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●その時 歴史が動いた 「日露戦争100年 二○三高地の悲劇はなぜ起きたのか」 〜新史料が明かす激戦の真相〜

その時:明治37年(1904年)11月27日
出来事:旅順攻略戦で、乃木希典が二○三高地攻撃を決断する

 昨年ロシアで、日露戦争の秘蔵写真が数千点存在することがわかり、最大の激戦として知られる旅順・二○三高地の戦いを、ロシア側から生々しく捉えた現場写真も明らかにされた。日本が国の存亡をかけて戦った日露戦争からちょうど100年。新史料をもとにしたロシアの大要塞の全貌を明らかにするCGや、日本軍内の極秘電文などをもとに、20世紀・消耗戦の時代の始まりとなった二〇三高地の悲劇がなぜ起きたのか、その背景に迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-01-19(2004-06-09のアンコール放送)
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●その時 歴史が動いた 「日露戦争100年 日本海海戦」 〜参謀 秋山真之・知られざる苦闘〜

その時:明治38(1905)年5月27日午後3時10分
出来事:日本海海戦で日本連合艦隊がロシア・バルチック艦隊に決定的な打撃を与えた時

 日露戦争の最終決戦・日本海海戦で、若き海軍参謀・秋山真之(さねゆき)は、必勝戦術「丁字戦法」を駆使して勝利したと言われる。しかし実は、秋山ははるか以前から、海軍の体質を近代戦術に対応できるように作りかえ、そのうえで丁字戦法を越える戦術を実行していたのだ。国家の存亡がかかった決戦に挑む秋山の姿を通じ、勝負に必ず勝つ策を生み出す発想と、それを実現させる強い組織とはどのようなものかを描き出す。
日本海海戦で秋山に課せられた使命は、ロシア・バルチック艦隊をただ一度のチャンスで殲滅するという、難度の高い目標だった。秋山は古今東西の戦術研究の末、近代海戦における必勝戦術「丁字戦法」を編み出した。これを実現するためには、個々の兵士が作戦目標を徹底的に理解し、秩序だった作戦行動に就かねばならない。しかし秋山の前に、当時の海軍の秘密主義の伝統が立ちはだかる。そして日本海海戦の前哨戦では、秋山の丁字戦法に、実戦の場では致命的な欠点があることも判明。はたして秋山は、どのようにして海軍を「勝てる組織」へと改革し、丁字戦法を越える新たな策を実現させたのか?
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-01-26 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「日露戦争100年 逆転の極秘電報154号」 〜知られざるポーツマス講和会議の真相〜

その時:明治37年(1905年)8月26日
出来事:ポーツマス会議の日本全権・小村寿太郎のもとに日露講和交渉を決定づける極秘電報が届く

 日露戦争の講和をめぐり開催されたポーツマス会議。日本外交団は、何としても講和を成立させねばならなかったが、その前には、老獪なロシアの外交手腕、アメリカをはじめとした列強の暗躍が待ち受けていた。昨年、この交渉において日本をぎりぎりのところで敗北から救った、一通の電報が発見された。誰が何のために日本を救ったのか?新興国・日本が、利害が複雑に錯綜する欧米列強との外交交渉を克服するまでの、知られざる奮闘を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-06-??(2004-06-16の再放送) Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「大江戸発至急便 黒船あらわる」 〜幕末日本の情報ネットワーク〜

その時:嘉永7(1854)年3月3日
出来事:日米和親条約調印により 日本が開国

「異国船きたる!」地震や大火事の天変地異に匹敵する、この未曾有の出来事。幕府は情報を公開しないにも関わらず、異国船来航とペリーの動向は瞬く間に全国に広まった。さらに、人々は独自の手法とルートで黒船情報を入手。日本中の人々が、ここから「情報」の持つ意味を考え始め情報を収集・分析、そして行動を起こすようになる。「幕末はペリー来航から始まった」と言われるゆえんである。ペリー来航の意味を、情報の全国伝播という観点から検証し、幕府・諸藩・庶民それぞれの開国を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-06-23 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「“関白”対“源氏長者”」 〜家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防〜

その時:慶長8(1603)年2月12日
出来事:家康が「源氏長者」に任ぜられる
どう動いたか:家康が武家と公家の頂点に立って徳川幕府を築いた

  名門貴族の養子となって「関白」の座を射止めた秀吉によって、家康は窮地に立たされた。国替え、出兵命令など秀吉の無理難題に忍従の日々を送る家康。彼が見つけた秀吉への対抗策は、「源氏」への改姓、そして官位を上げるという作戦だった。やがて家康は、「関白」に対抗する権威「源氏長者」へと近づいていく。「源氏長者」こそ、「征夷大将軍」と併せ持つことによって日本の国王としての地位を保証する伝統の権威だったのだ。家康はやがて、関白職を失った豊臣氏を滅ぼし、名実ともに武家としての天下を手中にする。一方で家康は「源氏長者」の権威によって、天皇家、朝廷を押さえ、江戸幕府の基盤を盤石なものにしてゆく。番組は、「源氏長者」という新しい視点から家康の天下取りを捉え直し、武力支配に代わる支配の正当性を「姓」に求めた家康の知られざる挑戦を描く。
番組の内容について
■ 「源氏長者」とは何か?
・ 源氏長者とは有力貴族である源氏一門の中で朝廷から受ける官位が最も高い人物が天皇の任命によって就いた一門の長の役職。平安時代から続く。源氏の代表者として一門の官位昇進のカギを握った他、朝廷内で強い発言権を持った。
・ 元来「源氏長者」の地位には公家の源氏が就任したが、室町時代に将軍・足利義満が武家から初めて就任。家康は足利幕府以来、武家としてこの職に就き、それ以後徳川幕府崩壊まで徳川将軍が代々「源氏長者」の地位も兼務した。

■「源氏長者」は本当に家康を支えた権威と言えるのか?
・ 今回の番組は、ゲストとしてもお呼びした皇學館大学助教授、岡野友彦氏の解釈に基づいて、武家の棟梁「征夷大将軍」と公家の権威「源氏長者」を同一人物が握ることによって、将軍職だけでは不完全な支配権を完全なものにしたという視点から構成しています。
・ 「源氏長者」は元来名誉職的な役職。したがって「源氏長者」単体で政治的な実権を握れる訳ではありません。
・ なお、「源氏長者」の研究は、まだ始まったばかりで定説はありません。詳しくお知りになりたい方は岡野友彦著「源氏と日本国王」(講談社現代新書)をご一読下さい。

■「姓」と「苗字」はどう違うのか?
・ 姓は天皇が上から与える形式をとる公的な名前。苗字はみずから私称する名前。
・ 姓は父系制的な血縁原理によって継承されるため、父系に血縁関係をたどる氏人はみな同姓。苗字は家という社会組織自体の名であり、血族の名ではない。
 (中央大学・坂田聡著「日本の中世」12『村の戦争と平和』 中央公論社より)

(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-07-07 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「ドキュメント池田屋事件」 〜近藤 勇・突入決断の真相〜

その時:元治元年(1864年)6月5日午後10時(当時の時刻では四ッ時)
出来事:池田屋事件 勃発の時

幕末の京都で、勤王の志士と、新選組が激突した池田屋事件。この事件で、新選組が志士たちのクーデター計画を阻止した事により、勤王方と幕府の全面対決が始まり、時代は幕末の動乱へと動き始める事になった。
しかし、戦闘では、勤王の志士、二十数名に対し、突入した新選組は、わずか四名で、圧倒的に不利な戦いであった。なぜ、わずかな人数で、局長、近藤勇は、無謀とも思える突入をしたのか?番組では、池田屋事件の発生から、終結までの17時間を克明に追い、突入に至る、近藤たちの思いを綴っていく。それぞれが賭ける道をひたすら信じて行動した幕末の若者たち。新選組隊士たちの情熱が、歴史をゆり動かした瞬間を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-07-14 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「さとうきび畑の村の戦争」 〜新史料が明かす沖縄戦の悲劇〜


その時:昭和20(1945)年9月7日 

出来事:沖縄戦が公式に終結した時

 昭和20(1945)年3月下旬に始まった沖縄戦では、十数万人もの沖縄県民が犠牲となったとされる。なぜこれほど多くの県民が犠牲となったのか。その真相を明かす日本軍の史料が、昨年アメリカで発見された。そこからは、住民が戦争に巻き込まれていくプロセスを読みとることができる。番組では犠牲率が県内最大の西原村を舞台に、村人がどのように戦争に巻き込まれ犠牲となっていったのか、新たな史料と証言から検証していく。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-08-04(2004-03-31の再放送) 
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●その時 歴史が動いた 「奇跡の銀メダル 人見絹枝」 〜日本女子初メダル獲得の時〜

その時:1928年8月2日
出来事:人見絹枝、日本人女子選手としてオリンピック初の銀メダル獲得

今年、アテネオリンピックに挑む日本選手は、史上初めて女性が男性を上回った。この日本女子スポーツの隆盛の陰には、一人の選手が命がけで獲得したメダルがあった。今から76年前、アムステルダムオリンピック800メートルで、日本初、ただ一人の女子オリンピック代表選手となった、人見絹枝が獲得した銀メダルである。
 昭和のはじめ、スポーツにかけようとする女性には好奇の目がつきまとっていた。太ももをさらけ出し勝負にこだわる姿が女らしくないといわれる中、人見はオリンピックでメダルを獲ることで、女子スポーツも祖国の名誉に貢献できることを示し、世間の認識を変えようと決意する。しかし世界記録を更新し、大本命として出場した女子100メートル準決勝で、まさかの敗退。追い詰められた人見は、経験のない800メートルに突如出場を決めるというぎりぎりの決断を下した。「伝説の800m」を、貴重な実写フィルムを駆使して検証。日本女子スポーツの未来をかけて、世界とたった一人で戦った人見絹枝選手の苦悩と挑戦のドラマを描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-08-18 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0858





●その時 歴史が動いた 「武田信玄 地を拓き水を治める」 〜戦国時代制覇への夢〜

その時:1572年(元亀3年)
出来事:武田信玄 京へ向かう

戦国時代、関東の一弱小国に過ぎなかった山国・甲斐を、わずか一代で大国に育て上げ京都へ向かって「天下取り」を目指した男がいた。武将・武田信玄(1521〜1573)。家康も震え上がったというその強さの秘密は、実は信玄が若い頃情熱を傾けた治水行政と金山開発にあった。山梨県・釜無川に築かれた「信玄堤」と県東南部の「湯之奥金山」跡は、信玄が成し遂げた国土開発の手腕を今に伝える貴重な遺跡群である。
毎年河川が氾濫し農作物が深刻な被害を受けていた戦国時代の甲斐の国。わずか21歳で領主となった信玄は国の生き残りをかけ、堤防工事と金山開発に着手する。若きリーダーの前に次々と立ちはだかる困難。他の戦国諸大名との戦い、堤防建設を阻む水害、国を取り囲む高い山々…。危機を乗り越えるため信玄が編み出した斬新な治水戦略とは?そしてその堤防建設にも活用されたという武田家秘蔵の軍資金「甲州金」は、どのようにして産出されていたのか?さらに信玄の治水と国づくりを支えたと伝えられる謎の職人集団・「金山衆(かなやましゅう)」とは?  番組では信玄が満を持して京へ上る瞬間を描き、甲斐が強国にのし上がるその礎となった金の生産と治水行政を中心に信玄の国作り戦略の秘密に迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-09-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「信長と道三」 〜改革者を生んだ非情の絆〜

その時:永禄10(1567)年8月15日
出来事:織田信長、隣国・美濃の攻略を成し遂げる

 日本史上有数の改革者・織田信長が登場した陰には、その師ともいえる男の存在があった。隣国・美濃の戦国大名、斎藤道三である。「マムシ」と恐れられた稀代の陰謀家・道三と「うつけ(愚か者)」と疎まれた若き信長。旧体制の常識にしばられない二人のアウトローは運命的に出会い、そのきずながやがて戦国の世に風雲を巻き起こし、新時代を切り開いていく。
新兵器の導入、先進的な経済政策による都市造り、そして近親さえ切る非情の決断。こうした改革姿勢を、信長は道三から学び、道三もまた信長にその志を受け渡そうとする。しかし、改革を非情な決意で強行する二人を、抵抗勢力が襲う。道三は我が子に殺され、信長も兄弟から刃を向けられ、絶体絶命の危機に直面する。傷だらけとなって変革の道を歩む信長は、道三の遺志を胸にこの危機を乗り越え、桶狭間の戦い、美濃攻め、そして天下取りへと羽ばたいていく。改革者が乗り越えねばならない決断、孤独そして覚悟を、斎藤道三と若き日の信長、二人の闘いを通して描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-09-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「焼け跡にゾウがやってきた」 〜海を越えた日本の子どもたちの夢〜

その時:1949年(昭和24年)9月23日
出来事:ゾウのインディラが日本に到着した日

GHQ占領下、日本が物資不足で大変な貧困にあえいでいた昭和24年、日本人が精神的に立ち直っていくきっかけとなる運動を東京の子ども達が起こした。その要求は「上野動物園にゾウをください」だった。もともと、上野にゾウはいたが、「空襲があれば危険」という理由で殺してしまっていたのだ。戦後、その日の食べ物にも困っていた大人に“ゾウが必要”という発想は全くなかった。しかし、子どもたちは本気だった。戦後の民主教育の一環で行われていた“子供議会”が「ゾウをください」と決議。その実現のために大人の想像を超えた実行力をしめす。子どもたちの一途な思いは、やがて名古屋の動物園、国会、GHQ、そしてインドのネルー首相までをも巻き込み、ついに日本に再びゾウがやってくる。戦争でゾウを殺した日本人は、何を考え、何を思いながらゾウを再び手に入れようとしたのか。番組は、戦後混乱の中でわき起こったこの運動を、数少なくなった当事者の貴重な証言と写真、映像、資料で綴り、日本の戦後庶民史に迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-09-22 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)

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●その時 歴史が動いた 「実録・ええじゃないか」 〜幕末ニッポンを動かした民衆パワー〜

その時:慶應3年(1867)年12月9日
出来事:「ええじゃないか」が原動力となり、王政復古のクーデターが行われた時

 江戸時代がまさに終りを告げようとしていた慶応3年、日本中の庶民を踊りの興奮へと駆り立てた大騒動「ええじゃないか」。集団ヒステリーや宗教活動など、これまで様々な解釈がなされたが、その正体は今なお謎である。ところが近年、「ええじゃないか」がなぜ始まったのかを詳細に記した史料が見つかり、謎を解明する糸口が見えてきた。それによれば、「ええじゃないか」は三河の農村で起きたある偶然の出来事が契機となっていたのである。その小さな事件が、やがて幕末の民衆の心をとらえて「ええじゃないか」の大騒動へと発展していく。「ええじゃないか」の騒動は各地の民衆パワーをエネルギーとしながら、三河から東海道沿いに広がり、ついに京に至る。そして、ついには岩倉具視ら討幕派の王政復古へとつながり、日本の歴史を大きく動かして行くのである。当時の庶民はなぜそれほど「ええじゃないか」に魅せられたのか。番組では、今年発見されたばかりの「ええじゃないか」を描いた貴重な絵をはじめ、様々な資料に基づきながら、「ええじゃないか」の実像を明らかにする。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2004-10-27 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「ミステリー大化改新」 〜蘇我入鹿暗殺の実像〜

その時:645年6月12日
出来事:蘇我入鹿が暗殺され、古代史上の大改革・大化改新が始まった時

 近年、大化の改新についての見直しが進んでいる。権力の独り占めをねらう豪族、蘇我入鹿を誅し、天皇中心の律令体制のかたちを創った中大兄皇子と中臣鎌足の偉業であるとする「日本書紀」の定説を、様々な角度からとらえ直そうという動きである。
 日本書紀は、中大兄皇子、後の天智天皇の系統と藤原家が全盛の頃に作られたため、中大兄皇子と中臣鎌足を律令国家建設のヒーローとして描いている。しかし、その記述の中に、多くの矛盾があることが明らかになってきた。そのうち最も説得力があるとされているのが、入鹿暗殺の真の首謀者は、飛鳥京建設の野望を持つ中大兄皇子の母、女帝・皇極天皇と次期天皇の座を狙った叔父、軽皇子(孝徳天皇)であるとする、2年前に発表された説である。
 番組では、歴史学者・遠山美都男氏の新研究をもとに、中大兄皇子と中臣鎌足が行ったとされる蘇我入鹿暗殺の真相と、大化の改新の知られざる実像を解き明かす。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2004-12-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「歌舞伎スタア誕生」 〜二代目 市川團十郎の挑戦〜

その時:正徳6(1716)年2月27日
出来事:二代目市川團十郎が江戸中村座で「助六」を新演出で上演した日

江戸時代、「千両役者」と呼ばれ、江戸歌舞伎の礎を築いた名優、二代目市川團十郎。二代目團十郎は荒事と呼ばれる豪快な歌舞伎を創始した初代團十郎の長男。その二代目に
初代の突然の死、大奥女中と歌舞伎役者の密会が発覚し、歌舞伎弾圧を招いた絵島生島事件、上方歌舞伎の江戸進出など、次々に試練が訪れる。番組では十二代目市川團十郎さんをゲストに迎え、二代目團十郎が苦難を乗り越え、革新的な歌舞伎を生み出す瞬間に迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-01-05 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「百世の安堵をはかれ」 〜安政大地震・奇跡の復興劇〜

その時: 安政5年(1858)12月
出来事:安政の大地震によって壊滅した紀州広村で、醤油屋当主の濱口梧陵が村人と共に復興に取り組み、津波を防ぐ堤防を完成させた。

 幕末、日本は立て続けに三度の巨大地震に見舞われた。死者2万人を超える大惨事となった「安政の大地震」である。しかし幕府や諸藩は、地方村落の惨状には目を向けようとしない。こうした中、自らも被災者でありながら、村を復興すべく人々の先頭に立った男が、紀州広村の大商人・濱口梧陵である。
 夜、村を地震が襲い、巨大津波が押し寄せる。ところが闇夜のため、高台の方角が分からずに逃げ遅れた村人がいた。この時、濱口は前代未聞かつ命がけの手段で、村人を避難させることに成功。村人の命は救われた。
 ところが震災後、度重なる津波被害に怯えた村人たちは、安住の地を求めて村を捨て始める。村存続の危機に濱口は、二度と津波に襲われないよう、堤防を作ることを提案。ようやく村は復興に向けて歩み始めたかに見えた。が、その矢先、またも濱口の身の上を巨大地震が襲う。果たして、堤防建設に賭けた村の復興はかなうのか…。番組は、地震直後から堤防建設に至る濱口と村人の行動を新史料などをもとに追い、一度は捨てようとした故郷を「安心して住める村にしよう」と村人たちが決意するまでを描く、知られざる奇跡の復興劇である。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-01-12 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「実朝暗殺」 〜歌人将軍は、なぜ殺されたか?〜

その時:建保7(1219)年1月27日
出来事:鎌倉幕府3代将軍源 実朝、鶴岡八幡宮境内で暗殺される

 800年前の日本を揺るがした殺人事件、鎌倉幕府三代将軍・源実朝暗殺。これまで将軍の座をねらった甥の公暁が、怨恨によって凶行におよんだとされてきた。しかしこの事件には、実はその陰に知られざる陰謀があった。政治路線をめぐって対立する鎌倉武士たち、そして幕府打倒をもくろむ後鳥羽上皇。北条氏か?三浦氏か?朝廷か?それとも…?何者かの思惑と策謀が、実朝に悲運をもたらす。
 百人一首にも選ばれ、歌人として有名な実朝は、幕府の実力者である北条氏の操り人形で和歌も現実逃避の趣味だったといわれてきた。ところが、当時の史料の分析がすすむにつれ、実朝は理想の世を目指して、意欲的に政治に取り組んだことが明らかになってきている。実は、実朝がそのような政治に力を注ぐ人物であったからこそ、暗殺されるにいたったのではないか、という新説があらわれ、有力になってきている。実朝が政治に託した夢こそが、やがて実朝に暗殺という悲劇を招くこととなったというのだ。なぜ、和歌を愛し政治に情熱を注いだ若者は殺されなければならなかったのか?事件を引き起こした黒幕は、いったい誰か?新史料や最新の研究成果を交えて、のちの武士の時代を決定づけた実朝暗殺事件の真相に迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-03-02 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0735





●その時 歴史が動いた 「恋・人生・そして小説」 〜樋口一葉 女性作家誕生の時〜

その時:明治28年(1895年)9月20日
出来事:樋口一葉 小説「にごりえ」発表

 新五千円札の顔となった樋口一葉。日本ではじめて<小説のプロ>を志した女性である。明治半ば、父が突然死に家族を養わなければならなくなった一葉は、19歳の時、小説を書いて身をたてることを決意する。しかし先達は誰もいない道、一葉には女性故の多くの困難が立ちはだかる。小説の師との不本意な別れ、深刻化する貧困と借金のかたに肉体関係を迫られる屈辱、執筆中に襲う強烈な頭痛。しかし、絶望のどん底で出会った社会の底辺に生きる女性の声に耳を傾けた時、一葉は全く新しい文学を生み出す大きなきっかけをつかんでいく。そして、私娼窟に生きる酌婦の「苦しみや悲しみ」という心の内面を描き近代文学の一里塚となった小説『にごりえ』を執筆するのである。
23歳の武家の娘・一葉が、なぜ、これまで省みられることのなかった人々の心を描くことができたのか?番組では貧困と絶望の中で格闘しながら、近代文学の道を開いた女性小説家・樋口一葉の「誕生」のドラマを、彼女の「心の成長」に焦点をあてて描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-04-07(2005-03-30の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「大帝国の野望、博多に散る」 〜大陸から見た蒙古襲来〜

その時:弘安4(1281)年7月30日
出来事:「弘安の役」で元軍が日本から撤退

 鎌倉時代、日本は有史以来初めて国家存亡の危機に直面した。蒙古襲来である。
 これまで蒙古襲来は、元の皇帝クビライ・カアンの領土拡大の野望が引き金になったと考えられてきた。しかし、大陸側の史料を読み解くと、そこに新たな歴史の流れが見えてきた。
それは、クビライが当時最優先課題としていた中国南部の海洋交易国家・南宋を攻略するための作戦の一環だったのである。
 しかし、外交経験や大陸の情報に乏しい日本は、こうした元の真意を見抜くことが出来なかった。北条時宗が率いる鎌倉幕府は態度を硬化させ、元への返書を拒絶する。
 やがて、日本の運命は大きく変わる。念願の南宋を併合し、大海洋帝国に変貌した元はその最初の攻撃目標として、元に刃向かい続ける日本を選んだのである。遂にクビライは未曽有の大艦隊を博多へと差し向けた。番組では、海洋帝国の夢を追った元と、それに立ち向かった日本の思惑のズレを描きながら、蒙古襲来の真相を大陸の視点から描く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK総合 45min 2005-04-06 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0912






●その時 歴史が動いた 「武田家滅亡の謎」 〜戦国最強軍団はなぜ滅びたのか〜

その時:天正10(1582)年3月11日
出来事:武田勝頼が自刃し、武田家が滅亡する

 戦国最強と恐れられた甲斐の武田軍は、信玄の死後わずか10年で壊滅、武田家は滅亡した。そのため、信玄の跡を継いだ武田勝頼は軍団を滅亡させた「無能な跡継ぎ」といわれてきた。しかし近年の研究からは、勝頼は、信玄にもおとせなかった難攻不落の城をおとし、藩政に商人を登用し経済にも気を配るなど、すぐれた政治手腕を持っていたことが分かってきた。ではなぜ、有能であったはず勝頼が武田家滅亡を導いた「無能な跡継ぎ」とされてきたのか?
 4年前「勝頼は無能」という評判の背景に、織田信長が大きく関与していたと言う説が発表された。信長は、勝頼率いる強力な武田軍団をおそれ、直接対決を避けるため、巧妙な情報戦をしかけ、勝頼を「薄情者」として喧伝。にせ情報に惑わされた武田勢は主君を信じられなくなり、内部崩壊したと新研究は分析する。
類い希な能力に恵まれながらも、時代の寵児・信長に「無能・薄情」な主君に仕立てられ、敗れた武田勝頼。そこには、名門の跡継ぎと、革新者との運命的な戦いがあった。
 最新の研究をもとに、知られざる武田家滅亡の真相に迫る。
(text from NHK site)

ノイズなし
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●その時 歴史が動いた 「源義経 栄光と悲劇の旅路」 〜第1回 西へ 戦いの彼方に〜

その時:元暦2年(1185)3月24日
出来事:義経、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼす

 源義経の流浪の旅路を描く2回シリーズの前編。歴史に刻まれた源義経の人生とは、のべ6000kmを超える旅路の中にあった。なぜ義経は、かくも遙かな道のりを歩まなければならなかったのか?
 第1回では、この謎を解くため、孤独な少年時代を過ごした京都鞍馬から奥州平泉、そして宿敵・平氏打倒の旅である黄瀬川、鎌倉、一ノ谷、屋島、壇ノ浦までを見ていく。
 幼き日に断たれた「源氏」との絆を取り戻そうと、義経は打倒平氏の戦いに身を投じる。しかし味方の鎌倉武士からは疎外され、さらに最愛の兄・頼朝との仲も亀裂が深まるばかりだった。そんな義経が自らの存在を示すためには、たとえ無謀な戦い方であっても、勝利という実績を積むしかなかった。次第にに追いつめられていく義経…。義経は、最後の決戦・壇ノ浦の戦いでどのような戦いを平氏に挑んだのか?そしてその結果、義経は自らの安住の地を見つけることはできたのか?
 番組では、義経が流浪や戦いでおもむいたそれぞれの土地を取材し、「吾妻鏡」「平家物語」などに残る義経の言葉をまじえながら、自分の居場所を探し続けた若者の姿を描く
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-04-20 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0810





●その時 歴史が動いた 「源義経 栄光と悲劇の旅路」 〜第2回 北へ 流浪の果てに〜

その時:文治5年(1189)閏4月30日
出来事:義経、藤原泰衡の襲撃を受け自害

 源義経の流浪の旅路を描く2回シリーズ。歴史に刻まれた源義経の人生とは、のべ一万里6000kmを超える旅路の中にあった。なぜ義経は、かくも遙かな道のりを歩まなければならなかったのか?この謎を解くため、後編では、兄・頼朝との決別の地・腰越から、吉野山、比叡山、そして奥州平泉への流浪の旅を見ていく。壇ノ浦の戦いの後、義経は平氏討伐の殊勲者にふさわしい自らの居場所を源氏の本拠地・鎌倉に求めようとする。ところが義経は兄・頼朝に暖かく迎えられるどころか、鎌倉入りさえも許してもらえない。それどころか義経は、頼朝の巧妙な朝廷工作により朝敵の汚名を着せられ、ついには追われる身となってしまう。
 義経に迫る、頼朝方の追っ手の影…。過酷な逃避行を続ける義経を支えたのは、恋人・静御前や伝説の僧兵・弁慶ら、わずかな供の者たちだった。果たして義経は、どこに安住の地を求めたのか?そして安住の地と信じたその場所は、義経にどのような運命をもたらす結果となったのか?
 番組では、義経が流浪したそれぞれの土地を取材し、「吾妻鏡」「平家物語」などに残る義経の言葉をまじえながら、最期まで自分の居場所を探し続けた若者の姿を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-04-27 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)




●その時 歴史が動いた 「にっぽん郵便創業物語」 〜前島密の挑戦〜

その時:明治6(1873)年4月1日
出来事:全国均一料金の郵便制度が開始された時

 郵便、電話など近代日本の情報網を整えた前島密。彼が最初に手がけたのが郵便制度の確立であった。
幕末、開国で揺れる日本を旅した前島は、様々な情報が津々浦々にまで行き渡らないため幕府と諸藩、民衆がバラバラで国としてまとまりを欠いていることを知る。しかも、大切な手紙が届かなかった事が原因で薩摩藩に命を狙われる事態にもなってしまう。
情報が人の命や国の行く末を左右しかねないことをしった前島は、イギリスなどの制度を参考に、日本に近代的な郵便網を築くことを志す。
誰にでも平等に利用できる郵便。その理想を実現するためには、全国どこからどこに送っても同じ料金で確実に届く「均一料金制度」を確立する必要がった。しかし、政府の財政難、既得権益を守ろうとする飛脚業者の抵抗など様々な試練が立ちはだかる。番組では、幾多の困難を乗り越えて、日本に初めての郵便を誕生させた前島密の挑戦を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-05-11 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)

> 2017-05 全HDD調査で見つからず





●その時 歴史が動いた 「戦国をひらいた男」 〜北条早雲 56才からの挑戦〜

その時:永正15年(1518年)10月8日
出来事:北条早雲が伊豆、相模の国を統一し朱印状を発行

 戦国時代とは旧来の権威や規制に拠らず、激烈な争闘を勝抜いた個人(戦国大名)が決めたルールで国々が統治された時代である。織田信長からさかのぼること二世代、斎藤道三や毛利元就より一世代前にこのことを成し遂げ「最初の戦国大名」となった男が北条早雲である。従来、一介の素浪人が徒手空拳で成り上がった物語として描かれることが多かったが最近の研究では、彼が足利幕府の高級官僚であり、中央の堕落と地方の混乱を知り抜いた情報通であったことが明らかになってきている。番組では旧体制の高級官僚としての生き方を180度変えて、新しい時代に飛び込んだ早雲56歳の決断からスタート、戦国の火蓋を切った「梟雄」の非情かつ痛快な国盗り物語をたどると共に、その成功を支えた稀有の合理性を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-05-18 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「傷ついた戦場の兵士を救え」 〜佐野常民・日本初の国際人道支援〜

その時:明治28年(1895年)4月17日
出来事:日清戦争終結

「戦場で傷ついた者は敵味方の区別なく助ける」今では当たり前となったこの赤十字の理念を、日本で初めて実践しようとした男がいた。佐賀出身の元老院議官、佐野常民である。明治10年に起きた西南戦争では政府軍と薩摩軍が凄惨な戦いを繰り広げ、多数の負傷者が戦場にそのまま捨て置かれる事態となった。佐野は救援を決意する。幕末から西洋の知識を積極的に吸収していた佐野は、かねてより「赤十字」の存在に深い感銘を受けていたのだ。しかし敵まで救おうとする佐野に賛成するものはほとんどいなかった。 佐野は手弁当同然で戦場に駆けつけるが、人も資金も足りない準備不足の中では満足な援助ができるはずもなかった。 失意の中で西南戦争は終結。しかしその後も佐野は粘り強い活動を続けた。政府首脳のもとに何度も通い「日本赤十字設立」の布石を次々と打つかたわら、病院の建設や看護師の養成など、体制作りにも力を注いだ。そうした努力は、日清戦争で敵国清の兵士をもわけへだてなく救うという行為に結実し、西洋からも絶賛されることとなる。
 番組では新発見の資料を交えながら、日本初の国際的人道支援。その「はじまり」のドラマを描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「エンタツ・アチャコの漫才革命」 〜あんじょうわろうてや〜

その時: 昭和9(1934)年6月10日
出来事:エンタツ・アチャコの漫才「早慶戦」がラジオ中継された日

 しゃべりくりで人を笑せ、大衆に愛され続ける演芸・漫才。昭和初期、この漫才の今のスタイルを確立したのが、エンタツ・アチャコという伝説的漫才コンビだった。
それまでの「万才」は落語や浪曲といった伝統ある出し物の間をつなぐ色物とされていた。内容も、踊りにあわせて、下品な内容の都々逸や数え歌などを歌うといった低俗なものだった。この「万才」が、カフェやダンスホールなど西欧風のモダンな文化が相次いで登場するなか、人々から急速に飽きられ始めていた。
新しい時代に誰からも愛される「新しい笑い」とは何か。エンタツ・アチャコは「万才革命」を志す。
ネタに一般大衆の日常感覚や時事性を取り入れるための徹底した取材、相方とピッタリ息を合わせるための練習・・・。
試行錯誤を続けるそんな二人を強力に後押ししたのが、当時急速に普及し始めていた「ラジオ」だった。国民的人気を誇っていたラジオの大学野球中継。それが二人が目指す「新しい型」のヒントになったのだ。
そしてそれがラジオの電波にのった時、日本の笑いが変わったのである。
エンタツ・アチャコが、当時聴取者百万人を越えたばかりのラジオをともに、新しい「漫才」を誕生させるまでを描く。/ゲスト:喜味こいし
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「さらばサムライ」 〜西郷隆盛 徴兵制の決断〜

その時:明治5年11月28日
出来事:西郷隆盛の黙認により、徴兵告諭が発布される。

 維新の動乱の中、その武力で明治新政府の樹立に大きく貢献したのが、英雄・西郷隆盛であった。最強と言われた薩摩の武士を率いるカリスマで、明治維新の改革に不満をもつ全国の武士層にも睨みを効かせる事ができた西郷。しかし時代は西郷に、自身のアイデンティティとも言える「武士」を否定する決断を迫る。廃藩置県と国民の徴兵制という、藩や武士の特権を奪い、政府に帰属させて近代的な国軍を創る構想だ。木戸、大久保、そして構想の主唱者である山県有朋たちにとって、武士の反乱が必至のこの構想を実現させるために、西郷の力と人望がどうしても必要だったのである。誰よりも武士の美風を愛したラスト・サムライ西郷が武士の世の幕引きを託された時、何を思い、どう動いたのか?西郷の動きを中心に、明治陸軍の礎となった徴兵制の実現までの道のりを追う。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「さらばサムライ」 〜西南戦争・田原坂の真実〜

その時:明治10年3月20日
出来事:西南戦争最大の激突「田原坂の戦い」に政府軍が勝利。

 西郷の決断の下、山県が実現させた徴兵制による大日本帝国陸軍。その真価を初めて世に示したのが、明治10年の西南戦争の勝利であった。しかしこの戦いの経過を辿ると、近代兵器と兵数に長けた山県率いる政府軍が、西郷ひきいる薩摩軍に苦戦を強いられていた事が分かる。特に接近戦が多かった田原坂の激闘では、政府軍隊は命を賭けて切り込む薩摩武士の気迫と強さにしばしば圧倒された。追いつめられた山県がとった秘策、それは自らの信念と徴兵制の根幹を揺るがしかねない禁じ手だった。総指揮官山県有朋が、西南戦争の苦闘の中で得た教訓は、やがて帝国陸軍のありかたに強い影響をあたえてゆく。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-06-29 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「プロ野球を作った男たち」 〜昭和10年・アメリカ遠征記〜

その時:昭和11(1936)年2月5日
出来事:職業野球連盟の創立総会が開かれ、日本で初めてプロ野球リーグがスタート

 日本のプロ野球リーグが始まったきっかけは、今から70年前に行われたアメリカ・プロチームと闘った遠征試合だった。当時の日本は学生中心のアマチュア野球。来日したアメリカ大リーグの実力を目の当たりにし「アメリカに負けないプロ野球チームを作ろう」と男たちが立ち上がった。128日間で109試合という過酷なアメリカ大遠征。その中で、日本チームはプロの厳しさと野球を職業とする誇りを学んでいく。番組は、日本のプロ野球を立ち上げた男たちの熱い思いを描く。
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●その時 歴史が動いた 「実録・大岡越前」 〜火事と闘った知られざる素顔〜

名裁判官として名高い町奉行・大岡越前守忠相。しかし、彼が江戸の火事対策に尽力していたことはあまり知られていない。当時、江戸の町人は消防手段を持たず、繰り返される大火に苦しめられていた。そこで大岡は、町人のために町火消を創設する。しかし、その前途は多難だった。素人集団の町火消には消防能力が欠けていたのだ。番組では、数々の秘策で町火消を江戸城消火の立役者にまで育て上げた大岡越前の知られざる苦闘を描く。
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NHK総合 45min 2005-07-13 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「信長の巨大鉄船、戦国の海を制す」 〜織田水軍vs村上水軍、決戦大坂湾〜

その時:天正6(1578)年11月6日午前8時ごろ 
出来事:織田信長の巨大鉄船が大坂本願寺の救援に来た村上水軍を破る

 戦国の革命児、織田信長は驚くべき船を造らせた。「巨大な鉄の船」である。木造船を鉄板で覆った装甲艦ともいうべきこの船は、当時世界でも例のない革命的新兵器だった。当時の常識からかけ離れ、技術的にも困難を極める「鉄船」を完成させた信長の秘策とは?「信長の鉄船」を水軍研究家や船舶工学の専門家などへの取材にもとづきCGで再現。優れた技術と的確な人材適用で実現した巨大鉄船誕生のドラマと、信長の必勝戦略を描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた シリーズ終戦60年 「戦艦大和の悲劇」 〜大艦巨砲主義、時代に敗れる〜

その時:昭和20(1945)年4月7日 午後2時23分 
出来事:戦艦大和が沈没

最大最強の主砲・46センチ砲を備え、旧日本海軍のシンボルだった戦艦大和。しかし、大和は米軍の航空攻撃によって南の海に沈む。なぜ大和は実践で力を発揮できなかったのか?そこには大艦巨砲主義によって生まれた大和がすでに時代遅れとなっており、航空機による新しい戦いに対応できなかった悲劇があった。新発見の資料や当時の関係者の証言、今年開館した呉市海事歴史科学館(広島県)からのキャスターリポートを交え、戦艦大和の運命の時を描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた シリーズ終戦60年 「ソ連参戦の衝撃」 〜満蒙開拓民はなぜ取り残された〜

その時:昭和20(1945)年8月9日
出来事:ソ連が参戦

 ソ連軍は日ソ中立条約を破棄し、戦車5千台、兵員 157万人の圧倒的戦力で当時日本の支配下にあった満州国(現在の中国東北部)に侵攻した。満州を守備していた日本軍は敗退。100万人を超す日本人居留民が戦闘に巻き込まれ、多数の犠牲者がでた。またこの侵攻は、シベリア抑留や中国残留孤児の問題を生むことになる。様々な史料や証言から、ソ連対日参戦が引きおこした悲劇を描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「もう一つの日本を創った男」 〜平将門 東国独立政権の謎〜

その時:天慶3(940)年2月14日
出来事:平将門が戦死した時

平安時代中期、日本から「独立」を果たそうとした男がいた。平将門である。将門の地盤である東国(現在の関東地方)では、民衆が朝廷から派遣される国司の暴政に苦しんでいた。地方の豪族をまとめ武装した平将門は、各地の国司を次々と追放、ついに朝廷に対して、歴史上例をみない方法で東国独立政権樹立を宣言する。天皇に対抗し、自らが「新皇」に即位したのだ。近年の研究で、この政権樹立が場当たり的なものではなく、周到に計画されものであった可能性がでてきた。武力だけでなく、将門は象徴権力として、八幡大菩薩を主神にして天皇霊に対抗。さらに当時朝廷が「たたり」を最も恐れていた「菅原道真の怨霊」を即位の儀式に召還し、朝廷を牽制。東国の民衆も新しい王、将門が、天皇に匹敵する権威を持つことに結束を高めてゆく。単なる反乱を超えた将門の、新国家樹立による挑戦に朝廷は追いつめられる。朝廷は、全国の寺社に将門調伏の祈祷を命令。さらに前代未聞の秘策をだし、将門政権をつぶそうと、なりふり構わない攻勢をしかける。将門の独立政権は如何に誕生したのか?そして朝廷の苦肉の反撃の秘策とは?この将門の反乱こそ、律令体制を揺るがし、貴族社会から武家社会へ移行する大きな歴史的転換点となった。最新の研究成果をもとに、平将門の乱を新たな視点から検証する。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「日露衝突を回避せよ」 〜高田屋嘉兵衛 決死の交渉劇〜

その時:文化10年(1813)9月16日
出来事:高田屋嘉兵衛の交渉で「ゴローニン事件」の解決が決定的となる

江戸時代、商人の身で日本とロシアの紛争を巧みな交渉術で回避した高田屋嘉兵衛。嘉兵衛は、商いで北海を航行中、ロシア船にさらわれ捕虜となった。極寒の地から抜け出すために嘉兵衛が挑んだ賭け。それは自らが仲介役となり、日露紛争を解決することだった。やがて武力衝突の危機は高まり、嘉兵衛は自らの脱出のみならず、日本の命運までも背負うことに…。嘉兵衛はどのように日露の衝突を回避したのか、その決死の交渉劇に迫る。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「家康が最も恐れた男」 〜敗者 石田三成の関ヶ原〜

その時:慶長5(1600)年9月15日
出来事:関ヶ原の戦いで石田三成が徳川家康に敗れる。
    豊臣政権は事実上崩壊し、徳川政権へ移行。

 関ヶ原の戦いで徳川家康と死闘を繰り広げ、敗者となった石田三成。しかし、その緻密な才知と大局を見通す構想力は、家康を最も恐れさせる存在だった。豊臣秀吉のもと天下統一事業に辣腕を振るう三成は、戦乱の世を終わらせ新たな国造りを目指す。しかし、秀吉の死後、天下とりを狙う家康がその行く手を阻む。苦闘の末、三成は家康打倒の大戦略を編みだし、天下分け目の戦いに挑む。関ヶ原合戦を敗者・石田三成の側から描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「二宮金次郎 天保の大飢饉を救う」

その時:天保8(1837)年春4月
出来事:天保の大飢饉で二宮金次郎が小田原領民四万人を救済

幕末に起きた江戸時代最大規模の災害、天保の大飢饉。この時、全国の村々の救済に活躍したのが農民・二宮金次郎だった。勤勉の象徴として知られる金次郎だが、その名を残したのは大災害が続発した幕末、独創的な手法で村々の復興を次々と成功させたことにある。金次郎は、規則に縛られる役人達たち対立しながら、瀕死の困窮民の支援に奮闘。小田原領民四万人を一人の餓死者もなく救うことに成功した。番組では、知られざる金次郎の奮闘を描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「戦国 出世の方程式」 〜藤堂高虎 大坂夏の陣の大勝負〜

その時…慶長20(1615)年5月6日 
出来事…大坂夏の陣で藤堂高虎の軍勢が長宗我部軍を破り、家康勢を勝利に導く

戦国時代、織田・豊臣・徳川のもとを渡り歩き、地侍から国持ち大名に上り詰めた藤堂高虎。なぜ高虎は“戦国の勝ち組”となったのか?自らの価値を上げるため10人の主君を変え、キャリアアップが必要となれば城作りを学び、築城の名手として地位を得ていく。しかし、秀吉の死後、家康の天下統一が進むなかで、これまでの生き方が通じなくなった高虎は、大坂夏の陣で命を賭した戦いに立ち上がった。戦国武将・藤堂高虎の「200ヶ条の家訓」をひもとき、その出世の方程式に迫る。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「誰がための仏教か」 〜鑑真和上の宗教改革〜

その時…天平宝宇3(759)年8月1日
出来事…鑑真が平城京に唐招提寺を創建

 奈良時代に五度の失敗と失明という苦難を乗り越えて日本への渡航を果たした唐の高僧・鑑真。実はもう一つの知られざる苦難に立ち向かっていた。僧に資格を与える任務を朝廷から任され仏教行政の頂点に立った鑑真は、任命からわずか二年でその職を解かれていたのである。そこには僧の数を制限したい朝廷の思惑が深く絡んでいた。物質主義を戒め心の修行を説き、腐敗した仏教界に新風を吹き込んだ鑑真の静かなる改革に光をあてる。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「鎖国の扉を開け」 〜ジョン万次郎 漂流民の挑戦〜

その時…嘉永7(1854)年2月10日
出来事…日米和親条約に向けた日米交渉が始まる

1853年(嘉永6)、来航したペリーは捕鯨船の寄港地確保や遭難者の保護を幕府に求めた。産業革命初期のアメリカでは、鯨油はのちの石油に匹敵するほど工業を支え、国益を左右していたからだ。だが情報が限られていたため、幕府は侵略されることを恐れて大混乱に陥る。そのとき幕閣にアメリカの情報を伝えたのは元漁民、ジョン万次郎こと中浜万次郎だった。漂流に始まり幕末日本の危機を救うまで、万次郎が駆け抜けたその波瀾万丈の生涯を描く。
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●その時 歴史が動いた シリーズ・真珠湾への道 [前編] 「山本五十六、苦渋の作戦立案」

その時…昭和16(1941)年1月7日
出来事…連合艦隊司令長官・山本五十六が真珠湾攻撃を作戦立案し、海軍大臣に提出

太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。この作戦を指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六の生涯を描く2回シリーズ。前編は、山本の真珠湾攻撃の作戦立案までの過程を描く。
日本海海戦に参戦した山本は、アメリカを仮想敵国にして軍拡を進める海軍のなかで、出世を重ねる。しかし、アメリカの現地視察でその強大な国力を知った山本は、その後一変して日米の協調を主張。しかし、日本は対米戦へ突入。皮肉にも、日米戦に反対を唱えていた山本が連合艦隊司令長官として作戦を率いることになった。苦悩の末、山本が立案した作戦は、アメリカの軍事拠点・真珠湾を新兵力・航空隊で破壊することだった。緒戦で相手に打撃を与え、戦争を早期に収束させることが日本を守る一縷の望みと考え、山本は真珠湾攻撃に全力をかけていく。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた シリーズ・真珠湾への道 [後編] 「山本五十六 運命の作戦決行」

その時…昭和16(1941)年12月8日午前3時25分(現地時間7日午前7時55分)
出来事…日本軍、ハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃

 太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。この作戦を立案・指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六(いそろく)の生涯を描く前・後編の2回シリーズ。後編は、真珠湾作戦決行そのものを克明に描く。
航空隊で米軍の拠点・真珠湾を撃破するという山本の作戦。緒戦で敵に大打撃を与え、戦争を早期に終息させることが日本の唯一生き残る道と信じ、山本は作戦遂行に邁進する。しかし、そこには多くの困難があった。ハワイまで米軍に知られず接近できるか。水深12m程の浅い湾で既存の魚雷が使えるか。その難問を克服するため、山本は技術開発と極秘訓練を繰り返す。その一方で山本は、開戦回避に向けた外交交渉に最後まで望みをつないでいた。山本は交渉妥結の見込みがあれば、作戦を中止するよう指示していた。
しかし、外交交渉は決裂。12月8日(現地時間7日)、ついに真珠湾攻撃が開始された。百機を超える航空隊の徹底した攻撃は予想を超える大戦果をあげる。しかし、実際は、空母や軍事施設を攻撃できず、山本は作戦を全うできなかった。アメリカはこの経験から航空戦力強化へ戦略を転換。当初の山本の狙いは外れ戦争は長期化し、多大な犠牲を生むことになる。番組では、関係者の証言や防衛研究所の資料を読み解き、真珠湾攻撃と五十六の生涯を克明に描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-12-07 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0644





●その時 歴史が動いた 「秘められたメディア戦略」 〜児玉源太郎 日露戦争のシナリオ〜

その時:明治38年(1905)3月11日
出来事:奉天会戦での日本の勝利が世界に報じられたとき

『もはやロシアに望みはない。ロシア軍は今、最大の危機に陥っている。』(3月11日タイムズ誌)
日露・奉天会戦の翌日、日本を激賞した記事が世界を駆けめぐった。国力、兵力ともに圧倒的な不利の中、大国ロシアを破った日本は、この報道で、一躍世界の檜舞台に躍り出た。このメディア戦略を仕組んだのが、参謀本部次長の児玉源太郎である。開国以後、不平等条約の締結など欧米列強との格差が深刻化していた日本。児玉は、世界で初めて戦場の様子が逐次報道される日露決戦を、日本アピールの最大のチャンスと捉えていた。
 その最高の舞台として迎えられたのが当時世界最大の陸戦となった奉天会戦。ロシア軍32万に対し、日本軍25万は児玉の見事な陽動作戦で相手を退却に追い込み、日露決戦を決定づけるとともに世界における日本の立場を大きく変え、歴史を動かす。番組では、ロシアに勝利することで国際社会の一員として躍進を遂げようとする日本の児玉とそれを阻もうとするロシア軍、双方のメディア戦略を追いながら『メディアと戦争』のあり方について考える。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2005-12-01(2005-11-09の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「人間ドラマ誕生」 〜近松門左衛門 曾根崎心中〜

その時…元禄16(1703)年5月7日
出来事…大坂・竹本座で近松門左衛門の作「曽根崎心中」が上演

 初演からおよそ300年の間、日本人の心をとらえる人形浄瑠璃「曽根崎心中」。作者は近松門左衛門。町人文化が花開いた元禄時代、浄瑠璃や歌舞伎の名作を生み出し、“作者の氏神”と称された。
 近松は20代の頃、人形浄瑠璃に出会い、武士の身分を捨て浄瑠璃作者の道に飛び込む。軍記物が主流だった当時の人形浄瑠璃の世界で、庶民の生き様を描いた作品を次々と生み出し新境地を開く。町人となった近松は、太平の世とはいいながら、封建社会の厳しい規律に縛られ閉塞感にあえぐ人々の姿を目の当りにし、“今を生きる庶民の心”を描こうとした。そんな時、世間を騒然とさせる事件が起きる。大坂の醤油屋手代・徳兵衛と堂島新地の遊女・お初が、大阪・曽根崎の露天神社で心中。近松は世間を騒がせたこの心中事件を題材に、義理と人情の葛藤に苦しみながら、愛を守ることで人間らしい生き方を全うしようした男女を主人公にして作品を描こうと決意。名もなき男女の情を描くという前代未聞の近松の挑戦だった。
 番組では、日本の人間ドラマの原点と評される「曽根崎心中」を誕生させた近松門左衛門の挑戦を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-01-11 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)--->C 0800





●その時 歴史が動いた 「古代の文明開化」 〜1号寺院・飛鳥寺建立の戦略〜

その時…609年
出来事…蘇我馬子、日本最初の仏教寺院・飛鳥寺を完成させる

609年、東アジアの最先端の技術を駆使した日本最初の仏教寺院が完成した。飛鳥寺である。建立したのは蘇我馬子。聖徳太子とともに飛鳥時代初頭の国政を指導した豪族である。馬子の時代、倭国と呼ばれた日本は、東アジアの国々と交流を深め、その進んだ文化を目の当たりにしていた。倭国を東アジアの先進国と肩を並べる文明国へと飛躍させるため、馬子は、大陸の国々に広まっていた先端文化である仏教の導入を推し進め、そのシンボルとして飛鳥寺の建立に力を注いだのである。
 しかし、馬子の前には日本古来の神々を信じる大きな勢力があった。その先頭にたつ豪族・物部守屋と、馬子は熾烈な内戦を繰り広げる。さらに中国に出現した巨大王朝・隋の脅威が、倭国に押し寄せてきた。馬子は、数々の試練を克服し、20年の歳月をかけて飛鳥寺を完成させる。それは、古代日本が世界に開かれた文明国に飛躍する第一歩になった。
 番組では、去年、奈良県明日香村で次々に発掘された蘇我氏の邸宅跡や、コンピューター・グラフィックスで復元した創建当時の飛鳥寺の偉容を紹介しながら、仏教文化の移入に賭けた蘇我馬子の戦略を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
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●その時 歴史が動いた 「新聞誕生」 〜幕末・ジョセフ彦の挑戦〜

その時…元治元年(1864年)6月28日 
出来事…日本で初めて新聞が発行される

 幕末、日本初となる新聞を発行し、庶民の近代化に貢献した、ジョセフ彦。アメリカ国籍の日本人である。播州の漁師の家に生まれた彦は、13歳の時に時化(しけ)で遭難。52日間太平洋を漂流後、アメリカ船籍に救助される。異国で教育を受け、9年後、領事館の人間として再び祖国の地を踏んだ彦は、日米の格差に愕然。日本の近代化には幕府役人だけではなく、庶民一人一人の意識改革が必要と、横浜で日本初の新聞の発行に挑み始める。しかし、その道のりは困難を極めた。
 民衆にも知る権利があると主張する彦は、幕府に厳しく監視され取材活動は全くできない状態であった。攘夷派の浪士からは、アメリカ文化を持ち込む危険人物とみなされ、命をねらわれる。しかし彦は『事実を正しく民衆に伝える』という強い信念のもと、命をかけて新聞発行へと突き進む。
 民衆に時代の変化を伝え、自らの力で国を動かすことも出来ると説いたジョセフ彦。番組では、彦の生涯を追い、幕末維新に新聞が果たした役割、ジャーナリズムの原点とは何かを描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-02-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)--->C 0414





●その時 歴史が動いた 「壬申の乱 天武天皇 誕生の秘密」

その時:天武2年(673年)2月27日

出来事:大海人皇子が天武天皇に即位し、「天皇」の称号が初めて使われる
 律令国家を確立したといわれる大化の改新からわずか27年でおきた古代日本最大の戦い・壬申(じんしん)の乱。天智天皇の息子・大友皇子(おおとものみこ)と天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまのみこ)の王位を巡る対立である。大海人皇子は戦いを通じて随所に自分と神の結びつきを強調し、新たな国家の権威を作り出そうとしてゆく。近年に発掘された飛鳥京の宮殿跡や「日本書紀」の最新の研究、各地の遺跡調査を通じて、大海人皇子の巧みな戦略と「天皇」の目指した国家像の実体にせまる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2006-02-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0642





●その時 歴史が動いた 「戦国の花嫁」 〜山内一豊の妻・千代〜

その時:慶長5(1600)年11月
出来事:山内一豊と千代が土佐20万石を得る

 天下を目指し武将たちが戦乱に明け暮れた戦国時代。実は妻たちも、ある時は武器を手に戦い、またある時は夫の代わりに外交を担い、活躍していた。妻は、夫の信頼できる対等なパートナーとして、共に一国一城の主を目指していたのだ。
 「内助の功」の代名詞として伝えられる山内一豊の妻・千代も、その実像は決して夫に従うだけの存在ではなく、むしろ時にはリードして夫を一介の武将から土佐20万石の大名にまで出世させていた。やりくり上手の才能を遺憾なく発揮し、夫が多くの家臣を雇い武功をあげられるよう倹約に努める一方、夫の出世の機会には出費を惜しまなかった。さらには後継者問題で揺れる山内家を自らの判断で救った。そして迎えた天下分け目の関ヶ原。山内家の存亡の危機に、千代は命を賭して、夫・一豊に家康の信頼を勝ち取る策を授ける。それは夫の運命を切り開くと共に、東軍の勝利へとつがなる乾坤一擲の策であった。しかし関ヶ原の戦いを経て徳川氏が幕藩体制を築いていくと、政治の表舞台で活躍する女性たちの姿は影をひそめていった。 番組では、千代の生き方を追いながら、当時の結婚の仕組みなど戦国女性の知られざる実像に迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-02-15 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0705





●その時 歴史が動いた 「伝染病から日本を守れ」 〜細菌学者 北里柴三郎の闘い〜

その時…明治30年(1897)5月1日
出来事…伝染病予防法が施行され、国をあげて伝染病対策が始まる

 日本国中が海外から入りこむ伝染病の恐怖に初めて直面したのは150年近く前、開国の時だった。外国船からコレラなどの伝染病が持ち込まれ、日本は大混乱に陥っていた。この時その撲滅に立ち上がったのが、北里柴三郎。ドイツでコレラや破傷風などの予防・治療法を見つけた北里は、日本での被害を抑え込む。
しかし、その後さらに致死率が高いペストが発生。北里は危険をかえりみずに感染地帯に乗り込み、ペスト菌を発見する。そして、水道整備や検疫など国をあげての対策を訴え「伝染病予防法」を生んだ。これにより近代的な公衆衛生が整備され、ペストをはじめとする伝染病の撲滅に成果をあげた。
北里柴三郎の奮闘を通し、開国後の日本がどのように伝染病を克服したかを描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2006-02-22 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0788





●その時 歴史が動いた 「さらば殿様」 〜廃藩置県 激動の内幕〜

その時…明治4(1871)年7月14日 
出来事…明治新政府、廃藩置県を断行

明治4年7月14日午後2時。廃藩置県が電光石火のごとく実施された。これにより、江戸幕藩体制に終止符が打たれ、中央集権国家が誕生した。廃藩置県は大久保利通や木戸孝允たち薩摩・長州を中心とした維新政権が断行したが、直前まで廃藩の構想はなかった。大久保や木戸たちの出身藩である薩摩・長州の反発などに合い、廃藩する決心が付かずにいた。実は、廃藩を提案したのは、廃される側の藩自身からであった。諸藩は連携を始め、新政府へ圧力をかけ始める。このままでは薩長政権は瓦解する。近代国家に生まれ変わるために、自らの藩を潰し、藩主を捨てなければならない。木戸や大久保、西郷たちに決断の時が迫る。
番組では、明治日本が中央集権国家へと変ぼうを遂げる廃藩置県に至るまでの新政府と諸藩の息詰まる攻防を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-03-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0888





●その時 歴史が動いた 「ゼロ戦・設計者が見た悲劇」 〜マリアナ沖海戦への道〜

その時…昭和19(1944)年6月19日 
出来事…ゼロ戦、マリアナ沖海戦で壊滅的な被害を受ける

 太平洋戦争の戦局を支え続けた零式艦上戦闘機<ゼロ戦>。開戦当初、アメリカ軍戦闘機をも圧倒したゼロ戦は、戦前日本の技術力の結晶だった。しかし、昭和19年、空前の航空決戦となったマリアナ沖海戦において、壊滅的な打撃を受ける。なぜ、ゼロ戦は敗北したのか?設計者が残した開発記録から、ゼロ戦を窮地に追い込んだ欠陥の正体と日本海軍の組織的問題を読み解いていく。真珠湾攻撃から戦争末期の特攻まで、日本と運命を共にしたゼロ戦の悲劇を見つめる。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-03-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0207





●その時 歴史が動いた 「マッカーサーを叱った男」 〜白洲次郎・戦後復興への挑戦〜

その時…昭和24(1949)年5月25日
出来事…白洲次郎の尽力で通商産業省が誕生

日本で最初にジーンズをはいたといわれ、抜群のファッションセンスでも知られる白洲次郎。白洲は、戦後のGHQ占領下にあって日本の自立の道を探り、悪戦苦闘を続けた。英国留学を経て実業家として活躍した白洲は、親交を深めていた吉田茂が戦後に外相そして首相となると、硬骨漢ぶりとそのたぐいまれな交渉力を見込まれてGHQとの交渉役を任される。白洲は、日本の国情を無視して介入するGHQと、それを受け入れるがままの日本政府に反発。日本の尊厳を守った「自立」に自らを捧げる決意を固めた。しかし、憲法改正ではGHQが提示してきた憲法案をのまされることになる。徹夜の翻訳作業にも立ち会った白洲は、政治とは別の道での日本の自立を模索しはじめた。それは、経済の自立であった。当時の日本はGHQの指示のもと統制経済を強いられ、貿易も国家管理下におかれていた。自由経済に立脚した輸出振興で産業を育成しなければ日本経済の将来はないと考えた白洲は、昭和24年5月、牽引役としての役所・通商産業省を立ち上げた。宮澤喜一元首相をはじめ占領期の白洲を知る人びとの証言をもとに、貿易立国という戦後日本の自立の道を切り開いた白洲次郎の闘いを描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-04-05 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0653





●その時 歴史が動いた 「大奥 悲しみの果てに」 〜徳川家宣正室 天英院 熙子の生涯〜

その時 … 正徳6(1716)年4月30日
出来事 … 徳川家宣正室・天英院の主導により、徳川吉宗が第8代将軍となる

将軍の世継ぎを生み育てるため、およそ千人の女性が組織された大奥。ここに44歳で最高位に就いたのが6代将軍・家宣(いえのぶ)の正室・煕子(ひろこ)だった。
大奥のしきたりで、夫との過ごす時間は制限、側室が世継ぎとなる男子を産み、大奥での存在感を失うなど、煕子辛酸をなめつづける。やがて家宣が死去し、側室が生んだ世継ぎ・家継(いえつぐ)も夭逝。幕府は後継を失う危機に直面する。 その時、天英院と名を改め陰で生きていたこの女性が、幕政改革に尽くした夫・家宣の遺志を胸に立ち上がる。 それが、生前家宣が改革派藩主と評価していた紀州・徳川吉宗を将軍に擁立することだった。番組では、知られざる大奥の実態と、そこに生きた一人の女性の真摯な人生を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-04-12 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0950





●その時 歴史が動いた 「それでも地球は動いた」 〜ガリレオ・ガリレイの栄光と挫折〜

その時 …1633年6月22日
出来事 …ガリレオが宗教裁判で「地動説」の放棄を宣言

1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオの「地動説」を断罪した宗教裁判のあやまちを公式に認め謝罪した。バチカンの機密文書館奥深くに眠っていた裁判記録からは、権威を守りたい17世紀当時のローマ・カトリック教会と、発見した真実を伝えようとするガリレオとの知られざる攻防が浮かび上がる。聖書の解釈として教会が「天動説」を絶対としていた時代、ガリレオは天体観測の積み重ねから「地動説」の科学的証拠を発見した。慎重を期した表現で著書の出版にこぎつけたが、ガリレオを宗教裁判にかけられてしまう。このころ宗教改革が激化し権威が揺らいでいたカトリック教会は、異端者に対して強い姿勢で臨んだのだ。ガリレオは無罪のための有力な証拠を提出するが、教会側は新たな証拠を提出。ガリレオは有罪とされ幽閉の身となる。だが実は、その絶望の中でも、ガリレオは真実を書き続けることをやめていなかった。「地動説」の基礎となる「力学の世界」を描いた著作を出し、後に近代科学の教科書となる。
貴重な裁判記録や研究者を松平キャスターがイタリア現地で取材。真実を書き続け人びとに伝えることの大切さをガリレオのあくなき挑戦を通して訴える。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-04-19 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0096





●その時 歴史が動いた 「帝と民の巨大プロジェクト」 〜東大寺大仏 聖武天皇の挑戦〜

8世紀の奈良時代、日本は律令国家づくりを目指していた。その主眼は、納税者である民衆を管理し、国家の経済的基盤を築くことだった。この推進者として即位したのが、聖武 (しょうむ) 天皇。しかし、律令が課す重税に逃亡する民衆が後を絶たなかった。
一方、民衆の救済に立ち上がったのが、僧・行基 (ぎょうき) 。行基は各地で支援活動をつづけ圧倒的な支持を集めるが、やがて反体制と見なされ弾圧を受ける。
ところが、民衆の逃亡増加が律令体制を揺るがしはじめた時、一転、聖武は行基の民衆人気の理由を探りはじめる。行基のもとでは、民衆が仏の功徳を求め、自発的に橋、ため池、さらに仏像造りに参加していた。
そこで聖武はひとつの一大プロジェクトを発案。それは民衆の自発的な力で、巨大仏像を建造することだった。聖武の志に賛同した行基は民衆を結集。数々の課題を乗り越え、9年の歳月をかけ、16mに及ぶ大仏を建立。大仏は、収奪対象でしかなかった民衆の力を国家が認めた転換の象徴でもあった。
今年は聖武天皇没後1250年を迎え、5月に盛大な法要が開かれた。番組では、法要の映像や当時の大仏をCGで再現。大仏建立を通じて民衆の統合をめざす聖武天皇の挑戦を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-05-24 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0787





●その時 歴史が動いた 「これは正義の戦いか」 〜ジャーナリストたちのベトナム戦争〜

ベトナム戦争では、当初アメリカのジャーナリストたちは政府が掲げた戦争の大義を信じていた。しかし戦場でその実態を目の当たりにすると、次第に軍と政府に疑念を抱いていった。ニュースキャスターのウォルター・クロンカイトそして記者のデイビッド・ハルバースタムやニール・シーハンらは、報道を通してアメリカ政府を追いつめていく。そして政府と報道の対決は、ついに連邦最高裁に持ち込まれた。ジャーナリストたちの葛藤と挑戦を通してベトナム戦争を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-06-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「幻の大艦隊」 〜イギリスから見た薩英戦争〜

幕末、薩摩藩とイギリス艦隊が対決した「薩英戦争」。なぜ、本州南端の一藩と世界に冠たる大英帝国が砲火を交えることになったのか。それはイギリス外交官たちが日本で続けていた極端なまでの強硬外交のツケだった。日本に派遣する軍艦がないことを覆い隠すための大芝居だったのである。虚勢外交を続けるイギリス外交官たちの振る舞いは攘夷 (じょうい) の嵐を呼び、ついには薩英戦争に至る。イギリス外交官たちの胸の内に迫りながら、国際紛争に至った軌跡を追う。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-06-21 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0047





●その時 歴史が動いた 「勝負師は志高く」 〜碁聖・本因坊秀策の無敗伝説〜

幕末、年に一度、江戸城で開かれる碁打ちたちの祭典・御城碁 (おしろご) で、本因坊秀策 (ほんいんぼう・しゅうさく) という碁打ちが、空前絶後の19連勝 (12年無敗) を成し遂げた。9歳で日本最高の碁の家元「本因坊家」に入門した秀策は、囲碁文化爛熟の「家元の時代」最後の輝きとして史上に名を残した。番組では、人格的にも実力的にも最高の棋士とされる秀策の戦いを描きながら、秀策を大記録へと導いた修業とはどのようなものだったかを読み解いていく。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-07-05 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0904





●その時 歴史が動いた 「生まれくる命 そして母のために」 〜荻野久作の受胎期発見〜

その時: 昭和5 (1930) 年2月22日
出来事: 荻野久作の受胎・排卵期の法則を示す学説がドイツの医学誌に発表される

わずか80年前まで、女性がいつ妊娠するか全くの謎だった。そのため、不妊や多産で多くの女性が苦しんでいた。この世界的な課題を解明し、受胎・排卵の周期を見つけ出したのが、産婦人科医・荻野久作である。明治45年、荻野は新潟の病院に赴任。そこで目の当たりにしたのは、不妊、多産で苦しむ農村女性の過酷な状況だった。不妊に悩む女性は、嫁として子を産めないことを責められ自殺、また多産を強いられ命を落とす女性も後を絶たなかった。「ひとはいつ受胎するのか?」その時期が特定できれば、妊娠調整が可能となり女性を苦しみから救えるはず。久作は、設備も資金もないなか、患者から地道に聞き取りを重ねることで膨大なデータを収集。そして、ついに一つの法則を見つけ出した。それは、“排卵の時期は、月経日前12日ないし16日の5日間”という周期だった。これが医学会で認められれば、妊娠の計画的な指導が可能となる。しかし、当時日本の医学界は権威のない医師の学説として無視。そこで久作は論文を手に、単身で先進地・ドイツに乗り込んだ。その結果、“オギノ式懐妊・避妊法”は世界的発見として認められ、婦人医学を大きく発展させることになった。番組では、不妊や多産で苦しむ女性と生まれくる命を救うため、その生涯を捧げた荻野久作の闘いを描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「焼け跡から生まれたチャンピオン」 〜ボクシング 白井義男とカーン〜

日本人初のボクシング世界チャンピオンとなった、白井義男。その栄光への道を支えつづけたのが、GHQ将校のアメリカ人、アルビン・カーンだった。終戦後、兵役で腰を痛め引退の危機にあった白井は、ジムでカーンと出会いトレーナーの申し出を受ける。カーンはボクシング経験はなかったが、身体機能を研究する学者だった。かつての敵国アメリカと日本、国籍を超えた異色コンビの誕生。カーンは白井に新しいボクシングを白井に教え込む。それまで日本ではひたすら打ち合うスタイルだったが、カーンは「防御こそ攻撃の第一歩」と打たせずに打つボクシングを指導。2人は勝利を重ねていく。昭和27年5月19日、世界タイトルマッチが日本で行われた。相手はアメリカ人のダド・マリノ。時はサンフランシスコ平和条約が発効した3週間後、白井の世界挑戦には、国際社会への復帰を願う日本人の夢が重ねられた。番組では、白井義男とカーンが、国籍を超え信頼を深めながら、世界チャンピオンの栄光をつかむまでの軌跡を見つめる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2006-08-02 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0319





●その時 歴史が動いた 「幻のハワイ日本連合」 〜カラカウア王・祖国防衛に賭けた生涯〜

その時: 1882(明治15)年3月22日
出来事: ハワイ国王・カラカウアの「ハワイ・アジア連合」提案に対する
明治政府の回答がカラカウア国王に示される

19世紀後半、ハワイ王国は帝国主義の波にのみ込まれようとしていた。アジア市場参入への足がかりとして太平洋制海権の掌握をめざすアメリカ。その戦略の拠点として注目したのが、ハワイだった。アメリカは、政治・経済・軍事など次々とハワイの主権を蹂躙していく。このアメリカの進出に抗おうと立ち上がったのが、ハワイ国王・カラカウアである。しかし、相手は大国・アメリカ。小国ハワイだけの力ではかなうはずもない。そこでカラカウアは「ハワイ・アジア連合」という構想を打ち立てる。当時ハワイと同じ状況にあったアジア諸国と連合して、欧米列強に対抗しようという奇想天外な計画だった。カラカウアは実現に向け、自ら交渉の旅に出る。そして構想の要としたのが、日本だった。明治政府は、欧米との不平等条約に苦しみながら、近代化を進めていた。カラカウアは明治天皇と極秘に会見し、ハワイそしてアジア諸国との連合を訴える。番組では、ハワイ出身のタレント・KONISHIKIさんがカラカウア国王に扮して出演。帝国主義から祖国を守るため、決死の戦い挑んだハワイの英雄の生涯を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし[GP-1129]
NHK総合 45min 2006-08-23 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた シリーズ 秀吉の家[1] 「もう一人の秀吉」 〜豊臣秀長 太閤記を演出した弟〜

その時: 天正14(1586)年10月27日
出来事: 関白豊臣秀吉に徳川家康が臣下の礼をとる

天下人へと出世の階段を駆け上った豊臣秀吉、その成功を支えたのは家族の力だった。家族の中でも特に大きな役割を果たした弟・秀長と妻・おね(北政所)についてお送りするシリーズ「秀吉の家族」。第一回は、秀吉の右腕として常に労苦をともにし、兄秀吉の天下取りに奮闘した弟・秀長。秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍の側には常に秀長の存在があったことが浮かび上がる。他の武将よりずば抜けて秀吉が「スーパー武将」でありえたのは、忠実な分身ともいえる秀長が、秀吉の足らざるところを補い、守りを固めたためだった。秀長は軍事や策略に不得手だったが、その誠実さで、秀吉の縦横な機略による成果を確かなものにした。秀吉の光芒に隠された秀長の生き方を通して、もう一つの「太閤記」を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし[GP-1120]
NHK総合 45min 2006-09-13 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた シリーズ 秀吉の家[2] 「戦国の母 関ヶ原を決す」 〜おね・豊臣政権生き残りへの道〜

その時: 1600(慶長5)年9月15日 正午
出来事: 関ヶ原の戦いで小早川秀秋が東軍に寝返り徳川家康が勝利

天下人へと出世の階段を駆け上った豊臣秀吉。その成功を支えたのは家族の力だった。弟・秀長と妻・おね(北政所)。情に満ち溢れた二人の生き方は、成り上がりで譜代の家臣を持たない秀吉の欠点を補い、天下統一を達成させた。大河ドラマ「功名が辻」でお馴染みの群像が登場するシリーズ「秀吉の家族」。第二回は、秀吉を支え、夫の死後も豊臣ファミリー存続に生涯を捧げた妻おね。関ヶ原の戦いでの家康の勝利は、実は豊臣家生き残りをかけた、おねの選択であった。東軍勝利の背景には、おねがわが子同然に育てた豊臣恩顧の大名たちが家康についたことにあると考えられていたが、その実態を詳らかに語る文書が近年クローズアップされた。戦いの半月前に黒田長政と浅野幸長が小早川秀秋に宛てたこの密書からは、ともにおねの下でいつくしまれた武将たちの絆が浮かび上がる。秀吉との間に実子が生まれなかったおねは、多くの子供たちを信頼のおける家臣団に育て上げ、豊臣政権を築いた。また秀吉の死後、決定的となった内部分裂による政権崩壊の危機を救うため、その命運を実力者・家康に託した。その選択は、豊臣政権の内部抗争を沈静化し、政権を生きながらえさせることに成功した。しかし15年後、おねが頼った家康によって豊臣政権は滅ぼされる。豊臣政権を築き上げ、その崩壊まで目の当たりにしたおねの生涯を通して、戦国乱世を生き抜いた一人の過酷なまでの生涯を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし[GP-1101]
NHK総合 45min 2006-09-20 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●その時 歴史が動いた 「神は我を救い給うか」 〜キリシタン 細川ガラシャの生涯〜

その時: 慶長5年 (1600) 7月17日
出来事: 細川ガラシャが石田三成の人質になることを拒み、自ら死を選ぶ

本能寺の変で織田信長を討った明智光秀。その娘、細川ガラシャ (本名・玉) は謀反人の娘という汚名を背負い、世間や夫から厳しい処遇を受ける。そんな中、ガラシャが出会ったのがキリスト教だった。「困難の中でこそ、人の徳は磨かれ美しい光を放つ」。そうした教えにガラシャは次第に救われていく。しかし、関ヶ原合戦前夜、ガラシャを追いつめる事態が起こる。西軍・石田三成は戦いを有利に運ぶため、大名の家族を人質にとろうとし、丹後の大名・細川忠興 (ただおき) の妻、ガラシャを標的にした。夫からは「何かあった時は自害せよ」と命じられていたガラシャ。細川家の正室として自害をすべきか?一方、自殺を禁じたキリスト教の教えを守るべきか?大きな選択を迫られる。番組では、近年、オーストリアのウィーン国立図書館で見つかった細川ガラシャを主人公にした17世紀のオペラ楽譜台本、さらにはガラシャが読んでいたとされる当時の宗教書などを紹介しながら、数奇な運命を信仰と意志で乗り越えた戦国のキリシタン女性・細川ガラシャの生涯を描く。
(text from NHK site)

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●その時 歴史が動いた 「格差の怒り 政府を倒す」 〜大正デモクラシーを生んだ米騒動〜

その時: 大正7 (1918) 年9月21日
出来事: 米騒動によって寺内正毅内閣が総辞職においこまれる

大正7年、富山の女性たちが起こした米価高騰に対する抗議が、ついには政府を倒す一大騒動となった。米騒動である。なぜ一地方の母たちが起こした騒動が世を動かすまでにいたったのか?大正初期、日本は第一次世界大戦の好景気のもと、“成金”が現れ、一大投機ブームが起こる。特に米相場に投機は集中、米価は日々値を上げていく。しかし、多くの庶民は値上がりした米を買えず貧窮するばかりだった。そんな中、富山の母たちが抗議行動を起こす。騒動は、地元記者の必死の訴えにより各地に広がり、社会に不満を抱く都市の労働者やサラリーマンの怒りに飛び火。全国的な規模に拡大していった。時の首相・寺内正毅 (まさたけ) は、新聞発禁、軍隊出動など、力による制圧で対応。しかし、反政府の旗頭に結集した“大衆”の力を前に、総辞職に追い込まれる。そしてその大衆の力は、普通選挙法など大正デモクラシーの時代を切り開いていく。番組では、米騒動に参加した女性の証言テープや騒動を目撃した女性の証言などを紹介しながら、小さな抗議行動が政府を倒すまでにいたった過程をたどり、“大衆”誕生の瞬間を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-10-26(2006-10-18の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「日本を発見した日本人」 〜柳田国男・「遠野物語」誕生〜

その時: 明治43 (1910) 年6月14日
出来事: 柳田国男が「遠野物語」を出版。日本民俗学が誕生する。

近代化を進める明治日本。次々と入り込む西洋文明の波にのまれ、日本の風景や文化は一変していた。そんななか、失われ行く日本の伝統文化の重要性を日本人として初めて唱えたのが、民俗学者・柳田国男 (やなぎた・くにお) だった。柳田のスタートは、意外にも近代化を担う明治政府の農政官僚だった。幼い頃飢饉を経験した柳田は、農民が自立できる新しい農政を目指していた。しかし、そんな柳田に転機が訪れる。宮崎の山村で、原始的な農耕である焼畑 (やきはた) や独特の風習の“しし狩り” (いのしし狩り) を目にする。神に感謝し、富をみなで分かち合う村人の知恵とたくましさに柳田は心を打たれる。さらに、岩手県遠野に伝わる民間伝承と出会う。山の神や山男、カッパなど神秘的な話ばかり。しかし、柳田はその伝承の中に、代々受け継いできた村の歴史や教訓が語られていることを発見する。そして柳田は、近代化のなかで旧い風習として捨て去られようとしている庶民の生活や文化を記録にとどめようと決意する。番組では、作家・立松和平氏の現場レポートを織り交ぜ、日本民俗学の祖となる『遠野物語』発表にいたる柳田国男の歩みを描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-11-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0443





●その時 歴史が動いた 「ひらがな革命」 〜国風文化を生んだ古今和歌集〜

その時: 延喜5 (905) 年4月18日
出来事: 日本最初のひらがなで書かれた公文書・古今和歌集完成

私たちが学校で最初に学ぶ文字「ひらがな」。しかし、「ひらがな」が公式に使われるようになったのは漢字よりずっと後のことだった。そして、その背景にはある政治的意図があった。平安時代中期、日本では中国に学んだ律令制度が崩壊の危機を迎え、抜本的な政治改革が求められた。この時、朝廷で政治を担ったのが、中国文化の教養で出世の階段を登った菅原道真と、エリート貴族で和歌の名手だった藤原時平の二人のライバル。道真は衰退しつつあった唐に解決策を求めることをあきらめ、遣唐使を廃止。律令制度から脱皮した政治体制を作ろうと改革に乗り出す。しかし貴族たちの反発にあい志半ばで失脚。後を継いだ時平は、改革を進めるには律令制度導入以来、中国の思想や制度を絶対視してきた官僚達の意識変革が重要と考える。そして、新時代を告げるシンボルとして、和歌に使われ漢字より低く見られていた日本独自の文字「ひらがな」に注目、「ひらがな」で書かれた勅撰和歌集の編纂を命じる。この完成を契機に改革は軌道にのり、『源氏物語』などの「ひらがな文学」が誕生、「国風文化」が花開く。「ひらがな」が正式な日本語として認められるまでの知られざるドラマを描く
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-11-29 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0450





●その時 歴史が動いた 「母の灯火 (ともしび) 小さき者を照らして」 〜石井筆子・知的障害児教育の道〜

その時: 昭和12(1937)年10月16日
出来事: 石井筆子が知的障害者施設「滝乃川学園」の学園長に就任

幕末の長崎・大村の名家に生まれ、若くして「鹿鳴館の華」と呼ばれた石井筆子。ところが母となった筆子に転機が訪れる。娘たちが知的障害児だと分かったのだ。明治時代、富国強兵政策の中で生まれた社会のあからさまな差別に、筆子は失意の底に沈む。そんな時、筆子は知的障害児の学園を立ち上げたばかりの研究者・石井亮一に出会い、やがて志を同じくした二人は前人未踏の教育に乗り出す。しかし、子供たちによる破壊行為や自傷行為などがおこり、教室はいわば戦場のような毎日。それでも二人は辛抱強く指導を続ける。すると、やがてクリスマス会などで子供たちに成長の兆しが見えるようになった。ようやく希望の火が灯ったかに見えたが、想像を絶する苦難が立て続けに筆子を襲う。園児6人が犠牲となった学園火災、戦争による極度の財政難そして一緒に障害児に全身全霊を傾けてきた亮一の死。ついに学園存続は限界となった。その時、筆子はある決断を下す。それは30年以上、子供たちと苦楽を共にした、学園の母ならではのものだった。番組では、障害者自身の幸せのみならず、ともに生きることに喜びを見つけ、学園の灯火を消さなかった教育者・石井筆子の不屈の闘いに迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-12-20 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0332





●その時 歴史が動いた 「

(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2006-00-00 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)








 

 

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