玄関 / ライブラリ / 未整理映像ファイルメニュー / NHK教育: 「世界美術館紀行」 /

 

 

●世界美術館紀行 「光琳の傑作 アメリカに渡る」 〜メトロポリタン美術館 [3]〜

メトロポリタン美術館の数多いコレクションの中でも世界有数と言われる日本美術。
それらの名品を紹介しながら尾形光琳の「八橋図」がメトロポリタンに収まるまでをたどる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2004-06-25 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0049

> DR-590にMPEG2版あり





●世界美術館紀行 「修復師が支える美の殿堂」 〜ロンドン・ナショナル・ギャラリー [2]〜

ナショナル・ギャラリーの数々の名画が、今なお衰えぬ輝きを放っているのは、世界最高の評価を得る「修復部」のおかげといわれている。部が設けられたのは1946年、これまでに500点を超える作品修復を行ってきた。
修復チームは3つに分かれる。X線や赤外線照射など最新機器を使って絵の内部を鋭く調べる「保存科学部門」、丹念なニス除去や損傷した箇所に針先ほどの筆で行われる補彩など、外科医顔負けのオペを施す「保存修復部門」、そして絵にあわせて額に修復を施す「装額部門」だ。
この修復部には世界にその名を轟かす名匠がいる。保存修復部門の主任、マーティン・ワイルド氏(60歳)。今から17年前、聖母子を描いた世界でも数少ないダ・ヴィンチの素描が、銃弾によって粉々に破壊される事件が起きた。ワイルド氏は副修復師として粉末と化した紙片をつなぎ合わせ元に戻し、執念で名画を蘇らせた。また'93年、主任修復師を務めたホルバインの「大使たち」の大修復では、黄変したニスを1500時間もかけて取り除き、科学データと目視により後世の加筆を見破り、隠れていたホルバインの繊細な筆遣いを浮かび上がらせた。その仕事振りは「探偵の執念と外科医の腕を併せ持つ1級職人」と称される。
ワイルド氏の一日は毎朝、観光客に混じってのギャラリー巡回から始まる。1枚1枚、展示される絵を見定め、修復候補を選んでいく。現在は、ラファエロやミケランジェロの師匠である15世紀イタリアの巨匠・ペルジーノの宗教画修復にとりかかっている。
番組では、修復によって蘇った名画の数々を堪能しつつ、絵画を守り続ける修復師たちの眼を通して、コレクションの知られざる魅力に迫る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK総合 25min 2004-07-17(2004-07-09教育の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「美と恋のベネチア・令嬢物語」 〜ペギー・グッゲンハイム美術館〜

水の都ベネチア。街の中心を貫く大運河に面して、「ライオンの宮殿」と呼ばれる白い瀟洒(しょうしゃ)な建物がある。ここにはピカソ、デ・キリコ、カンディンスキー、ジャコメッティなど20世紀を代表する前衛芸術家たちの作品が集まる。この美術館を作り上げたのが、ペギー・グッゲンハイム(1898〜1979)である。ニューヨークのユダヤ系大富豪の一族に生まれたペギーは、若き日にパリへ渡り、デュシャンやブルトンら文化人と交わる中で前衛美術の作品を収集するようになる。やがてナチス占領下のヨーロッパからニューヨークへコレクションを移し、芸術家たちの亡命を手助けし、戦後はポロックらアメリカの新世代の芸術家たちを支援した。彼らはやがて20世紀を代表する芸術家となり、ペギーは現代美術最大のパトロネスとなっていく。
1947年、戦争で中止されていたベネチア・ヴィエンナーレ(現代美術の国際博覧会)が再開され、ペギーの収集品は、世界有数の現代美術コレクションとして紹介された。それをきっかけに、ペギーはベネチアに家を買って移り住みコレクションを展示、美術館として公開する。ベネチアでも、若い芸術家たちを自宅に住まわせ支援するなど、晩年になるまで現代美術への情熱は衰えることはなかった。古都とモダンが不思議と調和するペギー・グッゲンハイム美術館。水辺の明るい日差しの中、ペギーが暮らした当時そのままに展示される20世紀美術の数々は、常に「前衛」を追い求め続けた彼女の生き方を映し出す。
番組では、そのコレクションを紹介しながら、ベネチアで彼女と親交のあった芸術家や友人たちの証言をまじえて、モダンアートとともに20世紀の先端を生きた女主人の物語を描きだす。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2004-07-16 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)







●世界美術館紀行 「始まりはモナリザだった」 〜ルーヴル美術館[1]〜

NHK総合 25min 2004-07-18(2004-04-09教育の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「アルプスの画家ここに眠る」 〜セガンティーニ美術館〜

スイス屈指の高級リゾート地サン・モリッツ。山と湖に囲まれた、いかにもアルプスらしい美しさを持つ町だ。この高台にセガンティーニ美術館がある。93年の歴史を持つ堂々とした丸屋根に重厚な石積みの建物は、アルプスを描いた絵の中でも最も美しいといわれるジョバンニ・セガンティーニ(1858〜1899)の作品23点を所蔵している。イタリア生まれのセガンティーニは27歳の時にこの地を訪れ、風景に惚れ込んで住み着くことになった。
美術館の誇る作品が2階の丸天井のドームを飾る「運命」三連作である。アルプスの夕映えを描いた「生」、家路を急ぐ牛飼いを描いた「自然」、そして最後が野辺送りの光景を描いた「死」である。
「死」は画家の突然の死により未完成となり、いまだ多くの謎に満ちた作品といわれている。まだ明けきらない冬の朝、ソリに棺を積み込む人々。その光景は死そのものだが、彼方の山を照らす光は生を表しているといわれる。また、残されたデッサンには天使と共に昇天する人物の姿も描き込まれている。
サンモリッツ周辺ではこの三連作に描き込まれた風景を実際に巡ることができる。
「生」は最晩年を過ごしたソーリオの町から見た夕映えのアルプス。「自然」はムオッタス・ムラーユ地区を歩けば描かれているとおりのパノラマが広がる。そして、「死」に描かれた山は、セガンティーニが晩年を過ごしたマローヤの村の彼方にそびえている。
41歳の時、セガンティーニはたびたび利用していたサンモリッツ近くの山小屋で急死した。三連作はパリ万博に出品するために制作されたものだったが、その願いを果たせなかったセガンティーニのために、友人たちが、彼の残したパビリオンのデザインを元に美術館の計画をたてた。突然の死から9年後の1908年、セガンティーニが最も愛したサンモリッツの地に美術館は開館した。セガンティーニ美術館は彼を愛した人々の友情の記念碑でもあるのだ。
番組ではアルプスに魅せられた画家セガンティーニの足跡を三連作に寄り添いながらたどり、美術館誕生の背景にあった彼と友人たちの物語を紹介する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK総合 25min 2004-11-06(2004-07-23教育の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「ニューヨークにエジプトの秘宝あり」 〜メトロポリタン美術館[4]〜

収蔵品200万点以上、人類5000年の美を17部門にわたって収め、「美の百科事典」を自称するニューヨーク・メトロポリタン美術館。その中でも訪れる人々の目を驚かせるのがエジプト部門の大ホールを占めているデンドゥール神殿だ。門の高さ8メートル、奥行き25メートル。ナイル川のほとりに立っていた神殿はアスワンハイダム建設の際にアメリカが行った膨大な援助への謝礼として海を渡ることになった。その際、アメリカのどの美術館が受け入れるかを巡って美術館同士の間で熾烈(しれつ)な競争があった。それを勝ち抜いて神殿を獲得したのがメトロポリタンだった。
メトロポリタンはニューヨークの大富豪たちの援助によって設立された。20世紀に入ってからはヨーロッパの大美術館に追いつこうとエジプトに発掘調査隊を派遣。30年余りの発掘は世界に例のない古代エジプトの生活をそのまま伝えるミニチュア彫刻を副葬品とするメクトラの墓や数多くのカラフルな棺、石像をメトロポリタンにもたらし、その結果、メトロポリタンは大英博物館やルーブル美術館に匹敵するエジプト美術の持ち主となったのだ。
メトロポリタンにエジプト美術の大コレクションをもたらした発掘と神殿寄贈の物語をたどりながらヨーロッパの大美術館に憧れ、追いつこうと奮闘したアメリカ人たちの思いを浮かび上がらせる。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2004-09-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0400





●世界美術館紀行 「ウィーン世紀末・クリムトの恋」 〜オーストリア美術館〜

ウィーンの街を一望する小高い丘の上に建つオーストリア美術館は700年もの間ヨーロッパに君臨したハプスブルグ帝国の豪華な宮殿が、帝国の崩壊後美術館に生まれ変わったものである。華麗に装飾され、甘美さにあふれたクリムトの女性像はこの美術館の華となっており、見るものに強く迫ってくる。
これらの作品がどのようにして描かれるようになったのか? そこにはハプスブルグ家が最後の輝きを見せたウィーン世紀末の社会状況が大きく関わっている。19世紀末、皇帝フランツ・ヨーゼフによる都市改造のもと、ウィーンの街は大きく変貌を遂げた。その建築工事によって芸術のパトロンとなる新興ブルジョアジーが生まれ、また多くの画家が育まれた。クリムトも劇場の壁画制作に才能を発揮してデビューし、後に銀行家など上流階級の夫人たちをモデルにあの絢爛たる独特の女性像を創り上げたのである。代表作「接吻」などクリムトの女性像は甘美なエロスを漂わせ、性を象徴する図像が随所に見られる。大きなスキャンダルとなりながらもクリムトがこうした斬新な表現を試みるようになった背景には、ウィーンに芽生えていた新しい精神風土がある。当時ウィーンは文化の坩堝(るつぼ)であり、自由なコミュニケーションを誘うカフェ文化が花開き、同時代に精神分析学者フロイトがいた。彼は、これまでの人間に対する認識を打破し、性の思想によって現代思想の基盤を築いていたが、タブーとされてきた人間の裏面、性を絵のテーマとしたクリムトの芸術は、そうした新しい考え方と歩調を合わせていた。クリムトが求めた自由。それは時代の叫びでもあった。
番組では、オーストリア美術館を飾るクリムトの女性像を紹介しながら、クリムトの芸術がどのようにして生れたのか、またそれを生み出した世紀末ウィーンの精神風土を明らかにする。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2004-09-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「パリが愛した異境の楽園〜オルセー美術館[5]」

19世紀から20世紀初頭にかけてのフランス近代絵画およそ3千点を所蔵するオルセー美術館。ここを訪れると、世紀末の画家が生み出した、数々の「楽園」の名作に出会うことができる。実は19世紀のヨーロッパは近代化が進む一方で、楽園幻想に沸いた時代であった。多くの航海者や探検家たちによる南洋の島々の記録は、同時代人、とりわけ芸術家たちの想像力を掻き立てた。
エーゲ海の神話世界に楽園を見たシャヴァンヌ、理想郷を追い求めて南国タヒチへと赴いたゴーギャン。中でも異彩を放つのが、アンリ・ルソーが描いた傑作「蛇使いの女」である。密林にたたずむ女が、裸体に大蛇を絡ませて一人静かに笛を吹くこの不思議な絵は、館内でも最も人気の高い作品の一つである。
40歳で日曜画家として出発したルソーは生涯パリから一歩も出ず、大道芸や郵便配達で生計を立てながら写真や版画、そして熱帯植物園での観察をもとに、独創的な熱帯風景を描きあげた。非現実な夢の世界をカンバスに描き出したその作品は、のちにピカソら20世紀の画家たちに絶大な影響を与える。
「楽園」は近代社会の矛盾に遭遇した人々が、理想をもとめて分け入った内面世界を映し出す鏡である。番組では、ルソーの絵画を中心に、美術館が収蔵する「楽園」のコレクションを紹介し、絵画にユートピアを見出した世紀末の画家たちの姿を描く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2004-09-17 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)







●世界美術館紀行 「革命児マルセル・デュシャンの遺産」 〜フィラデルフィア美術館〜

30万点の収蔵品を誇るフィラデルフィア美術館。中世から現代まで年代順に鑑賞できる展示ではセザンヌ「大水浴」、ピカソ「ギターを持つ男」、ダリ「ゆでたいんげん豆の柔らかい構造〜内乱の予感」など世界の名作が、西洋美術の発展を雄弁に体現している。しかし、この美術館の本当の珠玉は、長い歴史を通じて発展してきた芸術を否定・破壊し、新地平を切り開いた男の作品だ。マルセル・デュシャン(1887−1968年)。フランスからアメリカに渡ったダダ・シュールレアリズムの旗手。美術展に既製品の便器を飾って「泉」と名付けた男。美術界を震撼させ、美術史を永遠に変えてしまった彼が残した作品は数少ないが、重要作品のほとんどは、同美術館にある。コレクションの質・量ともに世界一だ。書簡や写真、作品の設計図なども豊富に残っている。というのも、デュシャンは生存中から同美術館と深い関係を築いていた。代表作「大ガラス」は本人が美術館での展示場所を指定したし、20年間かけ秘密裏に製作した謎めいた遺作は、遺言で同美術館に寄贈された。奇しくも、現館長はデュシャンの専門家だ。デュシャンが現代美術に与えた計り知れない影響。それは、同美術館に飾られるラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズ、ウォーホールなどの作品からも明白だ。番組では、美術館が誇る世界の名品も交えつつ、デュシャンの作品と人生に焦点を当て、フランスに生まれた現代美術の革命児の作品のほとんどがフィラデルフィア美術館に残ることになった物語をひも解く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 25min 2004-10-02(2004-09-24教育の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「ニューヨーク・奇想の館に美は花開く」 〜ソロモン・グッゲンハイム美術館〜

「魂の神殿が欲しいのです。モニュメントとなるものが!」(ライトに美術館設計の依頼をした手紙より)
 ニューヨーク。四角い摩天楼が林立する碁盤の目に、忽然と現れるなめらかな円形の建物が、ソロモン・グッゲンハイム美術館だ。創設者・ソロモン・グッゲンハイムが築いた抽象画コレクションをベースに、ピカソやセザンヌから、カンディンスキーやラウシェンバーグまで、近現代のアートを幅広く集めている。移り変わりの激しいモダンアートの殿堂だけに、収蔵品の展示よりも特別展に力を入れているのも大きな特徴だ。
この美術館をとりわけユニークにしているのは、天才建築家・フランク・ロイド・ライトによる斬新な建物だ。最上部から地上まで一続きに連なる滑り台のような展示スペース。てっぺんに昇り、螺旋状のスロープを下りながら作品を鑑賞する。美術鑑賞の常識を覆すこの建物は、見た目にも、フレームでどこを切り取っても芸術的。それ自体がアバンギャルドな芸術作品、20世紀建築の傑作なのだ。
その創造過程は、「美術館とはこうあるべき」という常識と戦う苦難の歴史だった。あまりに革命的なコンセプトとデザインは、周囲の反対や冷笑に直面したのだ。1959年に完成するまで16年間を要し、依頼主や設計者の寿命を縮めた。心労で健康を損ねたライトは、完成の半年前、力尽きるようにこの世を去った。番組では、美術館の建物に焦点を当て、その試練に満ちた劇的な誕生物語を描く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2004-10-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「古城に眠る世界一美しい本」 〜フランス・シャンティイ城〜

パリの北西40kmの町に建つ優美なルネサンス様式のシャンティイ城は、10世紀以来この地を治める王侯貴族の居城として発展した。広大な領地には、豪華な装飾を施した大小の城、フランス式庭園、血統馬の調教場、5万冊以上の蔵書を誇る図書室が点在し、贅(ぜい)を尽くした貴族の暮らしが一望出来る。中でも一番の見所が、名画850点を所蔵する絵画ギャラリーである。壁一面に飾られるラファエロやフィリッポ・リッピなどルネサンスからロココに至る名品の数々。19世紀末に国家所有となり市民に公開された美術館は、質の高さから“第二のルーブル”として親しまれてきた。
 しかしシャンティイ城はフランス革命による破壊という、不幸な歴史をたどった城でもある。
 1792年、城は牢獄として使用後、解体。美術品はルーブルへと移された。革命後、城の再建に取り組んだのが第9代城主オマール公アンリ・オルレアン(1822〜1897)だった。オマール公は城を修築し、国家に美術品返還を求める一方で、叔父オルレアン公ら断頭台で命を落とした王侯貴族の“遺品”を私費を投じて次々と購入。各国の画商らと競いながら、散逸した貴族のコレクションをフランスの地へと取り戻していった。
 オマール公が獲得したコレクションで最も価値ある名品が、彩色写本の最高傑作「ベリー公のいとも豪華なる時祷書(じとうしょ)」である。15世紀の蔵書家ベリー公が作らせたこの書は、宝石の如く華麗で精緻を極めた装丁と、農民を描いたリアルな描写から「世界で最も美しい本」と絶賛されてきた。1856年、32歳のオマール公はイタリアでこの書を偶然発見。イタリアの銀行家と競い合った結果ついに、破格の値段を投じて獲得に成功。鍵付きの特別な箱に収め、生涯この書を愛蔵したオマール公は「永遠にこの書を手放さぬよう」という遺言を残し、この世を去る。
 番組では、今回48年ぶりに公開された「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」を中心に、歴代の城主達によって彩られたシャンティイ城の魅力を伝える。また、その死後膨大なコレクションを全て国家へと寄贈したオマール公アンリ・オルレアンに焦点をあて、フランスの美の遺産を愛し守った、最後の城主の人生を紐解く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2004-10-15 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「アメリカの荒野が私の王国だった」 〜ジョージア・オキーフ美術館〜


アメリカ南西部ニューメキシコ州サンタフェ、ここに1997年、新しい美術館が誕生した。
20世紀アメリカを代表する女性画家オキーフ(1887〜1986)の作品132点を収蔵展示するジョージア・オキーフ美術館である。クローズアップされた花の作品で注目され、ニューヨークで活躍をはじめたオキーフはニューメキシコの砂漠地帯に魅せられ40代でこの地に移り住む。そして98歳で世を去るまで、風景や動物の頭蓋骨などニューメキシコの風土に根ざした幻想的な作品を描き続けた。彼女はアメリカの荒野を「マイ カントリー」と呼んでいる。オキーフの画業を一度に展観できる世界で唯ひとつの美術館として、オキーフ美術館は地方の美術館としては異例の年間100万人の入場者が訪れるという。
番組ではオキーフ芸術の源泉となったニューメキシコの荒野にスポットをあて、日本でも人気抜群の伝説的女性画家、孤高の人生と風土の物語を綴る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2004-10-22 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「エル・グレコ・聖なる都の異邦人」 〜スペイン・サンタクルス美術館〜

「もしもスペインで一日時間があるのなら、迷わずトレドに行きなさい。」マドリードの南65キロのところにあるトレドは、中世の面影の色濃い町である。1000年前の城壁に囲まれ、折り重なるように連なる家々の間を無数の路地が走る。この町の古い病院を転用してつくられたサンタ・クルス美術館。16〜17世紀の宗教画を中心に所蔵するこの美術館が誇るのが、エル・グレコの「無原罪の御宿り(聖母被昇天)」である。縦長の画面に、体を10頭身にまで引きのばされた聖母マリアが、燃えるような色彩と輝く光の中、浮遊するように天に昇っていく。その背景に幻想的に描かれるのは、トレドの町だ。
 エル・グレコはギリシアのクレタ島出身。イタリアで修業時代を送ったあと、16世紀末、熱心なカトリック信者の王フェリペ2世が統治するスペインに、宗教画の仕事を求めてやってきた。スペインでの初仕事は、トレドの教会の祭壇画。当時のトレドは、イスラム教徒による支配を経て、様々な民族・宗教の人々が暮らす国際都市として栄えていた。トレドの人々は、異邦人エル・グレコの描く、劇的で神秘的な異色の宗教画に熱狂した。
 以来、エル・グレコはトレドに多くの作品を残す。大聖堂の聖具室を飾るのは「聖衣剥奪」。サント・トメ聖堂の祭壇画「オルガス伯爵埋葬」は、トレドに伝わる聖人伝説を表した、エル・グレコの最高傑作だ。グレコの家には詳細なトレドの地図が描き込まれた「トレド景観地図」が伝わり、教会に残された直筆の契約書が暮らしの一端を伺わせる。スペインにやってきて以来、死ぬまでトレドを離れることはなかったエル・グレコ。番組では、町全体がグレコ美術館ともいえるトレドを、エル・グレコの足跡を追って旅する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2004-12-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「募金箱が救った名画」 〜ロンドン・ナショナル・ギャラリー [1]〜

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>??
NHK総合 25min 2005-01-08(再放送分) Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)




●世界美術館紀行 「王女の華麗な宮廷物語」 〜スペイン・プラド美術館[2]〜

世界三大美術館の一つに数えられるプラド美術館。ベラスケスやゴヤといったスペイン絵画はもちろん、ティントレットなどのイタリア絵画、ルーベンスなどフランドル絵画のコレクションも世界一、二を誇る。ヨーロッパ各地から集められた7500点を超える名画の数々は、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるほどの繁栄を誇ったスペインハプスブルク王家によって収集されたものだ。帝国の領土が南米やアジアにまで広がった16世紀、無類の芸術愛好家として知られるフェリペ2世が、治世42年の間に集めた1000点以上の絵画は、現在のプラド美術館の基礎となっている。フェリペ2世は巨大な王宮エル・エスコリアルを建て、そこに絵画のほか、帝国中から珍品を集め、神が創造したこの世界を凝縮した“小宇宙”を創ろうとした。その中心に置かれたのが、ヒエロニムス・ボス「快楽の園」である。200人以上の全裸の男女が快楽をむさぼる官能的な画面。フェリペ2世は、宗教改革の嵐が吹き荒れるネーデルランドでこの絵に出会った。カソリックの王としてプロテスタントを激しく弾圧したフェリペ2世は、「快楽の園」を「人間の罪悪と愚蒙を描いた偉大なる風刺画」と絶賛。エル・エスコリアルの私室に飾り、誰にも公開せず一人で楽しんだ。現在、ボスの真筆とされている30点弱の作品のうち、10点をプラドで観ることができる。そして17世紀、フェリペ4世の庇護(ひご)のもと、スペインを代表する画家ベラスケスが登場する。宗教改革と各地の独立運動によって帝国が次第に衰退していくなか、ベラスケスは宮廷画家として、王の家族や宮廷に暮らすさまざまな人々の肖像画を描き、やがて傑作「ラス・メニーナス」を生み出した。スペインハプスブルク家の繁栄を今に伝えるプラド美術館。番組では、プラドの名品を巡りながら、ヨーロッパ世界を支配した帝国の繁栄と没落の物語をたどる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK総合 25min 2005-01-22(2005-01-14教育の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「キルト 愛の物語」 〜シェルバーン美術館〜

近年その芸術性が注目され、スミソニアン、メトロポリタン美術館などでも芸術作品として収蔵されるようになったアメリカンキルト。17世紀、ヨーロッパからの入植者によって伝えられ、アメリカで独自に発展し、最もアメリカ的なアートだと言われる。
 アメリカ北西部・ヴァーモント州の湖畔にあるシェルバーン美術館は、世界的なアメリカンキルトのコレクションで知られる。18世紀から19世紀の民家や宿屋、駅舎、学校など、100エーカー(40ヘクタール)もの敷地に点在する40以上の歴史的建造物に、キルトを始め、玩具、人形、絵画、家具、陶器などが展示されている。
 アメリカンキルトは、貧しく、質素そのものだった当時の生活の中、アメリカ人の倹約の精神から生まれた。1873年、アメリカ独立の最初の旗は、ニューハンプシャー州の女性たちによるキルティングパーティーで作られた星条旗だった。キルト作りは針と小さなハギレさえあれば誰でも参加できるため、女性ばかりではなく、黒人奴隷、ネイティブアメリカン、そして南北戦争の傷痍軍人たちによる高い表現性をもつキルトも残されている。その時々の民衆の声なき声を反映してきたキルトは、歴史の表舞台からは見えにくい、アメリカ民衆の歴史の目撃者であり、語り部なのだ。
 同時多発テロ追悼のためのキルトが各地で作られるなど、キルトは、今もアメリカの歩みを刻み続けている。キルトは、アメリカの何を見つめ、語りかけてくるのか、その声に耳をかたむける。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2005-01-21 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「ミュンヘン・愛と青春の芸術革命」 〜レンバッハハウス美術館〜

ミュンヘンの中心ケーニッヒス広場に面したレンバッハハウス。19世紀末の貴族画家フランツ・フォン・レンバッハ公爵の邸宅であったこの美術館は、世界で初めて抽象画を描き出したカンディンスキーとその仲間たちの一大コレクションを誇る。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ミュンヘンはヨーロッパでも指折りの前衛芸術都市だった。ロシアで経済学者としての未来を約束されていたカンディンスキーもこの町の清新な気風に惹かれ、画家修業を始める。やがてカンディンスキーは新たな芸術への志をともにする仲間と「青騎士」グループを結成。フランツ・マルクやパウル・クレーそして恋人ガブリエレ・ミュンター、さらには作曲家シェーンベルクらと切磋琢磨しながら、抽象画を創始する。
 レンバッハハウス美術館には、この青騎士グループの青春が封じ込められている。カンディンスキーとミュンターは第1次世界大戦後に離別するが、ミュンターはミュンヘン時代のカンディンスキー作品を管理し続け、さらにはナチス時代には退廃芸術とされ、焼却される運命にあった作品群を別荘に隠して守り続けた。その膨大な作品群に、仲間たちの作品を合わせて1957年にミュンヘンに寄贈したのである。折りしも戦争で瓦礫(がれき)と化した町の復興のため、美術館は輝ける時代の象徴として青騎士グループの作品の収集を始めていたところだった。ここに、抽象画を生み出した前衛運動の様子を明らかにする無二の美術館が誕生したのである。
 伝統と破壊。友情そして恋愛。番組ではカンディンスキーを軸に20世紀初頭のミュンヘンに花開いた前衛芸術の青春を描く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-01-28 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「ウィーン世紀末・生と死の香り」 〜レオポルト美術館〜

オーストリアの首都、ウィーンにあるレオポルト美術館は、中世ヨーロッパの面影を残す街にあって、2001年に建てられたオーストリアでもっとも新しい現代的な美術館である。所蔵品は、ウィーンの眼科医、ルドルフ・レオポルト(1931〜)のコレクション。エゴン・シーレを中心に、クリムトやココシュカなど、ウィーン世紀末を代表する芸術家の作品である。
 シーレの大ファンだったレオポルトは、戦後まだ評価がつかず退廃芸術として散在してしまっていた作品を、さまざまなコレクターや画廊の元をたどり、シーレの収集に全精力を傾注した。彼にとってシーレの絵の魅力は、生と死そしてエロス。世紀末のウィーンは帝国の衰退とあいまって貧富の差が広がり、退廃と不安が広がる一方、フロイトや、マーラーなど新しい文化を花開かせた。まさにシーレの画風は、そうした不安と革新の時代を映し出す象徴であった。彼は自らのコレクションを60年代初め、アメリカやイギリスなどへ積極的に紹介し、後にシーレは世界的な評価を得る。レオポルトのコレクションは、世界の垂涎(すいぜん)の的となり、各国は競ってその美術館誘致を計画、バブル期には日本へという噂までまことしやかに流れた。
 番組では、レオポルト美術館の所蔵作品、市内に残るウィーン分離派の建物などを紹介しながら、退廃と革新が入り交じるウィーン世紀末の香りを紹介する。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-05-28(2005-02-04の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「ボヘミアの女神に捧ぐ」 〜プラハ国立美術館〜

17世紀ヨーロッパ、東西文化の十字路と言われ、文化芸術の街として栄耀(えいよう)栄華をきわめたチェコの首都プラハ。そしてヨーロッパ屈指の美しい街を西側から見下ろすようにたたずむプラハ城。ここには、当時芸術をこよなく愛したハプスブルク家の皇帝ルドルフ2世による、イタリア、ドイツ、北方絵画など膨大な美術コレクションが所蔵されていた。
 その後、度重なる他国からの侵略にあい美術品が散逸していく中で、18世紀末やせ細ってゆく“美の都”を守ろうと市民が立ち上がり、「美術愛好家協会」を設立した。スラブ民族の誇りを取り戻そうとの呼びかけに、多くの市民が美術品の寄付に応じた。プラハ国立美術館は、2度の大戦後、1948年、新生国家の威信をかけ、市民の懸命な努力の末に誕生した。美術館は、デューラー、ヤン・ブリューゲル、レンブラントからゴッホやピカソなど近現代美術まで36万点にものぼる名画を所蔵している。プラハ国立美術館は、プラハ城内のシュテンベルク宮殿を中心に街の6つの美術館の総称である。
 中でも、珠玉の1点「スラーヴィア」は、スラブ民族の美の女神を描いた民族の鼓動を感じさせる1大傑作として有名である。それを描いたのが、チェコ出身のアール・ヌーボーの寵児(ちょうじ)、アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)。彼はパリでポスターという新しい表現手段で一世を風靡(ふうび)した後、チェコに戻る。ミュシャは、自らスラブ民族の誇りをかけて、市内中の教会や聖堂、修道院の壁画をつぎつぎと依頼される。しかし、プラハ郊外の寒村にある、縦横4mを超える大作20枚からなる「スラブ叙事詩」は、16年もの歳月をかけ完成させるが、当時祖国の人々は時代錯誤とみなし、展示の日の目を見なかった。公開されたのは、1989年新生チェコ誕生の直前である。ミュシャが後半生をささげた「スラブ叙事詩」は、激動の歴史をくぐりぬけてきた民族の誇りを語り継いでいる。
 中世ヨーロッパの芸術文化の中心地、プラハ。番組では、プラハ国立美術館所蔵のミュシャの大作を中心に紹介しながら、スラブ民族悲願の美術館建設への情熱と想いを描く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-02-11 
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0376(ビジ塾とセット録画)





●世界美術館紀行 「カタルーニャ・愛の迷宮」 〜ダリ劇場美術館〜


<受信障害により映像全体にごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-02-18 
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0004(ビジ塾とセット録画)





●世界美術館紀行 「エル・グレコ 聖なる都の異邦人」 〜スペイン サンタ・クルス美術館〜


<受信障害により映像全体にごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-02-25 
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0806(ビジ塾とセット録画)





●世界美術館紀行 「フリーダ・カーロ・愛の館」 〜メキシコ・オルメド美術館〜

20世紀の女性画家で最も高い人気を博すフリーダ・カーロ。18歳の時の交通事故の後遺症を背負い、それでも世界的な知識人達と浮き名を流すなど自由奔放に47歳の短い人生を駆け抜けた。彼女の作品と生涯を知るには彼女が暮らしたメキシコシティーを訪れるのが一番だ。ここには世界で最も充実したフリーダのコレクションを持つドローレス・オルメド美術館があり、彼女の生涯を記念する実家や夫のアトリエが今なお当時のままに残っている。
 フリーダの作品には自画像が多い。オルメド美術館の名作「ヘンリー・フォード病院」は、交通事故の後遺症で幾度も流産を繰り返した悲しみを描いた物だ。
 そしてもう一つの名作が「ちょっとした刺し傷」。無惨に刺されたフリーダと、ナイフを持って何事もなかった顔の夫リベラ……。当時メキシコの英雄とたたえられた画家リベラの浮気性にフリーダは幾度も傷ついた。フリーダの作品の多くは夫との愛憎を描いたものだ。幾たびかのフリーダの浮気は夫への復しゅうであり、それでもなお夫を愛し続けていた。
 身体と精神の苦痛を赤裸々につづった特異な自画像の作家フリーダ。
 その作品の原点はメキシコ民衆の敬けんな祈りの絵にある。病やけがの凄惨(せいさん)な場面を描き、そこから救われることを神に祈った奉納画だ。血みどろに苦悩するフリーダの自画像は、深くメキシコ民衆の文化に根ざした物だった。
 オルメド美術館の作品を中心に、フリーダが暮らした家やフリーダ作品の原点となる奉納画が掲げられた教会をたどり、愛と苦悩と真っ正面から向き合った一人の女性の生涯を旅する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体にごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-04-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0449





●世界美術館紀行 「復元・古代の大祭壇」 〜ベルリン・ペルガモン博物館〜

 第二次世界大戦による徹底的な破壊と東西の分断など幾多の苦難を乗り越えてきたベルリン美術館が今再び美の殿堂として蘇りつつある。
 プロイセン王家のコレクションを基に1830年開館したベルリン美術館は実は17の美術館、博物館の総称である。中でもぺルガモンやバビロンの古代遺跡を壮大な規模で復元し、世界随一といわれているのがペルガモン博物館。ヘレニズム芸術の絢爛(けんらん)たる花といわれる古代ぺルガモンの遺跡はどのようにドイツにもたらされたのだろうか。そこには道路建設技師カール・フーマンと王立博物館の学者コンツエによる古代遺跡発見と発掘の物語がある。おりしもヴィルヘルム1世とビスマルクによるドイツ帝国建国後、文化、芸術の面でもヨーロッパ列強の仲間入りを目指していたドイツは1878年、現在のトルコに大遺跡調査団を送りこむ。そして発見されたのが謎の古代王国といわれたペルガモンの古代遺跡と全長120mに及ぶ大祭壇だったのだ。数万もの断片に分かれていた出土品は1000トンを越える。それらはベルリン美術館に運ばれ、以後半世紀にわたって試行錯誤が繰り返された果てに当初の姿に復元されたのである。
 番組ではペルガモン(BC262〜BC133)の遺跡発掘とベルリンでの復元のドラマを中心にペルガモン、バビロンなど古代の建築と彫刻の美をたっぷりと紹介する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-04-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0182





●世界美術館紀行 「鉄腕館長 執念のコレクション」 〜ベルリン・絵画館〜

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-04-23(2005-04-15の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0184





●世界美術館紀行 「美の都フィレンツェを作ったコンクール」 〜バルジェッロ美術館〜

フィレンツェでルネサンス彫刻を見ようと思ったら、バルジェッロ美術館に足を運べばいい。13世紀に造られたこの建物は、かつて警察署であり、牢獄や処刑場もあった。マキャベリは謀反の疑いで地下牢に幽閉され、ダンテは追放の宣告を受けた。恐怖の象徴だったバルジェッロは19世紀にミケランジェロの「ブルータス」やヴェロッキオの「ダビデ像」などイタリアルネサンスを代表する彫刻を集めた美術館として生まれ変わった。
 この美術館の二つの至宝が二階の壁に並んで展示されている。ルネサンス誕生を象徴するあるコンクールに出品された作品だ。1401年、フィレンツェの象徴であるサン・ジョバンニ洗礼堂の門扉のブロンズ装飾の制作者を決める催しが開かれた。それは史上初の美術コンクールであり、すぐれた個人の才能を登用しようとする近代的な精神の最初の表れでもあった。当時を代表する7人の工人が競った末、最終選考に残ったのは、ブルネレスキとギベルティの2人。テーマである旧約聖書の「イサクの犠牲」を、ブルネレスキは大胆でドラマチックに表現し、ギベルティは優しげで洗練された表現で対抗した。
 結果として門扉の制作を請け負ったのはギベルティだが、どのような審査がなされたのかは謎とされてきた。ギベルティは自伝で、満場一致で自分が圧勝したといい、ブルネレスキの伝記では、両者優勝との審査が下ったが、誇り高きブルネレスキは辞退した、とあるからだ。
 しかし作品の比較調査により真相が明らかになった。同じ大きさの作品ながら、重量はギベルティの方が7キロ軽かったのだ。高価な材料であるブロンズをより少量で美しく仕上げるのは彫刻家の必須条件であった。さらに裏側を見るとブルネレスキの方がつぎはぎが目立ち、仕上げが雑なのがわかる。こうしたことから審査はギベルティ優勝に決したと考えられる。
 ブルネレスキが完成させた扉は、後にミケランジェロに「まるで天国の門だ」といわしめるほど美しいものだった。ギベルティはこの仕事を足がかりに彫刻家としての地位を不動のものにした。一方ブルネレスキはこの後、建築の道に進み、フィレンツェのもう一つのシンボル「花の聖母教会」のドーム建築のコンクールではギベルティを破って一矢を報いた。それはルネサンス様式の建築の誕生でもあった。サン・ジョバンニ洗礼堂のコンクールは、フィレンツェにおけるルネサンス幕開けの場だったのだ。
 番組では、バルジェッロの所蔵品紹介をベースに、ギベルティ対ブルネレスキという西洋美術史に残る名対決を追う。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごくノイズあり> [GP-1151]
NHK教育 25min 2005-08-19(2005-04-22の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「青の輝き フェルメールの魔術」 〜マウリッツハイス美術館〜

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-05-07(2005-04-29の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「アステカの太陽に抱かれて」 〜メキシコシティー公園の美術館〜

 人口1800万人、世界最大の都市メキシコシティー西部に広大に広がるチャプルテペック公園は、世界最大級の博物館や美術館が建ち並び、あたかもメキシコの歴史と美術を巡る巨大なテーマパークのような公園である。
 国立人類学博物館は世界3大博物館と評される質量ともに優れたメキシコの古代文明の遺品が展示されている。スペインによる征服前のアステカ帝国の巨大で魅力的な神々の像、赤、青、黄色の極彩色で描かれた神々の壁画が見る者を驚かせる。とりわけ館内の中心に置かれた「太陽の石」はメキシコを象徴する作品だ。太陽を崇拝するアステカ帝国の神殿をかつて飾っていたこの巨大な円形の石版は、単なる祈りの対象ではなく正確な太陽の運行を記録する暦であった。
 太陽の王国の伝統は、スペインの植民地支配を経て20世紀によみがえる。輝く太陽のもと壮大な規模で町に現れるようになった数多くの壁画である。
 1910年の革命以降、諸外国の影響を排除し、メキシコ独自の文化を取り戻そうという機運が高まった。壁画運動はメキシコの歴史や革命の精神を伝えるため、鮮やかな色彩や素朴な筆致といった古代からの伝統が取り入れられているのだ。チャプルテペック公園の城や美術館は、鮮やかな色彩と強烈なメッセージの壁画に埋めつくされている。強烈な太陽が照らし出す極彩色、想像力豊かな神々の姿……。古代から20世紀まで貫かれたメキシコ的なものを、チャプルテペック公園の美術館で追体験する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-05-06 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)




●世界美術館紀行 「憧れの英国貴族ライフ」 〜ロンドン・ウォレスコレクション〜

ロンドン中心部の閑静な住宅街に建つハートフォードハウス。かつてイギリス貴族の邸宅だったこの建物には、代々の侯爵が収集した美術品が展示されている。レンブラント・ルーベンス・ベラスケスなど巨匠の作品が25もある部屋の壁を埋め尽くす。とりわけ充実しているのがブーシェ、フラゴナールなどの華麗で甘美な18世紀フランスのロココの作品たちだ。5代目当主の名にちなんで「ウォレスコレクション」と呼ばれるこれらの美術品は個人の収集としては世界でも有数のコレクションといわれる。
 歴代の当主の中で目利きだったのが4代目ハートフォード侯爵と彼の息子リチャード・ウォレスだ。4代目侯爵は当時のイギリス貴族趣味に沿って華麗なロココの芸術を愛し、公の職に就くことなく生涯のほとんどを収集に捧げた。また息子リチャードに対しては、代理人として美術品を購入させるなど収集の中で美の英才教育を施していった。
 二人が購入した作品でとりわけ有名なのが、フランスの画家ブーシェが描いた「ポンパドゥール婦人の肖像」。ロココ芸術の中でも珠玉の作品と言われる。親子が収集した作品の数々は当時のイギリス貴族から憧れの眼差しを持って讃えられた。二人の死後、コレクションは館とともに国に寄贈され、1900年に国立の美術館としてオープンした。
 番組では二人が住んでいたままに残された美の館を訪ね、当時の英国貴族たちが愛してやまなかった華やかで優雅な世界を満喫する。
<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-05-13 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)
ノイズなし??
NHK教育 25min 2005-09-30(2005-05-13の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「愛しのモダンアート」 〜ニューヨーク近代美術館MOMA〜

モダンアートの殿堂ニューヨーク近代美術館は21世紀を迎え、900億円あまりをかけた大規模なリニューアルをした。ピカソ、マチス、ウォーホルやポロックから新しいメディアアートまで、一層充実したモダンアートのコレクションと、日本人谷口吉生による美しいモダニズム様式の建築など、マンハッタンの新名所となった。
 「MoMA」の愛称で知られるこの美術館が創設された75年前、まだ世の中には前衛的なモダンアートを展示する本格的な美術館はなかった。この美術館を創設したのは資産家の妻や娘たち。特に当時アメリカで最も大きなセザンヌのコレクションを所有したリリー・ブリスの寄贈した後期印象派の名作の数々(セザンヌ「水浴する人」、ゴーギャン「太陽と月」、スーラ「オンフルールの夕景」など)は、後にMoMAのコレクションの礎となった。
 リリーが最初にモダンアートと出会ったのは1913年の国際現代美術展「アーモリー・ショー」だった。後期印象派の絵に並び、ピカソやマチスの絵画が出展され、その斬新さが非難の的となった。にもかかわらずリリーを筆頭に多くの女性たちがこうした絵画を購入した。社会的に活躍の場が限られていた女性たちにとって、アート収集は自己表現の手段だった。その後、リリーはロックフェラー夫人と出会い、1929年美術館を開館させる。第1回の展覧会「セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ展」は記録的なヒットとなった。リリーは遺言状のなかで世界最大のモダンアート・コレクションを築くために、最愛のコレクションの売却を許可した。モダンアートの記念碑ピカソ「アヴィニョンの娘たち」は、リリーのドガ「レースホース」を売ることによって入手。キュビスムの代表作「マ・ジョリ」など「リリー基金」によって購入した名画はいま、MoMAの核となっている。世界最初のモダンアート美術館がいかにしてニューヨークに誕生したのか、その物語を交えながら、アメリカの女性たちの自由な感性で選ばれたモダンアートの傑作を堪能する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-05-20 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「古代エジプト 三千年の謎を解け」 〜ルーヴル美術館[6]〜

 パリ・ルーヴル美術館の人気コーナー・古代エジプト部門。収蔵品5万5千点を誇る、世界でも指折りのエジプトコレクションには、言語学者シャンポリオン(1790〜1832)の、古代への情熱の物語が秘められている。
 1798年、ナポレオンはエジプト遠征に学術調査団を随行、その報告書が出版されると、フランスに大エジプトブームが起こる。当時8歳の少年シャンポリオンは、この壮大な文明の魅力に打たれ、エジプトを研究する学者になることを決意。数か国語を操る天才言語学者に成長したシャンポリオンは、1822年、ナポレオン軍が発見した石碑により象形文字・ヒエログリフの解読に成功、長い間謎に包まれていた古代エジプト文明解明への扉を開いた。
 ルーヴル・エジプト部門は、国王から命をうけたシャンポリオンが初代学芸員として立ち上げたものだ。開館時、9000点にのぼる所蔵品の購入・展示はすべて自分で行い、さらにエジプトへの調査旅行にも出発、100点の発掘品を持ち帰った。そのコレクションはそのまま、古代エジプト世界再発見の臨場感を今に伝えてくる。華やかな浮き彫り「ハトホル女神とセティ1世」は、古都ルクソールの「王家の谷」を訪れたシャンポリオンが、盗掘で荒らされた墓を調査中、壁のヒエログリフを読み解いたことで、偉大なファラオ・セティ1世の墓であることが判明したという記念の一品だ。また、世界最大の神殿建築・カルナック神殿から出土した女性像「神妻カロママ立像」のヒエログリフからは、王女を太陽神の妻として捧げた、古代エジプト人の宗教観が明らかになる。シャンポリオンは、2年にわたる現地調査のスケッチ88冊を携え帰国するが、熱病のため41歳の若さで急死。遺志を継いだ兄が出版したこの草稿は以後、世界のエジプト研究の原点となった。
 その激しい情熱ゆえに常に周囲の無理解にさらされていたシャンポリオンは、ただ故郷の兄に対してのみ心の内を明かす手紙を書き送っていた。番組では、この手紙の数々を軸としながら、孤高の天才シャンポリオンの眼差しによって、古代エジプト文明の魅力に迫る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-06-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「ロンドン新名所 アートのテーマパーク」 〜テート・モダン〜

受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり
NHK教育 25min 2005-06-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「ミラノ・独身貴族の美的生活」 〜ポルディ・ペッツォーリ美術館〜

北イタリアの古都ミラノ。有名なスカラ座に程近い街の中心に「ヨーロッパ随一の美しさ」とうたわれる邸宅美術館がある。19世紀ミラノの名門貴族ポルディ・ペッツォーリは父の死後、何代にもわたってペッツォーリ家に受け継がれた美術品や宝飾品、更には莫大な遺産を相続した。熱心な美術愛好家だった母の影響を受け自らもコレクションに情熱を傾けるようになる。しかし、当時オーストリアの支配下にあった北イタリア各地には独立運動の嵐が吹き荒れていた。若きポルディは「ミラノの5日間」と呼ばれた市民蜂起の支援者の一人であった。思い罰金刑を受け追放の身になったポルディ。イタリアが王国として独立を果たした後、ポルディはポライウオーロ、ボッティチェリ、マンテーニャ、など母国イタリアの名品中の名品を収集し、イタリア名門貴族の美意識を後世に伝えようと試みる。彼が自らの死の数日前に購入した最後の作品はボッティチェリの悲哀に満ちた傑作「ピエタ」だった。
 「黄金の間」、「黒の間」、「ロンバルディアの間」など絵画の名品と美術工芸品が並ぶ部屋。生涯独身だったポルディが思いのままに作り上げた最高の美の館は、1881年、ペッツォーリの遺言によって美術館として一般市民に公開された。番組では優雅なイタリア貴族の邸宅のたたずまいと多彩なコレクションを堪能しつつ、背後に秘められたひとりのイタリア人の独立への思い、愛国者の物語を綴る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-06-17 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0730





●世界美術館紀行 シリーズ 至福の休日を楽しむ旅(1) 「セーヌ河畔モネの花めぐり」

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-07-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 シリーズ 至福の休日を楽しむ旅(2) 「カタルーニャ天才少年の名所案内」

 スペイン、カタルーニャ地方。バルセロナを中心に、美しい風景と明るい日差し、豊かな食べ物に恵まれた、スペインでも格別美しい地方だ。19世紀末、産業が発達し、経済的に繁栄するバルセロナには、多くの芸術家たちが集まり、新たな表現を模索していた。そんな熱気に溢れたこの土地で、20世紀を代表する3人の大画家が少年時代を送った。ピカソ、ミロ、ダリ。多感な年頃のその目にカタルーニャはどんなふうに映っていたのだろうか。天才少年の原風景をたどりながら、19世紀末から20世紀にかけて新たな芸術の中心となったカタルーニャの魅力を紹介する。

○絵の腕試しは闘牛場で (ピカソ美術館)
 少年ピカソお気に入りの場所は、闘牛場。16世紀末スペイン宮廷の祝賀行事として始まった闘牛は、今も国技として絶大な人気を誇るエンターテインメントだ。10代のピカソも闘牛に魅せられ数多く絵に残した。生と死のドラマを演出する一大芸術としての闘牛は、ピカソにスペイン人である誇りをもたらしてくれるものだった。

○仰ぎ見ればガウディ (ミロ美術館)
 19世紀末バルセロナに生まれたミロは、未完の教会サグラダ・ファミリアなど、ガウディの建築が次々と建てられるのを見て育った。植物や生物をモチーフに、イスラムの影響を受けた幾何学的なデザインを加味したカタルーニャならではの表現。バルセロナで巻き起こった新様式に魅了されたミロは、カタルーニャの田舎の、畑や農作物、家畜を斬新に描いた。やがて世界的な芸術家となったミロは、ガウディを真似るように、広場や街角に自分の作品を置いた。故郷に献げられたミロの芸術はバルセロナの新たな魅力となって、この街を訪れる人々の目を楽しませている。

○美味(おい)しい土地でダリは育つ (ダリ美術館)
 カタルーニャの海岸は奇岩が並ぶ風光明媚な土地。そこが少年ダリの遊び場だった。岩が怪物や女に変わるのを空想して楽しんでいた。その空想から超現実的な作品が生まれた。また、魚介類など新鮮な食材が多くそろうカタルーニャは料理が美味しい土地としても有名。美食家だったダリの絵にもエビやカニがよく登場する。ダリの好きだった料理なども紹介しながら、カタルーニャの海岸に少年の心の風景を探す。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-07-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 シリーズ 仏教の美を巡る旅(1) 「姿なきブッタを探して」 〜コルカタ・インド博物館〜

イギリス植民地の首都として栄え、思想・文化の発信地として謳われてきたインド第2の都市コルカタに、世界に誇る「インド博物館」がある。ここは、インド研究の先駆者ウィリアム・ジョーンズ卿によって1814年に開かれた、インド最大にして最古の博物館だ。
インド博物館を巡る旅は、仏像誕生に至る歴史をさかのぼる旅でもある。インダス文明の民が崇拝した「地母神」(紀元前2500年)に始まり、釈迦にまつわる説話を刻んだ「鹿王本生」(紀元前2世紀)、さらには「ガンダーラ仏座像」(3〜4世紀)へと至る造形表現の流れを、つぶさに観察することが出来る他に類を見ない博物館だ。
 しかし、中でも決して見逃すことができないのは、古代仏教美術の中で最も重要な遺構の一つとされる、バールフット彫刻の一群である。紀元前2世紀半ば、シュンガ王朝の時代に造られたこの巨大な塔門と欄楯(らんじゅん)は、直径22メートルのストゥーパ(仏塔)を囲むように建てられていたものだ。石柱に施されたおびただしい数の浮き彫りには、釈迦の生涯と前世にまつわる物語が素朴な造形表現で描かれている。植物や花々の溢れんばかりの装飾、躍動感に満ちた人物像。それは「仏像」が誕生する遙か以前の、人々の美意識と信仰を今に伝える貴重な史料だ。
 番組では、インド博物館の仏教彫刻をはじめとする珠玉のコレクションを紹介。日本人の美意識にも多大な影響を及ぼした仏教彫刻の源流へとさかのぼり、古代インド文明の魅力を紹介する。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-07-15 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 シリーズ 仏教の美を巡る旅(2) 「アジア・文明の十字路を越えて」 〜ニューデリー国立博物館〜

 インドの首都、デリーの中心部に建つニューデリー国立博物館。建物に一歩足を踏み入れると、そこはさながら、仏教の仏やヒンドゥー教の神が集う美の館だ。2世紀に作られた「菩薩頭部」(2世紀・マトゥラー出土)から、12世紀に作られたブロンズの傑作「踊るシヴァ神」(12世紀・南インド)まで、いずれの作品も、古代インドに興ったいくつもの宗教が、互いに刺激し合いながら、その美意識を発展させてきた歴史を物語っている。中でも、仏像ギャラリーの「仏頭」(5世紀・サールナート出土)は見逃すことが出来ない。この仏像が作られたのは3世紀から5世紀にかけての、グプタ朝の時代。北インドを統一したこの王朝のもと、インドは芸術の黄金期を迎えた。伏し目がちな瞳をした「仏頭」は、深い精神性をたたえ、その美しさは類を見ない。
 博物館の最大の見所は、「スタイン・コレクション」と呼ばれる古代仏教美術の品々。イギリス人考古学者オーレル・スタイン(1862〜1943)が中央アジアの遺跡から持ち帰った壁画や彫刻だ。
 スタインの学術調査探検を支援したのは、当時のイギリス政府とインド政府。スタインの収集品は、支援金の額に応じて、ロンドンの大英博物館とニューデリー国立博物館に分けられた。
 ニューデリー国立博物館に納められた遺品のうち特に注目すべきは、900点以上に及ぶ仏教壁画の数々だ。中でも、「説法する仏陀と弟子たち」(3世紀・ミーラン出土)は、シルクロードにおける東西文明の交流を伝える貴重な一枚。極彩色のブッダは、ヨーロッパのフレスコ画にみられる陰影法が用いられ、その表情はまるでキリスト教の聖者のようだ。スタインは他にも、唐代の仏画を数多く持ち帰った。いずれも、日本の美術に多大な影響を与えた作品ばかりだ。番組では、時代や地域ごとに、さまざまな変容を遂げてきた仏の美を紹介。文明の十字路で育まれた仏教美術の多様性を味わう。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-07-22 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「ミュンヘン 愛と青春の芸術革命」 〜レンバッハハウス美術館〜

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-07-29 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「パリに生まれた異教の殿堂」 〜パリ・ギメ美術館〜

 凱旋門にほど近いパリの中心部に、東洋美術の殿堂・ギメ東洋美術館がある。
 リヨンの実業家エミール・ギメ(1836〜1918)が築いた4万点のコレクションは、アフガニスタンから日本までをカバーする世界屈指のもの。中には、法隆寺金堂の国宝・阿弥陀三尊像の脇侍だった「勢至菩薩」など、驚くべき超一級品が含まれている。
 科学者の父、画家の母を持つギメは、父の発明した顔料工場経営のかたわら、世界各地の宗教と芸術の研究に打ち込んでいた。当時開国したばかりの日本は、最も遠く、神秘的な国としてギメを引きつけていた。しかし1876(明治9)年、日本に上陸したギメの目に映ったのは、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策により、寺々を打ち壊し、仏像を焼き払う明治日本の姿であった。ギメが仏像を集めていると知った日本人たちは、風呂敷に仏像をくるんで、ギメの泊まるホテルの前に列をつくった。「あなたが買ってくれなければ、燃やすしかない。」切実な訴えを聞き買い取るうちに、コレクションは600体という膨大な量にのぼった。
 ギメは帰国後の1889年、パリ市の援助により博物館をオープン、自ら初代館長となる。日本から僧侶を招いて館内で仏教儀式を執り行うなど、生きた宗教理解の場としてユニークな活動を行うが、ギメの没後は、ルーヴル美術館東洋美術部門との合併などで、創立者ギメの記憶は薄れていった。18年前に同館に着任した日本人研究者・尾本圭子さんは、館蔵資料を調査中に、ギメの日本滞在記2冊を発見する。そこには、日光や京都の高僧たちと真剣に宗教談義を戦わせ、文明開化下の急速な日本の変貌を憂う、知られざるギメの心情が書き留められてあった。当時ヨーロッパで激化していた資本家と労働者の対立に心を悩ませていた工場経営者ギメは、近代社会で人々が幸福に暮らすための指針を、宗教の知恵の中に見出そうと、東洋への旅に出ていたのだった。
 番組では、ギメの日記「日本散策」を軸に、珠玉の仏教美術コレクションを紹介。一人のフランス人が心のよりどころを求める中で見出した東洋の美とは何だったのかを探る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-08-12 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「美の都フィレンツェを作ったコンクール」 〜バルジェッロ美術館〜

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2005-08-19 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「女帝が愛した秘密の隠れ家」 〜エルミタージュ美術館〜

 ロシアの古都サンクトペテルブルク。市街を流れるネヴァ川に面して建つ壮麗なゴシック様式の建物がロシアが世界に誇る美の殿堂、エルミタージュ美術館だ。ロマノフ王朝の5つの豪華けんらんたる宮殿からなるこの美術館には270万点にも及ぶ美術品が所蔵されている。レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロといったルネサンスの時代から、ピカソやマティスといった20世紀に至るまでその収集品は質量ともに超一級の内容を誇っている。
 このエルミタージュ美術館の礎を築いたのがロマノフ王朝11代皇帝エカテリーナ2世(1729〜1796)だ。皇位に就いていた40年の間に啓蒙君主としてロシアをヨーロッパの国々に匹敵する強国へと押し上げた。しかしそれはいばらの道だった。国外ではトルコをはじめとする周辺各国との争いがあり、国内では農民たちによる反乱や宮廷内での権力争いが繰り返された。
 そんな彼女が公務から離れ、一人の人間として心いやす場所、それが宮殿に併設して作られた「エルミタージュ」だった。フランス語で「隠れ家」を意味するエルミタージュには、エカテリーナが心を許した人間しか入ることができなかった。エルミタージュに作られたのは散策するための屋上庭園や豪華な食堂、さらにはヴァチカンの「ラファエロの間」を忠実に再現した「ラファエロ回廊」や、自作の戯曲を上演するための劇場。そして何より重要だったのが巨大な美術ギャラリー。ここにはヨーロッパ各地に特使を派遣して購入させたラファエロ、レンブラント、ルーベンスといった西洋絵画の名品が架けられた。エカテリーナは親しい友人に手紙を書いている。「エルミタージュの名画を見ているのは私とねずみだけだ」。
 番組では激動の人生を送った女帝エカテリーナの隠れ家としてのエルミタージュと、彼女を彩った世界的な美術品の数々を紹介する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-09-02 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「ロシアに咲くマティスの花園」 〜エルミタージュ美術館[2]〜

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-09-17(2005-09-09の総合での再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●世界美術館紀行 「剛胆王 美の王国に君臨す」 〜ドレスデン国立美術館〜

80人もの愛人との間に200人の子どもを設ける絶倫ぶりと、他国の王位を奪い取る政治的野心のために「剛胆王」とあだ名された男がいる。ザクセン選帝公国の君主、フリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王アウグスト2世 1670〜1733)だ。絶対主義君主が覇権を競ったこの時代、怪物の如き剛胆王が最も精力を注いだのは「美」だった。まず、首都ドレスデンを「エルベ川の真珠」、「ドイツでもっとも美しいバロック都市」と言われるまでに整備した。さらにこの都に絵画、宝飾、磁器とあらゆる美術品をもたらし、市民に開放したのである。剛胆王は、ヨーロッパ随一の文化行政都市ドレスデンを築き上げることで、自らの名を内外に誇示したのである。
 この豪華なコレクションを今に受け継ぐのがドレスデン国立美術館である。ラファエロやレンブラントの傑作が居並ぶ「古典絵画館」や、この世に二つとない宝飾品が目白押しの宝物館「緑の丸天井」、有田焼など世界中の磁器2万点を集めた「磁器収集室」など12部門から構成される。その驚異の収集品が豪胆王の死後も歴代君主により守り続けられ、第二次世界大戦の戦禍を潜り抜けながら散逸せずに伝えられたことは「ドレスデンの奇跡」と言われている。
 番組では、美につかれた絶対君主・アウグスト剛胆王を中心に、王の命を受けヨーロッパで初めて磁器制作に成功した錬金術師のエピソードなどを交えながら、ドレスデンに花開いた奇跡の美を堪能する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-09-16 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「パリの赤ひげ ロココ熱愛物語」 〜ルーヴル美術館[7]〜

パリ・ルーヴル美術館で人気を博す、ひとりの青年がいる。
18世紀フランスの画家ヴァトーの代表作「ピエロ(旧称ジル)」。白い道化の衣装に身を包み、キャンバスの中央に等身大で突っ立つように描かれた彼は、その悲しくも懐かしげな表情で多くの人々を引きつけてきた。夢のように淡い色彩。芝居や恋など、軽やかで優雅な画題。これら耽美と憂愁が漂う18世紀絵画は、「ロココ美術」とよばれる。
「ピエロ」は、19世紀パリの医師ルイ・ラ・カーズ博士(1798〜1869)の秘蔵品として長く愛され、その死によってルーヴルに寄贈された作品である。ラ・カーズは、貧しい患者には無料で治療する赤ひげ先生。生涯独身を通し、流行遅れとなっていたロココ絵画ばかりを熱心に集める奇人として知られた。作者ヴァトーは、故・三島由紀夫ら世界中にファンをもつフランスの代表的な画家だが、ラ・カーズのコレクションがルーヴルに入るまでは、全く忘れられた存在だった。「ピエロ」も元は、パリの街中に掛けられていた芝居の看板に過ぎなかった。
 ラ・カーズはなぜ、世間に笑われながらロココ美術を集め続けたのか?また、「ピエロ」とどのように出会い、彼を名画に育て上げたのか? 番組では、ラ・カーズの客間に置かれ25年の間生活を共にした「ピエロ」が先生の思い出を語るスタイルで、ラ・カーズ・コレクションの世界へ案内。博士が自らの生活とひきかえに守り、愛したフランスの美・ロココの魅力を探る。ピエロ役の語りには、個性派俳優の佐々木蔵之介が出演する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-09-00 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)




●世界美術館紀行 「ムーミン谷へようこそ」 〜フィンランド・タンペレ市立美術館〜

 18万を超える湖と広大な森に覆われたフィンランド。夏は太陽の沈まない白夜、冬は日の昇らぬ極夜の国だ。フィンランド芸術を所蔵するタンペレ美術館で唯一、別館を設けて展示されるのが、ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンだ。トーベは、日本では子ども向け童話作家と思われているが、現代的な抽象画や、批判精神あふれる諷刺画、公共建築を飾る壁画など、そのコレクションは、彼女が、芸術家として高く評価されていることを物語る。
 1914年、彫刻家の父と挿絵画家の母のもとに生まれたトーベは、ヘルシンキの美術大学からパリに留学、本格的に絵を学んだ。マティスやモディリアーニに影響を受け、イタリアなどヨーロッパ各地を旅して描かれた当時の作品は、単純化された明るい画面である。やがてフィンランドに戻ったトーベは青を多用した表現を確立する。それは、太陽が昇らない冬の、青く沈んだ空の色だった。時代は第二次大戦前夜。フィンランドがドイツと手を結ぼうとするなか、風刺雑誌に描き続けたナチス批判の挿絵の中にムーミンが現れる。最初のムーミンは黒くて眼の赤い孤独な妖精。ムーミンは、絵を武器にひとり時代に異議を唱える芸術家トーベの分身だった。
 ムーミンの源は、森や伝説などトーベの少女時代の原風景だ。フィンランドの人々は、自然の中に一人でいることを好むが、トーベもまた、孤島を借り、1年の半分をそこで一人きりで暮らしながら、ムーミン童話を作りあげた。そうして描かれたタンペレ美術館の1000点を超える水彩原画は、日本でなじんだアニメとは全く違う、白夜のように幻想的で不条理な、大人の世界だ。番組では、アニメや童話では知ることのできないトーベ・ヤンソンの芸術作品を通して、フィンランドの自然と、人々の自由で豊かな魂に触れる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-10-07 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「世界初 市民が生んだ美の殿堂」 〜スイス・バーゼル美術館〜

 中世から自治都市として栄え、「スイスの黄金の門」と呼ばれるスイス第三の都市バーゼル。街の人々の誇りがバーゼル美術館だ。1671年に、王侯貴族ではなく、市民自ら設立した世界最古の公立美術館である。質・量ともにスイス一と言われる所蔵品には、クラナッハ、ホルバイン、レンブラントら古典絵画、ベックリン、ホドラー、クレーらスイスゆかりの画家、フランス印象派のそうそうたる名作が含まれる。
 フランス・ドイツと国境を接し、ライン河畔に開けた街・バーゼルは、古くからの交通の要衝で、中世には、自治権を持つ「自由都市」として発展。スイス最古の大学を擁し、活版印刷の高い技術を有したこの町では、16世紀、豊かな経済力と高い教養を持つ市民たちが、文化の黄金時代を築きあげた。当時、印刷業で財をなしたアマーバッハ家は、絵画、素描、版画およそ6000点の美術品を収集した。その中核をなすのがドイツ・ルネサンスを代表するハンス・ホルバインの作品群だ。アマーバッハは、当時バーゼルで活躍していたホルバインと親交を結び、名作「墓の中の死せるキリスト」などを購入、今では世界最大と言われるホルバイン・コレクションを形成した。やがて市民の間から、その美を分かち合おうという声があがったことから、バーゼル市が1661年この一大コレクションを購入し10年後に一般公開された。美術鑑賞が王侯貴族の道楽だった時代に、バーゼルの市民たちが、自らの手によって美術館を誕生させた瞬間だった。
 その後も、美を愛する市民の手によって美術館は育っていった。市民から相次いだ寄贈作品は、3000点にのぼり、現在も増え続けている。第二次大戦の嵐が吹き荒れる中、美術館は、ナチス・ドイツによって「退廃芸術」の烙印を捺された表現主義の作品を救出すべく購入を決断するなど、長い文化的伝統に培われた市民たちの芸術擁護の精神は、現代に至るまで脈々と受け継がれている。
 市民たちの美と自由への意思表明の場に他ならないバーゼル美術館。その珠玉のコレクションを通じて、バーゼルの人々が美術館に託した思いを見つめる。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-10-14 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「北欧 癒しのモダニズム」 〜フィンランド・デザイン美術館〜

モダンなのにナチュラル、飽きの来ないデザイン性。そんな北欧デザインが一堂に会するのがフィンランドの首都ヘルシンキにあるデザイン美術館だ。デザインの世紀と呼ばれる現代、北欧デザインは、流行に左右されない美しさや、自然との共存といった新たな価値観を提唱してきた。映画「007」の椅子や、「2001年宇宙の旅」の家具はここでしかお目にかかれない一点モノ。日常生活でおなじみのデザインもフィンランド生まれだ。戦後を彩った大胆な色彩の布、世界中で模倣されるハサミ、日本でも大ヒット商品となった電話。35000点を超えるコレクションは、北欧デザインが世界中で愛用されていることを物語る。
 建国90年に満たないフィンランドの「父」と呼ばれるのが、家具デザイナーで近代建築の世界的巨匠アルヴァ・アアルトだ。1932年、アアルトは、自ら設計した図書館のために椅子をデザインする。素材には、当時流行したスチールパイプなどの工業製品ではなく、フィンランドの森の樺(かば)を選んだ。樺は柔らかく、家具には不向きだが、板状に重ねて強度を出し、さらに、「挽き曲げ」という犬ぞりを作る伝統技術によって、椅子の脚に独特の曲線を生み出した。機能性と温もりを備えた北欧デザインの原型といえるこの椅子は、現在も図書館で使われている。
 アアルトは次々と建築と家具をトータルデザインした。病院には患者に最適な椅子を。レストランには、湖の形のガラスと、白夜の光のランプを。さらに第二次大戦で壊滅した町の復興都市計画も手がけた。それは「トナカイの角」計画と呼ばれる、自然と調和した人間生活を目指す都市だった。「すべての人が最高レベルの生活を享受できる社会を」。アアルトは、フィンランドの風景と、人々の暮らしをデザインしてきた。
 番組では、北欧の小国をデザイン王国へと押し上げたアアルトの創作を各地にたどり、職人の伝統技術や、若手デザイナーの試みなども織り交ぜて、フィンランドが発信し続ける日常の美の世界を紹介する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-10-21 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「秘蔵の印象派 森の館に集う」 〜オスカー・ラインハルト・コレクション〜

<受信障害により映像全体に軽いノイズと音声ノイズあり>
NHK教育 25min 2005-11-04 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0255





●世界美術館紀行 「世界の首都に傑作を集めろ」 〜ワシントン・ナショナル・ギャラリー〜

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-11-11 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0175





●世界美術館紀行 「ミラノ・独身貴族の美的生活」 〜ポルディ・ペッツォーリ美術館〜

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-11-25 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0896





●世界美術館紀行 「印象派か? ベースボールか?」 〜ボストン美術館[1]〜

 フランス国外では最大規模といわれる38点のモネの作品群、「種まく人」を含む60点以上のミレーの作品、ゴッホやゴーギャン晩年の傑作など、フランス印象派の絵画が一堂に会する、世界の超一級のコレクションを誇るのがボストン美術館である。しかし、これらの傑作をアメリカに集め、紹介したのは大富豪ではなかった。番組の主人公は開拓精神あふれる「市民コレクター」たちである。
 入植以来、ボストンは貿易で繁栄し、ハーバード大学を有するなど学術の都として繁栄した。美術館の開館の年は、1876年7月4日、アメリカ独立100周年。「意義ある年にアメリカ・英知の都市にふさわしい美術館を作りたい」。ボストン美術館は、すべて市民の寄付によって設立・寄贈された。運営も今に至るまで市民の手によっている。この「市民による」絵画コレクションが、ここの最大の特徴である。
 美術館開館以前から、「バルビゾン派」、「印象派」絵画に目をつけた市民コレクター、ウイリアム・モリス・ハント。自ら絵を学んでいたハントは、新絵画を求めフランスへ渡っていた。そこでハントは、若き新進画家ミレーと交流を結び絵画を購入、美術館が建設されると、惜しげもなく作品を寄贈していった。やがて、その思いは同じく画家のライラ・キャボット・ペリーへと受け継がれていく。彼女はモネの隣家に住み友人として絵を学び、帰国後ボストンでモネの作品を紹介していく。
 美術館建設から30年の1905年。ボストンの市民たちは二つのイベントにわき返った。「ボストンレッドソックスVSヤンキース」を見るか、「モネ展」を見に行くか?(一般市民の手紙)かつてない絵画表現は、新興国アメリカで活動しようとするコレクター・画家だけでなく一般の人々の心をとらえていったのだ。
 番組では、ボストン美術館の印象派絵画の名品を紹介しながら、ボストンの市民コレクターが、若きフランス印象派の画家たちと交流を結んでいき、やがてアメリカに世界屈指の美術館を誕生させていくまでの物語を描く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-12-02 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0461, 0275





●世界美術館紀行 「仏に恋したアメリカ人」 〜ボストン美術館[2]〜

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-12-09 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0648





●世界美術館紀行 「ピエロ・デラ・フランチェスカの謎を訪ねて」 〜イタリア サンセポルクロ市立美術館〜

 晴れやかな色彩の中に威厳さをたたえた独特の人物像。ピエロ・デラ・フランチェスカ(1412ごろ〜1492)は、20世紀に再発見され、たちまち初期ルネサンスを代表する画家と認められた。20数点しかない作品の大半は、故郷のイタリア中部トスカーナ地方の小さな町サン・セポルクロと周辺の町にある。中でも旧市庁舎を利用したサン・セポルクロ市立美術館には、信者たちをマントで守る超自然的な聖母を描いた「ミゼリコルディア祭壇画」やフレスコ画の最高傑作「キリストの復活」、「トゥールーズの聖ルイ」などピエロ作品が最も多く所蔵されている。
 これまでピエロは謎の画家とされてきたが、没後500年にあたる1992年、大規模なプロジェクトが立ち上がり、代表作の修復が行われるとともに、最近研究者による貴重な伝記資料の発見が相次いでいる。修復により明らかになったのは制作技法や制作手順。ピエロのマジックと言われるほどの豊穣(ほうじょう)な色彩は、絵具の分析により、卵などのタンパクを結合剤にした独特の顔料の賜物であることが判明した。またピエロは幾何学や遠近法の書物を執筆した当代随一の科学者でもあったが、科学的知識が絵に生かされていることも近年解き明かされた。特に「ミゼリコルディア祭壇画」の中央画の円柱のような力強い聖母の体、マントが作り出す空間、マントの下の8人の信者たちの円形配置などに数学的な造形が潜んでいたのだ。
 他の巨匠たちとは異なり、終生を故郷とその周辺の自然や文化に根ざして生きたピエロ。故郷近郊の小村モンテルキで村人たちが守り伝えた「出産の聖母」や、ウルビーノのマルケ美術館にある「キリストの鞭打ち」、アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂にある「聖十字架伝説」など、サン・セポルクロとその周辺の代表作を織り交ぜながら、幾何学と絵画の融合を成し遂げた画家ピエロ・デラ・フランチェスカの謎に満ちた生涯をひもとく。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-12-16 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0578, 0802





●世界美術館紀行 「パリの赤ひげ ロココ熱愛物語」 〜ルーヴル美術館[7]〜

(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2006-01-06 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「ナポリ 名画に秘められた野望」 〜カポディモンテ美術館〜

きらめく陽光と雄大なヴェスヴィオ火山を背負った南イタリアの古都ナポリ。「ナポリを見てから死ね」とまで言われる美しい町の自慢がカポディモンテ美術館だ。旧王宮を利用した美術館には、マザッチオの歴史的名作「キリストの磔刑(はりつけ)」や、カラヴァッジォがナポリで描いた「キリストの鞭打ち」、ボッティチェリ「聖母子と2天使」、ティツィアーノ「ダナエ」などイタリア絵画をはじめ、ブリューゲルが死の前年に描いた「盲人の寓話」やエル・グレコの「炭火を吹く少年」など傑作が揃う。
 所蔵品の中核はイタリアの名門貴族ファルネーゼ家の膨大なコレクション。1734年、ナポリ王となったカルロ7世がこの地にもたらしたものだ。もともとコレクションの基礎を作ったのはアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(1468−1549)、後のローマ教皇パウルス3世。信仰の道より家門存続への野心に富み、聖職売買をいとわず、独身を破って愛妾と内縁生活を送り、何人も子をもうけながら聖界の頂点にのぼりつめた型破りの風雲児である。パウルス3世の野望に巻き込まれた画家がティツィアーノだ。画家の息子を聖職者にすることと引き換えに教皇は、当時「画家の王」として君臨するティツィアーノに肖像画を描かせた。美術館には肖像画が3点が所蔵されているが、1点は未完に終わった。ティツィアーノが、約束を果たさないパウルス3世についに絶縁状を突きつけたからである。美術館は「呪われた画家」カラヴァッジォの傑作も所蔵する。殺人を犯しローマから逃亡中の画家がナポリで描いた「キリストの鞭打ち」。明暗が交錯する劇的な場面には殺人犯画家の複雑な心情が反映されている。番組では、パウルス3世とティツィアーノとの軋轢や、カラヴァッジォなどナポリにまつわる画家や作品のエピソード、カルロ7世がもたらした磁器の「カポディモンテ焼き」などナポリならではの風土を織り交ぜながら、美術館の魅力を紹介する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2006-04-10(2006-01-13の総合での再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0673, 0181(ノイズなし)





●世界美術館紀行 「よみがえれ 古代ギリシャ アテネ国立考古学博物館」

ヨーロッパ文化の源ギリシャ。首都アテネに国立博物館が創設されたのは1889年のことだ。かつて古代ギリシャの町や神殿を美しく飾っていた彫刻や絵画の至宝は、十数世紀にわたる他国支配の歴史の中で、まずはローマ帝国に運び出され、次にオスマントルコに破壊され、最後には列強国の考古学者によって持ち去られた。1830年、ギリシャがようやく独立を勝ち取った時、目ぼしい美術品はほとんど残されていなかった。ギリシャ国民の悲願は、古代ギリシャ文化の中心地だったアテナイに博物館を建設し、失われた先祖の記憶を復活させること。アテネ国立考古学博物館には、そんな国民の思いが込められている。各地に散逸していた古代の美術品と新しい発掘の成果が次々と集められ、現在では世界屈指のギリシャ美術のコレクションを誇っている。
 先史時代の栄華を伝えるミュケナイ遺跡で発掘された黄金の副葬品、幻のアトランティスとも推測されるサントリーニ島で見つかったおおらかでカラフルな壁画の数々、北部の沖合に沈んでいた古代の難破船から発見された巨大なゼウス像など、新たな発掘や発見がある度に、古代ギリシャの歴史が塗り替えられている。番組では、そうした発掘や発見の現場を訪ね、その壮大な風景やエピソードを交えながら傑作の数々を紹介し、古代ギリシャ美術の多様な魅力に迫る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2006-01-19 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「世界の中心はここにありき」 〜ギリシャ デルフィ考古学博物館〜

世界の中心、それはデルフィだ、と古代の詩は語る。パルナッソス山麓、カスタリアの聖なる水が流れる美しいデルフォイ(現デルフィ)の地に、全能の神ゼウスの息子アポロンがやってきて、ここを神託の地に選んだ。神自ら巨石を積んだ土台の上に神殿が築かれ、巫女(みこ)が彼のお告げを語るようになったという。国家の命運をかけた問題を前に、多くの権力者が神託を仰ぎに訪れたため、この地はギリシャを中心とする古代社会の要所となり、神殿の周りには宝物殿や劇場、競技場などが立ち並ぶ広大な聖域が形成された。
 デルフィ考古学博物館はこの聖域の傍らに建ち、1893年から始められた大発掘の成果を展示する。黄金の衣服をまとったアポロン像、純銀で作られた実物大の牝牛(めうし)……。これらは屈指の美術品であると同時に、神話と現実が交錯する古代ギリシャの信仰と生活を生き生きと伝えるものだ。特にアポロンを称える競技会で、馬車競争を制した若者の像は、現存する最も完璧な青銅像として、世界の注目を集めている。
 番組では、デルフィの巫女が体を清めたというカストリアの泉、雪を頂くパルナッソス山、神殿から見下ろすデルフィの幽谷などの雄大な風景に、遺跡発掘や研究の最新成果を織り込みながら、古代の傑作美術品に人々が託した思いを探る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2006-02-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->F 0874





●世界美術館紀行 「きらめくオスマンの館」 〜トルコ・トプカプ宮殿博物館〜

 アジアとヨーロッパにまたがる、文明の十字路イスタンブールにあるトプカプ宮殿。1478年に完成。城壁の全長5km、敷地面積およそ70万平方メートル。600年以上続いた史上最大のイスラム国家オスマン=トルコ帝国の栄華の証である。
 24代に渡るスルタン(皇帝)の居城としてイスラム文化の中心だった宮殿は、帝国崩壊後、1924年より博物館として一般公開されている。8万点もの収蔵品の中で、一際目をひくのは、かつてのきらびやかな生活をほうふつさせる宝飾品や調度品の数々。実は、これらはイスラム世界の帝王学に基づく、国を保つための道具だった。オスマンの至宝とあがめられる、巨大なエメラルドがちりばめられた「トプカプの短剣」は、もとは東隣のライバル、イラン君主へのプレゼント。8万枚の金貨を溶かして作られた、重さ250kgの黄金の玉座も、異国からの使節団のどぎもを抜くためのものだった。「華々しさで敵を圧倒することができるなら、戦をするより安くつく」と、実利主義のスルタンたちは考えていたのだ。
 さらにはトプカプ宮殿そのものが壮大な美術品なのである。宮殿の原型を作ったのは、第7代スルタン メフメット2世(1432−1481)。古代ローマ帝国を手本に、コリント様式の柱など、宮殿建築に西洋趣味を取れ入れた。その後のスルタン達も、異教徒を寛大に受け入れるコスモポリタンな国造りを目指したオスマン帝国の姿勢を、宮殿の装飾にも反映させていく。偶像崇拝を嫌うイスラム教にのっとり、伝統的な抽象デザインの色鮮やかな白とブルーのタイルで飾られた宮殿の壁。しかし、その天井を燦然(さんぜん)と照らすのは、世界最大とも言われる、フランス製の巨大なクリスタルガラスのシャンデリアなのだ。
 番組では、歴代のスルタンたちが作り上げてきたトプカプ宮殿と、彼らの宝物をたどりながら、かつてのイスラム世界の栄華のきらめきを堪能する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2006-02-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「パリの“アート革命”」 〜ポンピドゥー国立芸術文化センター〜

 フランスでは長年、美術や文化は富裕な教養階級のものであり、美術館に足を踏み入れようとする庶民はほとんどいなかった。この常識を打ち破り、全ての人に開かれた芸術文化センターを作ろう、という構想が発表されたのは1969年。学生や労働者が自由を求めてパリを練り歩いた五月革命の熱が未だ冷めやらぬころだった。夜の10時まで、誰もが自由に出入りを許され、本や資料を閲覧できる図書館と、近現代の芸術やデザインの名品を鑑賞できる美術館、映画を見られる視聴室や音楽の体験スタジオ、子どものワークショップなどが連動する世界初の複合芸術センターの試み。開館当初は、カラフルなチューブと鉄骨でできた斬新な外観が、パリの保守的な市民をいきり立たせたが、30年たった今では年間6百万の入場者を数え、フランスのみならず、ヨーロッパ文化の発信地として、なくてはならない存在になっている。
 今、センターでは、美術品を年代順に並べる従来型の展示をやめ、さまざまなジャンルの作品をテーマ別に編成する新たな常設展に踏み切った。異なる分野を連動させ、千人を超える職員を動かすことは、個人主義が徹底したフランスでは至難の業。しかし、ここにはその困難を乗り越えてでも「全てに開かれた芸術センター」であり続けようとする職員たちの心意気がある。
 番組では、マティス、ピカソ、デュシャンの作品など、ヨーロッパ随一と言われる近現代美術のコレクションを紹介しながら、センターの人々の取り組みに目を向ける。名品を漫然と見せるのではなく、それをいかに見せ、いかに感じさせ、いかに館外の新しい創造へとつないでいくのか。ポンピドゥー・センターの示唆に富んだ「開かれ方」を探る。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体にノイズあり>
NHK教育 25min 2006-03-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->C 0782





●世界美術館紀行 「ナポリ 名画に秘められた野望」 〜カポディモンテ美術館〜

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2006-03-17 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●世界美術館紀行 「印象派か?ベースボールか?」 〜ボストン美術館(1)〜

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2006-03-24 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)




●世界美術館紀行 「ピレネー山中 祈りの美」 〜カタルーニャ美術館〜

ノイズなし [GP-1241]
NHK教育 25min 2006-05-29(総合での再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)







ページ先頭へ