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●ETV特集 「コメ作りは家族の絆」 〜新潟・脱サラ農家 棚田の1年〜

山間に棚田が広がる新潟県十日町市松之山。「日本の原風景」と言われるこの集落に6年前、自給自足の生活を目指して移り住んだ家族がいる。自動車メーカーに勤めていた元サラリーマンの戸邊秀治さん(56歳)一家。戸邊さんはエネルギーを大量消費する現代社会に疑問を持ち、30歳で退社。山形県の農家に4年間通い有機農業を学んだ。松之山に来た戸邊さんは、環境に配慮する農業に徹底的にこだわり、機械を使わない人力・無農薬・不耕起というやり方でコメ作りを始めた。昨年度、収穫したコメを初めて市場に出したところ、ヒョウタンからコマ。抜群の食味と安全性が評価され、キロあたり2800円という日本一高いランクの価格が付くという、本人も驚く事態となった。戸邊さんは、他の農家と違って種籾(たねもみ)を農協から買わず、自前で田んぼに直播きする。農薬も化学肥料も使わずに育て、ほかの農家より1か月遅く田植えをする。この方が茎も太く大きく育っているので雑草にも負けず病害虫にも強いという。それはかつて実践されていた伝統農法。しかしムラ人たちは、「今さら手間のかかる無農薬栽培は出来ない」と冷ややかだ。過疎と高齢化に悩む山村で、波紋を広げる戸邊さん一家。その生活もユニークだ。燃料は薪。水は山の湧き水を使い、お金をできるだけ使わない生活を目指している。子どもたちは薪割りや食事作り、掃除などを手伝い、自家米や自家野菜の夕飯を毎日そろって食べる。「学歴は必要ない」と、長男(21歳)は中卒後、将棋の道に入りプロ棋士となった。次男(17歳)は中卒後、調理師免許を取り、渋谷の飲食店で働いている。自立した二人を除く三人の子どもたち、そして妻。独自の信念を貫く戸邊さんの生き方は、家族に支えられている。棚田が広がる豪雪地帯。四季折々の風景を織り込みながら、戸邊さん一家の暮らしと村人たちとの交流を一年間にわたって記録した。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2008-02-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->E 0111





●ETV特集 「人間国宝 弥生の謎に挑む」

鳥取県の弥生遺跡・青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡は、土壌が特殊な粘土質のため、普通なら腐ってしまう木器・鉄器・人骨が大量に出土、三内丸山級の価値を秘めた「弥生のタイムカプセル」といわれる。一方、狭隘(きょうあい)な湿地から1万2千点もの精巧な木器が出土したため、その「謎」に考古学界の関心が集まっている。誰が、何のために、どうやって美しい木器を作ったのか。そしてこの集落はどんな役割を持つ村だったのか。 その謎を解こうと、出土した木器の復元に3人の人間国宝が挑もうとしている。川北良造、村山明、中川清司という国内最高峰の木工芸作家たちだ。さらに気鋭の考古学者たちが協力に名乗りを挙げた。人間国宝の強い希望で、ノミや小刀など工具も遺跡出土鉄器の復元品を使う。その気迫の作業から弥生人の「木」への造詣が読み解かれ、さらに日本人がなぜ「木の文化」を作りあげたのか、原点が浮かび上がる。一方、学者達の最新の研究は、この遺跡が高い技術を持った日本最初期の「職人」が活躍する場だったこと、材木など原材料の搬入・加工品の海上輸送を最優先の機能とする「工房中心の集落」だったことを明らかにしつつある。従来の稲作中心の弥生時代観を大きく変える、新しい知見である。番組では、青谷上寺地遺跡の謎をひもとくことで、商工業に彩られた新しい弥生時代像を提示するとともに「モノ作りの国」そして「木の国」である日本の原点に迫る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 60min 2008-02-17 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->B 0099





●ETV特集 「いのちの声が聞こえますか」 〜高史明・生と死の旅〜

今、3万人を越える自殺者、子殺し、親殺し、バラバラ殺人、根深いいじめの闇など21世紀の現代日本は混迷の極みにある。作家・高史明(コサミョン)氏(74才)。自身、最愛の一子を12歳での自殺で亡くした高史明は、科学と理性だけでは解決できない現代の社会のひずみや心の闇と対峙してきた。今、行き着いた親鸞の“絶対他力”と独特の“いのち”の思想からしぼり出す高史明の言葉は多くの人々を魅きつける。聞き手は全国の中・高校生から宗派を問わぬ寺院、病院、ホスピス、そして地震被災地などの老若男女。
高史明がさまざまな「いのちの現場」に足を運び、そこで奮闘する人々と「人間の生と死」を考える。さらに高氏の言葉に共鳴する爆笑問題の太田光との対話を通して、“いのち”の思想に至る高氏の内面の世界に迫り、混迷の現代を生きる思想とは何か、最後に我々を支えうるものは何かを探り出してゆく。
(text from NHK site)

太田光 対話その1/小児科医・細谷さんとの対話/香蘭女学校/親鸞御通夜法要/
太田光 対話その2/北千住旭クリニック/内科医・内藤さんとの対話/平安学園中学/
太田光 対話その3

ノイズなし
NHK教育 90min 2008-03-30 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0143

> 2020-05-30|こころの時代 −宗教・人生− 選 「末法の世を生きる」@DIGA DMR-BCT1060 あり





●ETV特集 「福知山線脱線事故 ある遺族とJR 3年間の対話」

107人が亡くなったJR福知山線脱線事故から2008年4月25日で丸3年がたつ。NHKは、事故直後から節目ごとに行われてきたある遺族とJR西日本の社長や幹部との対話を記録し続けてきた。かけがえのない肉親を失った遺族と、事故を起こしてしまった企業。両者は3年に渡る対話の中で互いに何を思いながら何を話し合ってきたのか?事故にかかわる3年間の出来事と照らし合わせ、ある遺族とJR西日本の対話を見つめる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2008-05-04 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0569





●ETV特集 「手の言葉で生きる」

「私たちは“聴覚障害者”ではありません。“手話を使う人”です」  「手話」がどのような言語であり、「手話を使って生きる」ことがどのようなことなのか、私たちは本当に知っているだろうか。 じつは「ろう者」の人たちがネイティブに使う独自の手話は、「日本語」の文法とは異なった言語なのである。神奈川県立平塚ろう学校、小学2年生の教室。小さな手をひらひらとさせて、5人の子どもたちが日本語の勉強をしている。幼いころから耳の聞こえない「ろう者」独自の手話で生きてきた子どもたちが、初めて日本語を習う教室である。カルタをとってひらがなを覚え、手話にはない「て・に・を・は」が分からず困惑する子どもたち。自身もろう者の加藤小夜里(さより)先生は、一つ一つ身振りと豊かな表情で子どもたちを導いてゆく。日本のろう学校小学部で行われてきた「ろう教育」は、かつて手話を使うことを禁じ、「口話(口の形と発声を覚えさせる)」を行って「正しい日本語」を教えることを追求してきた長い歴史がある。ろう学校の教育内容が変化し、手話が使われ始めたのは最近のことで、まだ限定的であり、多くは日本語の語順に対応させた手話である。番組では、加藤先生の教室で学ぶ子どもたちの半年間の姿を追った。ろう者同士が豊かにコミュニケーションする「手話」と、日本社会で読み書きし生活するために必要な「日本語」、二つの言語と格闘する子どもたちをドキュメントする。日本社会が手話をどう位置づけてきたのか、「手話」という言語を使う人たちと、私達がどのような社会を築いてゆくのかを考えたい。語りは、女優の大竹しのぶさん。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2008-09-21 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0311





●ETV特集 「戦場カメラマン小柳次一」 〜日中・太平洋戦争 従軍5千キロの記録〜

日中戦争から太平洋戦争にかけて5000キロにわたって従軍し、「戦争の現実」と「兵士たちの素顔」をカメラに記録していた日本人がいた。小柳次一(1907-1994)である。戦意高揚の写真しか許されない時代にあって、小柳の残した写真には、日本の負傷兵や敵国の避難民など、国策に沿わない「リアルな戦場の現実」が映しだされている。しかし軍と行動をともにした経歴ゆえ、戦後「戦争協力者」と言われ、不遇のうちに亡くなる。小柳はなぜこのような写真を撮影するようになったのか。また恵まれなかった後半生、自らの体験をどのように伝えていこうとしていたのか。カメラマン・石川文洋氏(70歳)は、日本の戦争写真の軌跡をまとめる仕事を続けるうち小柳に注目するようになった。戦後63年、あの戦争を知る人がいなくなりつつある今、石川さんは小柳の足跡を辿ることでもう一度日本の戦争を捉えなおしてみたいと考えている。番組では、残された小柳の写真、従軍手帳や、交際のあった兵士の遺族たちなどを石川さんとともに追うことで、一人の知られざるカメラマンを通してみた戦争の真実を伝える。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2008-10-05 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->E 0025





●ETV特集 「戦争は罪悪である」 〜ある仏教者の名誉回復〜

日中戦争がはじまった1937(昭和12)年7月、大多数の宗教者が戦争に協力していく中で「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き、検挙された僧侶がいた。真宗大谷派の高僧・竹中彰元。警察の追及にも信念を曲げず、本山からも布教使資格のはく奪処分を受けて、1945年にこの世を去った。長らく忘れられていた彰元の行動が再び脚光を浴びたのは70年近くが過ぎてから。300ページにおよぶ当時の取り調べの記録が寺でひそかに保管されていた。そこには、事件当時の関係者の証言と共に、彰元の信念も赤裸々に記録されていた。地元の人々や多くの宗教者たちの熱心な運動により、去年10月、本山はついに彰元の名誉回復に踏み切る決定を行う。彰元が検挙されて、実に70年ぶりのことだった。本来「殺生」を禁じた仏教界はなぜ戦争に協力したのか。そして竹中彰元師はいかにして抵抗の信念を貫いたのか。発見された記録や関係者への取材をもとに描き、これまであまり取り上げられなかった「宗教者の戦争責任」について考える番組としたい。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2008-10-12 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0319





●ETV特集 「新しい文化“フィギュア”の出現」 〜プラモデルから美少女へ〜

年に2回開かれる日本最大のフィギュアの祭典「ワンダーフェスティバル」。毎回、1日でおよそ4万人のファンや関係者が会場をうめつくし熱気であふれる。今、漫画やアニメをもとに作られたフィギュアという立体造形の文化に日本のみならず世界から熱いまなざしが注がれている。その人気は、アートの世界にも飛び火した。5月に、ニューヨークのサザビーで、現代アーチスト村上隆のフィギュアが16億円で取引されたのだ。予想額を一桁上回り、美術関係者から現代美術として高い評価をうけている。フィギュアの元祖は、子供の玩具、ホビーと考えられたプラモデル。この分野をリードしてきたのがたった1坪半のプラモデル屋からはじめた海洋堂。店主の宮脇修は、町のプラモデルファンを鍛えてプロの造形師集団に育て上げる一方、「ガレージキッド」とよばれるプラモデル用の特殊な型作りを進化させフィギュアという、新しい形態を造りだした。このチームの造形技術、図像読み取り感覚が、現代の文化現象フィギュアの源流となっていく。中でも、美少女フィギュア造形の第一人者である海洋堂の「ボーメ」は、村上隆がデザインしたフィギュアの原型をつくり卓越した技術に、世界から注目されている。彼の人気ぶりは、ニューヨークの有名ギャラリーやパリのカルティエ現代美術館から、熱いラブコールを受けて個展を開く程だ。彼の「かわいい」かつ「リアル」で「妖艶」な造形は世界のファンを魅了するまでとなった。番組では、青春をフィギュアの発展と共に歩んだ岡田斗司夫氏を案内役に、造形師ボーメの制作現場にカメラを入れて、その造形の秘密に迫る。さらに勃興するフィギュア文化に関心をもつ民俗学、解剖学、美術などの識者の意見を通して、フィギュアのもつ魅力、意味を浮き彫りにする。
(text from NHK site)

ノイズなし??>>録画ミス
NHK教育 90min 2008-11-30 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●ETV特集 「水俣と向きあう」 〜記録映画作家 土本典昭の43年〜

2008年6月24日午前2時47分、「水俣病」を生涯にわたって記録し続けてきたドキュメンタリー映画作家・ 土本典昭監督が亡くなった。享年79。1965年、初めて取材した「水俣の子は生きている」以来40年間、“水俣病のある現場”に関り続けた稀有(けう)なドキュメンタリー作家である。隠され、過去のものとして忘れさられようとしてきた水俣病事件の真相と実態を、常に患者の側に立って記録し続け、19本の記録映画・テレビ作品を発表してきた。「記録なければ事実なし」が土本監督の口ぐせだった。世界が初めて水俣病を知ったのは、1972年にストックホルムで開催された国連環境会議だった。そこで上映された土本監督の『水俣〜患者さんとその世界』によってである。参加者は、土本さんの映画を見て、一緒に来た浜元二徳さんたち水俣病患者に会いショックを受けた。世界が初めて公式に有機水銀中毒による環境汚染を「ミ・ナ・マ・タ・ディジーズ」として認識したのだ。1977年8月から4か月間にわたって行われた天草諸島などの不知火海沿岸集落全域をめぐる「不知火海巡海上映活動」は特筆すべき出来事となった。「ここの魚に水銀汚染はない」とする地元の反発を乗り越え、実に76か所で上映を行なった。これによって、水俣病について全く知識がなかった人々が自らの症状を訴え始め、不知火海全体に広がる被害の実相が明らかになっていった。「ドキュメンタリーとは何か」にひとつの答えを導きだしたものだった。1995年の政治決着から13年。しかし現在でも救済を求める申請者相次いでいる。水俣病は終わっていない。土本典昭監督のドキュメンタリーも未完のままである。土本監督は、40年もの歳月をかけて水俣・不知火海沿岸・島に暮らす人々の中に何を見ようとしたか。人々の心に何を遺(のこ)したか。本企画は1977年「不知火海巡海上映活動」にスタッフとして参加した西山正啓(映画監督)、一之瀬正史(カメラマン)の二人が、土本監督が水俣・不知火海に残した足跡を30年ぶりに辿る。そして土本監督が「ドキュメンタリーによって不知火海に生きる人々の人間としての尊厳の回復を見届ける」と生涯願い続け、行動したことの意味を伝えていく。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2008-12-21 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F0540

>NHK映像ファイル あの人に会いたい(2008) にも映像あり





●ETV特集 「女たちの地上戦」 〜沖縄 埋もれた録音テープ 150時間の証言〜

沖縄戦の惨劇を、200人以上の人々が赤裸々に証言した録音テープが見つかった。まだ戦争の記憶が生々しかった1960年代に収録された沖縄戦の聞き取り調査の録音テープだ。その多くは、ワカメ状に変形していたが、特殊な溶剤を使いアイロンを使い一つ一つ手作業で修復され、失われていた声がいきいきと甦ってきた。録音テープの中でも特に凄惨な体験を語っているのは戦場に取り残された女性たちだ。自らの手の中で我が子を餓死させてしまった母。野戦病院で負傷兵に毒を飲ませたと告白する看護婦。そして、日本兵によって家族を殺された女性。戦争が終わっても女たちの苦難は続いた。アメリカ兵による暴行事件が頻発し、さらに収容所では伝染病や栄養失調で家族が次々と亡くなっていった。重い録音機を担ぎ、激戦地の家々を訪ね歩き記録された証言。何度も足を運ぶ担当者たちの熱意で、多くの女性たちは、それまで誰にも話した事のなかった戦場での体験を語った。それまで、沖縄戦の記録は、軍人や軍の行動を中心に語られてきた。この記録は沖縄で最初に集められた「住民の戦争記録」であり、それまでの愛国美談一色だった沖縄戦史観を大きく変えた貴重な史料なのだ。最も弱い立場であったがゆえに、凄(せい)惨な体験をした女性たちの証言が記録されていた録音テープ。 番組では、これまで一度も公開されていなかった未公開録音テープを元に“女たちの地上戦”を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2009-01-25 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->B 0639





●ETV特集 「キューバ革命 50年の現実」 〜米国人ジャーナリストが記録したカストロ政権〜

2009年1月1日、キューバ革命によりカストロ政権が誕生してから半世紀を迎える。この間、キューバは米国と国交を断絶し、経済制裁を受けながらも独自の社会主義路線を堅持してきた。キューバ社会を36年間、記録し続けてきた一人のアメリカのジャーナリストがいる。ジョン・アルパート(60)。彼は72年、国交のないキューバにボートで渡り、革命後のキューバの撮影に初めて成功した。以来、祖国の敵国キューバの人々の素顔を撮影し続けてきた。アルパートはカストロ議長のインタビューにこれまで3回成功。36年間に渡って記録し続けてきた映像は革命後のキューバ社会の変遷を伝える貴重な記録である。革命50年目を迎えるにあたり、アルパートは、今年暮れからキューバに入り、これまで記録し続けてきたキューバの人々の姿を追うことにした。革命によって土地を手に入れた農民ボレゴ三兄弟。ハバナの旧市街で出会った少女カリダット。ソ連崩壊後の経済危機の中、盗みで生計を立てていたルイス。彼らの記録は革命から半世紀を経たキューバ社会の鏡でもある。キューバ経済で急速にプレゼンスを増す中国、格安な原油提供でキューバ経済を支える反米国家ベネズエラ、観光開発での積極的な外資導入・・・。半世紀前、革命政権が目指した平等な社会、しかし国民の間には深刻な経済格差が生まれ、豊かさを求める国民の海外亡命はやむことがない。番組はビデオジャーナリストの先駆者ジョン・アルパートが36年間、記録し続けている映像と最新の映像を交えキューバ社会の変遷を伝える。スタジオにはジョン・アルパートを迎え、藤澤秀敏解説委員長とともにキューバ革命とは何だったのかを検証する。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2009-02-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->E 0730





●ETV特集 「全身漫画家」 〜真説・赤塚不二夫論〜

「もっと、真面目にふざけなさい」赤塚不二夫が残した名言。日本のナンセンス・ギャグマンガの創始者にして、自身の存在や生き方そのものまでもギャグにした人物だ。赤塚は昭和から平成にかけて、ギャグ漫画というジャンルにおいて不世出の仕事をなしとげサブカルチャーにおいて大きな足跡を残し、2008年、死去した。主な代表作。「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」「レッツラゴン」・・・。少年漫画の世界にそれまでになかった新しい笑い、新しい表現としてのギャグ路線を持ちこんだのだ。おりしもテレビの時代が始まり彼の笑いはさらに広がる。いったい彼のどこからこの笑いが生まれたのだろうか。その由来を探ってみる。彼の笑いは紙媒体を越えていく。舞台、映画、テレビに露出し、自(みずか)ら「漫画」を演じていく。番組は、赤塚の漫画の作品にこだわって、その面白さを浮き彫りにする。赤塚の人生を年代記的に追いながら、アシスタント、編集者、交友のあった文化人らの証言をもとに赤塚漫画の形成されていく過程を浮き彫りにしていく。

【証言者】 藤子不二雄A、よこたとくお、水野英子、みなもと太郎、森田拳次、宮沢章夫、篠原勝之、若松孝二、鈴木伸一、平岡正明、武居俊樹、丸山昭、五十嵐隆夫、高井研一郎、北見けんいち、古谷三敏、赤塚りえ子、手塚るみ子、唐十郎、しりあがり寿、三田格、吉田アミ、荒木経惟
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2009-03-29 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->D 0832

> 2012-04-06にEテレアーカイブスで再放送あり





●ETV特集 「鶴見俊輔 〜戦後日本 人民の記憶〜」

哲学者・鶴見俊輔(86歳)は、自分より先に逝ったさまざまな人に追悼文である「悼詞」を発表してきた。1951年、銀行家・池田成彬から2008年、漫画家・赤塚不二夫まで57年間で125人にも及ぶ。高橋和巳、竹内好、志賀直哉、寺山修司、手塚治虫、丸山眞男、小田実など戦後日本で一世を風靡(ふうび)した人物たちに送った悼詞だ。半世紀以上に渡って書き続けてきた「悼詞」を改めて見て、鶴見は逝く人たちからさまざまな知恵と思いを授かったことに感謝すると共に、今、生きている者の使命として、まだ語り残さなければならないことがあるという。鶴見俊輔は、知識人の戦争責任を問う「転向」など、常に戦後日本社会に鋭く切り込んできた。60年安保、ベトナム反戦運動など精力的に活動し、ふつうの市民と共に走り続けた。そんな鶴見にバトンを渡した死者125人の「戦後精神」を見つめ、鶴見の行動の軌跡をたどりながら、戦後精神史の前線を描く。長時間インタビューと今も精力的に活動する模様をドキュメントしていく。死を意識した鶴見俊輔が語り残す言葉は、急激な変化が進む今、日本の戦後の貴重な証言である。未来へのメッセージとしたい。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2009-04-12 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F0045





●ETV特集 「いま憲法25条“生存権”を考える」 〜対論 内橋克人 湯浅誠〜

5月3日、62年の記念日を迎える日本国憲法に、制定時、国会での審議の中で日本人自身の発議によって加えられた条文がある。「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」“生存権”を個人の権利として明確に定めたこの条文は、生活保護など社会の「セーティーネット」を整備していく基準となり、朝日訴訟(1957年)など生存権をめぐる裁判などを通じて、国民生活の中に定着したかに思われてきた。それは軍事国家から決別した日本社会の向かう新たな方向を指し示すものだった。ところが、昨年来の世界金融危機で、「派遣切り」により失職する労働者は15万人を超えると予想される中、職や住む場所を失い、生存そのものの危機に直面する人が続出し、セーフティーネットが機能していない現実が露呈。「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する憲法25条が有名無実となる危機に直面している。憲法記念日 ETV特集は、二人の論客を迎え、憲法25条の誕生から現在に至る62年を検証し、危機打開の道を探る対談を行う。出演は、貧困者の生活相談活動に取り組み、昨年末「年越し派遣村」村長にもなった湯浅誠さん(40)と、経済評論家として90年代から派遣労働などへの規制緩和に警鐘を鳴らし続けてきた内橋克人さん(76)。この現実をどう捉えるのか?危機は乗り越えられるのか?今こそ憲法25条の存在意義を見つめ直すべきではないか?語り合う。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2009-05-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●ETV特集 「危険学のススメ」 〜畑村洋太郎の実験記2009〜

「失敗学」で著名な畑村洋太郎さん。彼がまた新たなプロジェクトを立ち上げた。その名も「危険学プロジェクト」。様々な事故の現場を全国各地で調査してきた畑村さんだが、最近「失敗学」では不十分と考えるようになった。いくら「失敗学」を説いても、結局「想定外」とか「また起こると思わなかった」という理由で、同じような事故が繰り返されてきたからだ。とすれば、起きた失敗に学ぶ受け身の姿勢ではなく、事故が起きてしまう前に、先手を打って危険の法則性を発見。将来起きる危険の芽を見抜き、その情報を発信していく必要がある。それが悲惨な事故を防ぐ唯一の手段だ。畑村さんはその考えを「危険学」と名づけ、取り組み始めている。「危険学プロジェクト」では、新たに立体駐車場やエレベーターなどの実験解析や医療現場の事故分析を加え、身の回りのあらゆる危険のシナリオを想定。設計者やユーザーの心理、行動まで踏み込んだ上で、対策を提案する。その成果を公表し、危険知識を社会全体の共有財産にしていく。さらに、事故が起きるシナリオを想定する中で、畑村さんは危険学の一環として、日本の将来を担う子どもたちを対象に、「身の周りの危険」や「危険の避け方」を教える「危険教育」にも取り組みはじめた。番組では、畑村さんが取り組んでいる「危険学プロジェクト」の最新成果を紹介し、「隠れた危険のタネ」を浮き彫りにしていく。安全を口で唱えるだけでは事故はなくならない。どのような危険が世の中にあり、どうすればいいか、具体的な対案を社会全体で考えないと真の安全は生み出せない。いたましい事故が繰り返される現代社会。事件事故と長年むき合い、「危険学」で社会に一石を投じる畑村さんの活動に密着する。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2009-05-17 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●ETV特集 「戦争を着た時代」

戦艦、戦車、戦闘機、肉弾三勇士に満州国旗―戦争をモチーフに描いた着物、「戦争柄」。日清戦争から日中戦争の時代に大流行したが、その後歴史の中に埋もれてしまった。勇ましい柄として、男性用の羽裏や襦袢、男児の日常着が多いが、花柳界などの女性の着物にも取り入れられた。近年、銃後の暮らしを探る研究が進み、生活用具や衣類にあらわれる戦争イメージが重要視されるようになってきた。戦争柄の着物は、人々の戦争への熱狂を知る手がかりとして注目され、収集と研究が進んでいる。戦争すなわち「勝利」だったこの時代、戦争柄は吉祥模様として国威発揚の機運を盛り上げた。着物の柄に政府や軍部の指導はなく、染め元が「売れる」から作った流行の柄だった。流行に地域差はあるが、人々は積極的に戦争柄を選んだ。着た記憶のある人たちは、先端ファッションをまとう誇らしさがあったと証言する。太平洋戦争が始まるまでは、戦争は消費の対象だった。戦争への熱狂は、上からの強制の結果だけで生まれたのではなく、人々の側から発生し、醸成されていった面もあることを戦争柄の着物は示している。また着物のほかにポスター類、子供茶碗といった生活具などから、戦争の表象を探っていく。番組では、戦争柄研究の第一人者であり収集家でもある東海大学国際文化学部の乾淑子教授と作家の澤地久枝さんを中心に、メディア、子どもなど様々な視点で、戦争柄に現れた事象を読み解いていく。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60 2009-06-07 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●ETV特集 「カルテだけが遺された」 〜毒ガス被害と向き合った医師の闘い〜

瀬戸内海に浮かぶ周囲4キロの島、広島県大久野島。この島には終戦まで、国際条約違反として使用が禁止されていた毒ガス兵器の極秘製造工場があった。工員として働いていたのは、地元で暮らす人々。誰もが、家族のため、国のためと信じて懸命に毒ガスを造り続けていた。そして戦後、彼らの多くは、毒ガスを間接吸引したことによる重い後遺症に悩まされることになった。この番組は、戦後一貫して毒ガス被毒者を診療し続けた医師・行武正刀さんを、3年間に渡って取材した記録である。行武さんが診察した被毒者はおよそ4500人。そのカルテには被毒者の病歴と一緒に、診察の合間に彼らが漏らしたさまざまな言葉が記されている。「彼らの言葉は戦争の貴重な記録である」そう考えた行武さんは膨大な時間をかけて、証言集を編さんし始めた。しかし去年春、肺にがんが見つかり、今年3月帰らぬ人となった。享年74。被毒者を見守り続けた一人の医師の半生をたどりながら、戦時中の毒ガス製造の実態と毒ガスにほんろうされた人々の苦悩を伝える。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 60min 2009-08-09 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●ETV特集 「戦争とラジオ|第1回 放送は国民に何を伝えたのか」

太平洋戦争の時代、ラジオ放送の現場にあった人々は、あるべき放送をどう模索し、何を国民に送り届けていたのだろうか。最近掘り起こされた資料から、それを明らかにすることが初めて可能となった。戦時中、日本放送出版から刊行されていた月刊誌「放送」及び「放送研究」には、放送の第一線にいた人々の座談会や、各セクションの戦略、主要番組の放送原稿などが採録されている。また、メデイアを統制していた内閣情報局が、出していた「放送しるべ」からは、国家が放送をどうコントロールしようとしていたかを読み取ることができる。戦時下、ラジオ放送は、国策伝達の手段であることを免れえなかった。新たな資料からは、報道・教養・演芸などの各現場で議論を尽くし、時代の要請を実践してゆく様がありありと浮かび上がってくる。 番組では、雑誌「放送研究」をはじめとする活字資料、わずかに残された音声資料、そして当時、放送業務に携わった人々の証言を立体的に構成し、戦時下ラジオ放送の実像に迫る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 90min 2009-08-16 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●ETV特集 「戦争とラジオ|第2回 日米電波戦争 〜国際放送は何を伝えたのか」

戦時中の国際放送「ラジオ・トウキョウ」の録音盤130巻がアメリカ国立公文書館に残されていることが判明した。さらに1940年から45年の主要番組のコメントがすべて書き写されたスクリプトも発見され、日本の対敵放送の詳細な実態が明らかになろうとしている。「情報戦争」とも言われる太平洋戦争。日米両国は開発されたばかりの短波放送を使って最前線に情報を伝える一方、互いにえん戦意識を植え付けようとプロパガンダ放送を行った。しかし敗戦後、日本にあった「ラジオ・トウキョウ」の録音盤は焼失し、長い間その実態はベールに包まれていた。発見された録音盤から浮かび上がる国際放送の実態とは何か。第一には「対敵プロパガンダ」である。軍部の介入により、連合軍捕虜を使ったり、トウキョウローズと呼ばれるDJを使った音楽番組をプログラムするなど、あらゆる手を使ってラジオトウキョウの対敵謀略放送は行われた。しかし短波は単にプロパガンダのツールとして使われていただけではなかった。「敵国」米国が日本に対して行っていた放送も発見されたのだが、その音源から国際放送は敗戦間際には、日米の和平工作の媒介として機能していたことがわかってきたのである。「ザカライアス放送」である。日米の外交ルートが途絶えたなか、ザカライアス海軍大佐は短波を通じて日本側に和平を訴えた。それに対して「ラジオ・トウキョウ」も和平工作につながる放送を米国側に流し続けた。この双方の放送がその後のポツダム受諾へのひとつの道筋に発展していく・・・。国際放送が戦争に果たした役割はどのようなものだったのか。発掘された米国の資料、録音テープ、アナウンサー、傍受者など当時の関係者の証言などから実態を明らかにし、放送の戦争責任を考える。
(text from NHK site)

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●ETV特集 「作家・重松清が考える 働く人の貧困と孤立のゆくえ」

去年暮れから年始にかけて開設された「年越し派遣村」。仕事とともに寝る場所までも失う派遣など非正規労働者の現実を目に見える形で示した。政府は、講堂を宿泊場所として提供し、補正予算に失業者への緊急対策を盛り込むなどして対応。野党3党が派遣法の抜本改正に動くなど、政治を動かす原動力となった。作家 重松清さん(46歳)は、普通の人が、仕事場や学校、家庭で、「孤立」し、時に自分自身や他人を傷つける事件に追い込まれてしまう様を、小説やノンフィクションで見つめ続けてきた。重松さんは派遣村に、「長く働いても何の技術も身につかない仕事と働き方があふれ、簡単にクビを切られる」現実にショックを受けるとともに、「孤立」を抜け出す希望を見たという。派遣村には、派遣切りにあうなどして失業した505人とともに、1692人のボランティアが集まった。実行委員会は、連合、全労連、全労協という労働組合のナショナルセンター、路上生活する人たちを支援するNPOや弁護士、非正規の労働者が個人で加盟するユニオンなど。重松さんは、垣根をこえて生まれた、人と人とのつながりに、「孤立を脱する物語」の可能性を見いだすという。派遣村から10ヶ月、関係した人々は今どのように現実と向き合っているのだろうか。番組では、重松清さんとともに、「派遣村」を担った弁護士やユニオンの活動現場を訪ね、いま働く人たちの直面する「貧困」と「孤立」の現実と、そこを抜け出す道を考える。
(text from NHK site)

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●ETV特集 「迷走 碁打ち・藤沢秀行という生き方」

碁打ちが死んだ、藤沢秀行、83歳だった。囲碁界の最高峰「棋聖」(きせい)のタイトルを六連覇、史上最高齢の66歳で「王座」のタイトルも獲得。華麗で重厚、自由奔放な棋風で無類の強さを誇った“天才棋士”。競輪と競馬にのめりこみ、酒に溺れ、アルコール依存症の禁断症状の中で対局を闘った。事業に手を出して手形を乱発、破滅的な借金地獄をさまよった。愛人多数、子どもは七人。胃・リンパ・前立腺、三度も癌(がん)からよみがえり、“最後の無頼派”と呼ばれた男。そんな秀行が最後に残した言葉、それは『強烈な努力』だった。その五文字の遺言は、最後の刻の直前、病室のベッドの上で渾身の力で揮ごうされた。天才そして無頼と呼ばれた人間のもう一つの姿が浮かんでくる。「碁は、無限の世界。誰も何もわかっちゃいねぇ・・わかろうとして死ぬまで生きるんだ・・・」秀行は、何で無頼に走ったんだろう、なぜ死の瞬間まで碁の道を究めようとしてもがきあえいだのだろうか。この番組で、藤沢秀行という人間が追い求めた囲碁の世界と、その破天荒な人生に対じしていく。妻として半世紀以上も夫婦の修羅場を闘い続けてきた藤沢モトのインタビュー、数々の名勝負を打ち合った棋士や弟子たちの証言と碁盤の再現ドキュメント。そして、十年前に現役引退前後の秀行を取材した未発表のインタビューや映像素材などを通して、生涯、碁打ちとして生き抜いた一人の男の生きざまを見つめていく。
(text from NHK site)

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>故・藤沢名誉棋聖の孫・里菜さん、史上最年少11歳でプロ棋士に
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2月6日17時31分配信 産経新聞

祖父の故・藤沢秀行名誉棋聖、父の藤沢一就八段に続き、三代の囲碁のプロ棋士を目指していた、11歳の藤沢里菜さんが史上最年少で難関を突破した。6日、東京都千代田区の日本棋院で行われた、平成22年度女流棋士(特別)採用試験本戦の最終ラウンドで勝った藤沢さんは6勝2敗となり、1位での合格を決めた。後日、正式承認され、4月1日付けで女性初の小学生プロ棋士が誕生する。9人によるリーグ戦で藤沢さんは6勝2敗となり、3人が同成績で並んだが、序列の差で抜け出した。11歳6カ月は謝(しぇい)依旻(いみん)女流3冠(女流名人、女流本因坊、女流棋聖)の14歳4カ月を大きく更新し、男性を含めても趙治勲二十五世本因坊の11歳9カ月を抜く最年少記録となる。「2敗したときはもうなれないと思っていたので、うれしいです」と、素直に喜びを語る藤沢さん。6歳で碁を始め、道場に通い勉強した。兄と出場した全国小・中学校囲碁団体戦・小学校の部では3年間、優勝に貢献した。「小学生のうちにプロになりたかった」という最初の目標をクリアし、「女流のタイトル目指して頑張りたい」と、大きな夢がふくらんだ。(榎本弘幸)





●ETV特集 「よみがえれ里山の米作り」 〜小さな米屋と農家の大きな挑戦〜

里山の美しい田んぼを守りたい。小さな米屋と小さな農家が手を組んで、生産性が極めて低い棚田などで安全でおいしい米作りを続けている。米屋は奈良県大和郡山市の入口寿子(いりぐち・ひさこ)さん(62)。入口さんは10年前から全国各地を訪ねて「米は高く売りますから、環境を汚さない無農薬米を作ってください」と呼びかけ、それに北海道から鹿児島まで全国70以上の農家が応えてきた。そして今、入口さんは新たな呼びかけを始めた。耕作が放棄され荒れ地となった田んぼの再生である。耕作放棄地が増え、荒廃が進む里山の田んぼ。しかしそこは美しい日本の原風景。しかも源流の天然水で潤され、安全でおいしい米ができる。そんな環境保全にもつながる田んぼを復活しようというのである。その呼びかけに応えた一人が、日本一おいしい米を競うコンクールで5年連続金賞を受賞してきた米作り名人の古川勝幸さん(52)。福島県郡山市で独自の漢方農法を実践し、去年から谷間の放棄田での米作りに取り組んでいる。その田は飲み水にも利用されている清らかな源流水で潤され、安全性とおいしさの点で極上の米の生産が期待できる。しかし一度放棄された田での稲作には思いもよらない困難が付きまとう。源流水が冷たい、日当りが悪い、漏水が激しい、そして従来の農機具が思うように使えないなど、乗り越えなければならない壁は数えきれない。古川さんはそれらをどう克服していくのか?
番組では、古川さんの放棄田再生の米作りの日々に、福島県天栄村や新潟県津南町秋山郷の農家の取り組みなども交え、原野と化した水田をよみがえらせようとする農民たちの不屈の挑戦を8か月にわたって追った。
(text from NHK site)

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