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●ETV特集 「病院を“診断”します」 〜“医療機能評価”の成果と課題〜

誰だっていい病院にかかりたい──適切で安心できる医療を求める声はいつの時代も、高い。しかし選ぶために必要な情報はマスコミや口コミに委ねられてきたのが実情だ。これでは客観性が十分でないという不安から病院の機能を評価する第三者機関の必要性が医療界内外から高まり、10年あまり前「日本医療機能評価機構」が作られた。ここは、希望する医療機関に対し病院の理念や組織的基盤、安全な医療を行う仕組みなどさまざまな機能を点検、一定の基準を満たせば「優良」を意味する認定証を出す。評価によって病院の信頼が高まるだけでなく点検作業の過程で職員の自覚が促され、患者本位の医療が実現するメリットがあるとされる。こうした意識の広まりで現在、認定病院は全国で2000を超えた。国の医療費削減を背景に、病院は経営努力が求められている。また、患者が主体的に医療へ参加するためにも医療の情報開示や客観評価は一層重要となっており、共通のモノサシである機構の役割が注目されている。番組では、機構の作業を通じ日本の病院のあり方を考える。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 90min 2007-01-06 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0954





●ETV特集 「にっぽんの地方を歩く」 〜民俗学者 宮本常一のまなざし〜

「私は地域社会に住む人たちが本当の自主性を回復し、自信を持って生きてゆくような社会を作ってもらいたいと念願してきた。地域社会の中にそういう芽を見つけたい、その芽が伸び育ってほしいと思った。」今年、生誕100年を迎える民俗学者・宮本常一が静かなブームになっている。疲弊する農漁村では、地域振興に生涯をかけた宮本に学ぼうというムーブメントも起きている。これは、宮本常一のまなざしから、現在の日本の地方を見てゆこうとする試みである。宮本常一は“歩く人”だった。日本中の村という村、島という島を歩き、その行程は16万キロ、地球4周分に達した。土地の古老から伝承や暮らしぶりを聞き、『忘れられた日本人』など、おびただしい著作を残した。宮本はまた“実践の人”だった。宮本にとって地方は研究の対象であると同時に、そこで暮らす人々がどうすればもっと豊かに幸せになれるかを考え、実践する場であった。新しい農業技術を伝え、村おこしの知恵をしぼり、離島振興に奔走した。宮本常一は、日本の地方で何に出会い、何を考えたのか。そして宮本が愛した地方は今、どんな現実に直面しているのだろうか。番組では、宮本が残した著作やスナップ写真を手がかりに、かつて宮本が訪れた土地にその足跡を追い、土地の現在を見据えてゆく。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2007-02-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0599

>NHK映像ファイル あの人に会いたい 「民俗学者・宮本常一」(2007・EL1200)あり 





●ETV特集 「“生”のかたち」 〜難病患者たちのメッセージ〜

「ALS」──全身の筋肉が動かなくなる難病で、発症後数年で呼吸する力が衰えるため、患者は、気管切開し、人工呼吸器をつけるか否か=生きるか、死ぬか の選択を迫られる。かつては死に至る病として、告知すらさけられてきた病だったが、ポータブルの人工呼吸機器等の普及、そして四年前に学会で治療の「ALSガイドライン」がまとめられると、呼吸器を装着し、積極的に社会に出て活動する人々が増えてきた。現在日本では7000人といわれる患者のうち、三割が人工呼吸器の装着を選択する。これは世界的にも非常に高い数字である。そんな中、あるALS患者の呼びかけによって、全国の患者や家族の「人工呼吸器」をめぐる体験記を集めた、「生きる力」が、2006年11月下旬に出版されることになった。そこには、一度は生きることに絶望しながらも、呼吸器によって取り戻した「生への希望」。家族のためにあえて呼吸器装着を拒んで生き ることを選択した「苦渋の決断」。そして、「生と死」の決断を見守る家族の「葛藤」が克明に記されている。みずからの「生と死の選択」に直面するALSの患者とその家族。昨今、終末医療を巡るさまざまな事件から、「尊厳死」や「死ぬ権利」の問題が議論される中、尊厳ある「生」を選択した人々の告白を読み解くことで、生きることの意味を改めて問う。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 90min 2007-02-24 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->A





●ETV特集 「追いつめられた村の記録」 〜長野県・王滝村〜

北海道夕張市の財政破たんが注目を集めているが、実は破たん寸前にまで追いつめられた町や村は日本中にひしめいている。地方自治体にとっては、まさに「冬の時代」だ。かつて木曽ヒノキの伐り出しで賑わった長野県王滝村。村はずれの滝越地区は11戸19人が暮らす過疎の集落だ。住民のほとんどはお年寄りだが、そのなかに、一人だけ元気な声を響かせる子どもの姿がある。静かな山里のたたずまいに惹かれて移り住んできた若夫婦のあいだにできた3才の女の子、ほのちゃん。滝越地区では32年ぶりに生まれた子どもである。ほのちゃんの両親には、いま大きな悩みがある。村営スキー場の経営に失敗、財政危機に追いつめられた村役場が、滝越地区と村の中心部を結ぶバス路線を廃止してしまったのである。学校まで冬は凍結する道を車で走って30分、バスがなくては通学はままならない。ほのちゃんが学校に上がるときには、大好きな滝越を去らなければならなくなるかもしれないという。滝越のお年寄りたちも、バスがなくなったことで、病気になったら生まれ故郷で暮らせなくなった。平家の落人が隠れ住んだことから始まるという山里の暮らしに崩壊の影が忍び寄る…。国が新たに採用した財政指標「実質公債費比率」(自治体予算に対する借金返済の割合)からいえば、財政破たんした夕張市より苦しい自治体が全国に7市町村、王滝村もそのひとつだ。三位一体改革など、国の政策にほんろうされる「地方」の現実を見つめるドキュメンタリー。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2007-03-31 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->E 0759





●ETV特集 「カネミ油症事件は 終わっていない」 〜長崎・ダイオキシン食中毒の実相〜

家族の食卓に忍び込んだ猛毒。ある者は死に、ある者は絶望を抱えながらその後の人生を歩み続けた…。西日本各地で1万4千人もの被害届が出された食品公害、カネミ油症。事件発覚から38年を経て、埋もれた被害にようやく光が当たろうとしている。長崎県五島列島の南部・五島市。ここはカネミ油症事件がもたらした悲劇の縮図だ。全国の認定患者の4割が同市の島々に集中する。その一つ、 奈留島(なるしま)では150人近い被害者が出た。ここで生まれ育った主婦の宿輪敏子(しゅくわ としこ)さん(45)は、小学時代に油を口にして以来、重いけん怠感や突然の内出血などさまざまな健康被害に悩まされている。6年前、厚労省の見解に宿輪さんは衝撃を受けた − 「原因物質はダイオキシン」。ダイオキシン被害であることを知ってから、宿輪さんは被害者や関係者を訪ね歩いての聞き取り調査に乗り出した。医者から見放された健康被害、奇病といじめられた辛い思い出、家族や地域のきずなの崩壊、子どもや孫にまで及ぶ猛毒の影響への不安…。放置されてきた現実が録音テープに次々と収められている。この春、国会では、与党の法案提出で患者救済がようやく審議される。事件は何をもたらしたのか。なぜ被害の拡大を防ぐことができなかったのか。番組では、宿輪さんの取り組みを通して、国内最大級の食品公害にして、“ダイオキシンを食べた世界で初めての食品公害” でもあるカネミ油症事件の実相に迫る。
(text from NHK site)

ごく軽いノイズ
NHK教育 60min 2007-04-15 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->E 0832

> <カネミ油症>控訴審敗訴、原告団長「人生狂わされたのに」 毎日新聞 2014年2月24日(月)19時12分配信
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「何十年も苦しみ、人生を狂わされた被害者に司法は寄り添っていない」。一連の集団訴訟後に認定されたカネミ油症患者が賠償を求めた訴訟は24日、2審の福岡高裁も、請求を棄却した1審福岡地裁小倉支部判決を支持し、患者側が全面敗訴した。原告団共同団長、森田安子さん(60)=福岡県大牟田市=は、判決後の記者会見で声を震わせ無念を訴えた。長崎県五島市出身。中学生の頃から、亡くなった母親に代わって父や姉弟に食事を作ったが、調理に使った油はカネミ倉庫製だった。3年生の時、発作で寝たきりになり3カ月間学校を休んだ。24歳で結婚したが、3回流産。体調不良が続いたが原因ははっきりしなかった。カネミ油症が社会問題化し、2009年に未認定患者の活動が続いていることを新聞記事で知り、初めて受診。10年に患者認定された。今回の判決は「認定を受けていないことは(訴訟の)障害に当たらない」として賠償請求請求権の“時間切れ”を認定した。しかし、森田さんは「認定で原因がはっきりした。それまでは提訴できなかった」と訴える。請求を棄却した1審福岡地裁小倉支部判決に憤り、初めて実名で記者会見。控訴審で共同団長になった。訴訟は自分たちだけのためではない。「未認定患者や2世、3世などの被害も救済されていない。後に続く人のため勝って道をつくりたい。私たちが闘わないと」。このままあきらめるわけにはいかない。【山本太一】





●ETV特集 「ホワッツ テラヤマ?」 〜再考・団塊の青春〜

時は1960年代末、詩作、演劇、映画、果ては競馬評論まで、手段を選ばず、時代を挑発した寺山修司は、若者たちのカリスマだった。当時の若者はいわゆる「団塊の世代」、就職、進学で100万人を超える若者が故郷を離れて東京に集まった。映画館、喫茶店、銭湯が乱立し、街は巨大な学園祭の様相を呈する。フォークブーム、ヒッピー、アングラ演劇、学生運動。かつてないムーブメントが首都を席巻した。寺山は全国から「家出人」を集めて、演劇実験室「天井桟敷」を結成。「見世物小屋の復権」を掲げて世間の良識を挑発した。「一寸法師の身長は10メートルでも、2センチでもいいじゃないか」。寺山はいわば時代という見世物小屋の興行師だった。しかし1970年になると、寺山たちの祭りは大阪万博という国家による祭典にとって代わられる。学生運動は終息に向かい、団塊の若者達は次々と長髪を切り、背広に着替えていった。寺山的興奮はその後の管理社会の進展のなかで忘れられていく。今年は「天井桟敷」が結成されてちょうど40年。団塊の世代は定年退職を迎えている。番組では寺山の作品、美輪明宏ら同時代の「同志」の証言、そして60年代末の若者の風俗、データを織り交ぜて、「戦後の最盛期」ともいうべき時代を振り返る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像・音声全体にノイズあり> できれば再放送を期待したい
NHK教育 60min 2007-04-29 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0852





●ETV特集 「灰谷健次郎×柳美里」 〜“いのち”を知る旅〜

「いのち」や「家族」をテーマに創作を続ける作家・柳美里が、昨年11月に亡くなった児童文学の旗手“灰谷健次郎”を巡る旅を始める……柳はかつて、灰谷を厳しく批判していた。『兎の眼』『太陽の子』など、教師としての実体験に基づく灰谷の作品は、子どもの純粋さ・優しさを強く信じ、それを守るために大人はどうあるべきかを問うた。しかし、時代が移り、学級崩壊や少年犯罪、いじめなどが問題化。灰谷の考え方は“観念論的”と批判されるよ うになった。その急先鋒の一人が柳美里だった。
「子どもは王様であるという灰谷氏の特殊な感性は、滑稽(こっけい)かつ異様であり、とても容認出来ない」 面と向かって言葉をぶつけたこともある柳。しかし、訃報(ふほう)に接した時、意外な感情がこみあげたという。
「灰谷に、12歳のころの私の人生を伝えなかったこと、深く後悔した……」
実は12歳前後、柳は激しい“いじめ”にあい、死ぬことばかりを考えていたという。その頃、灰谷の小説と出会い、むさぼる様に読んだ。しかし、灰谷の小説に描かれている、どん底の子どもと大人が手をさしのべあう世界に柳は「激しく嫉妬」。灰谷とは反対に、さしのべる手がなく痛みに押しつぶされた体験を原稿にぶつけ、自らの文学世界を構築していった。
ところが7年前、子供が生まれ、「命」「生きることの意味」を伝えようと考え始めた頃から、再び灰谷が気になってきたという。柳美里は、灰谷の小説を再読し、灰谷を知る人の話を聞き考える、「思索の旅」を始めたいと考えている。
また、今回の取材で灰谷の執筆活動を理解する上で重要な資料がいくつか発見され、より深い人間像が明らかになろうとしている。番組では、柳美里が、灰谷の作品の舞台となった神戸や、灰谷の素顔をよく知る遺族・親友を高知などに訪ねながら、12歳の「私」に再び会いに行く。その道筋で、今子どもが生きるために、大人に求められるものは何かを問う。
語り: 樹木希林 / 朗読: 内田也哉子
(text from NHK site)

>>>受信障害により映像全体に強いノイズのため消した
NHK教育 60min 2007-05-13 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●ETV特集 「言葉で奏でる音楽」 〜吉田秀和の軌跡〜

「快速で走る自動車の中で、木立や野草まで見逃さない優れたカメラのよう」。これはカラヤン指揮、ベルリン・フィルの演奏を例えた吉田秀和さんの音楽批評である。誰もが一度聞いたら忘れられない特徴的な言葉で、音楽や演奏を表現する吉田さん。それまで単に演奏の巧拙を述べるだけだった音楽評論のあり方を一変させ、多くの熱心な読者を獲得した。2006年秋には、音楽界から史上3人目となる文化勲章を受章した。吉田秀和さんは、今年94歳。戦後まもなく活動をスタート、日本における本格的な音楽評論の道を独力で切り開きながら、60年以上にわたって走り続けてきた。グールドやアルゲリッチなど、多くの演奏家を世に知らしめただけでなく、評論を文学に高めたとされる独自の文体は、若手の作家や評論家にも多大な影響を与えている。小澤征爾や中村紘子を育てるなど、教育や現代音楽の普及に力を注ぎ、今日の音楽界の礎を築いた功績も計り知れない。吉田さんの人生の足跡をたどることは、日本人と西洋音楽との関わりの歴史を紐解くことでもあるのだ。これまで言葉の力を信じて語り続けてきた音楽評論の巨星が、音楽との出会いから、未来へのメッセージまでを、存分に語る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 90min 2007-07-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0293





●ETV特集 「いのちをうたう言葉」 〜詩人 谷川俊太郎・覚和歌子〜

「見る人が、自分の内面とむきあえるような、これまでにない映像作品を」言葉を「詩」でつづり、映像はすべてスチール写真で構成するという、異色の映画「ヤーチャイカ」の制作がスタートした。監督は、詩人、谷川俊太郎さん、75歳。「二十億光年の孤独」でデビューして以来、半世紀以上、創作の第一線で活躍してきた現代詩の巨匠である。そして、原作および脚本は、映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」の作詞など、独自の作品世界で知られる詩人の覚和歌子さん。これまで、ともに朗読会などを開いてきた二人は、今、「映像とことば」をかさねて、あたらしいかたちの詩をうみだそうとしている。映画「ヤーチャイカ」は、一度は人生に絶望し、死を決意した男が、同じく心に傷を負った女と出会い、大いなる自然や星空の中で日々をすごし、そしてたった一度のやさしい夜を共有する中で、もう一度生き直そうとするまでを描くもの。はてしない宇宙、その中で生きる人間。そして、いのちのつながり。谷川さんと覚さんは、あたらしい映画作りを通して、何を表現しようとしているのか?映画の制作現場をドキュメントするとともに、自作詩の朗読もまじえ、二人の詩人としての軌跡を取材。新しいかたちの「詩」を生みだそうとする、二人の軌跡を描く。
(text from NHK site)

軽いノイズ
NHK教育 60min 2007-07-15 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0653





●ETV特集 「“屍の街”からの叫び」 〜被爆作家 大田洋子と戦後〜

人類史上初めて原爆を描いた作家といわれる大田洋子(1903〜1963)。近年取り上げられることが少なかった、いわば“忘れられた”作家だ。被爆とその後の自身の体験を、まさにその瞬間に、リアルに描いた数々の作品が今再び注目されている。

被爆の年に書き上げた最初の作品「屍の街」は、被爆後の想像を絶する状況をルポ、「自分も死ぬことを覚悟し」「作家の責任として」書いたという。その後、占領軍の報道規制の影響による“出版差し止め”、被爆体験を見つめ続けることの辛さ、戦争が絶えないことへの苛立ち、自らの死への恐怖、そして、「もう原爆はいい」と作品を受け入れようとしない「世間の人々」の目などが、大田を精神的に追い詰める。

それでも洋子は、「あの日の記憶」と「その後の被爆者の姿」を見つめ続けた。被爆の記憶にさいなまれ、心の病に陥った自分自身の姿をえがいた「半人間」(昭和29年)、「原爆スラム」の住民の悲惨な暮らしぶりを描いた「夕凪の街と人と」(昭和30年)などを発表し続けた。

原爆に翻弄(ほんろう)された作家、大田洋子は、原爆と向き合うことで、何を感じ何を訴えたかったのか、書き残した作品と関係者の証言を通して、その人生をみつめる。

【朗読】根岸季衣(女優)
(text from NHK site)

軽いノイズ
NHK教育 60min 2007-08-05 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0564





●ETV特集 「日本人と自画像」 〜東京芸術大学 4800枚の証言〜

東京芸術大学には、四年生が卒業制作に自画像を描く伝統があります。始まりは110年前の明治31年、東京美術学校以来今も続いています。その自画像を大学が買い上げてきたことで、明治から平成までの若者群像4800枚が保存され、世界に誇る貴重なコレクションとなっています。膨大な数の自画像は、一筆ごとに自分を鏡に映し、『自分は何者なのか』を問い格闘した青春の存在証明です。この自画像には未来への希望と不安が映されています。明治・大正・昭和・そして平成、時代の軋(きし)みに翻弄(ほんろう)されながら自分を描こうとした若者たちの魂が詰まっています。2007年は東京芸大創立120年の節目に当たり、NHKの番組と連動して自画像の展覧会が開かれます。大学の収蔵品は、一般には公開されていません。自画像を目にすることが出来る機会は、展覧会への出品だけですが、表に出る自画像は有名画家のものだけで、4800点の大多数が収蔵庫で眠ってきました。無名のまま生涯を終え、世に残る唯一の作品がこの自画像である例も多数あります。人の目に触れることの無かった自画像の封印をとき、知られざる作家たちの人生を発掘します。そして、近代から現代まで、日本人がどう生きたかを見つめます。
(text from NHK site)

ごく軽いノイズ
NHK教育 90min 2007-08-19 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0633





●ETV特集 「私はやってない」 〜えん罪はなぜ起きたか〜

今年の春、痴漢えん罪事件の実話をモデルにした映画『それでもボクはやってない』(周防正行監督)がヒットし、「えん罪」の問題が広く人々の関心を集めた。実際に痴漢えん罪は、警察が痴漢の取り締まりを強めた10年ほど前から頻発するようになり、社会問題にもなっている。今年はまた、富山の婦女暴行事件がえん罪だったことや、鹿児島の公職選挙法違反事件で被告たちが自白を強要されていたことが相次いで明らかになり、警察や司法への疑問の声も聞かれるようになった。えん罪はなぜ起きたのか。なぜ人は無実の罪を「自白」してしまうのか。番組ではそれぞれの事件の当事者を取材し、その理由や背景を探っていく。また番組の後半では、どうすればえん罪を防げるかを考える。最近、早期実現が叫ばれている「取調べの録画・録音」。取調べ室でのやりとりをすべて記録しておくことで、自白が信用できるかどうかを後で検証できるようにしようという試みだ。欧米のみならず韓国や香港、台湾などアジアでも採用され始めている。番組では、「積極的に取り入れるべし」という日弁連、「時期尚早」という最高検察庁や警察庁にそれぞれの理由を取材。スタジオでは作家の佐木隆三さんやジャーナリストの江川紹子さん、元最高検察庁の検事で白鴎大学大学院の院長・土本武司さん、えん罪事件を数多く手がける弁護士の秋山賢三さんらゲストが議論する。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2007-09-09 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0524





●ETV特集 「城山三郎 昭和と格闘した作家」

3月22日、「昭和」と格闘し続けた作家が、生涯を閉じた。作家 城山三郎、享年79。「落日燃ゆ」、「小説日本銀行」、「粗に野だが卑ではない」など数々のベストセラーで多くの人々を魅了した城山三郎。作家生活45年、一貫して描き続けたテーマは「戦争」だった。17歳で海軍に「志願」、国の為に純粋に命を投げ出そうとするが、上官達の不条理に傷つけられた。その体験を描いた小説「大義の末」。東京裁判で一度も自己弁護をせず、従容として戦争責任を負い処刑された首相 広田弘毅の評伝「落日燃ゆ」。特攻隊員として指名された青年将校の苦悩と、遺された家族の軍隊への痛憤を記した遺作「指揮官たちの特攻」。いずれも軍隊という「組織」が「個人」を蹂躙(じゅうりん)した「昭和」という時代と格闘した結果、生まれた作品だった。戦争体験が「精神の火傷(佐高 信)」となり癒えない心の傷になった城山は晩年、再び戦争中の日本に戻してはならないと、個人情報保護法案に反対。「もし法案が通れば、「言論の死」という碑(いしぶみ)を作り、賛成した議員の名前を全て列記する。」と、時の首相に直談判までして訴え続けた。番組では作家 城山三郎の原点となった戦争体験、そこから生まれた作品群を取材。遺族を含め、関係者の証言を元に、「昭和と格闘した作家」城山三郎が残した「遺言」を探る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2007-10-04(2007-08-12の総合での再放送) --->D 0917
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●ETV特集 「21世紀を夢見た日々」 〜日本SFの50年〜

世界中の若者を魅了するアニメやマンガ、ゲームなどのジャパニーズ・サブカルチャー。その源流をたどって行くと、戦後独自の発展を遂げた日本のSF文学に突き当たる。この夏、横浜で開かれた大規模なSFの国際大会でも、日本のSFにあらためて注目が集った。日本にSFのファンクラブが生まれて50年。伝説的なSF作家たちのグループ、「SF作家クラブ」が結成されて45年。星新一、小松左京、筒井康隆、手塚治虫など、SF作家クラブのメンバーは、文学の枠にとどまらず多方面で縦横の活躍を果たし、黄金の60年代と呼ばれるようになる。鉄腕アトムやウルトラシリーズなどがそこから生まれていった。彼らが育んだSFの「遺伝子」は、70年代半ばから音楽、映画、小説、アニメへと、さまざまなジャンルに広がり、世紀末を挟んで「オタク文化」の豊穣な世界を作り上げて行った。高度成長期の日本に生まれ、半世紀を経て世界に認められるようになった、日本SF。その50年にわたる歴史をたどりながら、育まれた遺伝子がどのように発展し現代日本文化を生み出したのかを浮き彫りにする。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 90min 2007-10-21 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0792





●ETV特集 「誇りをもって 笑顔をみせて」 〜認知症を生きる夫婦の物語〜

「人格欠損。彼らはもう終わった人間。」有吉佐和子がベストセラー『恍惚の人』でこう表現してから35年。「痴呆」は「認知症」と名称が変わり、今、「本人」が思いを語り、本人自ら「私らしい生き方」を模索する時代へと、転換期を迎えている。京都府長岡京市の井上公恵さん(58)は、アルツハイマー病と診断されて8年が経つ。夫の正さんが、自宅での介護を続けてきた。症状が進み、言葉によるコミュニケーションは出来なくなったが、まだ感情は残っている。終末期を迎えつつある中、どうすれば公恵さんが”笑顔”をたもちながら人生を全うできるか、模索する日々が続いている。大分市の足立昭一さん(58)は初期のアルツハイマー病と診断されて1年。今年3月、サラリーマン生活に終止符をうった。しかし、仕事一筋だった自分の人生をふりかえり、「もう一度だけ、仕事をしたい」と、妻の由美子さんと、”生き甲斐”を求め、再就職の道を探り続けている。認知症の症状は確実に進行し、「希望の山」と「絶望の谷」の間を行き来しながら、「私らしさ」を追い求めている井上さん、足立さん夫妻。番組は、二組の夫婦の日々に密着、「認知症になっても私らしく生きたい」と願う本人たちの日々の格闘、彼らを支える妻や夫の切なる思いを描く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 60min 2007-11-25 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0447





●ETV特集 「こうして町はよみがえった」 〜“移住”先進地・北海道伊達市〜

来年のサミット開催地・洞爺湖にほど近い人口3万7千の北海道伊達市。深刻な財政難に悩んでいたこの町は、8年前から「伊達方式」と呼ばれる方法で劇的な活性化を遂げ、注目を集めている。伊達市は全国に先駆けて“移住者”の積極的な獲得に乗り出し、それに際して必要となる住宅建設、サービス産業などの事業を徹底的に精査。「持続可能」なものを民間企業に担わせる事にしたのだ。「官」が打ち出したビジョンは地元信金や企業といった「民」を動かし、全国でも例をみない官民連携の形ができてゆく。これにより、鳥取県を除く全都道府県から2千人以上の移住を実現し、波及効果として病院や介護施設といった新たな雇用も生みだすことに成功、有効求人倍率も全国平均を上回る好景気を実現した。この「民」の一翼は、実は移住者自身によって担われている。移住希望者への情報提供や生活サポートなどを行なう”移住コンシェルジュ”の業務を市から委託されているのは、社員11人の情報サービス会社。社員のほとんどは、30〜40代で伊達に移住してきた人たちだ。彼らはいま、移住支援の業務から一歩踏み出し、移住者と地域住民をつないだ活性化の担い手として動き始めている。小さな町で官民一体となって挑んだ伊達市の取り組みから、”地域再生”の可能性を探る。
(text from NHK site)

ごく軽いノイズ
NHK教育 60min 2007-12-16 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0786





●ETV特集 「熊井啓 戦後日本の闇に挑む」

今年5月、「最後の社会派」と呼ばれた映画監督、熊井啓が他界した。享年76。倒れる前夜まで、新作の企画を練っていたという。「元旦にも脚本を書いているような人。映画の鬼だった」と妻の明子さんがいうほど、映画ひと筋の生涯だった。熊井はデビュー作の「帝銀事件・死刑囚」をはじめ、「日本列島」「海と毒薬」など、終戦前後の時代の闇に光を当て、日本人とは何か、戦後の日本はどうあるべきかを鋭く問う映画を撮り続けてきた。硬質な作風が流行と合わず、「時代遅れで古臭い」と批判されることもあったが、愚直なまでに自分のスタイルを変えなかった。なぜ熊井は時流に逆らって頑固に「社会派」であり続けたのか。その背景には、終戦当時のみずからの体験があった。信じていた価値が崩壊し、豹変する大人たちを目の当たりにして「日本人とは何か、いかにあるべきか」という強烈な疑問が心の奥底に芽生えていく。やがて映画の世界に飛び込んだ熊井は、およそ半世紀にわたって映画を撮り続け、その疑問をスクリーンの向こうから私たちに投げかけていたのではないだろうか。番組では、渡辺謙、加藤剛、奥田瑛二、栗原小巻ら俳優やスタッフ、学生時代からの親友、さらに熊井を支え続けた夫人でエッセイスト熊井明子さんらの証言をもとに、日本の戦後の闇に挑み続けた熊井監督の生涯を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2007-12-23 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F0368





●ETV特集 「生きづらい時代の大人たちへ」 〜シンガー・馬場俊英のメッセージ〜 [10分追加の特別版]

いま30代から40代の大人たちの心を捉えて離さない、異色の経歴を持つシンガーソングライターがいる。馬場俊英・40歳。人は彼を「再チャレンジの星」と呼ぶ。馬場は28歳でデビューしたもののほとんど売れず、わずか4年で契約打ち切り。しかしあきらめずに自主制作CDを出すなどの活動を続け、おととし38歳の時、再び同じレコード会社とメジャー契約を果たす。みずからの挫折と再出発を歌ったシングル“Boys On The Run”がじわじわとヒットチャートを上昇、全国各地のライブチケットも即日完売の状態である。馬場の歌に魅せられる人の多くが30〜40代の「中間管理職世代」。バブルのころに学生時代を過ごし空前の好景気に職を得たが、何も疑わず身を投じた企業社会はあえなく崩壊。旧態依然たる「カイシャ」と新感覚の部下、新旧の価値観の板挟みになりながら、懸命に走り続けてきた。馬場のライブでは、ある不思議な現象が起こる。他のアーティストではあり得ない、実に9割ものアンケートが観客から回収され、家族にも誰にも言えない人生の悩みや苦難が用紙いっぱいにつづられるのだ。転職、離婚、子育て、うつ、不妊…。この先社会の中核を担う30〜40代の“いま”を映す「データベース」は2万枚を越えている。番組では、馬場の歌にみずからを重ね合わせ再出発に挑む人々の日常を追い、「生きづらい時代」を懸命に生きようとするこの世代に投影される現代社会の一断面を読み解いていく。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 70min 2007-12-31 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F0373





●ETV特集 「


(text from NHK site)

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NHK教育 60 or 90min 2007-1 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)








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