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●その時 歴史が動いた 「都会の地下に夢をもとめて」 〜地下鉄の父・早川徳次〜

その時: 昭和16(1941)年7月4日
出来事: 早川が建設した地下鉄が公的機関(帝都高速度交通営団)に譲られる

事業家・早川徳次(のりつぐ)は、留学先のイギリスで、乗車制限を行い車内にゆとりを作っている地下鉄を体験する。それは近代化の途上でゆとりなどなく、満員の路面電車が往来する東京とは雲泥の差だった。こうして早川は東京での地下鉄建設を誓う。ところが当時、地下鉄建設は技術的に無理という先入観があり、出資者も集まらなかった。しかし早川は周囲から“山師”と言われながらも、必死に地下鉄への理解を求め続ける。早川が目指したのは、安全性や快適性というこれまでの日本では顧みられなかったサービスを向上し、人びとの暮らしの質を高める地下鉄の実現だった。昭和2年12月30日、早川は上野・浅草間に日本で初めての地下鉄を開通させた。これが現在の地下鉄銀座線である。その後、私鉄各社や東京市が地下鉄事業参入の機会をうかがって競争が始まり、早川の思ってもみなかった結末を迎えることになる。早川が作り現在も高い品質を維持している地下鉄トンネルの検証、また生前の早川を知る人々の証言を交えながら、地下鉄事業に賭けた早川の理想と信念を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2008-01-31(2008-01-23の再放送)
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●その時 歴史が動いた シリーズ江戸時代の危機(1)

「富士山大噴火」 〜幕府・復興への闘い〜

その時: 享保20年(1735)5月
出来事:
富士山の噴火で氾濫を繰り返していた小田原・酒匂川の治水工事が完成
幕府が小田原藩の復興を軌道にのせる

今からおよそ三百年前の宝永4年、富士山が大噴火を起こした。大量の火山灰が関東一円に降り注ぎ、特に山麓の小田原藩では酒匂川の川底が上昇したため大氾濫を引き起こす。壊滅的被害をこうむった小田原藩は自力復興を諦め、幕府に救済を求めた。この国家的危機に立ち上がったのが八代将軍・徳川吉宗だった。吉宗は、地方の治水工事に実績のあった田中休愚を現場監督に指名し、復興事業に乗り出す。しかし、そこには次々と困難が立ちはだかった。現場では、治水を請け負った江戸の商人たちが安い木材を使って手抜き工事を行わせたため、堤防が簡単に崩れ、被害が拡大していた。休愚は、この悪弊を断ち切るため地元・小田原で公正に工事の入札を行い、江戸の商人たちを排除した。さらに堤防の維持管理をめぐって被災住民たちが争いを始めた時には、彼らが公平に堤防管理の責任を負う新たな取り決めを作るなど、地元が団結して復興に取り組む道筋をつけた。しかし、休愚は志半ばで病死。そこへ台風による豪雨が襲いかかる。それでも復興を頓挫させないために、吉宗の対応は迅速であった。
日本で初めて国主導の大規模災害復興事業を行った吉宗と彼を支えた人々の闘いを描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2008-01-30 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->E 0681





●その時 歴史が動いた シリーズ江戸時代の危機(2)

「天明の飢饉 江戸を脅かす」 〜鬼平・長谷川平蔵の無宿人対策〜

その時: 寛政2(1790)年5月
出来事: 無宿人たちの授産・更生施設「人足寄場」から初の出所者が出た

18世紀後半の江戸後期、未曽有の危機が江戸幕府を襲った。天明の飢饉である。飢饉は全国で数十の死者を出すだけなく、村を捨て身元不定となった大量の「無宿人」も生んだ。当時多くの無宿人が食糧を求め、江戸に流れ込んでいた。無宿人たちは江戸でも食いぶちを見つけられず、食うに困って窃盗などの犯罪に手を染めていく。幕府は治安維持のため無宿人を取り締まるが、犯罪は跡を絶たなかった。そこに立ち上がったのが、小説「鬼平犯科帳」で有名な火付盗賊改・長谷川平蔵である。取り締まるだけでは無宿人の犯罪はなくならないと考えた平蔵は、彼らを自立して生活できるように変えることで、犯罪の原因を元から絶とうと考える。そして幕府に願い出て、無宿人を更生し、職業を身につける訓練施設「人足寄場」を設立する。平蔵は無宿人たちのやる気を引き出し、3か月後には第1号の出所者を出す。その後も毎年200人が出所し、無宿人の犯罪は減り、江戸の治安は回復していく。番組では、飢饉が生んだ大量の無宿人の問題に、先進的な社会救済策で対処して江戸の治安を守り抜いた、鬼平こと長谷川平蔵の知られざる功績に迫る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2008-02-14(2008-02-06の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「音楽の市民革命」 〜神童モーツァルトの苦悩〜

その時: 1791年9月30日
出来事: モーツァルトのオペラ「魔笛」が初演される

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」や「トルコ行進曲」などの曲で今も世界中の人びとから愛されるモーツァルト。その明るい音楽とは裏腹に、意外にもモーツァルトの生活は苦悩に満ちていた。モーツァルトが活動を始めた時代、音楽家は王や貴族、教会に雇われ、注文に応じて作曲する職人でしかなく、自由な表現活動が出来なかったのである。時に身分の違いを背景に作曲内容にまで介入される弱い立場に、モーツァルトは強い不満を感じていた。しかし、18世紀後半になると、ヨーロッパでは王や貴族、教会といった、それまでの特権階級を否定する市民革命の思想が広まり始めた。時代の転換を敏感に見抜いたモーツァルトは、音楽家にとって最大の檜舞台だったオペラで、市民に向けた音楽をつくることを決意する。フランス市民革命から2年後の1791年、そうして生まれたのがオペラ「魔笛」だ。自由・平等の思想を盛り込んだこのオペラは、その後「市民の音楽」としてヨーロッパ中の劇場に受け入れられていく。特権階級のものだった音楽を、多くの市民に解放したモーツァルト。番組では、一昨年の生誕250年に次々に明らかになった資料や研究成果をもとに、市民のための音楽を求めて闘ったモーツァルトの苦難の道のりを描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2008-04-15(2008-04-09の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「人を衛(まも)る都市をめざして」 〜後藤新平・帝都復興の時〜

その時: 昭和5(1930)年3月26日
出来事: 関東大震災後の復興作業が完了する

関東大震災後の復興プランを手がけ、現在の東京の原形をデザインした政治家・後藤新平。もともと医者だった後藤は、社会を生物の体にみたて、「人と人とのつながりがうまく機能することで世の中が発展する」という独特の思想を抱いていた。後藤のこの考えは、関東大震災後、帝都復興院総裁として東京の復興を任された際、「区画整理」という新たな都市計画プランの実現につながっていく。“社会の医者”とよばれた後藤新平の情熱と信念を描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2008-06-09(2008-06-04の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「移民は共存共栄の事業なり」 〜ブラジル移民100年〜

その時: 明治41(1908)年6月18日
出来事: 日本人移民が初めてブラジルに到着

今年6月に100周年を迎える日本人のブラジル移民。現在、ブラジルにはおよそ150万人の日系人が暮らし国の発展を支える。このきっかけを作ったのが「ブラジル移民の父」といわれる水野龍。富国強兵の時代、水野は生活に苦しむ人々を救おうと、移民も移住先の国も豊かになる共存共栄の移民事業を志す。そして移住先に選んだのが移民を歓迎するブラジルだった。
初めてブラジルへの移民事業を手がけた水野の理想の行方を追う。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2008-06-24(2008-06-18の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「日本人の心を守れ」 〜岡倉天心・廃仏毀釈からの復興〜

その時: 明治36(1903)年5月1日
出来事: 現在の文化財修理の基本原則となっている「現状維持修理法」にて東大寺仏像修理が成功する

大勢の観光客が訪れる古都・奈良。出迎えるのは1000年以上のときを経て今に伝わる仏像の数々。しかし今から140年前、それらの寺や仏像は消滅の危機に瀕していた。きっかけは明治維新の最中に起きた仏教排斥運動、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)。仏像は壊され、薪として燃やされてしまう。仏像を救おうと立ち上がったのが近代日本美術の発展に多大な功績を残した岡倉天心だった。急激な西欧化を批判した天心は、文部官僚として10年間で21万件もの仏像や文化財を調査、文化財保護の法律を作るよう訴えるなど、その保護に力を尽くす。しかし、いよいよ東大寺法華堂の不空羂索(ふくうけんさく)観音像の修理に取り掛ろうとした時、天心は問題に直面する。つまり「仏像は部分が欠けていると信仰の対象となりにくいが、かと言って闇雲な修理をすれば美術品としての価値を損なう」ということだった。悩んだ末、天心は美術と信仰の両方の価値観を満足させる「現状維持修理」という方法に行き着く。仏像保護を通じて、そこに込められた「日本人の精神性」を守ろうとした岡倉天心。番組では、本質を見抜く目を持った天心の生涯を追い、捨て去られようとしていた日本古来の伝統美術が、いかに今日の我々に伝えられたか、その知られざるドラマを描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2008-08-16(2008-05-14の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「模擬原爆パンプキン」 〜秘められた原爆投下訓練〜

その時: 1945(昭和20)年8月6・9日
出来事: 広島・長崎に原子爆弾が投下される

1945(昭和20)年8月、アメリカ軍によって広島・長崎に投下された原子爆弾。ここに至るまでに“もうひとつの原爆”があったことが近年明らかになった。「模擬原爆パンプキン」。原爆が投下される直前の7月下旬からの日本本土での予行演習のため、プルトニウム原爆と形も大きさもそっくりに作り、大量の爆薬を詰めた巨大爆弾である。愛知県や山口県の教師たちがアメリカ軍の原爆投下作戦を詳述した記録を発見。調査からパンプキンのべ49発が繰り返し日本の各地に落とされ、400人以上が死亡、負傷者も1200人以上にのぼることが判明した。アメリカ軍は、パンプキンを原爆投下予定地の周辺に落とすとともに時には市街地であればどこでもかまわずこの爆弾を投じていたのだった。番組では、秘められたパンプキン投下の悲劇を明らかにしながら、日本の市街地を標的に進められた原爆投下計画の舞台裏を、米軍資料や研究者・空襲被災者の証言をもとに描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2008-08-27 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->E 0584





●その時 歴史が動いた シリーズ・日本降伏(後編) 「帝国最大屈辱ノ日ナリ」 〜9月2日・降伏文書調印〜

その時: 昭和20(1945)年9月2日
出来事: 米戦艦ミズーリで日本と連合国が降伏文書に調印

昭和20年「8月15日」と「9月2日」という2つの転換点を描く2回シリーズ。後編は玉音放送以後、日本が連合国に正式に降伏した9月2日の降伏文書調印に至る、知られざる19日間をひもとく。日本史上例のない国際的な降伏手続き。予測のつかない連合国からの要求・指示や、降伏を認めようとしない人々の抵抗により、指導者たちの対応が混迷を深めるなか、運命の調印が近づく−。番組は、降伏文書調印までに何が起きたのかを克明に描き、戦後の日本人が抱える意識の原点を見つめ直す。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2008-09-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0894

> 前編はDR-643にあり





●その時 歴史が動いた 「“源氏物語”誕生」 〜名作に秘められた奇跡〜

その時: 寛弘5(1008)年11月17日
出来事: 「源氏物語」が一条天皇に献上される

およそ千年前に書かれ、世界最古の長編小説とされる「源氏物語」。時代を超えて読む者を共感させる恋愛描写と、宮中の政治抗争などのリアルな描写は、なぜ生まれたのか?それは、作者・紫式部の数奇な人生と文才、そして当時の時代状況が絶妙にからみあった奇跡の産物だった。「源氏物語」誕生の秘密を、紫式部の恋と悲しみの生涯と「源氏物語」の名場面を中心に、藤原道長の権力抗争を交えながら描く。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2008-11-04(2008-10-29の再放送)
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●その時 歴史が動いた 「幕末最後の60日!新政府誕生への道」 〜小松・大久保・西郷、奔走す〜

その時: 慶応3(1867)年12月9日
出来事: 新政府の誕生「王政復古」がなされる

明治維新の最終局面で活躍した薩摩藩。なかでも、2大変革・大政奉還と王政復古に貢献したのが、家老・小松帯刀と下級藩士・大久保利通、西郷隆盛だ。それは交渉・調整力に長けた小松と、政治戦略の大久保、軍事の西郷という、対照的な個性がそろったがゆえの賜物だった。雄弁な論客でありながら寛容な人柄の小松は、藩の交渉窓口として敵味方に関わらず「小松なら安心だ」と言わさしめた人物。その能力は、将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上する「大政奉還」の際に発揮された。小松は信頼感と弁舌を駆使して、徳川慶喜と朝廷の間の調整役として政権返上の実効を上げる。ところが政権は朝廷に帰したものの、その後60日間、どのような新政府を作るか話し合いさえ行われず、政治的空白が続く。臨時で徳川慶喜が政務を担当するが、それはまるで、大政奉還以前の徳川幕府が継続しているような状態だった。病に倒れた小松に代わって、大久保はクーデターによって強引な新政府設立を画策。それを西郷が軍事面でバックアップする。それが「王政復古」である。天皇中心の新政府は設立された。しかし、旧体制の長である徳川慶喜を政権に入れるか否かで、新政府の会議は紛糾する。その行方を決定づけたのは、西郷隆盛の覚悟のひと言だった?。番組では、幕末の最終局面、慶応3年10月の大政奉還から、12月の王政復古までの約60日間を中心に、薩摩の3志士、特にこれまで語られることがなかった小松帯刀の存在を基軸において描き、歴史を動かす「実行力の英雄」の陰で、それを支えた人物の役割の重要性を考える。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2008-11-19 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F0096





●その時 歴史が動いた 「戦国の“ゲルニカ”」 〜大坂夏の陣、惨劇はなぜ起きたのか〜

その時: 慶長20(1615)年5月7日午後4時ごろ 大坂城落城の時
出来事: 徳川家康が天下統一を完成させた
      同時に、戦国最大の市街戦により大坂の民衆が甚大な被害を受けた

大坂の陣。徳川家康が豊臣家を滅ぼし、天下統一を完成させた戦いとして知られている。その合戦の様子が、戦いの直後に作られた「大坂夏の陣図屏風」に克明に描かれている。屏風の右側には徳川家康や真田幸村など武将たちによる戦闘の様子、そして左側には、戦火を避けて逃げまどう民衆の姿が生々しく描写されている。屏風に描かれた通り、大坂の陣は、戦乱の世においても非常に珍しい“市街戦”であり、多くの非戦闘員が巻き込まれた戦いであった。雑兵に襲われる女性、首を斬られる農民、奴隷狩りに遭う人々??これら非戦闘員への被害が拡大した背景には、徳川・豊臣両家の思惑や、政治的、軍事的要因が大きな影響を及ぼしていたことが近年の研究によって明らかになった。さらに最近発見された史料から、この戦いは大坂の民衆を分裂させ、一族同士でさえも殺し合うという最悪の事態を引き起こしていたことが分かってきた。番組では、戦国史上最大の市街戦・大坂の陣を、民衆の視点から捉えるとともに、なぜ被害は拡大したのか、屏風や新たな研究成果を元に合戦の内実を読み解き、その真相に迫る。
(text from NHK site)

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NHK総合 45min 2008-11-26(2008-06-25のアンコール放送) --->F0057
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●その時 歴史が動いた 「平安京誕生」 〜千年の都に秘められた苦闘〜

その時: 延暦13(794)年11月8日
出来事: 桓武天皇が新しく開いた都を「平安京」と名づける

千年の都・京都の原点「平安京」。その誕生の裏には、時の桓武天皇をめぐる血ぬられた争いと苦悩が秘められていた。奈良時代の末、平城京での激しい権力闘争の中で桓武天皇は「遷都」によって政治体制の一新をもくろむ。しかし極秘裏に進めた最初の遷都は大きな反発を呼んだ。窮地に陥った桓武天皇はさらなる遷都で理想の都作りをめざす。「平らかで安らかな都=平安京」と名づけた桓武天皇の思い、そして京都誕生の時を描く。番組では、桓武天皇が最初に都を移した京都の西隣の「長岡京」にも注目。近年の発掘調査によって、これまで平安京遷都までの仮の都と考えられていた長岡京の実像が明らかになってきている。長岡京は水運や衛生の利便を計算に入れ、それまでの奈良平城京の弱点を克服しようと計画的に造営された本格的都市だった。桓武天皇の幻の都・長岡京の実像もCGなどをまじえて紹介する。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 45min 2008-12-17 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0724





●その時 歴史が動いた 「

(text from NHK site)

ノイズなし??
NHK総合 45min 2008-12- Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





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NHK「その時歴史が動いた」が終わる

1月16日8時2分配信 サンケイスポーツ 2009


NHKの歴史情報番組「その時歴史が動いた」(水曜後10:00)が3月いっぱいで終了することが15日、分かった。9年間続いた長寿番組。同局の番組編成全体の見直しの中で決定した。司会を務めるフリーアナ、松平定知キャスター(64)の名調子も見納めになる。4月8日からは、内容を一新した歴史情報番組「歴史秘話ヒストリア」をスタートさせる。

「きょうのその時は、2009年3月25日といたしました。この日は永らくみなさまに愛された『その時歴史が動いた』が終了となる日です」。松平キャスターなら、こんな名調子で別れを告げるかもしれない。

関係者は、番組終了は「新年度の全体の見直しの中で決まりました。5年をひと区切りとして、5年以上続いた番組の内容、出演者を変えてリニューアルするかどうかを毎回検討しています」と説明。これまでにも同様の理由で2005年に、00年にスタートしたドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち」が終了している。

「その時−」は00年3月29日に放送開始。人間ドラマの決定的瞬間、決断と決行の時に、人は何を考え、どう動いたのか、歴史上の“その時”にスポットを当て、人間模様を描いてきた。番組が佳境に入った際の「さて、いよいよ、きょうのその時がやってまいりました」や、「本日はご覧いただきありがとうございました」でエンディングを迎える松平キャスターの“決めゼリフ”も、番組を盛り上げた。

民放各局も人気番組を放送する水曜10時枠(現在はフジテレビ系「爆笑レッドカーペット」やテレビ朝日系「報道ステーション」など)で、「その時−」は視聴率でも健闘。2ケタ以上の数字をマークし、関東地区の最高は03年2月26日放送の「緊迫の二十四時間 新資料が明かす二・二六事件の内幕」で16.7%(ビデオリサーチ調べ、以下同)だった。

だが最近は、前回(14日)が8.0%、前々回(7日)が9.6%とやや低調。関係者も「長く続けてきて、現在のコンセプトではネタ枯れになってきた」と“マンネリ化”を心配しており、これもリニューアルの一つの原因になったとみられる。

後番組は「歴史秘話ヒストリア」で、4月8日にスタートする。コンセプトは「歴史上の秘密の物語を明らかにする」。明治維新までの日本の歴史を取り上げる。歴史に詳しい俳優やタレントの男女3、4人が交代で「案内人」として出演する予定で、メンバーは2月に発表する。
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