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●歴史秘話ヒストリア 「明治 悪妻伝説」 〜初代“ハンサムウーマン”新島八重の生涯〜

ある時は銃を構えた“女戦士”、ある時は日清・日露戦争の“従軍看護婦”、またある時は“茶道の先生”。「天下の悪妻」とも噂された女性の実体は、同志社の創立者・新島襄の妻・八重。勝手気ままに見える生き方だが、女は男に従うことが当たり前とされた当時、八重は新時代・明治にふさわしい“ハンサムウーマン”だった。自分らしい生き方を求め続けた知られざるヒロインを通して描く、女性たちへのエール。

◎エピソード1|めぐりあい 危ない女とジェントルマン
明治8年京都。アメリカ帰りの青年・新島襄は、日本にキリスト教の教えに基づいた大学を作る夢を抱きつつ、支えとなる伴侶を探していた。襄の理想は、男と対等に生きる女性。そんな襄が心を奪われたのは、井戸の上に板を渡し、落ちる危険も顧みず裁縫していた女性・八重。彼女は、幕末・戊辰戦争で銃を手に戦った烈婦だった。襄は八重の大胆な振舞いに、「常識にこだわらず自分で考えて行動する女性」と惚れ込んだのだった。

◎エピソード2|八重 悪妻伝説の真相
襄の教え子が書いた本には、「悪妻」、妖怪「鵺(ぬえ)」など、八重の悪評が満載。それは、襄と八重がめざした西洋風生活・男女対等の実践が、周囲に誤解を生んだ結果だった。レディー・ファーストは尻に敷いていると勘違いされ、八重の和洋折衷の服装は、正体不明の妖怪「鵺」と批判を受ける。しかし、夫である襄は世間の非難に動ぜず、時には自分の不機嫌な態度を諭してくれる八重を、「生き方がハンサムだ」と心から尊敬していた。

◎エピソード3|八重 第3の人生に挑む
夫・襄の死後、八重は新島未亡人の余生に留まることなく、新たなキャリアに挑み続ける。まずは、従軍看護婦。日清戦争にて大活躍した八重は戦後、一般女性として初の勲章を受ける。それは、女性の社会進出を世間に認めさせる第一歩となった。そして、茶道。裏千家の師範にまで上り詰めた八重は、自宅の洋間を改装、茶室にする。そこには、八重の生き方が伝わる名前が付けられていた。「寂中庵」―寂という字は“どんな時にも動じない心”の意。それは、生涯どんな場面においても、八重の生き方を貫いていた心だった。

「茶道」の読み方について
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現代では「さどう」との読み方が一般的となっていますが、各流派では、以下の通りとなっています。
・表千家では、特に決まりはないが「さどう」と読むのが一般的。
・裏千家では、「ちゃどう」と読む。
・武者小路千家では、「ちゃどう・さどう」どちらでもかまわないが、原則「茶の湯」を使う。
NHKが放送で使用する放送用語では「さどう・ちゃどう」ともに正しく、一般的な情報として話す場合は「さどう」を採用します。番組内容が個別の流派にかかわる場合は、その流派での読み方を優先しています。今回番組では、八重が裏千家の師範だったことから、裏千家が使用している「ちゃどう」の読み方を採用しました。
(original text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、少しザラついている>
NHK総合 45min 2009-07-29(2009-04-22の再放送)
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●歴史秘話ヒストリア 「いま、あなたに逢いたい」 〜恋に生きた歌人 和泉式部〜

平安時代の「王朝の三才女」と呼ばれるのが、小説家の紫式部、エッセイストの清少納言、そして今回の主人公、歌人の和泉式部です。和泉式部は、和歌の力で次々と男性を虜にしていきます。わずか三十一文字の和歌に情念を注ぎ込み、素晴らしい歌を詠む和泉は、ついには身分違いの高貴な皇子の心まで射止めます。一見スキャンダラスな生き方ですが、当時は、和歌のもつ言霊が宮廷社会を動かしており、和泉はまさに時代のトップスターといえる存在でした。残された歌を通し、和歌のもつ社会的意味もひもときながら、ヒロイン和泉式部が生涯追い求めた「愛」とは何かを探ります。

◎エピソード1|恋に生きる歌人誕生
夜ごとに変わる月のように、次々と男を変えた魔性の女・和泉式部。元は世の女性と同じく、夫を一途に待つ妻だった。きっかけは、離れて住む夫・道貞への思いを詠った和歌。その歌の上手さが、美貌の皇子・弾正宮為尊親王を引き寄せてしまう。最初は戸惑うものの、夫の心変わりにショックを受け、弾正宮との身分違いの恋に走る和泉。結果、夫とは絶縁状態、父からは勘当を言い渡される。「もう、この恋に生きるしかない…」それは、恋に生きる歌人和泉式部の誕生だった。

◎エピソード2|和歌の魔術師 王朝をゆるがす
和泉が男性の心を惹き付けたのは、歌の上手さだけでなく、和歌のテクニックを駆使して恋を進展させたから。ある日届いた、ひと枝の橘(たちばな)の花。それは、急死した弾正宮の弟・帥宮敦道親王からの謎めいた贈り物だった。和泉は、この謎を即座に解き、返した和歌で帥宮の心をとらえてしまう。和歌の魔術師・和泉の巧みな手腕により、2人の恋は身分の差を乗り越え、見事成就。愛人・和泉が帥宮の正妻を追い出す結末に、一大スキャンダルと世間は騒然となる。

◎エピソード3|あてなき恋路の果てに…
数多くある和泉の名歌の中から百人一首に選ばれたのは、自身の死を予感した時に詠んだ「亡くなる前に、愛する人に今一度逢いたい」という歌。それは、“真の愛”に憧れながら、恋のはかなさに翻ろうされた和泉の人生最期における魂の絶唱だった。時の権力者・藤原道長と対等に渡りあうまでに、歌人として評価された和泉。しかし、なぜか心から愛した相手に限って、離別・死別に見舞われてしまう。和泉が生涯追い求めたもの、それは月明かりのような優しい愛の光だった…。
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2009-09-02 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●歴史秘話ヒストリア 「最初はひ弱なインテリだった」 〜柔道を創った男・嘉納治五郎〜

競技人口からすると、世界で3番目にメジャーなスポーツと言われるのが柔道。明治時代、この柔道を生みだしたのは、いじめられっ子で、ひ弱なインテリ青年だった嘉納治五郎です。強くなりたいと柔術を習い始めるも投げられてばかり。そこで頭の良さを生かし、論理的に武術を研究。安全で己を高める力があるものとして、新たに作り出したのが柔道でした。嘉納は柔道を通して学校教育を変え、東京へのオリンピック招致という大事業まで達成。柔道家・教育者・国際人、三つの舞台で情熱的に生きた嘉納治五郎の生涯を描きます。

◎エピソード1|インテリ青年が“柔道”を創った
明治時代、新たな武道“柔道”を創った男、嘉納治五郎。体育会系バリバリの猛者だったかと思いきや、東京大学に通う、線の細いインテリ青年だった。いじめられていた治五郎は「強くなりたい」という一念で、日本古来からあった柔術を習い始める。インテリなりのやり方で柔術を追求していった治五郎は、やがてそこに人間を高める力があることに気付き、多くの人にも学んでほしいと思い始める。柔道誕生までの秘話を描く。

◎エピソード2|なにくそっ!熱血教師 治五郎
治五郎は「人のために尽くせ」という母の教えを胸に、教師の道を歩み始める。学習院で教えることになった治五郎は、封建的な身分意識の残る風潮を変え、さらに日本で初めて、学校の授業に柔道を取り入れた。さらに、教師を養成する高等師範学校の校長に昇進した後も教壇に立ち続けた。そこには柔道を通して自らが得た「なにくそっ」という思いを伝えていきたいという思いがあった。

◎エピソード3|世界にとどけ 柔道の心
柔道は、治五郎の弟子たちの手により世界中へと広がりを見せた。そんな中、治五郎はアジアで初めて国際オリンピック委員に任命され、日本人を初めてオリンピックの舞台へと参加させる。満州事変を経て日本が国際的に孤立していく中、この事態を憂えていた治五郎は、日本でのオリンピック開催を目指す。柔道を通して、お互いを高め合っていきたいという日本人の思いを世界に伝えた治五郎は、IOC総会でのスピーチで、東京でのオリンピック開催権を獲得する。日本でオリンピックが開催されるまでの軌跡を描く。
(original text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2009-09-30 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●歴史秘話ヒストリア 「南の島の先生、命がけの密航記」 〜教え方を求めて3000キロ〜

終戦直後、アメリカによって日本本土と切り離され、人の行き来も情報も遮断された奄美群島では、教育も大きく立ち遅れた。子どもの個性と自主性を育てる戦後日本の「新しい教育」を手にするため、教師たちは本土への“密航”を決行する。アメリカ軍の監視をはじめ、さまざまなトラブルを乗り越えた教師たちは、どのような教育を持ち帰り、どのようにして根づかせていったのか? 現代にもつながる、子どもの教育をめぐる感動秘話。

◎エピソード1|“密航”教師たちの危険な賭け
戦後、アメリカを中心とする占領軍の下で民主化の進む日本。しかし、そんな流れから取り残された地域があった。九州の南西海上に浮かぶ奄美群島もその一つ。終戦の半年後に日本本土から行政分離され、人や物の行き来も情報も途絶えてしまっていた。しかも奄美に赴任したアメリカの軍政官は「軍政府は独裁的であり、民主主義を教えることは現在の統治形態と相容れない」と宣言する。新しい時代の子どもたちにどんな教育をして育てていけばいいのか、焦りを募らせた教育関係者たちは、ついに一つの決断をする。それは、本土に“密航“し、「新しい教育」を持ち帰ること。中学校教師の深佐源三(35歳)と小学校教師の森田忠光(26歳)、二人の若い教師による「密航」計画が動き始めた。

◎エピソード2|“新しい教育”への長い旅路
アメリカ軍の管理する船に船員として乗り込み、本土へ向かった深佐と森田。しかしその道中には、多くの困難が待ち構えていた。当時奄美で使われていたアメリカ軍発行の軍票は、本土では使うことができない。奄美特産の黒糖や大島紬などを密かに持ち込んで換金しようとするが、容易ではなかった。そんな二人に手を差し伸べたのは、本土に住む奄美の出身者たち。当時、本土で暮らす奄美の出身者は、奄美の人口とほぼ同じ規模。奄美が日本から分離されたことで、故郷を訪ねることもできなくなっていた。彼らの協力で行動資金を作ることに成功した二人は目的の地、東京・文部省に向かう。

◎エピソード3| 学校から始まった本土復帰への道
奄美に帰った深佐と森田は、持ち帰った教科書をガリ版で刷り増しし、手分けして島中の学校に配り歩く。そして子どもたちの個性と自主性を重視する「新しい教育」を根付かせようと奮闘を続けた。しかしアメリカ軍の占領下、奄美の人びとの暮らしは困窮を極め、学校に来ることのできない子どもたちが増え続けていく。こうした状況を前に、ついに教師たちが立ち上がる。「子どもたちに自主性を説くならば、まず自分たち自身が自主的に声をあげるべきではないか」。新しい教育の理念を指針に、教師たちが始めた本土復帰運動は、やがて奄美全島を飲み込む奔流を生み出す。

密航という言葉の使用について
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アメリカ軍が施政権を持っている当時の状況下では、教師たちの行動は「密航」と言える。密航自体を無前提に賛美するものではないが、米軍によって作為的に引かれた行政上の線引きにより、それまで本土との間を自由に行き来してきた奄美の人びとの行動が密航とされ、処罰の対象とされるようになった理不尽さを描くとともに、分断占領下の奄美において、人びとが密航という手段をも使ってしたたかに生き抜き、本土復帰への道筋を作りだしていったことを積極的に評価する立場から、あえて「密航」という言葉を使用した。当事者である深佐源三氏・森田忠光氏・三原明大氏自身もそれぞれの回想の中で、正式に許された渡航でないからこその数々の苦労を「密航」という言葉で書き記している。
(original text from NHK site)

ノイズなし??>>国会中継
NHK総合 45min 2009-10-28(2009-10-21の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200?結局録画していないのではないか??









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