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●知るを楽しむ−この人この世界− 「個性がプロ野球を救う」 佐々木信也

今転機にたつ日本のプロ野球界。果たしてどうすればファンの願う、面白いゲームになるのか。半世紀にわたって試合を見つめてきたスポーツキャスター、佐々木信也さんが、豊富な体験から戦後野球をふりかえり、その魅力を分析、活性化への提言を行う。

<佐々木信也> 1933年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。慶大では二塁手で4年生では主将。56年に高橋ユニオンズに入団。その後、大映ユニオンズ、大毎オリオンズを経て59年に引退し、プロ野球解説者。76年から88年までフジテレビ「プロ野球ニュース」の司会。現在はプロ野球OBクラブの活動や講演をこなしながら、2001年よりCSフジテレビ739の新生「プロ野球ニュース」のキャスターを務める。

第1回 「スーパースターは何かが違う」□?
何といってもプロ野球の華は、スーパースターである。佐々木さんが実際に見た、長嶋茂雄・落合博満・イチローのキャンプなどでユニークな練習振りを紹介してゆく。名投手金田正一に入団一年目に完璧に抑えられた長嶋が考えたのは、大根切りのバッテイング・フォームであったし、落合はフォームベースの真上に立って球を打った。イチローも大変な練習振りで、名の由来など当時の監督・仰木彬さんの証言もあわせて紹介する。仰木監督は、大リーグで活躍する野茂英雄も個性を見抜き、フォームを自由にさせた。個性豊かな選手を如何に育て、試合で活躍させていくか、それが今のプロ野球に必要な第一のことではないかと佐々木さんは言う。

第2回「“最弱球団”の教訓」■ --->G 0198
今年、新チーム・楽天東北ゴールデンイーグルスが誕生したが、その前の新球団は、50年前に誕生した「高橋ユニオンズ」であった。佐々木さんはこの球団の新人選手(昭和31年)として入団した。ユニオンズの成績は3年間で最下位2回、6位1回(8球団)。チームは和気藹々としていたが、佐々木さんは今から思うと、強いチームには、激しい競争意識があり、そこが大事だったという。結局、ユニオンズは経営難から昭和32年3月解散、選手も他のチームに移籍したり、解雇されたり、悲喜こもごもであった。新球団を他のチームが選手を出すなどの手がなかったか、今の楽天の誕生を見て、佐々木さんは自らの体験・教訓から新球団をどう育てていくか、プロ野球界の全体の課題として考えたいという。

第3回「三原マジックの舞台裏」■
昭和35年、前年セリーグ最下位だった大洋ホエールズは、三原脩監督就任により、わずか一年で日本一になりました。三原は、その作戦の奇抜さから「魔術師」「三原マジック」と呼ばれていました。先発に偵察メンバーを並べる「当て馬」「陰武者」、一時的に投手を別のポジションに代え、再びマウンドに戻す「ワンポイントリリ―フ」など、乏しい戦力を生かして勝つ方法を追求した監督でした。三原監督は戦前から巨人軍の選手・監督をしていましたが、昭和二六年西鉄ライオンズ監督となり、古巣巨人に三連覇するなど、名将と呼ばれました。今回は「三原マジック」の舞台裏を佐々木信也さんがお伝えします。

第4回「V9の指揮官・川上の真実」■
プロ野球史上燦然と輝くV9(ぶい きゅう)とは、昭和40年〜48年の9年間、巨人がリーグ優勝、日本一を重ねた記録。監督は戦前から巨人選手として活躍した川上哲治。V9が始まる4年前に監督就任した川上は、2回日本一になる以外、3位と4位。球団はその成績を許さず、昭和40年を前に、川上には日本一できなれば解任という話が伝わった。ここで川上は開き直る。キャンプ中にはゴルフ三昧、作戦はコーチ任せ、自分は補強に力を入れた。主力の王・長嶋を脇を固める打者(足が速く、守備がうまい)を集め、ポジションごとにライバルで競わせた。人間川上の真実を佐々木信也が話します。

第5回 「根本睦男の組織設計」■
1980年代からパリーグの2つの強豪チームを作り上げた男がいます。その名は根本陸夫。西武ライオンズと福岡ダイエーホークス(本年より福岡ソフトバンクホークス)で、監督を務めて、チームの現状を知った上で、ゼネラルマネージャーとして、後任監督を決め、選手補強に力を注ぎます。その思想は「目標を設定したら、人間関係に拠らずに能力ある人を選ぶ」ということ。隠密行動でアマチュアへの人脈を広げた。10年前根本に口説かれて監督を引き受けた王貞治監督に「根本の手法」を聞きます。
根本が急死した99年、王監督は日本一となって、根本との勝利の約束を果たした。

第6回 「永遠のライバル、長嶋と王」■
佐々木さんは、長嶋茂雄・王貞治とは半世紀に渡る付き合いがある。長嶋とは東京六大学野球選抜でマニラ遠征をした。50年前、長嶋は2年後輩だった。同室の長嶋は、夜中に何度もベッドから落ちた。そして「長嶋は制御してはいけない」に気づく。王の運転は模範運転だが、長嶋は周囲が同乗を嫌う乱暴運転。大打者の二人だが、1回目の監督は共に失敗。じっくりチームを作る王監督は、ダイエーホークスを10年かけて、日本一の球団にした。2000年の長嶋巨人対王ダイエーの夢の対決で、王は勝負にこだわり、長嶋は王監督を気遣った。結果は長嶋巨人が制した。永遠のライバルのON二人、日本プロ野球のシンボルである。

第7回 「隠れた名将・藤田元司」■
佐々木さんと藤田元司(巨人選手・監督)は、慶応大学野球部の同期で同級生。大学時代エースの藤田は、負けても腐らず、礼儀正しく清々しい投球ぶりに「マウンドの紳士」と新聞に書かれた。巨人監督時代は長嶋と王の繋ぐ役に徹したが、計7年間で4回のリーグ優勝、日本一2回は、見事な成績で隠れた名将である。藤田は「希代の人情監督」と言われた。大怪我をした吉村選手が、厳しいリハビリに耐え、復帰した打席をベンチの選手たちと涙を流しながら喜んだ、中畑選手の引退が決まった日本シリーズ、中畑のサヨナラホームランを見ると大泣きしてしまった。選手と一緒に喜びあえる監督に、巨人選手も力を発揮したのである。

第8回 「私のプロ野球改革論」■
チームの合併、選手会のストライキ、新チームの誕生など、去年は激動の1年だった。半世紀近くスポーツキャスターを務める佐々木信也さん。プロ野球を面白くするための提案はシンプル。(1)全力で走れ!(2)打ちに行け!(3)早く投げろ! エキサイティングで、スリリングな試合を短い時間で見せて欲しいという願いです。また球場を見直し「ボールパーク」に、フェンスを低く、天然芝の球場を増やすように提言しています。坂井保之(プロ野球評論・元西武球団代表)との対談では、球団改革への取り組みに積極的になるように話し合います。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-04-04〜05-25 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)








●知るを楽しむ−私のこだわり人物伝− 「池波正太郎」 〜人生の職人に学ぶ〜 山本一力

長男に池波作品から名をつけ、池波正太郎を「唯一の師」と仰ぐ、時代小説作家の山本さん。池波作品の魅力や、ダンデイズムにあふれた生き様をエッセイなどから解き明かし、下町の気風・食通だった池波さんの食べ物にまつわる話などヴァライエテイ豊かに紹介する。

<山本一力> 1948年、高知県に生まれる。66年、都立世田谷工業高等学校電子科を卒業。
会社員を経て作家に。97年、「蒼龍」にて第77回オール讀物新人賞を受賞。2000年には、「損料屋喜八郎始末控え」が初の単行本に。02年、江戸の豆腐職人の家庭模様を綴った小説「あかね空」で第126回直木賞を受賞。人情豊かな時代小説で人気を集めている。
その他の著書に『大川わたり』、『はぐれ牡丹』、『深川駕籠』、『深川黄表紙掛取り帖』、『いっぽん桜』、『ワシントンハイツの旋風(かぜ)』、『草笛の音次郎』、『欅しぐれ』、『梅咲きぬ』、『だいこん』、『銭売り賽蔵』、エッセイ集『家族力』などがある。

第1回 「酸いも甘いもかみ分けた男」■ --->G 0560
新しい時代小説の書き手として注目される山本一力さんが、敬愛する作家・池波正太郎の魅力を語り尽くす全4回シリーズ。1回目は「酸いも甘いもかみわけた男」と題して、作家を志すきっかけともなった池波作品との出会いを中心に、ご遺族の協力のもと池波さんの書斎を舞台に語っていただきます。
時代小説の巨匠として「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人藤枝梅安」など数々の名作を残した池波正太郎。しかし山本さんが最初に出会った池波作品は意外なことに時代小説ではなく、「食卓の情景」と銘打った食にまつわる池波さんの名作エッセイでした。この本から山本さんは池波世界にどっぷりはまっていくのです。

第2回 「人物造形のカンどころ」■
新しい時代小説の書き手として注目される山本一力が、敬愛する作家・池波正太郎の魅力を語り尽くすシリーズ。2回目は「人物造形のカンどころ」と題して、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」といった池波正太郎の代表作に登場する人物たちに注目して、池波作品の魅力を語っていただきます。
山本さんの長男の名前は「大治郎」。これは「剣客商売」に登場する秋山大治郎から取ったもの。それぐらい池波作品の登場人物たちに思い入れがある山本さん。池波さんの作品に登場する人物がどれも魅力に溢れているのは、善と悪を切り離さない人物造形の見事さにある、山本さんはいいます。

第3回 「おとながいた町」■
新しい時代小説の書き手として注目される山本一力が、敬愛する作家・池波正太郎の魅力を語り尽くすシリーズ3回目。今回は「おとながいた町」と題して、池波正太郎が愛した江戸・東京の町を、その作品世界や一力さん自身の体験を通じて存分に語っていただきます。大正12年東京・浅草に生まれ育った池波正太郎。池波さんにとってこの東京下町は文字通り「故郷」であり、「鬼平犯科帳」「剣客商売」を始め多くの作品の舞台ともなっています。11年前に深川の地に引っ越して来た山本さんも、下町に魅了されたひとり。東京下町の魅力について山本さんは、そこにはいつも子供たちにものを教えてくれる「おとな」の存在があったのだといいます。

第4回 「男の財布」■
新しい時代小説の書き手として注目される山本一力が、敬愛する作家・池波正太郎の魅力を語り尽くす4回シリーズ。最終回は「男の財布」と題し、遺愛品や数々のエピソードを通じて、池波正太郎が生涯貫いた「ダンディズム」について語っていただきます。
映画や絵画をこよなく愛し、食べることに人一倍こだわりを示した池波正太郎。
池波さんは作品を通じて自らの人柄や生き様を語った作家であり、まさしく人生の職人そのものでした。「野暮を嫌い、あくまで粋に生きる」それこそが池波さんの「ダンディズム」であり、今の世がもっとも必要としている精神ではないかと山本さんはいいます。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-04-05/06-18(2〜4再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)








●知るを楽しむ−なんでも好奇心− 「横浜中華街」 〜人・街・食の歴史物語〜

横浜中華街は、年1900万人が訪れる人気観光地でありながら、実は意外な謎に包まれている。日本と中国、台湾という複雑な三角関係のなか生き抜き、私達を魅惑する街に変貌していった物語や中華街の謎を楽しく発掘してゆく。案内人は山崎洋子(作家・横浜在住)、解説は山下清海(筑波大・大学院教授)。

第1回 「彼らはこうしてやってきた」 横浜開港〜明治■
わずか500メートル四方の狭い空間に200もの中国料理店が密集する横浜中華街。いつ、なぜ、ここに誕生したのか?なぜ周囲から不自然に区画が傾いているのか?など、中華街の知られざる端緒を探り、歴史秘話を紹介する。
19世紀期、混乱の中国・清朝から逃れてきた革命家・孫文を匿い支えたのが中華街の華僑たち。番組では、「お尋ね者」孫文を追う清朝政府が日本政府をもてなしたミニ満漢全席の宴席メニューを再現し試食しながら、横浜中華街をめぐる緊張の歴史物語を推理する。

第2回「日本と中国のはざまで」 関東大震災〜終戦■
外国人居留地が撤廃され日本人も移り住むようになって、食の街としての顔をわずかに見せ始めた矢先の横浜中華街に2つの苦難が襲う。関東大震災と戦争だった。地盤が弱くレンガ造りが多かったために灰燼に帰した中華街を驚異的に復興させたのが、“三把刀(さんばとう)”と呼ばれる華僑の三大技術者集団であった。そしてその後勃発した日中戦争で“敵性外国人”とされ自由を奪われた華僑たちを、再び横浜大空襲が襲うことになる。故国と日本のはざ間で揺れ動く華僑の人たちの苦難と思いを追う。

第3回「中華街誕生」 戦後〜日中国交回復■
日本の敗戦によって華僑たちは一転“戦勝国民”となり、援助物資が優先的に供給された横浜中華街は、空前の闇市景気に沸くようになった。そしてこれによって経済的な基礎が培われてゆくが、同時に犯罪の町というイメージが付きまとうようになる。そこで昭和30年、それまで長い間馴染んできた“南京町”という名を捨て去り、“横浜中華街”として再生する道を選ぶことになる。実は中華街という名前は造語だったのだ…。
番組では、中華人民共和国成立や台湾との対立など常に故国の激動に影響されてきた華僑たちが、壮麗な関帝廟を再建することで協力し合い融和の道を歩んできた横浜中華街の戦後を描く。

第4回「老華僑と新華僑」 現代■
訪れる人の大半が中国系ではない点で、横浜中華街は世界でも稀なチャイナタウンと言われている。魅力的な食の街として人気スポットとなり、いまやテーマパーク化も言われ日本の企業も触手を伸ばすなか、“新”華僑と呼ばれる福建省出身者の進出が著しいという。旧来からの“老”華僑たちとは言葉も通じず融和せずで、一部に反目も伝えられる。老華僑たちはその真骨頂を問われ、新たな道を模索し始めている。また二世、三世の時代となった華僑たちは、生まれ育ったここ横浜中華街にアイデンティティを求めると同時に、伝統回帰の姿も見られるという。最終回は、食の発信地として格闘を続ける中華街の現在とこれからに迫る。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-04-06〜05-26 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)










●知るを楽しむ−日本語なるほど塾− 「想いが通じる!コミュニケーションレッスン」 山田ズーニー

さまざまな角度から日本語を取り巻く現象を取り上げ、日本の文化・社会・生活のありようを探る、日本人のための日本語番組です。4月は、山田ズーニーさんによる「想いが通じる!コミュニケーションレッスン」です。

<山田ズーニー> フリーランスとして、文章表現力・考える力・コミュニケーション力の教育に取り組んでいる。1961年岡山県生まれ。84年ベネッセコーポレーション入社、進研ゼミ小論文編集長として、全国5万の高校生の考える力・書く力を育成する通信教育を企画・プロデュース。2000年独立。全国各地で講演やワークショップ、執筆活動、様々な大学と提携してのコミュニケーション論・文章術・自己表現・編集術の講義、企業研修、高校授業の企画など、独自の教育活動を展開している。著書に『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(PHP新書)、『あなたの話はなぜ「通じない」のか』(筑摩書房)、『つながるコミュニケーション』(講談社から近刊予定)。インターネット「ほぼ日刊イトイ新聞」に「おとなの小論文教室。」を連載中。

第1回 「7つの要件で想いは伝わる!」■ --->G 0415
自分の想いがなかなか相手に伝わらない!という経験をしたことはありませんか?それはあなたの「メディア力」が足りないからなのです。自分の思いを確実に相手に伝えたいなら、「メディア力」を付ければよいのです。さて、その「メディア力」とは一体何?先ずは、「何を言うか」より「誰が言うか」、つまりあなた自身が信頼される力を持つとことなのです。そのためには、自分の「目指す結果」をまずしっかり頭に入れて、相手が納得できるだけの「根拠」と自分が今一番にいたい「意見」をはっきりと伝えればいいのです。番組ではその極意をお教えします。

第2回 「おわび・お願い、人を説得する技術」■
何かで思わぬ粗相をしたとき、あるいは自分の行ったことが相手に間違って受け取られてしまったとき、あなたはどうやって自分の正確な想いを伝えていますか?今回は、仕事の上でも日常生活の中でもきっと役立つおわびの方法「問いの100本ノック」についてお話しします。野球選手のする基本練習と同じ100本ノックをコミュニケーションで?その糸口は、自分と相手にとっての共通の「関心」にあるのです。さてその方法は・・・

第3回 「共感の方法──人を励ます・誤解を解く」■
人を励ますつもりが自分の自慢話になってしまった、あるいはどんどん相手を落ち込ませてしまったと言う経験は、きっとどなたもお持ちではないでしょうか。今回はそんな苦い思いをしないために是非覚えておきたい4つの要件を伝授します。それは、「相手をしっかりと理解する」「自分ならどうするか」「経験に基づいて話す」「相手の心に響く問いを投げかける」の4点です。言うのは簡単だけど・・・と思っているあなた。山田ズーニーさんが明解にお答えします。

第4回 「信頼を切り開く」■ --->G 0232
あなたの周りには、初対面なのに何故か相手からすぐに信頼され、スムースにコミュニケーションができる人がいませんか?それは何故なのでしょうか。その極意を是非知りたくありませんか?
「想いが通じる!コミュニケーションレッスン」最終回は、職場でも日常生活の中でもきっと役立つ「信頼を切りひらく」方法を山田ズーニーさんに伝授していただきます。その方法とは「問いの100本ノック」にあるというのですが・・・。あなたの言葉の下のある思想や価値観・生き方が伴っていなければ、コミュニケーション技術だけでは想いは伝わらないのです。
(text from NHK site)

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NHK教育 25min 2005-04-07〜05-26 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)







●知るを楽しむ−なんでも好奇心− 「京都モダン」 〜建築でたずねる古都の近代〜

天皇や公家はもういない。京都の文明開化は大いなる喪失感から始まった。そして明治・大正・昭和と「京都らしさ」の模索を経て、年間4500万人もの観光客を迎える世界遺産の街へと生まれ変わった。個性豊かな近代建築を訪ねながら、千年の都=京都の知られざる魅力に探る。案内人は中川理(京都工芸繊維大学教授)。

第1回 「近代化か古都か、京都再開発騒動」■
明治維新でもぬけの殻になった京都は、長州出身の知事が「近代化」の号令を発するとともに大きく変貌を始める。南禅寺や知恩院など古刹が立ち並ぶ「東山」の工場化計画、琵琶湖から水を引き動力源とする壮大な琵琶湖疎水事業、そして内外に近代化を宣言する内国勧業博覧会。一方、京都の公家出身の岩倉具視は「都文化こそ世界に誇る日本人のルーツ」と唱えた。そして、荒廃していた御所周辺には塀がめぐらされて京都御苑が整備され、田園が広がっていた「岡崎」には千年の都=京都のシンボルとして平安神宮が造営される。近代化への公共事業と、伝統重視の復古主義とのせめぎあいが、新しい京都の基盤を作ったのである。

第2回 「町衆の近代化」■
明治のはじめ、御所の北に同志社大学のキャンパスが作られ、レンガの鐘楼から京都中に西洋の鐘の音が響き渡った。これをきっかけに、藩邸や公家屋敷の跡地に教会や学校、そして府庁舎などレンガ作りの優美な西洋建築が次々と建てられた。西洋化の波は仏教界をも飲み込み、西本願寺はヨーロッパの修道院を意識した和洋折衷の大学を建設。そして自治意識の高い京都の町衆は、自らの手で全国に先駆けた近代小学校を建設した。校内には、瀟洒な西洋のデザインとともに、町家をそっくり再現した純和風の「作法室」もあり、西洋文化と伝統の暮らしを融合させる町衆の工夫が見られる。近代化の波を京都がいかに取り込んだのかを描く。

第3回 「モダン都市へ」■
「横断する間に風邪をひいてしまう」と揶揄された大通りの開通が、京都に新時代をもたらした。鉄道の駅と御所を結ぶ「烏丸通」で大正天皇即位を祝う大パレードが行われ、市民をモダン都市の魅力に目覚めさせた。そして大正デモクラシーの気運に乗ってカフェ、レストラン、劇場・・・自由を謳歌する都市文化が花開く。中でもヨーロッパに留学した関西建築界の父・武田五一は、モダンなビルに寺院風の屋根やスペイン瓦を自在に組み合わせ、西洋建築を京都の風土にとけ込ませた。一方、建築のモチーフをシルクロードに求めた鬼才・伊藤忠太は、イスラム風建築の寺院などエキゾチックなアジア建築を設計していく。京都がモダン都市へと生まれ変わった時代に迫る。

第4回 「京都らしさの追求」■
昭和の高度成長、それは京都にとって大きな試練の時代でもあった。古い町並みは壊され次々とビルに代わっていった。昭和38年、京都市民は駅前で始まった工事に目を見張った。突然そそり立った「京都タワー」。これに激しい反対運動が起き、「古都保存法」制定のきっかけとなった。そして寺社建築だけでなく近代建築をも文化財として保存する全国に先駆けた法令の制定など様々な取り組みが行われた。大正時代の煉瓦の壁を残し内部だけリニューアルする「壁面保存」、外観を伝統的な建築様式に合わせて改修や新築を行う「保存修景」、昭和初期の新聞社を若者の集まるレトロなビルとして再生…。こうして残された京都の景観は、日本人のみならず世界の人々を惹きつけている。

(text from NHK site)

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NHK教育 25min 2005-05-04〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)






●知るを楽しむ−日本語なるほど塾− 「日本語に魅せられて」 リービ英雄

「日本語の美しさが日本人にしかわからないとでも思っているのか」。
 リービ英雄さんは17歳で領事館に勤めていた父親の元から家出して、新宿に暮らすようになった。最初は生活の手段として日本語を身につけたが、次第にその複雑な歴史と成り立ちに興味を惹かれていったという。漢字とひらがなとカタカナが入り交じり、硬質な漢語とモダンなカタカナ言葉に挟まれながら、柔らかなやまと言葉がその魅力を失わない。「日本語」の歴史に自分自身が参加したい、という思いがリービさんを日本語作家にしていく。
 番組では、リービ英雄さんが自らの日本語体験をたどりながら、日本人には気づかない日本語の魅力やこれからの日本語の行方について語る。

第1回 「ぼくが日本語で書くようになるまで」■ --->G 0286
ユダヤ系とポーランド系の両親のもとに生まれたリービ英雄さんは、1982年の『英語で読む万葉集』を出版。その5年後、自伝的小説『星条旗の聞こえない部屋』で、野間文学新人賞を受賞。以後日本語による作品を発表し続けています。1967年に日本に移り住んだリービさんが、なぜ日本語で小説を書くようになったのか。そのきっかけは、少年時代に父の勤務地・台湾で見た日本語の書物の中にあった〈の〉という不思議な形の文字との出会いだったと言います。やがて10代鋼管の'60年代に家出を繰り返し、新宿を徘徊するようになったリービさんは、日本語にまみれ、次第にその魅力にとりつかれていくのです。

第2回 「世界文学としての万葉集」■
「万葉集にたどりついたとき、古い日本語というよりも、とても新しい文学に出会ったという不思議な感じがした」
アメリカで万葉集をよんでいたリービさんは、19才の頃初めて大和路を歩きます。彼が目にした風景は、万葉集に書いてあるような壮大なものではなく、小さなスケールであることに驚きます。
この風景と言葉の間の大きなズレは、リービさんに、やがて言語そのものによって新たな世界を作ることができる、という想いを抱かせるきっかけともなります。さらに万葉歌人山上憶良が渡来人であったと知ることにより、はるか昔バイリンガル的に書いていた人物とを重ね、日本語で書くことができると確信するようになります。

第3回 「9・11があぶり出した日本語」■
「嶋々や 千々にくだけて 夏の海」この句は今から300年前、松尾芭蕉が松島を詠んだものです。
2001年9月11日アメリカで同時テロが起きたとき、リービさんは故郷アメリカに住む家族に会うための旅の途中でカナダのバンクーバーの飛行場にいました。飛行場のテレビから流れる大統領や英訳された容疑者たちの言葉を聞きながら、それを日本語で言い表すことができないことに気づきます。日本語で何でも表現できると思っていたリービさんにとって、大きな衝撃でした。それから2年間、あの時の思いを何とか書きたいと悩み続けたリービさんは、芭蕉の「千々にくだけて」が自分の思いにぴたりと当てはまることに至るのです。事件をきっかけにリービさんが改めて知った日本語の力とは…

第4回 「越境者が言葉を磨く」■
小説家、万葉集の研究家として知られるリービ英雄さんが、日本語で書きたいと思うようになった頃、二つの大きな壁に阻まれたと言います。ひとつは、「世界中で通じる英語ではなく、なぜマイナーな日本語で書くのか。何の意味があるのか」というアメリカ側の壁。そして「外国人が日本語で表現できるはずがない」という日本人側の先入観でした。「自分のような越境者が書くことは、日本語の歴史によって既に保障されている。自分は異端ではなく正統なのだ」と言い切るリービさんは、複数の言葉のズレの中からこそ緊張感が生まれ、新たな表現が出来るはずだといいます。

<リービ英雄>…… 西洋出身者として初めての日本文学作家。1950年米国カリフォルニア州に生まれる。外交官の父と共に台湾、香港などに移り住み、16歳から日本に住む。以降、日米往還を繰り返し、その間プリンストン大学大学院博士課程修了。プリンストン大学、スタンフォード大学で日本文学教授を務める。現在、東京に在住。
英訳『万葉集』で82年全米図書賞受賞。92年『星条旗の聞こえない部屋』(講談社文芸文庫)により日本でデビューし、野間文芸新人賞受賞。他に『日本語の勝利』『天安門』(講談社)、『日本語を書く部屋』『我的中国』(岩波書店)など著書多数。「9・11」について書いた小説『千々にくだけて』(講談社)を4月刊行予定。
(text from NHK site)

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NHK教育 25min 2005-05-05〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)






●知るを楽しむ−私のこだわり人物伝− 「藤沢周平」 〜日本人が美しかった頃〜

映画監督の黒土三男さん(57歳)は、藤沢作品の最高傑作といわれる『蝉しぐれ』に出会い、「これぞ今、我々日本人が忘れてしまった美しい心だ」と深く共感した。
 『蝉しぐれ』(昭和63年刊)は、藤沢作品おなじみの舞台、海坂藩の武家に生まれた主人公・牧文四郎が、淡い恋もはさみ、お家騒動に巻き込まれながら人間として成長していく物語で、父と子の絆や、越えられぬ男女の思いなどが美しく展開されている。黒土さんは藤沢文学のメイン・テーマ、「日本人が美しかった頃」への深い思いが込められた作品だと言う。番組では、最初の出会いから14年、執念を賭けて『蝉しぐれ』を映画化した黒土さんが、藤沢周平の作品に込められた「日本人へのメッセージ」を4回にわたって語る。撮影は海坂藩の舞台、庄内を中心に行う。

第1回 「作家を育んだ庄内の風土」■
15年かけて「蝉しぐれ」の映画化を実現した黒土三男さんが、藤沢文学の魅力を語る4回シリーズ。第1回は藤沢文学の原点を故郷・庄内に探ります。
月山、鳥海山といった山々に三方を囲まれ、日本海に開けた山形県庄内地方。その自然は厳しく、また豊かであると黒土さんは言います。少年時代の藤沢さんは、学校から帰るとカバンを投げ出して庄内の野山で遊び回っていました。小説の中で表現される繊細な自然への感性は、この風土の中で育まれたのです。黒土さんも映画化にあたり、庄内を隅々までまわって、ふさわしい風景を探しました。情感豊かな藤沢作品の土台となる自然風土の世界を探ります。

第2回 「父が子に伝えるもの」■
15年かけて「蝉しぐれ」の映画化を実現した黒土三男さんが、藤沢文学の魅力を語る4回シリーズ。第2回は「蝉しぐれ」の主人公・牧文四郎とその父、牧助左衛門の見事な親子像に迫ります。
微禄の下級武士である助左衛門は、とりたてて父らしいことを文四郎にするわけではありません。しかし農民のために上役に刃向かう姿を見て、文四郎は深い感銘を受けます。そしてお家騒動に巻き込まれ、切腹させられることになった助左衛門との最後の別れ。このシーンに黒土さんは父と子の理想の姿を見いだしています。名も無き人々の喜怒哀楽を描き続けた藤沢さんの、真骨頂が浮かび上がる名場面です。

第3回 「若者の成長を支える人の情」■
15年かけて「蝉しぐれ」の映画化を実現した黒土三男さんが、藤沢文学の魅力を語る4回シリーズ。第3回は「反逆者の倅」という汚名を背負うこちになった文四郎が、逆境に耐えながら成長していく姿を見つめます。
世間から浴びせられる嘲りの眼。困窮する生活。そして淡い思いを抱いていた幼なじみ・ふくとの別れ。若き文四郎に作者である藤沢さんは、次々に逆境を与えていきます。そこには、人は逆境に耐えることでしか成長しない、という藤沢さんの考えがあったのではないか、と黒土さんは言います。人が生きることへの冷徹な認識と、市井に生きる人々への慈愛の目を兼ね備えた、藤沢作品の奥深さを読み解きます。

第4回 「男と女」■
15年かけて「蝉しぐれ」の映画化を実現した黒土三男さんが、藤沢文学の魅力を語る4回シリーズ。第4回は主人公・文四郎とヒロイン・ふくとの恋についてです。
文四郎が逆境を背負わされるなか、ふくにも苛酷な運命が襲いかかります。文四郎と引き離され、藩主の側室とされてしまうのです。しかし藩の権力を巡る抗争の中で、二人は再び巡り会うことになります。想いを軽々に口にせず、なおかつ思慕の情を持ち続ける二人の姿を、抑制の効いた、もっとも美しい恋の表現だと黒土さんは考えます。藤沢さんの描く女性の多面的な魅力についても語ります。

<黒土三男> 1947年、熊本県生まれ。立教大学法学部卒業。木下恵介プロダクションの助監督として2年間所属。以後フリーの映画監督、脚本家として活躍。木下恵介、山田洋次を師匠としている。
代表作品に、映画は『オルゴール』(1989年)、『渋滞』(1991年)、『英二』(1999年)。テレビでは「オレゴンから愛」「とんぼ」「うさぎの休日」(第7回向田邦子賞受賞)「男たちの運動会」「旅のはじまり」「東京湾ブルース」(ギャラクシー賞受賞)「外科医柊又三郎」「蝉しぐれ」など多数。
(text from NHK site)

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NHK教育 25min 2005-05-03〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ−この人この世界− 「日本一多くの木を植えた男」 宮脇昭

1928年岡山県生まれ。広島文理科大学生物学科卒業。ドイツ国立植生図研究所で潜在自然植生理論を学び、横浜国立大学教授、国際生態学会会長などを経て、現在は横浜国立大学名誉教授、(財)国際生態学センター研究所長。
著書に『日本植生誌』(全10巻、至文堂)、『植物と人間』(NHKブックス)、『緑回復の処方箋』(朝日選書)、『いのちを守るドングリの森』(集英社新書)など多数。

第1回 「ホンモノの森、ニセモノの森」■
東京で最も開発が進む汐留地区に、海に面して豊かな緑をたたえる浜離宮庭園は、常緑広葉樹のタブノキに覆われたホンモノの森を見ることが出来る貴重な場所。浜離宮になぜタブノキが残ったのか。日本を覆うニセモノの森。宮脇さんは語る・ホンモノの森とは、そして「宮脇方式」といわれる独自の植林方法のノウハウ「混ぜぇる、混ぜぇる、混ぜぇる」、自然から学んだ、自然の森の掟のシステム。

第2回 「鎮守の森はタイムカプセル」■
日本全土で、その土地本来の森はどんな姿だったのか?宮脇さんが着目したのは「鎮守の森」だった。九州大分県国東半島の付け根に位置する宇佐神宮の森をたずね、森に対する畏敬の念(宇佐宮司の話)や、「鎮守の森」が伝える貴重な情報(高木・亜高木・低木・下草)は自然の森の遺伝子を守るタイムカプセルだったと語る。

第3回 「目で見、匂いをかぎ、舐めて、触って調べる」■
農家の四男に生まれた宮脇昭。雑草生態学を目指し、夜行列車を乗り継ぎ日本全土を調べ歩いた20代。当時から現場主義が生まれた。ドイツ留学で生涯の恩師・チュクセン教授と「潜在自然植生」概念との出会い、そして見えないモノを見るために現場で鍛え抜かれた30代。潜在自然植生を学び日本に帰国したが、未だ反応はなかった。が、宮脇さんの徹底した「現場主義」はここに確立する。

第4回 「私が初めてつくった森」■
宮脇さんの森づくりの幅のひろさは、大自然の中だけでなく、工場や都市に森を作ることでもある。
大分の製鉄所の周囲を森で囲む!日本での宮脇の森づくりの原点であった。そこには、パートナーとなる企業や行政側に推進力となる熱血漢がいた。宮脇を支えた人々のエピソードを交えた森づくりの物語。

第5回 「完成!『日本植生誌』」■
鎮守の森と日本全国の現場から得たデータを元に、日本全土の植生を調べあげた、宮脇さんの研究の集大成・植生学の金字塔「日本植生誌 全10巻」
「それまでの私の研究データと、さらに10年かけて日本全土を調査して完成させて日本植生誌。その結果わかったのは、日本の植物に起きている驚くべき現実だった。土地本来の緑は日本ではわずか0.06%しが残っていないということ。」調査の模様と、今日本の植物世界で起きていることを語る。


第6回 「森が災害から守ってくれた」 〜阪神・淡路大震災の現場から〜■
「ホンモノの森は、火事にも地震にも強い」という宮脇さんの持論が実証されることになった1995年1月の阪神大震災。震災の1週間後に神戸に入り、土地本来の木が人々の命を守った生々しい現場を記録した。「当時、公園のこちら側一帯は全焼していました。しかしこのクスノキで火が止まっていました。火を防いで真っ黒に焦げたクスノキの向こう側は燃えなかった。」土地本来の木がいかに災害に強いかお話します。


第7回 「世界に森をつくる」■
東南アジアの赤道沿いには世界の三大熱帯雨林帯の一つが広がる。ボルネオにあるマレーシアの熱帯雨林。その減少には日本が大きな責任を負っている。破壊の原因は、木材を運び出す道をつけるために無差別な伐採が行われたこと、また、地元の人たちが根こそぎ木を切りお金に変えていた。
1990年、大手商社が宮脇さんにマレーシアでの熱帯雨林の再生を依頼した。「熱帯雨林の再生の基本は、日本で育てた1200箇所の森と同じです。しかし熱帯という特殊事情があって今も試行錯誤しています。今回は私が今一番力を注ぐ世界の森づくりをお話します。」


第8回 「本気になればできるんです」■
自分の使命は「一つでも多くホンモノの森を蘇らせること。」と宣言する宮脇さん。もの言わぬ植物社会の代弁者として人間社会へメッセージを送る。
「誰でもその気になればひと粒のドングリから苗を育て森を作ることができるのです。
本気になればたいがいのことはできます。出来ないときは、油断しているか、、、 これは私の77年の人生から言えること。地球のドラマを悲劇に終わらせないために本気になって木を植えてみませんか!」
(text from NHK site)

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●知るを楽しむ−私のこだわり人物伝− 「向田邦子」 〜女と男の情景〜 太田光

1965年、埼玉県に生まれる。1984年、日本大学芸術学部演劇学科入学。86年、中退。88年、田中裕二と漫才ユニット「爆笑問題」を結成。93年度NHK新人演芸大賞受賞。現在、テレビのレギュラーだけで週7本をこなす。読書好きでも知られ、おそれを知らない毒舌で幅広い層から人気を集める。おもな著書に『三三七拍子』、『爆笑問題太田光自伝』、『ヒレハレ草』、『パラレルな世紀への跳躍』、『天下御免の向こう見ず』などがある。爆笑問題の著書も多数。

第1回 「浮気をされても腹は減る」■
太田さんと向田ドラマの出会いから、とりこになってしまった、そのキッカケ・思い。
向田ドラマの女たちは、タフでしたたか。夫の浮気がわかった大変な状況でありながら、笑い・リンゴを食べてしまう!一筋縄ではいかない人の多面的な部分を向田さんは浮き彫りにしている。
また、向田作品は「人間の本質はひとつじゃない」「人間いろいろある」というメッセージでもあった。
コラムコーナーは、貴重な映像。1981年1月(向田はこの年の8月22日に飛行機事故で亡くなる)に放送された向田邦子の生の声が聞ける“明るい農村”での故・團伊玖磨氏との対談。

第2回 「男は女にかなわない」■
向田作品の「女」の描き方を語る。「向田さんは女性の持っている現実に対する判断能力の高さ、女性の怖さをドラマの中で巧妙に且つ鋭く見せてくれた人だと思う。そういったものを見せ付けられると正直「男は女にかなわない」と思ってしまいます。思わず唸ってしまった女の凄みを「阿修羅のごとく」を例にとってお話していきたいと思います。」
コラムコーナーは「骨董編」。骨董収集家でもあった向田さん。骨董品の数々とゆかりの人のインタビューで振り返る。

第3回 「ダメな男をかわいがる」■
「向田さんの作品には、ダメな男がよく登場します。でも男の私は向田さんが描く男は、そのとおりだと思ってしまうクチです。」と太田さんは言う。昭和初期によくいた、家族に威張り散らす典型的な父親像を描く「父の詫び状」、夫の友人から寄せられる密やかな愛情を描く「あ・うん」、そして、向田さんの没後20年、妹・和子さんによって発表された「向田邦子の恋文」で描かれた向田さん自身の恋愛を通して、「向田邦子の男像」を探る。
コラムコーナーは「向田邦子が愛した音楽」。向田さんはこよなく音楽を愛した人でした。鹿児島近代文学館に寄贈された遺品3000点の中に300枚あまりのレコードなどを紹介。

第4回 「強いけど、もろい人」 〜妹、和子さんに聞く〜■
向田ドラマに心酔して30年の太田光さんと、家族の一員として素顔の向田邦子を知る妹・和子さんの対談。
どのようにして、こんな素晴らしい作品が向田さんは書けるのか、太田さんは和子さんにじっくりと問いかけ、妹・和子さんは人間・向田邦子を見てきた目を通して、その内面を・・・人間像を・・・奔放初公開の情報もふくめて語る見逃せない夢の対談。
(text from NHK site)

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●知るを楽しむ−なんでも好奇心− 「漱石・江戸っ子が歩いた東京」 半藤一利/柳家花緑

半藤一利
1930年、東京向島生まれ。「文藝春秋」「週刊文春」編集長、取締役などを経て作家。著書に『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』『昭和史』など。1983年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞。本番組テキストにエッセイを寄稿した末利子夫人は、漱石の孫にあたる。
柳家花緑
1971年、東京生まれ。87年、中学校卒業後、祖父小さんに入門して九太郎。89年、二ッ目昇進し小緑と改名。94年、戦後最年少の22歳で真打に昇進し、花緑を名乗る。著書に『柳家花緑と落語へ行こう』『僕が、落語を変える。』など。落語はもとより、演劇、テレビ、ラジオでも幅広く活躍する。NHK「にほんごであそぼ」に出演中。

第1回 「吾輩は落語好きである」■ --->G
探訪地/神楽坂〜毘沙門天〜「わらだな寄席」
テンポがいい文体と歯切れが良い東京言葉。下手な横好きや半可通を哂うネタ回し。『吾輩は猫である』には、落語に惚れ込んでいた漱石の思いが文体に躍動している。当時5つの寄席がならび、東京の“芸”の中心にあった神楽坂に、早稲田の自宅から漱石がしばしば通っていたという。漱石が絶賛した三代目小さんの“浮世風呂”の貴重な肉声をも紹介。とかく暗く重厚だった日本の小説に、落語を通して“笑い”を持ち込んだ漱石の足跡を、神楽坂にたどる。

第2回 「猫は吾輩である」■
探訪地/千駄木・漱石ねこの家跡〜本郷・根岸・「子規庵」界隈
『吾輩は猫である』は、漱石の精神のリハビリのためにと、夫人と友人の高浜虚子の奨めで始められたという。千駄木の自宅に住み着いていた実在の猫をヒントに、楽しみのために書き始められた『猫』は、根岸・子規庵の会合で朗読され大喝采に迎えられ、文豪としての道を歩み始めるのである。主人公の猫は漱石の分身で、当時の日本人の西洋かぶれや金権や権威をからかい飛ばす、ユーモアあふれる批評精神を発揮している。当時の漱石の実生活をも反映している『猫』の人気の秘密を、根岸・子規庵周辺でひも解く。

第3回 「吾輩は食いしん坊である」■
探訪地/神田〜須田町(古い木造の和食の老舗街)
胃病で痔で糖尿病…なのに大の甘党で脂物好き、好奇心旺盛でなんでも食べた漱石は、とりわけ洋食好みの美食家。古書店とハイカラ食堂が立ち並ぶ神田こそ、漱石の頭とおなか両方を満足させる町だった。身体に悪いと知りながら夫人の目を盗んでは甘いものに手を出す一方、当時流行り始めた様々な健康法を試しては『猫』で面白おかしく揶揄してもいる。番組では、お雇い外国人専属のコックが漱石のためにあり合わせの材料で作り、漱石が絶賛したという西洋かき揚げなどを試食しながら、洋食ブームにわいた明治の食事情やその頃の漱石の秘められた初恋などを紹介し、神田界隈を訪ね歩く。

第4回 「吾輩はケチではない」■ --->G 0041
探訪地/早稲田「漱石山房」
売れっ子作家になっても生涯借家暮らしだった漱石だが、今のお金に換算すると年収は1800万円以上?。高額の印税を手に入れつつも印税交渉が細かかったため、漱石はケチだとの印象を残しているのだが、実像はどうだったのか・・・。
夏目家は江戸時代からの大名主で、喜久井町や夏目坂など地名に名残を伝える早稲田。漱石が生まれ、そして亡くなった早稲田を訪ね、漱石の人生をしのぶ。また、モノやお金に対しても江戸っ子の精神を引き継いでいた漱石の美意識のありかや家計の実際を、遺愛品(鎌倉文学館企画展「夏目漱石〜漱石山房の日々」で7月3日まで公開中)も紹介しながら探ってゆく。
(text from NHK site)

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NHK教育 25min 2005-06-08〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)

> 作家の半藤一利さんが死去 昭和史研究で著書多数、90歳 共同通信 2021年1月13日配信
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「日本のいちばん長い日」などの著作で知られる作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが12日午後、東京都世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。関係者への取材で分かった。90歳。東京都出身。東京大を卒業して文芸春秋に入社。「週刊文春」「文芸春秋」編集長を歴任、1994年から著述に専念した。編集者として坂口安吾らを担当し、歴史研究に開眼。終戦時の軍部関係者らを集めた座談会「日本のいちばん長い日」は、雑誌「文芸春秋」の記事となった後に単行本化され、映画化された。憲法9条と平和の大切さを次世代に説き続け、2015年に菊池寛賞を受けた。






●知るを楽しむ−日本語なるほど塾− 「ヒット曲でつづることば物語」 大塚明子

1965年、埼玉県生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学大学院社会学研究科博士課程中退。現在、文教大学人間科学部助教授。専門は社会学、マスコミュニケーション論、近現代の日本社会におけるマスメディア、若者文化、ライフスタイルなどについて論じるている。著書・共著に『新語死語流行語−こんな言葉を生きてきた』(集英社新書)『サブカルチャー神話解体 少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』(パルコ出版)など。

第1回 「演歌の過去・現在・未来」■
艶歌、または怨歌とも呼ばれることも多い演歌。演歌が表現する世界の多くは、外向的なものよりは内向的なものが中心です。また、扱う題材は、別れ、失恋といったものが圧倒的多数を占めます。そして、主人公の殆どが「上京」するのではなく、「離京」、すなわち、東京を下っていきます。主に「満ち足りなさ」をテーマにした、世界の音楽の中でも独特な歌詞から成り立つ日本の演歌。その歌詞の過去と現在を分析し、今後、どんな歌詞の演歌がヒットするのかを予想します。(ゲスト歌手:神園さやか)

第2回 「作詞家たちの街のうた」■
歌詞の世界の主役は、なんといっても作詞家です。大衆向け商業音楽である流行歌や歌謡曲は、詩と違い、日常語から隔絶した自由奔放な言葉遣いをすることは困難です。他方で、ヒット曲の半歩先を行く新鮮な言葉は、人々の心の中に飛び込み、ものの見方を変えていく大きな力にもなりえます。そうしたヒットメーカー達が紡ぐ、都市の歌、街のうたの歌詞を分析し、今後流行りそうな曲のキーワードなどを予想。番組後半に、「広島」を舞台にした21世紀の街のうたを披露します。(ゲスト歌手:神園さやか)

第3回 「愛と青春のゆくえ」■
誰もがワクドキドキする「青春」。青春は、どんな時代でも、ヒット曲に欠かせないテーマです。青春をテーマにした歌は、戦前の1930年代から流行歌として人々に愛されましたが、当時は、国家的・社会的監視の目が厳しかったため、具体的な恋愛関係の描写はほとんど見られませんでした。その代わりに青春の象徴的なイメージとして「丘」と「湖」という言葉がキーワードとなりました。今後ヒットしそうな青春の歌について、大塚さんは冬ソナブームの流れから、「レトロな青春の歌」と予想。番組では、「丘」「湖」をテーマにした青春ソングを発表します。(ゲスト歌手:ソニン)

第4回 「J−POPなことばたち」■
1993年、サッカーのJリーグがスタート。時を同じくして、歌の世界でも、新しい「J」が定着しました。その名は「J−POP」。幅広い世代が聴いたそれまでの歌謡曲から大きく転換。ロック、ヒップホップ、フォーク、ラップ、R&Bなど、歌のジャンルが細分化しました。そうしたJーPOPのヒット曲の中で、注目されるキーワードは、「季節」、「時代」、「永遠」。あまりに自由な「時代」の中で、移りゆく「季節」を越える「永遠」を探したい・・・ところですが、そう簡単に見つかるものではなく、歌詞の中でも様々な試行錯誤がなされています。そうした中、今後のヒット曲は、足もとの生活については堅実性を高めつつ、鋭く「時代」と対峙していくと大塚先生は予想。こうした方向性のもと21世紀のJーPOP・ヒット曲を作ります。(ゲスト歌手:ソニン)
(text from NHK site)

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●知るを楽しむ -なんでも好奇心- 「米朝の上方歌舞伎案内」 桂米朝 <全4回>

恋する男女の姿をリアルに描く“和事”や、宙乗りなどの“ケレン”味あふれる演出を生みだし、江戸歌舞伎とは一線を画す「涙と笑い」あふれる芸の世界を築いた上方歌舞伎。落語家・桂米朝がその魅力を“遺言”として縦横無尽に語る。

<桂米朝> 1925年、兵庫県姫路市出身。大学時代、作家で寄席文化研究家の正岡容に師事。47年、落語家を志し桂米団治に入門。やがて笑福亭松鶴(故人)、桂春団治、桂文枝(故人)の四天王とともに上方落語復興のため奔走する。重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化功労者顕彰。弟子に桂枝雀(故人)、桂ざこば、桂吉朝、一門に桂南光など。「米朝落語全集」全7巻(創元社)、「上方落語ノート」1〜4集(青蛙房)、「桂米朝集成」全4巻(岩波書店)、「落語と私」(文春文庫)、「桂米朝 私の履歴書」(日本経済新聞社)など著書多数。

<桂吉坊> 1981年、兵庫県西宮市生まれ。1999年、桂吉朝に入門。歌舞伎の芝居音楽(長唄)を勉強するとともに、芝居や文楽の舞台へも欠かさず足を運ぶなど、この世代には考えられないほどの芸事好きで、落語家としての将来を嘱望されている。


第1回 「“クサさ”と“笑い”の上方歌舞伎」■ --->G 0305
半世紀以上にわたって歌舞伎を見続けてきた桂米朝が、上方歌舞伎の特徴として挙げるのが、「クサさ」と「笑い」である。何よりも「物語」に対する観客の理解を最重視するのが歌舞伎だけでなく落語、文楽なども含めた上方芸能である。上方役者たちは、「物語」の潤滑油、そしてスパイスとして「笑い」を散りばめる。またサービス精神旺盛に「さらに一言、さらに一演技」加えていく事で、「物語」を判り易くするのである。より判り易く、より感動的に舞台を作り上げようとする上方歌舞伎の魅力とその芸について語る。

第2回 「わが青春の南座“顔見世歌舞伎”」■
出雲の阿国が「かぶき踊り」を披露し、歌舞伎発祥の地とされる鴨川・四条大橋。橋の袂に建つ劇場・南座は、四百年近い歴史を誇り、毎年12月には「顔見世」と呼ばれる特別な興行が行われる。桂米朝は昭和19年、19歳のときに顔見世を見て以来、毎年のようにこの興行を見続けてきた。戦時中の混乱の中で見た「顔見世」での名人たちの競演について熱弁をふるうと共に、祇園界隈に「顔見世」への京の人々の強い思い入れを探る。そして、今年の「顔見世」で上方歌舞伎中興の祖「坂田藤十郎」の名跡を継ぐ人間国宝・中村鴈治郎と共に、「顔見世」の醍醐味について語る。

第3回 「上方歌舞伎にもてる男の条件を学ぶ」■
元禄時代に坂田藤十郎が“和事”という恋する男の演技を創出して以来、上方歌舞伎は魅力に満ちた男性像を、次々と観客に提示してきた。それは、“スッキリとした強い男”が喝采を呼んだ江戸とは大いに異なり、現実に生きる生身の人間ならではの、矛盾と欠点に満ちた男性像であった。近松門左衛門の「心中もの」に代表される、リアリティに富んだ戯曲は、観客に深い共感を喚起してきた。そして、「宙乗り」や「早替り」に代表される見た目にも奇抜な手法“ケレン”を発明し、観客の度肝を抜いたのも上方歌舞伎だった。魅力的な男性像を描くために編み出された上方独自の役柄や演出の数々を語る。

第4回 「上方の名優 鴈治郎と仁左衛門」■
最終回は、上方生まれの名作「仮名手本忠臣蔵」の舞台となった、京都祇園の「一力茶屋」からお送りする。ここは、大石蔵之助が討ち入り直前に敵の目を欺くために遊んだと伝えられる由緒ある御茶屋で、江戸時代から残る建物には蔵之助が愛用したと言う三味線や、自筆の手紙などが残る。その上方歌舞伎ゆかりの地で桂米朝が語るのは、上方歌舞伎再興に向けた提言。昭和30年代に興行が低迷し、役者の数も大幅に減ってしまった上方歌舞伎。再び劇場に大勢の客を呼び、舞台を満足してもらうにはどうすべきか?戦前・戦後を通して、上方歌舞伎を支えた二人の名優、二世中村鴈治郎と十三世片岡仁左衛門の魅力を掘り起こし、再興の方策を探る。
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●知るを楽しむ -日本語なるほど塾- 「留学生から見たニホンゴのトホホ」 佐々木瑞枝 <全4回>

1942年、京都府生まれ。山口大学教授、横浜国立大学留学生センター教授を経て、現在、武蔵野大学・大学院教授(言語文化専攻、日本語教育専修コース)。第44回産経児童出版文化賞受賞。日本語ジェンダー学会会長。日本語教師養成講座講師(エコール・プランタン他)。
主な著書に『外国語としての日本語』(講談社現代新書)、『生きた日本語を教えるくふう』(小学館)、『女と男の日本語辞典』(東京堂出版)、『日本語ことはじめ』(北星堂書店)『日本語教育の教室から』(大修館書店)、『女の日本語 男の日本語』(ちくまプリマーブックス)など多数。

第1回 「どう違う?宿屋と旅館とホテル」 〜日本語にひそむ和漢洋〜■ --->G 0980
外国人留学生にとって、日本語が難しい言葉である一つの原因は、覚えなければならない語彙の多さだという。新聞を読むために英語、ロシア語、フランス語、スペイン語などの外国語はおよそ6000語覚えれば理解できるが、日本語は1万語覚えても80%しか理解できないと言う。その原因の一つは、同じ表現を言う場合も、和語、漢語、外来語の使い分けで微妙にニュアンスの変わる特性にあり、それが日本語のトホホの要因にもなっている。

第2回 「壊したの?壊れたの?」 〜動詞に込められた心理戦〜■
日本語の難しさの一つに、自動詞と他動詞の使い分けがあるという。国語辞典で動詞を見ると、たいてい「自」「他」と明記してあるが、日本人が辞典を見るときに、それが自動詞か他動詞かを注意して見ることはあまりない。それは、意識しなくても使い分けているので、必要ないからだ。
しかし、留学生にとって、自動詞、他動詞を使い分けることは、至難の業である。
自動詞、他動詞の使い分けができないばかりに、不必要な誤解が生まれてしまうと言う。

第3回 「ほめたつもりがほめてない」 〜形容表現の落とし穴〜■
留学生に日本語の形容詞を教えるとき、初級段階では「大きい、小さい、広い、狭い、重い、軽い」など物の属性を表す言葉を先ず教える。しかし、この形容詞が外国人にとって意外に難しい。上級のクラスにいくにつれ、形容表現は複雑に使い分けなければならないことになるからだ。例えば、
(1) 私の友達は時々(親切、お節介)でこまります。
(2) 友達に(親切に、お節介)されると、とても嬉しいです。
(3) 困っている人には(親切、お節介)にしたほうがいいです。
留学生は、こういった練習で微妙な表現を一つずつ学んでいかなければならないのです。

第4回 「最後まで聞かないとわかりません」 〜文末表現の謎〜■
日本語では文末にどんな表現が来るかによって、同じ意味内容でもニュアンスが異なってくる。
日本語会話の文末表現を見てみると、「です」「ます」で終わる文は非常に硬い文となる。親しい人との会話では、「わ」(女)、「よ」(男/女)、「ぞ」(男)、「ぜ」(男)のような終助詞で終わることが多くある。
男女の言葉遣いの区別や、「ね」「よ」の使い方によって変わるニュアンスの違いを理解するには、そうとうの勉強が必要となる。「明日は展覧会に行くよ」と「明日は展覧会に行くよね」このニュアンスの違いをどうしたら分かってもらえるのか。

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●知るを楽しむ この人この世界 「夢枕獏の奇想家列伝」 夢枕獏 <全8回>

「陰陽師」の超現実的な世界から「風果つる街」のプロ棋士まで、様々な時代と人物を独自の筆致で描き出す作家・夢枕獏が、今年5月シルクロードに出かけた。西域の町カシュガルを起点に遙か東の長安を目指す砂漠の旅路は、インドから帰る三蔵法師も通ったと言われるルートだ。己の旺盛な知的探求心を満たすため、あえて危険に身を投じた三蔵のような漢たちを、夢枕さんは憧れをこめて「奇想家」と呼ぶ。彼らは様々な夢想や理想を類い希な行動力と天才的な頭脳で実現しえた希有な存在であり、夢枕作品の幅広さと魅力を解く鍵でもある。
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1951年小田原氏生まれ。東海大学文学部日本文学科卒業。日本SF作家クラブ会員、日本文芸家協会会員。77年作家デビュー。89年「上弦の月を食べる獅子」で第10回日本SF大賞受賞。98年「神々の山嶺」で第11回柴田錬三郎賞受賞。SF、山岳、冒険、時代、幻想小説などの分野で作品を発表。
著書に「キマイラ・吼」、「サイコダイバー」、「餓狼伝」、「陰陽師」などのシリーズ作品のほか、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間書店)、「シナン」(中央公論新社)など多数。


第1回「玄奘三蔵」 〜知に駆り立てられて〜■ --->G 0651
インドへの旅のみならず、梵語の教典を新語も創作して中国に根着かせた三蔵の執念を夢枕さんが語る。

第2回 「空海」 〜日本が生んだ最初の世界人〜■
若き空海が唐にわたり、真言密教の秘術を習得するまでの活躍と夢枕さんが語る魅力。

第3回 「安倍晴明その一」 〜「呪」(しゅ)の力〜■ --->G 0481 ノイズなし
平安には生きた「闇」があった。陰陽師を通じて平安人を取り囲む物の怪の世界を紹介する。

第4回 「安倍晴明その二」 〜五芒星の道〜■
晴明の印・五芒星と同じ文様が中国の奥地・雲南で使われていた!夢枕さん渾身の取材記と推理。

第5回 「阿倍仲麻呂」 〜文明の絶頂を見た人〜■
著者が取材した長安の日本人の墓を起点に、晴明の先祖と言われる仲麻呂の軌跡を追う。

第6回 「河口慧海」 〜カタブツだからできたこと〜■
明治の廃仏毀釈の嵐の中、チベットに密教の原典を求めて探求した慧海の足跡を追う。

第7回 「シナン」 〜神が見える家〜■
中世・オスマントルコのシナンは、建築で神に形を与えるという野望を抱き・生涯をかける。

第8回 「平賀源内」 〜才能がもたらした悲劇〜■
時代の何歩も先を進んでいた源内の悲劇は何故おきたのか。夢枕版・源内像に迫る。
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O:ガイアと重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「美空ひばり 泣くことの力」 山折哲雄 <全4回>

戦後最大の国民的歌手=美空ひばり。彼女が涙をあふれさせて歌う「哀しい酒」感動し、平家物語の無常感に通じる世界に誘われたという宗教学者の山折哲雄さんが、戦後の日本人にとって「ひばり」とは何だったのか、その歌と人の魅力を語る。
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1931年サンフランシスコ生まれ。
6歳のときに家族とともに帰国。母の実家がある岩手県花巻に疎開。東北大学文学部印度哲学科卒業。同大学文学部助教授、国際日本文化研究センター教授、白鳳女子短期大学学長を経て、2001年5月から2005年5月まで国際日本文化研究センター所長。
著書は「人間蓮如」「死の民俗学」「鎮守の森は泣いている」「近代日本人の美意識」「近代日本人の宗教意識」「悲しみの精神史」「日本人の宗教感覚」「日本のこころ、日本人のこころ」など多数。


第1回 「ひばり演歌の誕生」■
演歌の本質には、御詠歌や平家物語の底に流れる無常感があると山折さんは言う。日本人はそれらを聞くことで、深い慰めを得てきた。千年の昔から変わらぬ日本人の感情を、最も巧みに、最も深いレベルで歌うことができたのが「ひばり」だった。天才少女歌手から国民歌手へ。泣くことを忘れた日本人の心に深くしみ通るひばり演歌の魅力を語る。

第2回 「身もだえの歌」■ --->G 0383 ノイズなし
ひばりはあらゆる職業や年齢に扮装し、その心情を「身もだえ」しながら歌い上げた。若い世代に湿っぽいと敬遠された「身もだえ」して歌われる「自虐的な感傷」にこそ、ひばり演歌の鍵があるという。ひばりのために50曲以上作曲した船村徹さんや、ひばりを敬愛する浪曲師の春野百合子さんのインタビューをまじえ、ひばりの歌唱の魔力に迫る。

第3回 「ひばりとベートーベン」■
ベートーベンの第九の「合唱」を聴くと「美空ひばり」の演歌の旋律がよみがえるという山折さん。1年を浄化する「第九」と一日を洗い流す「演歌」。日本人はベートーベンも演歌も本質的に同じように聴いているのではないか。失意、怨念、悲哀・・・ネガティブな感情を「発酵」させ、歌い上げることで人々を浄化する、という山折流演歌論。

第4回 「『悲しい酒』とひばりの涙」■
戦後の美空ひばりは、「東京キッド」や「お祭りマンボ」などの明るい曲から、淋しいく暗い曲へ転ずる中で、不動の人気を確立していった。山折さんはその分岐点が「哀しい酒」であったと分析。新幹線開通や東京オリンピック、一見明るさに彩られた高度成長の「影」をすくい取ることで国民歌手となった「ひばり」が映し出す、もう一つの「昭和」を描く。

(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-08-02〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)







●知るを楽しむ なんでも好奇心
「TOKYO1945」 〜接収された建物とお屋敷の物語〜 工藤美代子 <全4回>

1945年、敗戦と連合軍の進駐にともない、東京の多くの建物が接収にあった。その建物をつぶさに眺めると、単にGHQの拠点や将官の住居として必要であったというだけでなく、華族制度の廃止や財閥解体といった意図があったことが透けて見える。明け渡しを迫られた人々の思いを含め、接収に秘められたドラマを探る。
−−−−−
1950年、東京生まれ。 チェコスロバキア・カレル大学を経て、73年にカナダに移住。バンクーバーのコロンビア・カレッジ卒業。91年、「工藤写真館の昭和」(朝日新聞社)で講談社ノンフィクション賞受賞。93年帰国。「マッカーサー伝説」(恒文社)、「ラフカディオ・ハーンの生涯(アメリカ編・ヨーロッパ編・日本編)」(集英社)など、歴史の狭間に生きた人々を丹念に追った作品には定評がある。


第1回 「マッカーサーの城さがし」 〜旧第一生命館〜■ --->G 0871
連合軍が作成した「CITY MAP OF CENTRAL TOKYO」。数百カ所の接収された建物が記されたこの地図を見ると、銀座はほとんどが焼け野原となっているのに対し、線路一本隔てた日比谷周辺は多くの建物が無傷で残り、そのほとんどが接収されたことがわかる。皇居と向かい合うようにならんだその建物の一角が、マッカーサーがGHQ本部を置いた旧第一生命館である。マッカーサーは東京に進駐した9月8日当日に、40分かけて車で視察し、複数あった候補の中からこのビルを選んだ。そこには華美を嫌い、機能性を重視したマッカーサーの性格も窺える。第一生命館に居を定めて日本統治に乗り出したマッカーサーの心中に迫る。

第2回 「狙われた貴族の館」 〜旧前田侯爵邸〜■ --->G 0039
東京、駒場の旧前田侯爵邸は、かつて「東洋一の邸宅」と呼ばれた、イギリス・チューダー様式の見事な屋敷。戦前は加賀百万石の末裔がここで裕福に暮らしていた。しかしこうした華族の邸宅は終戦後、連合軍の高級将校の住宅として真っ先に目を付けられ、接収にあう。やむなく引っ越した家も再び接収されるなど、華族の生活は一気に厳しくなった。さらに財産税の課税などが追い打ちをかけ、華族制度は崩壊していく。しかしそんな中でもしたたかに生き抜いていく人々の姿もあった。戦後の混乱期を見つめた「貴族の館」の物語を追う。

第3回 「財閥を解体せよ」 〜旧三井家綱町別邸〜×--->おそらくHDD-A格納だったためファイルなし
鹿鳴館を手がけたジョサイア・コンドルによって設計され、三井財閥の迎賓館として風格ある佇まいを見せる三井綱町別邸。延べ床面積900坪、ルネサンス様式を基調として様々な様式が調和し、ステンドグラスをはめたドーム天井、優雅な室内装飾など比類のない豪華さを誇っている。終戦から1ヶ月経った頃、ここでGHQと三井の代表者で、密談が持たれた。「自主的に財閥を解体せよ」と迫るGHQに対し、抵抗する三井側。しかし連合軍の圧力に抗しきれず、数回にわたる会談の後、やむなく自主的解体を受諾する。綱町別邸も接収され、米軍の高級将校クラブとなった。財閥解体を巡る人々のドラマを見つめる。

第4回 「GIのギンザ」 〜旧銀座ビヤホール〜×--->おそらくHDD-A格納だったためファイルなし
昭和9年に竣工した銀座のビヤホールは、壁面にモザイクが施され、昭和初期のモダンな風情をたたえた元祖デザイナーズレストラン。東京にGHQ本部が設置される5日前の1945年9月11日に、連合軍の兵士たちのためのビアホールとして接収された。空襲によって焼け野原となっていた銀座は、皮肉にも占領軍によって、再び活気づいた。朝鮮戦争が始まると、前線に送られる兵士と、日本人のウェイトレス・ボーイたちとの間で心の交流も生まれていった。戦争に苦しむ庶民同士がいたわりあう姿がそこにはあった。銀座のビアホールに生まれた日米の交流を辿る。

(text from NHK site)

<映像ノイズなし/副音声にノイズあり>
NHK教育 25min 2005-08-03〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)








●知るを楽しむ 日本語なるほど塾 「イキで勝負!東京ことば」 林えり子 <全4回>

14代続く江戸っ子作家・林えり子さんによる「イキで勝負!東京ことば」。
東京ことば=「べらんめぇ」と思ってはいませんか?イキでイナセを信条とする東京言葉の真の姿を明らかにします。
−−−−−
東京の本郷湯島生まれ。作家。慶應義塾大学文学部卒業。雑誌編集者を経て文筆生活に入る。
廃れつつある東京のことばや文化を伝えるべく、執筆や講演を行っている。江戸ことば東京ことばに関する著書に「宵越しの銭─東京っ子ことば 秋谷勝三老人聞き書き」(河出書房新社)、「生きている江戸ことば」(集英社新書)、「東京っ子ことば」(文春文庫)がある。ほかにも「愛せしこの身なれど 竹久夢二と妻他万喜」(集英社文庫)、「川柳人川上三太郎」(河出書房新社)、「冬のソナタに恋した人へお願い! これだけは知っておいて」(グラフ社)など著書多数。


第1回 「何が東京ことばなの?」■ --->G 0623
今月は、14代続く東京っ子作家・林えり子さんが「東京ことば」について語る。
東京言葉のルーツは、江戸の人口の60%を占めていた武士の格式張った「武家ことば」と旗本に仕える奴などが使った気っ風のいい「六方詞」、さらに「花街ことば」、「職人ことば」などに分かれる。今東京ことばの代表と思われている「べらんめぇ」は、これら東京ことばの一つ六方詞の流れをくむものである。そんな東京っ子が何よりも楽しんだのが、東京の地の言葉「根生い」のことばを使っての軽妙な会話だった。東京っ子のイキとイナセを言葉から紐解く。

第2回 「恐れ入谷の鬼子母神」 〜東京地口の楽しさ〜■ --->G 0131
東京っ子は会話を楽しむのに、色々な言い回しを編み出していた。
「大川で尻」「神楽に笛」など「その心は?」と聞きたくなるような「謎かけ言葉」や「語呂合わせ」。そして「いけ図々しい」「こしゃくな」「うす汚い」など言葉の頭にいけ、こ、うす等をつけ、微妙なニュアンスを表現していた。だが忘れてならないのが口の悪さである。さっぱりしていてはにかみ屋の江戸っ子独特の言い回しを、14代続く江戸っ子作家・林えり子さんが紹介する。

第3回 「『半七捕物帳』に見る職業別ことばづかい」■
仕事変わればことば変わる。江戸時代の東京は身分制度がはっきりとしていたとともに職業によりことばづかいが違っていた。武士は四角四面の武家ことばを、半七は下町の町人ことばを、商人は揉み手しながら少しへりくだった話しかたをとそれぞれが自分の立場に自尊心を抱きながら、自分の世界の言葉を使っていた。そして相手や場所などをわきまえながら、自在に使い分けていたのである。岡本綺堂は、明治に入り廃れつつあったすばらしい江戸ことばを残すべく、半七の語りという形をとって、後世に伝えているのである。

第4回 「ことばに見る東京女性」■
東京女性の言葉は、男性と同じく飾り気が無く言い切りっぱなしで情緒や余韻がないと言われる。最終回は、江戸っ子14代目の林えり子さんと新派女優の水谷八重子さんの二人に東京女性の話しぶりを伺う。
感情を抑えながらも抑揚のある、透る澄んだ声で話すものの、普段着ことばとよそ行きことばをくるくると使い分けるのが東京女性なのだという。
イキな東京女性には、容姿や身なりしゃべり方全てが洗練され、しゃれた色気があることが重要なのだ。銭湯で裸になった時でさえも背中でイキを感じさせるという。
生粋の東京女性林えり子さんと水谷八重子さんの話しぶり、そして水谷八重子さんが見せてくれる啖呵は見逃せない。

(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-08-04〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)






●知るを楽しむ この人この世界 「わが“サル学”一代記」 河合雅雄 <全8回>

>>消去

第1回 「動物と遊ぶ少年」■ --->G 0594

第2回 「サル学事始め」■ --->G 0645

第3回 「ゴリラ探検記」■ --->G 0107

第4回 「森がサルを生んだ」■ --->G 0384

第5回 「争わないサルとの出会い」■軽 --->C 削除済

第6回 「風土病との闘い」■

第7回 「里山復興と宮沢賢治」■

第8回 「シートンと私の動物記」

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-10-03〜10-31 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





U ガイアと重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「談志が語る手塚治虫」 〜天才の条件〜 立川談志 <全4回>

60年の生涯で700に及ぶ作品を残した漫画家・手塚治虫。想像力の限りを尽くして傑作を描き続けた手塚さんを落語家の立川談志さんは「レオナルド・ダ・ビンチと並ぶ“天才”」と呼び、尊敬してやまない。「天才は天才を知る」、“天才”漫画家・手塚治虫の人間像をもう一人の天才、落語界の風雲児・立川談志が心を込めて、思いのたけを語る。
−−−−−
1936年東京生まれ。落語家。1952年に五代目柳家小さんに入門し、63年、七代目立川談志を襲名した。テレビ番組「笑点」で人気沸騰すると、映画や舞台などでも幅広く活躍。71年には参議院選挙に出馬し当選、6年間議員を務める。83年、落語協会と真打ち制度をめぐり衝突して脱退し、同11月に「落語立川流」を創設すると家元となった。著書に「現代落語論」「談志百選」「立川談志独り会」など。


第1回 「案外ジタバタする人でした」■
昭和22年「新宝島」で、漫画に革命をもたらした手塚治虫。漫画好きな少年・談志にとっても衝撃的な作品だった。一躍漫画界のトップランナーとなった手塚だが、やがて次々ライバルが登場する。水木しげる、石森章太郎といった新たな才能に、手塚は激しい嫉妬心を燃やし新たな作風をつくり出していった。いつも笑顔を絶やさなかった手塚の厳しく孤独な内面。談志が、40年間まんが界の第一線を走り続けた天才の秘密を語る。

第2回 「人類の行く末が心配でした」■
手塚治虫は、「鉄腕アトム」「火の鳥」など、多くの漫画で人類の未来を描き、文明の進化が幸せをもたらすのか問い続けた。青年時代激しい空襲を体験した手塚は、戦争を憎み、愛する自然を破壊する文明に危機感を持っていた。人間の身勝手さを嘆きながらも人間を愛した手塚。人類の未来に対する予言はいかなるものだったのか。

第3回 「ウケない時期もありました」■
手塚自らが設立したアニメ制作会社虫プロダクション。厳しい制作条件の中で経営が悪化し昭和48年倒産。手塚は自宅も手放し4億の負債を負う。精神的に追い込まれた手塚は、少年漫画がかけなくなり、青年漫画で人間の不条理を描く。読者にウケは今一つだったが、談志は、この時期の手塚作品こそ芸術だと言い切る。その中の一つ「ばるぼら」で、手塚は自身に模した作家が苦悩と孤独にのたうちまわる姿を描いた。

第4回 「やっぱり優しい人でした」■
手塚は60歳で亡くなる寸前、病床でも漫画を書くことに執念を燃やした。談志の胸に去来する手塚の最後の面影は、死の数ヶ月前病院を抜け出してある会に来てくれ、別れを告げるかのように離れた所から手を力いっぱい振った姿である。談志が一番好きな手塚漫画「雨降り小僧」にあふれる優しさ。手塚への別れの言葉を語る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2005-10-07〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 --->G (mpeg2)





X ガイアと重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「岡本太郎」 〜あしたの神話〜 石井竜也 <全4回>

「芸術は爆発だ!」「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」。まだ少年だった石井竜也さんはテレビCMに登場する岡本太郎を見て“凄いコメディアン”だと思った。自由奔放、奇妙奇天烈な作品とパフォーマンス、しかし、その陰に芸術家としての痛々しいほどの使命感と明晰すぎるほどの論理が一貫していることに気づいたのは最近のこと。「人類の進歩と調和」のシンボルとされる岡本太郎の代表作「大阪万博の太陽の塔」の秘密に、歌手であり、画家であり、映像作家である石井竜也が迫ります。
−−−−−
茨城県出身。1985年に米米CLUBのヴォーカリストとしてデビュー。
92年シングル「君がいるだけで」で日本レコード大賞受賞。映画監督としても活動の場を広げ、94年「河童」、96年「ACRI」を公開。97年の米米CLUB解散後はソロ活動を開始。
現在は音楽活動に加えて、空間プロデュース、イベント総合プロデュースを手がけるほか、97年「空想美術展」、99年「EXPO ISHII 1999 昇展」といった個展を開催。また、インダストリアル・デザイナーとしても、ノートパソコンやアクセサリー、食器などのデザインを数多く手掛ける。

第1回「TARO復活」 〜太陽の塔の秘密〜■
「人類の進歩と調和」のシンボルとして記憶される大阪万博の「太陽の塔」、岡本太郎の代表作である。しかしこの塔の内部は古代の仮面や呪具など反文明的な展示品で満たされていた。
「太陽の塔」と同じ頃に製作され長い間行方不明となっていた巨大壁画「明日の神話」が最近発見されるに及んで、太郎がこの塔に込めた真の意味が明らかになったと石井さんは言う。石井竜也が推理する現代人へのTARO仰天のメッセージ。

第2回「天才は女から生まれる」 〜母・岡本かの子〜■
家事は一切せず、息子にただ「芸術家になれ」と言い続け、自らも破天荒な芸術家人生を貫いた母・かの子。太郎はこの母を愛し、また憎んでいたと石井さんは言う。「もしお母さんが東大卒の大秀才でお前も東大に行け、東大以外意味がないと毎日言われたら子どもはどうなると思いますか?」母子関係から天才を解剖する。

第3回「日本一フシギな男と女」 〜タローとトシコ〜■
「わたくしは朝起きて太郎さんの顔を見られることがうれしいんだもの。わー、太郎さんだーって思うから」太郎の公私にわたる伴侶だった岡本敏子。いい相手が見つからないと悩む若い女性に「迷うより愛せ」と説いた“恋愛芸術家”でもある。何かを生み出す人には絶対的な信奉者が必要だと語る石井さんが「芸術家の恋愛」に迫る。

第4回「TARO ザ・ロックスター」■
「今日の芸術はきれいではいけない、うまくあってはならない、心地よくあってはならない」。既成の権威に従うこと、自分が権威になることを拒否し続けた岡本太郎の本質はロックスターだと石井さんは言う。そこには一匹狼のまま走り続ける「強さ」と「孤独」があった。「芸術は爆発だ!」日本人を永遠に挑発し続ける太郎のメッセージにあらためてふれる。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2005-11-08〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 --->G (mpeg2)





●知るを楽しむ なんでも好奇心 「京菓子を遊ぶ」 山口富蔵 <全4回>

京菓子の世界をあまり知らない方へ、第一回は入門編。「まあ綺麗」「ああ美味しい」だけでは、京菓子の本当の楽しみを味わったことにはならない。平安の貴族から受け継いできた日本文化の真髄である“季節感”を京菓子の命として織り込みながら、山口さんが紡ぐ世界。目で楽しむ、耳で楽しむ、口で楽しむ。天龍寺塔頭、宝厳院の美しい庭園から、五感をフルに活用して、京菓子の魅力を縦横に楽しみます。
−−−−−
1937年、京都市生まれ、京菓子司。関西学院大学経済学部卒業後、京菓子司「末富」三代目主人となり、裏千家や薮内家などの多くの茶道家元から信頼を得ている。伝統をしっかりと受け継ぎながら、クラシック音楽をイメージとした創作菓子を発表するなど、新たな京菓子の世界を拓いている。
現在、同志社女子大学、精華大学などで、和菓子を通じた文化論を講義するなど、多彩な活動を行っている。

第1回 「“季節”を遊ぶ」■OK --->C 0551 ノイズなし
京菓子には、千年の古都の文化が織り込まれる。「まあ綺麗」「ああ美味しい」だけではない本当の楽しみ方は、京菓子の奥に潜む歴史や教養に遊び、貴族が楽しんだ文化に触れることなのだ。特に大切に織り込まれるのが、風にも心を動かすような、季節の移ろいを愛でる心。それを味わうために、京菓子は3回楽しむ。四季の景色を映した姿を、目で楽しむ。和歌などに伝わる貴族の心を詠み込んだ銘を、耳で楽しむ。選び抜かれた季節の素材を、口で楽しむ。繊細に研ぎ澄まされた“季節感”を、重層的に楽しむことができるのだ。舞台は、嵐山のふもと、天龍寺塔頭の美しい庭園。秋の気配を間近に感じながら、五感をフルに活用して小さな贅沢を楽しむ。

第2回 「“歴史”を遊ぶ」■
秀吉をもてなした千利休の幻のお菓子とは?
史料から推測し再現されたそのお菓子は、京菓子を楽しむためにとても大切なことを教えてくれる。
現在の京菓子文化を築いたのは、砂糖。ごく最近まで、甘い砂糖は、簡単には手に入らない高価で貴重なものだった。貴重な砂糖で作る京菓子は、京都の公家社会で大切に守られたことで、貴族が楽しんだ日本文化の粋が凝縮されている。造形に琳派の意匠、銘に詠み込む和歌の情景。古典の物語や能、歌舞伎。舞台は、京都東山のふもとに佇む西行庵の茶室。京菓子を通じて、日本に培われた美しい文化を知り、貴族の心に触れる。また、少しの教養を身につけることが、京菓子の楽しみを数段膨らませてくれるのだ。

第3回 「“暮らし”を遊ぶ」■
京都の町衆が伝える京菓子。
それは、季節を告げる歳時記と共にある。正月、節分、夏越の祓…それぞれに縁の深い京菓子が、町衆の新しい季節を迎える喜びを膨らませる。舞台は、京都の町の中心部に代々受け継がれてきた、築100年の古い町家。
雛祭り、祇園祭、歳事と共に迎える祭にかける町衆の意気込みがこもった京菓子。いつも気張った京菓子ではない、普段遣いのお菓子にも詰まった、古都の遊びのエッセンス。大切に守ってきた伝統の姿に、現代の遊び心が加わった京菓子。日本文化の真髄が詰まった京菓子の、ごく自然な楽しみ方を、伝統の歳時記を大切に守り伝える町衆の暮らしに探る。

第4回 「“もてなし”を遊ぶ」■
京菓子の楽しみの醍醐味は、自分だけではなく、誰かを喜ばせる“もてなし”の遊び。振る舞う季節、時間、場所。集まる顔触れ、盛る器は? 京都に暮らす人々は、ひいきの京菓子店を代々守り、長い付き合いを築くことで、特別な場面に相応しい新しい京菓子を、京菓子屋主人と相談して作る。冷泉家の歌会の京菓子。エリザベス女王を招いた茶会の京菓子。京都の伝統の暮らしを大切に守り伝えてきた都人と、古くからの伝統を受け継ぎ幅広い遊び心をもつ京菓子屋主人が、新しい世界を創る。1000年の古都が培ってきた、決して古びない菓子文化の真髄がそこにある。

(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2005-11-09〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ 日本語なるほど塾
「知って納得!数え方レッスン」 〜タンスからロボット犬まで 飯田朝子 <全4回>

普段なにげなく使っている数え方のことばに光を当て、数え方から日本語の豊かなものの捉え方を4回にわたって考える。
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中央大学助教授。数え方(助数詞)を始めとして、日本語や英語のことばの意味、インターネットを使った大学英語教育について研究している。1969年、東京都三鷹市生まれ。東京女子大学、慶應義塾大学大学院を経て、東京大学大学院人文社会系研究科言語学専門分野博士課程修了。博士論文『日本語主要助数詞の意味と用法』で博士(文学)取得。
著書に『数え方の辞典』(小学館)、『数え方でみがく日本語』(ちくまプリマー新書)、監修に『数え方クイズ100』(小学館)がある。エッセイ『数え方もひとしお』(小学館)が近刊予定。

第1回「なぜ日本語には多くの数え方があるの?」■OK --->C 0717 ノイズなし
日本語には、何と500種類もの「数え方」があるという。 例えば同じものを数えるのに「躯・体・座・頭・尊・基」という数え方のあるは?・・・答えは、「仏像」です。 では、ネクタイ、灯籠・山はどう数えるのでしょう。 日本語の数え方には、単に数を数えるだけでなく、何を数えているかがわかる「情報を補う力」があるのです。数え方から先人の知恵が見えてきます。

第2回「タンスは運び方、イカは形で決まります」■
イカ・アワビ・舟はその形から「一杯」、タンス・三味線・幟は運び方から「一棹」、太鼓・提灯・弓は作り方から「一張」と数えます。数え方から古の日本の暮らしぶりまでも見えてきます。
また私たちになじみ深いマグロは、数え方が6種類もありました。私たちが食べるときには、「一切れ」と数えられるマグロは、海で泳いでいた時には1匹、2匹と数えます。数え方を聞けば、マグロが今どのような状態になっているかがわかるのです。同じように刀もその状況によって数え方が変化します。

第3回「“1人”と“1名”どう違う?」■
不特定多数の人を数えるときと名前を数えるときは、「人」あるいは「名」それぞれどちらを使うのでしょう。今回は簡単なようで難しい数え方についてみていきます。
「一筋」と「1本」、「一つ」と「一個」など日常何気なく使っている数え方はどうしてそう数えるのでしょうか。 知っているつもりで使っている数え方ほど奥深く、「ものの捉え方」を映し出していることがわかります。

第4回「ロボット犬の数え方 〜1台か1匹か」■
ロボット犬のように、私たちがこれまでふれたことのないものをどのように数えたらいいのでしょうか。
ロボット犬は「1台」「1点」「1頭」「1匹」「1個」のうちどれがふさわしい数え方なのでしょうか。ロボット犬の数え方の変化を見ると、数え方はそれを扱う私たちとの距離感によって変わることがわかります。 携帯電話、電子メールも私たちとの関わりの変化によって数え方も変化してきました。 では、想像上のもの、例えば鬼や人魚、宇宙人などはあなたならどう数えますか?

(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2005-11-10〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)




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●知るを楽しむ この人この世界

「禁断の科学」 〜軍事・遺伝子・コンピューター〜 池内了 Satoru Ikeuchi <全8回>

1944年兵庫県生まれ。京都大学理学部物理学科卒業。同大学大学院理学研究科博士課程修了。国立天文台教授、大阪大学理学部教授、名古屋大学大学院理学研究科教授などを経て、現在は早稲田大学国際教養学部教授。専攻は宇宙論、天体物理学。著書に『観測的宇宙論』(東京大学出版会)、『転回の時代に』(岩波書店)、『私のエネルギー論』(文春新書)、『物理学と神』(集英社新書)、『ヤバンな科学』(晶文社)、『宇宙はどこまでわかっているか』(NHKライブラリー)など多数。


第1回 「接近する軍事と科学」■--->C 0119 ノイズなし
電子レンジはレーダーの研究中に、ナイロンは絹に代わるパラシュートの素材として、CCDはゲリラを見つけるための赤外線カメラとして研究されたという。私たちの生活は軍事研究と切り離せなくなっている。池内さんはこの理由を科学の発見をすぐ具体化できるようになった「技術化」の産物だという。時代とともに接近を続ける軍事と科学。その魅力と限界を考える。

第2回 「真理と倫理のジレンマ」■--->C 0485 ごく軽
科学者は「鍵を無くした箱を前にした錠前屋」だと池内さんはいう。開けたあとに何が出てくるかではなく、ひたすら目の前の謎に挑戦してしまう。それを科学者の業だという。この業が爆弾や毒ガスの進化を支えてきた。第一次世界大戦を生きた物理学者の寺田寅彦、ドイツの毒ガスを開発したフリッツ・ハーバー、連合国の爆薬の製造を可能にしたイギリスのハイム・ワイツマン。3人を通して、この科学者の業を考える。

第3回 「これで我々は全員悪者だよ」−マンハッタン計画■--->C 0838 ノイズなし
1942年、「マンハッタン計画」がアメリカで秘密裏に始まった。その目的は原子爆弾の製造。6000人の科学者の頭脳と、3年の月日、20億ドルの資金をかけ、遂に世界初の原子爆弾を作り上げる。研究部門の最高責任者であったオッペンハイマーはその技術を後に「甘美」と述べ、原爆の開発に没頭した。10万人以上の人々を死に追いやってしまった「究極の兵器・原爆」。「世界で初めてのもの」を開発する情熱と、究極の兵器への罪悪感。このジレンマに科学者たちは悩む。開発に携わった科学者たちの心の動きなどを交えながら原爆の開発史を描く。

第4回 「ロケット開発」−宇宙への夢と核ミサイル■--->C 0238 ごく軽
宇宙ロケットは弾頭を変えれば核ミサイルになる。19世紀後半、人々が純粋に憧れた宇宙への人類の進出の夢は、第二次世界大戦でのナチスドイツのV2ロケットで大きく前進する。戦後、V2ロケットの研究者、技術者たちはアメリカとソ連に別れ、冷戦の下、宇宙と核ミサイルのためにロケット開発に邁進する。その結果、人類は1969年にアポロ11号で月に立つ。その陰にはV2からアポロまで関わったドイツの天才科学者フォン・ブラウンがいた。「私は宇宙へ人をとばすためならば、悪魔と握手してでもやった」

第5回 「冷戦下の巨大軍事技術」−歯車としての科学者■--->C 0706 ノイズあり
米ソ冷戦下、軍事技術は科学の進歩とともに、より精密かつ高性能なものへと発達していった。冷戦を象徴するICBMなどの兵器にはミサイル技術のみならず、様々な科学の成果が集約されていた。軍事技術は、軍産複合体と称されるように、冷戦下において巨大産業となった。第2次世界大戦で登場した核技術は、冷戦下で様々な実験が行われ、研究が進んだ分野である。科学者は、核の人体への影響を知るために、放射能を使用した人体実験を行っていた。冷戦下で巨大化した軍事産業・技術と、携わった科学者の倫理について考える。

第6回 「原子力の現在」■--->C 0407 ごく軽
戦後の科学は、原爆に使われたウランの核分裂エネルギーを、発電という身近な技術に置き換えることに成功した。原子力発電所は、原子力潜水艦と原理的には同じ技術で運転されており、その長所、短所をそのまま受け継いでいる。原子力発電所は、二酸化炭素を排出しない点で、クリーンなエネルギーであるが、一方で常に放射性廃棄物の問題を抱えている。我々は将来のエネルギー源として、原子力発電に依存していくのが得策なのか。科学的に原発の持つメリット、デメリットについて考える

第7回 「情報化社会と監視社会」−IT技術の二面性■ --->C 0430 ごく軽
日本のインターネット人口はおよそ8000万人。今や86%以上の世帯がインターネットを利用している。このIT社会の発達には、軍事技術が欠かせなかった。弾道計算から始まったコンピューターの開発。冷戦時代のアメリカで軍事攻撃に強いネットワークを作ろうと生まれたインターネット。その後これらの技術は民間に開放され、わずか数十年で、私たちの生活にコンピューターは欠かせなくなっている。しかし、同時に個人情報が流出したり、組織や国家などに私たちの情報が握られ、監視される危険性も出てきた。IT技術の持つ光と影を描く。

第8回 「神の代役をする科学者」−遺伝子操作の論理■--->C 0576 ごく軽
遺伝子組み替え、ゲノム解読、遺伝子治療。生命科学の研究は日々、進歩を遂げている。肥満やハゲに関する遺伝子も見つかりつつあり、研究の成果を待ち望む人々も多い。その一方で、科学技術の発達のあまりの早さに、警告を発する科学者たちも出てきた。何十年から何万年もかかる進化の過程をわずかな時間で行う遺伝子操作の危うさ。親と全く同じ遺伝子を持つ子供を作ってしまうことのできる、クローン技術。人間の倫理に裏打ちされる生命科学について考える。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2005-12-05〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ−日本語なるほど塾− 「ムダ口のススメ」 荻野アンナ

第1回 「

第2回 「売り言葉に買い言葉」--->C 0812 ノイズなし

第3回 「言葉の温暖化対策?」--->C 0997 ノイズなし

第4回 「ラクゴ者への道」--->C 0317 ノイズなし


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