置かれてしまう。1923年 関東大震災が起きると、誤った情報によって人々は理性を失い、数千人の朝鮮民族の人々が虐殺される。さらに軍隊は混乱に乗じて、政府に批判的な人々を次々と殺害した。こうした中で外骨は、いかなる闘い方を見出していくのか・・・。

◎エピソード3|未来に残そうとしたもの
日本が戦争へと向かっていく時代、外骨は東京帝国大学の職員となって、古い新聞や雑誌の収集をしていた。そんな外骨のことを、いまや焼きがまわったと揶揄する者も少なくなかった。しかし外骨には、外骨なりの考えがあった。それは明治時代の多種多様な議論を、次の時代に残すこと。作家や出版人・新聞人たちが雪崩を打って戦争遂行に協力していく中、外骨は黙々と資料を収集し続けた。
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2009-07-01の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200








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