VD-291

SP
45min
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NHK総合



プロジェクトX


(87) 「東京ドーム 奇跡のエアー作戦」

昭和63年3月。日本初の屋根付き球場・東京ドームが誕生した。
雨天中止がなくなったプロ野球、夢の球場に日本中が驚いた。
可能にしたのは、テフロンで強化した布製の膜材を屋根に使う「膜構造建築」技術。
その陰には、テント一筋に生きてきた技術者達の意地をかけた壮絶な物語があった。
昭和45年の大阪万博で、最も注目を集めた建物があった。世界初のエアドーム「アメリカ館」だった。
柱を使わず、空気圧だけで膜屋根を支える。工期が短く、コストも安い。
手がけたのは、戦後ミシン一台で出発したテント会社・太陽工業の技術者たちだった。
しかし、万博終了後「アメリカ館」は、あえなく燃やされた。当時の建築基準法では、膜屋根は「仮設」扱い。
恒久建築物には使えなかった。「所詮、俺たちはテント屋か。」技術者たちは辛酸をなめた。
それから10年。「テント屋」達に再びチャンスが巡ってきた。
プロ野球の檜舞台・後楽園球場に代わる、屋根付き球場建設計画が持ち上がったのである。
オイルショックによる不況、スター選手の引退。新球場は、低迷する興行成績の挽回策だった。
全体施工を担当する竹中工務店と、太陽工業とのプロジェクトが出来た。
法律の壁を突破するため、実験棟を建て、台風の中、安全性を証明するデータを採った。
建設省に日参し、やっと建築許可を得たものの、今度は近隣の日照権問題が発生。
やむなく屋根を北側に傾斜させる前代未聞の設計となった。一枚一枚異なる布の強度。
膜を支えるケーブルの微妙な張り具合。傾斜屋根は、さらに作業を複雑で困難なものにした。
そして迎えた「インフレート(空気圧で屋根を押し上げる最後の作業)」の日。
一つ間違えばケーブルが大きく跳ね、膜を破ってしまう。
メンバーは、厚さ0.8ミリの膜屋根の上に乗り、命がけで作業に当たった。
今や、全天候型スポーツ施設として、日本中に普及した膜構造建築。
そのさきがけとなった東京ドーム誕生に賭けた人々の熱いドラマを描く。 (text from NHK site)

2002-05-21 AFM STEREO



(90) 「男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」

不況の中、猛烈な勢いで売り上げを伸ばしている商品がある。デジタルカメラ。通称デジカメ。フイルムも現像も必要なし。
撮ったその場ですぐに見られ、インターネットで瞬時に遠く離れた場所に送ることができる夢のカメラである。
1995年、世界で初めてデジカメを大ヒットさせたのは、カシオ計算機の末高弘之率いる若き技術者たち。
1987年、最初の製品を発売。しかし、動画の撮れるカメラが流行し始めたため、全く売れなかった。
残された大量の在庫と赤字。プロジェクトは解散となり、末高たちも商品に直結しない基礎研究部門に異動となった。
当時はバブルの絶頂期。楽に一攫千金できる財テクがブームとなり、地道な物作りは時代遅れと言われた。
理工系の学生が給料の高い金融機関に流れるメーカー離れ現象が発生。製造業は取り残された。
そんななか末高たちは会社トップに秘密のプロジェクトを結成し、ひたむきにデジタルカメラ開発を続ける。
しかし、できた試作品は重さ3キロ、特大の弁当箱並み。商品化にはほど遠かった。
苦境を乗り越えるバネになったのは、戦後の日本を支えてきた物作りへの熱い思いだった。
地道な開発努力はやがて小型化に結実。パソコン時代到来を見事に読み、大ヒットへとつなげていく。
バブルに翻弄されながら、物作りの夢をあきらめず、
デジカメ開発を続けた若者たちの10年におよぶ執念のドラマを描く。(text from NHK site)

2002-07-02 AFM STEREO



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