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●知るを楽しむ なんでも好奇心

「極私的 骨董入門」 〜本当の“目利き”になりたい〜 尾久彰三 Oku Shouzou +樹木希林 <全4回>

1947年、富山県生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。富山での民芸運動の指導者であった伯父の影響で民芸に目覚める。柳宗悦に私淑し、濱田庄司二代目館長が亡くなった翌年の78年、日本民藝館の学芸員となり、現在、日本民藝館主任学芸員。著書に『愉快な骨董』『これは「骨董」ではない』『貧好きの骨董』(晶文社)など。

第1回 「貧乏の数寄者」 〜骨董は金持ちだけの道楽?〜■2006-01-18 --->C/2006-07-23 --->F 0151 ごく軽い
樹木希林さん訪れるは、骨董ファン憧れの京都は東寺の骨董市。尾久彰三さんの案内で自分の好きなモノを探します。「骨董は自己発見」。説く尾久さんの選ぶモノは? 尾久流「極私的」骨董の奥義を見定めるべく、樹木さんが次に訪れたのが尾久さんの自宅。朝鮮、アフリカ、ネパール。世界から集まった生活と信仰の品々は年代もジャンルも一見バラバラ。そこにどんな思想が貫いているのか。尾久さんの奥様も登場しての骨董談義始まる。骨董とは何か、コレクターの喜びと悲哀とは。樹木さんの深い事情聴取は、夫婦の機微にまで及びます。

第2回 「どうしたら美がわかるか」 〜柳宗悦の世界〜■2006-01-25 --->C 0299 ノイズなし
「どうしたら美がわかるか、それはどうしたら神のことがわかるか、という問いと性質がよく似ているのであります」尾久さんがひいて説くは、民芸運動の生みの親、柳宗悦の世界。樹木さん謎を解くべく町中の古道具屋さんを訪ねる。そこでご主人曰く、「世界で『何でもないモノから何でもあるモノを選ぶ』方は利休と柳先生であります」との事。柳先生の教えを会得すべく、柳宗悦設立の日本民芸館へ赴く。そこで樹木さんが眼にしたモノとは?! そして樹木さんが大切にしてきた古いお宝とは!?

第3回 「目利き列伝」 〜骨董を通して世界を見る〜■--->C 0409 軽ノイズ
尾久さんと樹木さんが訪れたのは、昭和の目利きゆかりの場所、神奈川県の「旧白州邸武相荘」。歴史に名を残す目利き白州正子が暮らした家。そこで目にするのが、白州正子さんの「好きなモノに囲まれた暮らし」。その白州さんの骨董の先生が、日本の知性、評論家の小林秀雄、そして数奇を生きた目利きの中の目利き、青山二郎。三人の間を引き継がれ愛でられた名品の数々を手に、尾久さんと樹木さん、三人が観ていた美の世界に想いを馳せます。「女房のいない隙に、そっと出して見るべし」。骨董の奥義に樹木さんも深く納得!?

第4回 「モノは語る」 〜暮らしの中の骨董〜■
「骨董は買ってみなきゃ始まらない」というわけで、骨董市で買い物に励む樹木さん。尾久さんの案内で、種々雑多なモノの海のなかから樹木さんが買った「骨董」とは? 樹木さん、次に尾久さんに招かれたのははたして「骨董の宴」。尾久さんの骨董仲間が集まって骨董を手に骨董談義を深めるという余りに意義深い集いであった。酒席で開陳されるは骨董の楽しみ、骨董の苦しみ、はてまた骨董人生における妻の位置など、「極私的」話はとどまるところを知らず深く深く掘り下げられてゆく。極私的骨董入門最終回、樹木さんは一体どこへ導かれ行くのか!?
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2006-01-18〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





白洲 ガイアと重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「目利きの肖像」 〜白洲正子〜 細川護熙 <全4回>

1938年東京都生まれ。細川家18代当主。1963年上智大学法学部卒業。朝日新聞記者を経て、参議院議員、熊本県知事を2期務めた後、1992年に日本新党結成、代表に就任。翌93年に第79代内閣総理大臣になる。1998年、60歳を機に衆議院議員を辞職。政界引退後は神奈川県湯河原の自邸「不東庵」にて晴耕雨読の日々を過ごすと共に、作陶を始める。2001年、東京日本橋に壺中居にて初個展を開く。以降、各地で個展を開催。著書に『鄙の論理』(共著)、『明日はござなくそうろう』『権不十年』『不東庵日常』などがある。

第1回 「骨董・本物を知る」■--->C 0379 ノイズなし
白洲正子は骨董の「目利き」として知られている。様々な華麗なコレクションを日常生活の中で用いて楽しんだがしかし、目利きといわれるまでには、細川護立(細川護煕さんの祖父)の教えや青山二郎・小林秀雄などからの厳しい叱咤があった。
一回目は白洲正子の生い立ちや「韋駄天お正」と呼ばれた型破りの行動ぶりなどを証言を交えて紹介しながら、本物を知る「目利き」の条件とは何か、探っていく。
細川さんが白洲正子の旧宅、東京・町田の武相荘を久々に訪ね、回想しながら語っていく。

第2回 「旅・自在に遊ぶ」 ■--->F 0558 ノイズなし
白洲正子の代表作『かくれ里(1971年刊)』。日本各地に今も息づいている伝統や美の意匠、日本人の信仰などを発見していった著書で、そこにはまた「旅の達人ぶり」もうかがい知ることが出来る。「新幹線の行かない」所を自らの足で歩き、その出会いと発見の旅は新鮮な感動に満ちている。
今回、細川さんは『かくれ里』でとりあげられた滋賀県に残る石塔や石仏群、木地の里、岐阜県高山などを訪ねるとともに、白洲さんと出会った人々にその旅の流儀や達人振りの様子を聞き、旅で自在に遊ぶ心とは何か、考えていく。

第3回 「能・色気の形」■--->C 0624 ノイズなし
白洲正子は四歳の頃、能を見て魅せられ、習い始めた。14歳の時、女性として始めて舞台に立ち、33歳で著した最初の著書も『お能』であった。50歳で免許皆伝となったが、しかしその時、「女性には能は表現できない」と悟り、やめてしまった。晩年、能楽師の友枝喜久夫に出会って再び能を楽しむようになったが、果たして白洲正子のこの能に対する思いとは何だったのか。番組では白洲正子と交遊の深かった梅若六郎さん(能楽師)との対談も交え、日本文化の根底にあるといわれる「色気の形」を手がかりに考えていく。

第4回 「西行・花にひかれる心」■--->C 0245 ノイズなし
平安末期の歌人・西行法師を白洲正子は生涯敬愛し、晩年に至るまで、その足跡を訪ね歩いている。
今も大磯にある鴫立庵は西行ゆかりの庵で、祖父がこの近くに住んでいたことから白洲正子は小さい時から西行に親しんできた。北面の武士だった西行は23歳の時に出家し、旅に明け暮れしながら「こころ」をとりあげた歌を数多く詠んだが、しかし実は文覚上人とのエピソードに見られるように凄まじい気迫を持った人間だったといわれている。草庵に暮らしていても世の中の動きに常に関心を持ち、行動したその生き方は今の時代にも通じるものと細川さんは考えている。最近の暮らしぶりとあわせ、西行にひかれていった白洲正子の思いを語っていく。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2006-02-07〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->C





●知るを楽しむ この人この世界 「脳を鍛える」 東北大学教授・脳科学者 川島隆太

第1回 「よみがえる脳」 ■--->F 0046 ノイズなし

第2回 「脳の老化を防ぐ」■--->F 0704 軽いノイズ

第3回 「脳を知る −前頭前野の重要性」■--->F 0626 ノイズなし

第4回


NHK教育 25min 2006-02-〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ なんでも好奇心 「パトリス・ジュリアンの“精進料理”を学ぼう」

1952年、モロッコ生まれ。88年、フランス大使館文化担当官として来日。東京日仏学院副学長、レストランオーナーシェフを務めたのち、スタイルデザインオフィス主宰。イベントプロダクション、メニューや商品の開発、ライフスタイルワークショップの経営、執筆活動など多方面で活躍中。主な著書に『生活はアート』『暮らしのZen』(ともに幻冬社)『禅のヒント』(実業之日本社)『きちんと暮らす』(アスコム)など多数。

第1回 「ストイックな精進料理誕生」
典座(てんぞ)とよばれる修行僧が作る日本古来のスローフード「精進料理」には、一椀の中に四季が映し出され、季節ごとの自然の恵みをいただく知恵が詰まっている。日本の精進料理を体系化したのが曹洞宗・永平寺を開いた道元禅師。「典座教訓」を記し、料理を修業の一環として位置づけた。雪景色の永平寺本山を訪れたジュリアンさんは、長年愛読してきたフランス語版の「典座教訓」をガイドブックとして読み進めながら、精進料理に秘められた知恵と教えを探ってゆく。  ※話:三好良久(永平寺典座)

第2回 「究極のもてなし“茶”スタイルの完成」■
京都北山・大徳寺の精進料理は茶の湯とつながり、濃茶をいただく前の食事としての茶懐石へと発展した。一汁三菜を基本とし、飯・汁に始まり煮物や八寸に到るまで時間差をもって組み立てられるコース料理が誕生。「もてなし」の究極としてスタイリッシュに完成された精進料理を見せる。  ※話:熊倉功夫(国立日本民族学博物館名誉教授・林原美術館館長)

第3回 「肉や魚の精進料理!?“もどき料理”の謎」■
宇治・黄檗山萬福寺の精進料理は青磁に盛られた料理をそれぞれ自分の器に移していただく「普茶料理」と呼ばれる独特のスタイル。なかでも、魚や肉に見立てた「もどき料理」は中国では一般的な精進料理のスタイルだが、日本人にとっては不思議な感覚に襲われるもの。殺生を禁じる仏教の教えから始まった精進料理の成り立ちを、いま一度源流に遡ってとらえ直す。  ※話:山折哲雄(宗教学者)

第4回 「家々に伝わる手作りの味」■
お寺から一般家庭に広まった豆腐や揚げなどの食材に代表されるように、精進料理がルーツと言える家庭料理は数多い。旧家にはお盆・お彼岸の行事の時に作る手作りの精進料理が伝えられている所もある。京都や愛知に伝わる精進料理を題材に、暮らしの中に伝えられてきた精進料理を見つめ直す。  ※話:今井幸代さん(京都・おばんざい料理教室)ほか
(text from NHK site)

ノイズなし [GP-1200, 1201]
NHK教育 25min 2006-05-18・19・23・26(2006-03-08〜の総合での再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





寺山 ガイアと重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「寺山修司」 〜私と彼のただならぬ関係〜 美輪明宏 <全4回>

1935年長崎県生まれ。国立音楽大学附属高校中退。17歳でプロ歌手としてデビューし、東京・銀座のシャンソン喫茶・銀巴里などに出演。「メケメケ」「ヨイトマケの唄」などのヒット曲がある。1967年、寺山修司率いる演劇実験室天井桟敷『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』に出演。以後は演劇活動やコンサートを続ける一方、テレビ、ラジオ、雑誌などで幅広く活躍する。著書に『紫の履歴書』(水書坊)、『美輪明宏のおしゃれ大図鑑』(集英社)などがある。

第1回 「千の美意識をもつ男」■--->C 0737 ノイズなし
寺山修司と美輪明宏さんは1935年の同年 生まれ。最初の出会いは67年、「天井桟敷」処女公演の主役に美輪さんを起用したことからだった。詩から映画、競馬と幅広く活躍し、マルチ・プレーヤーと呼ばれる寺山の鬼才ぶりを当時の貴重な映像と共に紹介する

第2回 「熱く麗しきあの時代」■--->C 0842 ノイズなし
1960年後半から70年代前半、新宿・渋谷界隈は梁山泊といわれるほど活気に満ちていた。「見世物小屋の復権を」を掲げた寺山の『天井桟敷』も大きな話題を呼び、公演を重ねた。青春のエネルギーにあふれた「何でも出来た時代」について美輪さんが熱い思いを語る。

第3回 「ハハ地獄」■--->C 0366 ごく軽い
戦後の苦しい時代に母の手一つで育てられた寺山修司の作品は「母子関係」が大きなテーマになっている。その母は才あふれた息子を溺愛した。一方、『黒蜥蜴』の脚本を書いた作家・三島由紀夫は生い立ちから作風まで寺山と対照的だった。母親・はつと三島由紀夫を通してみた寺山修司の人物論。

第4回 「百年たったら意味ワカル」■--->C 0613 ノイズなし
松竹出身で25歳の時、寺山に出会い、結婚、その後も劇団や映画など寺山の創作活動を支え続けた元夫人で女優の九條今日子さん。最終回は二人の対談で「素顔の寺山修司」を語り合っていく。今も海外から高く評価されている寺山修司について九條さんは「百年後にその意味がわかる(『さらば箱舟』)」と言う。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2006-04-04〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->C





日本刀 流儀と重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 歴史に好奇心 「日本刀なるほど物語」 牧秀彦/柳家花緑 <全4回>

第1回 「誕生に謎あり」■--->C 0473 ノイズなし
日本刀にはモノとして一つの大きな謎がある。製鉄技術が低かったはずの平安、鎌倉期の古刀に、技術が進み刀匠たちの情報交換が進んだ江戸時代の刀がどうしても及ばないのだ。「鉄と人は時代が下るほど悪くなる」。そもそも炉の温度が鉄の融解点に達しないタタラでなぜ純度の高い玉鋼が得られるのか?性質の異なる芯鉄と刃鉄が叩いただけでなぜしっかりと結合するのか?日本刀作りは現代科学でも難問だらけである。ものづくりの視点からロマンに満ちた日本刀誕生の謎に迫る。

第2回 「名刀の条件」■--->C 0769 ごく軽い
武家には伝家の宝刀というものがある。足利13代将軍義輝は松永弾正に包囲された時、源氏=足利家累代の宝刀を数十本も畳に突き刺し、次々と手にとって壮烈な斬り死にを遂げた。振るわれたのは、大江山の酒呑童子を切った童子切安綱、同じく鬼を切った刀で頼朝が佩用した鬼切、義経が帯びて平家を倒した蜘蛛切、足利尊氏の運命を開いた骨喰藤四郎、・・・。その後天下を統一した豊臣秀吉は源家の宝刀はもとより、各大名家に伝わる名刀を一手に集め天下人の威厳を見せつける。この時、名刀を名刀たらしめたのは秀吉以降現代まで刀の目利きとされる本阿弥家の鑑定書、いわゆる「折り紙付き」であった。伝家の宝刀に宿るロマン、そして、それに寄せた武将たちのさまざまな思いを描く。

第3回 「刀は武士の魂か」■--->C 0253 軽いノイズ
戦国時代の合戦で刀は大きな役割を果たした武器ではない。一に鉄砲、二に弓矢、槍を持った相手にもかなわなかった。実戦での刀の存在価値は主として敵の首をかき取ることであり、その他の面では補助的な武器に過ぎない。しかし江戸時代、刀は重視された。弓矢、鉄砲を排除した剣術道場で、また唯一実戦の場として公認された敵討ちの場で日本刀は主要な武器として振るわれる。敵討ちの倫理や剣術の精神鍛錬と結びついて、いつしか「刀は武士の魂」という認識が広まった。太平の世であったからこそ進化した日本人と日本刀の関係を描く。

第4回 「攘夷の剣」■--->C 0012 軽いノイズ
「西洋砲たとえ吾が艦を砕くも、日本刀能く彼の頭を断つ」幕末は日本刀が歴史の主役となった唯一の時代といわれる。志士たちは夷戎を討つ神聖な武器として日本刀を夢想、刀工たちもかつて蒙古を破った鎌倉武士が振るったような長大な剣を作っている。陰謀と暗殺渦巻く京都では実際に刀の腕がものを言った。新撰組の近藤勇、土方歳三はもとより桂小五郎も坂本竜馬も相当な使い手だった。「今宵の虎徹はよく切れる」、幕末幾多のチャンバラ名場面を交えながら、攘夷の剣とその使い手たちが日本刀に寄せた思いを描く。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2006-04-06〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





ガイアと重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「松田優作」 〜アニキの呼び声〜 リリー・フランキー

1963年福岡県生まれ。
武蔵野美術大学卒業。イラストレーター、コラムニスト、作家、作詞・作曲家、写真家、ラジオのナビゲーターなど多彩な顔をもつ。長編小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』がベストセラー、絵本『おでんくん』もアニメ化され話題に。生前の松田優作さんとは面識はないが、かつて同じビルの中に事務所があったという奇縁で優作夫人の松田美由紀さんと知り合い、ファンクラブの活動などにも参加している。
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リリー・フランキーさんの中には「松田優作的」なものが棲んでいるという。つねに肩越しからリリーさんを見張り、怠けたり、変なことをすると「なんでおまえはそうなんだ!」と厳しく戒めてくれる心の中のアニキ的存在。男を虜にする稀有な男を、リリー・フランキーさんが語る。

第1回 「なにをやってもかっこいい」■--->C 0707 ノイズなし
リリーさんが高1のときにみた 「探偵物語」の工藤俊作。銃を持たない探偵を演じた松田優作は、強くなければいけなかったヒーロー像を変えたとリリーさんはいう。ときにペコペコ頭をさげても、なぜかかっこよく、なぜか真似をしたくなる優作。リリーさんのヒーロー像をひっくり返した「男が真似したくなる男」との出会いを語る。

第2回 「本当にゾッとしました」■--->C 0494 ごく軽い
「日本の男は、松田優作が棲みついた男とそうでない男の二種類に分かれる」というのがリリーさんの持論。「この人は何かが違う」という印象が決定的となった映画「野獣死すべし」。人間の狂気を演じるため、体重を10キロ落とし、奥歯を上下4本抜いて頬をくぼませた松田優作。演技さえも超えて、圧倒的な存在感を残した名作「野獣死すべし」から、役者・松田優作の凄まじさを語る。

第3回 「イノセントデビル」■--->C 0086 ごく軽い
「こんな話があるんだ」。脚本家・丸山昇一さんに投げかけられた優作のアイデア。ここから10年も続く2人きりの脚本づくりが始まった。優作は、気に入らなければ目の前で破り、良い出来の時は思い切り丸山さんを抱きすくめた。「苦痛と快楽の連続。こいつを殺して俺も死のうと何度思ったことか」いつしか溜まった6本の脚本。だが、いずれも映像化はされず、優作はこの世を去った。丸山さんの愛憎入り混じる証言と未発表の脚本から“優作が本当にめざしたもの”を読み解く。

第4回 「家庭という舞台 対談/リリー・フランキー×松田美由紀」■ --->E 665 ノイズ
リリーさんは生前の優作と面識はない。だが優作夫人である美由紀さんとは偶然知り合いとなり、自宅にも遊びに伺う不思議な縁。その空間には今もなお、優作の匂いが強く立ち込めているという。「怖い父親だった。でも優作がいると空気が綺麗になった」と美由紀さん。晩年、優作は“家庭こそが最大の演劇空間”と語ったという。激しく生き切った俳優生活の裏にあったもの。美由紀さんとの対談から、人間・優作の素顔に迫る。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2006-05-02〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





流儀と重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 歴史に好奇心 「明治美人帖」 佐伯順子/柳家花緑

1961年、東京都生まれ。祖母が観世流の能楽師であったため、幼いころより能に親しむ。84年学習院大学文学部史学科卒業、89年東京大学大学院博士課程修了(学術博士)。専攻は比較文化史。大学院在籍中、修士論文に手を加えた『遊女の文化史』を出版。既成の女性論や学問の枠組みにとらわれないそのしなやかな感性で、脚光をあびる。大学院終了後、帝塚山学院大学教授等を経て、2002年より同志社大学大学院教授。1998年に『「色」と「愛」の比較文化史』でサントリー学芸賞受賞。
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写真による美人コンテストが初めて開かれた明治時代は年を追うごとに「美人」が増えた時代。初め美人といえばまず芸者だった。やがて鹿鳴館ができると華麗な洋装のセレブが婦人雑誌のグラビアを飾る。そして明治末には女学生や家庭の主婦までがメディアに登場。女性をめぐる社会の意識が大きく揺れた時代、明治美人の姿を描く。 案内人:柳家花緑、佐伯順子(同志社大学教授)

第1回 「ゲイシャ・不思議の国の美女」■--->C 0962 ノイズなし
明治23年11月に開業した凌雲閣(浅草十二階)の呼び物は日本最初の電動エレベーターだったが故障が多く、翌年には操業停止。かわりに4階から7階まで美人の写真を展示して、その人気投票を行うという趣向で観覧客に階段を上らせた。わが国初の美人コンテスト「凌雲閣百美人」である。1位に輝いたのは新橋のあずま、残り99人も全員芸者であった。当時、欧米向けに盛んに輸出された手彩色の写真アルバム「横浜写真」でも美人写真は芸者の独壇場で、今に続く「フジヤマ、ゲイシャ」の発信源となっている。この時代なぜ芸者がこれほどもてはやされたのか?そもそも芸者ってどういう人たち?美人写真をふんだんに盛り込みながらゲイシャの全盛期を描く。

第2回 「セレブ誕生」■ --->E 0656 ごく軽い
国策として建てられた鹿鳴館、しかし肝心の踊り手がいない。国を挙げての洋装の美女作りが日本初のセレブを生み出す。鍋島侯爵夫人栄子、戸田伯爵夫人極子、華麗なバッスルスタイルに身を固め、慣れないダンスステップを踏んだ彼女達は鹿鳴館の閉鎖後も婦人雑誌のグラビアに登場し女性読者の羨望の対象となった。それまでの美人観にはなかった胸を張る凛とした姿勢で、日本に新たな女性美をもたらした明治セレブたち。その栄光と知られざる悲しみを描く。

第3回 「女学生ブーム」■ --->E 0621 ごく軽い
明治40年時事新報社の主催で開かれた美人コンテストは芸者の参加を禁止、日本全国から素人美人だけの参加を募った。1等となったのは学習院に通う女学生だった末広ヒロ子。大きなリボンをつけ袴をはいた女学生スタイルが明治美人界を席巻する。しかし一方で良家の子女が美人コンテストに出ることを「はしたない」と批判する人々も健在、末広ヒロ子は学習院を自主退学に追い込まれる。時代の新しい女性像として誕生した才色兼備の「ハイカラさん」たちの実像に迫る。

第4回 「そして人妻」■--->C 0836 ノイズなし/■ --->E 0332 軽い
「家庭」や「主婦」という言葉が誕生したのは明治後期。官庁や大きな会社に勤める高級サラリーマンの世帯が増え、「イエ」ではなく「家庭」を切り盛りする上品でしとやかな「奥様」が明治美人界に隠然たる影響を及ぼし始める。デパートは奥様が美しくあるための商品を取り揃えて大きく成長、雑誌は奥様が玄関から台所までを案内する「家庭拝見」の企画で当てた。良妻賢母という枠の中ながら、社会を変える大消費者として登場した美人妻たちを描く。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2006-05-04〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->E
ノイズなし
NHK教育 25min 2008-03-06〜(2006-05-02〜の再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->C





ガイアと重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「チャップリン」 〜なぜ世界中が笑えるのか〜 大野裕之

1974年、大阪府生まれ。脚本家・チャップリン研究家。
京都大学大学院博士課程修了。専攻は映画学・舞台芸術論。1999年以降継続的にロンドンの英国映画協会(BFI)で研究を続ける。2005年にはロンドンのチャップリン国際会議で講演するなど、若手のチャップリン研究家として国際的に知られる。日本におけるチャップリン映画祭の開催や日本版DVD、英米のチャップリン関連映画の監修などを手がける。日本チャップリン協会発起人代表。劇団とっても便利代表。
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今なお世界中を笑いと涙で包む喜劇王、「チャールズ・チャップリン」。なぜチャップリンは、国境を越え時代を越え、人々に愛されているのか。最新の研究を通じて、天才喜劇王チャップリンの実像をひも解いていく。

第1回 「チャップリンの作り方」■ --->C 0728 ノイズなし, E 0106 軽ザラ
母親が発狂した貧しい少年時代、パントマイムの名手としてようやく光の下にでた芸人時代。大きな夢を求めてアメリカに渡りようやく手に入れた映画界での成功。そして、数々のNGテイクから見える笑いへの葛藤。チャップリン作品の根幹を貫く放浪紳士“チャーリー”はどこから誕生したのか。初期の映画作品やロンドンロケも交えて、“チャーリー”誕生までの軌跡を追う。

第2回 「チャップリンの逃げ方」■ --->C 0413 ノイズなし
20世紀最高の娯楽となった映画の世界。そこでチャップリンは華々しい成功を収めていく。「キッド」「黄金狂時代」「街の灯」…、次々とヒット作を作り上げる。しかしその一方で、彼は現実で、そして映画の中で、あらゆるものからの逃走を繰り返していた。チャップリンは“なぜ”、そして“何”から逃げ続けたのか?チャップリンの初期の名作映画を交えつつ、チャップリンの「逃げ方」から見える笑いのスタイルを探る。

第3回 「チャップリンのズレ方」■ --->F 0301, C 0176
社会とどこか離れた存在“チャーリー”で世界を笑わせ続けたチャップリン。しかし、世界恐慌やファシズムを目の当たりにし、ついに逃げ続けてきたチャップリンは「笑い」で社会に立ち向かうことになる。ところが、そのチャップリンの闘いは不思議なほどに「ズレ」ていた。時代の寵児たるチャップリンは、どうしてそんなにズレていたのか?「ズレ方」から見えるチャップリンのこだわりに迫る。

第4回 「チャップリンの愛した日本」■ --->F 0128, C 0727
大の親日家だったチャップリン。今、チャップリンと日本をめぐる新発見が相次ぎ、笑いと涙のメッセージをこめた喜劇王の人間性・素顔に迫ることができる。生涯4度の来日。歌舞伎とチャップリンの意外な関係。チャップリンに18年仕えた執事・高野虎市。日本に残るチャップリンゆかりの場所や人々を訪ね、見えてくる真のチャップリンの姿とは?
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2006-06-13〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ選 日本語なるほど塾 「あなたの知らない語感の力」 黒川伊保子

1959年、栃木県出身。感性アナリスト、随筆家。奈良女子大学理学部物理学科卒業。メーカーで14年にわたり人工知能(AI)の研究開発に携わった経験を活かし、ことばの感性の分析を行う。現在(株)感性リサーチ代表取締役。倉敷芸術科学大学非常勤講師。著書に『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』(新潮新書)、『女たちはなぜ「口コミ」の魔力にハマるのか』(KKベストセラーズ)、『LOVE brain−行為を紡ぐ男性脳、言葉を紡ぐ女性脳』(PHPエディターズグループ)など多数。


第1回 「語感の正体」■ --->C 0596 ノイズなし
男の子の名前はいろいろあるが、呼ばれた時に受ける印象にはそれぞれ違いがある。例えば、「タケシ」ならやんちゃそう、「ユウ」なら優しそう、といった具合だ。こうした名前ごとに持つある種のイメージには、発音した時の口の中の感覚「発音体感」が大きく 影響しているという。第1回は、さまざまな名前を例にとりながら、ことばの語感を形作るメカニズムについて 見ていく。

第2回 「語感でひも解く身近なことば」■ --->C 0066 ノイズなし
キツネ・タヌキはいずれも野山の小動物なのに、そのイメージはずいぶん違う。また、同じ江戸の風情を残す街である浅草や根津も、前者は「活気ある街」、後者は 「歴史を感じさせる街」というイメージの違いがある。こうした身近なことばを例に、イメージの違いをもたらす語感の謎に迫る。

第3回 「日本語はすごい〜語感研究から見えてくるもの」■--->C 0647 ノイズなし
第1〜2回で見てきた、ことばの音を発した時の体感が作る「語感」。その解析が可能なのは、日本語が母音で音声を認識する言語であることが大きい。また、子音+母音の組合せを整理・配列した五十音表は、日本語の音声の面から見事に分類した表になっている。この回は、子音で音声認識する英語やアルファベットとの比較を通して、日本語の特徴やその豊かさについて見ていく。

第4回 「感じることばの法則」■ --->C 0469 ノイズなし
黒川さんは、心地よい語感を持つことばには、1.実体と語感の一致 2.脳の生理状態に よる心地よさ、3.時代が作り出す語感の傾向、の3つの法則が働いているという。 最終回では、性別や年代ごとに好きな音の傾向や、最近流行したネーミングなどの例から、「感じることば」の3法則について見ていく。そして、人々の意識や時代の空気をも反映する「語感」の面白さについて考える。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2006-06-13〜(総合での再放送)
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->C





流儀と重なるので(再)を録画する
●知るを楽しむ 歴史に好奇心 「お金で買えない商人道」 藤本義一

1933年、大阪府生まれ。作家。
大阪府立大学在学中から、ラジオドラマの脚本、舞台台本などを手がけ、57年「つばくろの歌」で芸術祭文部大臣賞受賞。卒業後、川島雄三に師事し、62年に放送作家として独立、「法善寺横丁」など多数の脚本を執筆。65年からは、25年にわたり、軽妙な大阪弁を駆使して「11PM」の司会を務める。69年から上方的発想を生かした小説も発表。74年、「鬼の詩」で第71回直木賞受賞。「商人道」「なにわ商人一五〇〇年の知恵」「なにわ魂」など上方の商人についての著作も多い。
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江戸時代、商人たちは商売の心得を「家訓」などの言葉として守り、現代に受け継いできた。 関西の老舗に今なお残る「家訓」や「商いの心得」を作家・藤本義一氏が訪ね、そこに込められた商売の極意を読み解き、現代社会が学ぶべき先人の知恵を学ぶ。

第1回 「父から受け継いだ商人道」■ --->C 0147 ごく軽い
作家の藤本義一さんは、難波新地で質屋を営んでいた商人の父に、幼い頃から商人道を教えられて育った。 4歳になる頃から、トイレの壁にさまざまな商人たちの伝えてきた家訓を貼り出し、印鑑の見方ひとつにも商人としての心得があると厳しく教えられた。 この教えは、戦争ですべてを失い、一家の大黒柱として中学生にして家計を支えなければならなくなった藤本さんを支えた。 大阪の商人たちの間で親から子へ受け継がれた商人道の極意に迫る。

第2回 「ナニワ商人の家訓」■ --->C 0504 ノイズなし
天下の台所と呼ばれた大阪の街は、商人によって作られた商人の町。この商人たちの間で家訓がブームとなったのは元禄バブルがはじけ、享保の改革が行われた大不況の時期だった。 大阪の商人たちの間で家訓が重んじられるきっかけとなった豪商の没落の物語を紐解くとともに、家訓がどのように作られていったのか、また今どのような家訓が語り継がれているのかを紹介し、現代にもたくましく生きるナニワ商人たちの商いの心に迫る。

第3回 「京の老舗 長生きの秘訣」■--->C 0837 >>>ノイズひどいので再録したい
千年の都、京都には創業数百年という老舗が数多くある。商いを広げるよりも、細く長く商いをすることをよしとするのが京都の商い。藤本義一さんは、創業三百年を超える老舗を訪ね、代々受け継いでいる家訓を紹介する。 「一子相伝」の家訓を持つ七味専門店の技を伝えるためのさまざまな努力や、「一代一品」の家訓を持つ和菓子店、ユニークな家訓を持つお香の店など、創業三百年以上の老舗が代々守ってきた家訓に隠された「広く浅く」よりも「狭く深く」こそが末広がりの秘訣という、サービスの極意に迫る。

第4回 「近江商人 三方よしの経営術」■ --->C 0733 ノイズなし
商社の基礎を築いたと言われる近江商人は、外の地域に商売に出て行きながら、長く商売を続ける上で守らなくてはならない厳しい制度や家訓を作り出していた。 全国の出店間で大量の商品を動かす物流システムや、奉公人たちを管理する出店の人事制度など、現代ビジネスに通じるノウハウを江戸時代に築いた近江商人は、「商売とは儲けだけでなく世の中を良くするものでなくてはならない」とする商人道「三方よし」を持っていた。「三方よし」という言葉は、売り手・買い手そして世間の「三方」の利益を考えなくてはならないとした近江商人の商人道を読み解く。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2006-06-14〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)







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