VD-284

SP
45min
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NHK総合



プロジェクトX

(49) 「耳を澄ませ 赤ちゃんの声」 〜伝説のパルモア病院誕生〜

現在、世界一低い新生児死亡率を誇る日本。世界で最も安全に出産できる国である。しかし僅か40年ほど前まで、出産は、赤ん坊にとって人生最大の危機だった。産婦人科医は母胎に関する知識しかなかった。小児科医は生後一ヶ月以降の赤ん坊しか診られなかった。生まれた直後の新生児専門の医者はいなかった。そのため、30人に1人が出産時に死亡した。生まれ出ても、難産の影響で、脳性麻痺などの身体障害になる者も多かった。「子供の危機を救いたい」。立ち上がったのが、京都府立医科大学教授の小児科医・三宅廉だった。三宅はまず、出産に立ち会わせてほしいと訴えたが、産婦人科の領域と断られた。縦割り医療の限界を感じた三宅は、47歳で大学を辞職。昭和31年、ひとりの若い産婦人科医・椿四方介を引き連れて、神戸市内に小さな診療所「パルモア病院」を設立した。しかし、日本初の新生児医療は困難の連続だった。どれくらいの量の薬を与えて良いのか。どんな注射をすればいいのか。刺激の少ない人工呼吸の方法は・・・・。分からないことだらけだった。更に、苦悩するパルモア病院を経営危機が襲う。名もない小さな病院で出産する患者は少なかった。3週間全く出産がないこともあった。三宅たちは、次々と襲いかかる困難な壁を、どのように乗り越えていくのか・・・。 これは、小さな命を守ろうと奮闘し、日本の医療界に革命を起こした医師たちの感動のドラマである。

2001-04-24 STEREO

> 「プロジェクトX」にも登場 神戸・パルモア病院が民事再生申請 産経新聞 2013年10月31日(木)13時39分配信
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NHKの番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」に先進的な医療の取り組みが取り上げられたこともある「パルモア病院」(神戸市中央区)を運営する、医療法人財団パルモア病院(同区)は31日、大阪地裁に30日付で民事再生法の適用を申請し、保全命令を受けたと発表した。診療は継続しているという。東京商工リサーチによると、平成25年3月期決算での負債総額は約14.7億円。神戸パルモア病院は昭和31年に開院。産科と小児科の提携を目指した周産期医療を日本で初めて実践したとされる。ほかに内科、麻酔科などがあり、病床数は70床。25年3月期の売上高は12億円で前期から減収となり、経常損益は2200万円、最終損益は2100万円のそれぞれ赤字を計上していた。借入金の負担もあり、資金繰りに行き詰まったとみられる。病院のホームページによると、平成13年にNHKのプロジェクトXで当時としては先進的だった周産期医療の取り組みが放映された。





(51) 「日本のマイカー てんとう虫・町をゆく」 〜家族たちの自動車革命〜

日本人の自動車に対する意識を根底から覆した革命的な車がある。スバル360。昭和30年代、一軒家と同じほど高価だった「自動車」をサラリーマンでも買えるほど安価にし、「マイカー」という言葉を誕生させた画期的な車である。わずか360ccながら4人乗り。高級外車にも負けない驚異的な走りとサスペンションを誇り、その風貌から「てんとう虫」と呼ばれた。スバル360を生み出したのは、戦後、細々とバスを作っていた富士重工業の技術者たち。戦時中は、戦闘機を手掛けるほどの腕を持ちながら、戦後くすぶっていた男達である。安くても高性能の車を作るために要求されたのは、極限の軽量化と軽くて柔らかいサスペンションの開発である。次々と立ちはだかる壁を前に、技術者たちを奮い立たせたのは、家族への想いだった。自動車を金持ちの道具から、自分達の家族でも乗れる「庶民の足」にしたい。技術者たちの執念が、不可能といわれた4人乗り軽自動車を世に送り出す。革新的な車作りに打ち込んだ男達と家族の物語を描いていく。

2001-05-08 STEREO


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