VD-385

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30min×4


NHK教育



NHK人間講座
「イスラーム世界を読む」

小杉 泰 (京都大学大学院教授)


(5) イスラーム復興のうねり

イスラーム復興の先駆者・アフガーニーは、イスラーム世界の内部改革と西欧列強に対する抵抗の組織化を訴え、
1883年に「固き絆」という雑誌を刊行した。
これを読んでイスラーム改革に目覚めたのがリダー。彼は「マナール(灯台)」という雑誌を出し、
近代的なイスラームの解釈、時代の要請に応じたイスラーム法の解釈を盛り込み、イスラーム復興の理論を作った。
また、ムスリム同胞団の創始者・バンナーはカフェに行って説法するなどして、イスラーム復興運動を一般大衆に広めた。
イスラーム復興を考える時、急進的な政治運動だけではなく、例えば寄付を集めてモスクを建てる、
クルアーン教室を開く、モスクにクリニックを併設するなど、人々の生活に結びついた草の根レベルの動きが
イスラーム世界の中で深くゆるやかに進んでいることを忘れてはならない。


(6) 「法学ルネサンス」とイスラーム銀行

19世紀からの近代化によって、イスラーム諸国に西洋法が持ち込まれた。
だが、イスラーム教徒たちは、イスラームの教えに基づいたイスラーム法を生活の中に根付かせてきた。
特に第二次世界大戦後には、イスラーム法を現実社会に対応させるために法の解釈を革新する試み「法学ルネサンス」が興る。
とりわけ顕著な例が、1970年代から広がった、利子のない銀行「イスラーム銀行」である。
イスラーム法では、「公平性の確保」「不労所得の禁止」の観点から利子が禁じられている。
この教えを守りながら、銀行経営を成り立たせることが出来たのは、解釈の革新によってであった。


(7) イスラーム革命の挑戦

日本がイスラーム世界とのつながりを自覚したのは73年の第4次中東戦争で第1次石油ショックの時。
アラブ諸国がとった「石油戦略」は、「アラブの大義」を理解しない国に対しては輸出を削減する、というもので、
政治的に「非友好」であれば経済制裁の対象にするという、その「政経連結論」の発想が世界を驚かせた。
79年、ホメイニーが指導したイラン・イスラーム革命は、「宗教による革命」が現れた事で世界に衝撃を与えた。
イラン革命が目指した「イスラーム革命」とは、イスラーム法学者が監督・統治する政教一元の国づくりであった。
更に現在、世界各地でイスラーム闘争が起きており、それは様々な「イスラーム復興」の挑戦となっている。


(8) イスラーム連帯とナショナリズム

イスラームの国々は、「イスラーム世界はひとつのウンマである」という理念にもとづき、連帯・協力を図っている。
この「イスラーム連帯」の動きは20世紀になって高まってきた。
1902年、カワーキビーは架空の「マッカ会議」議事録を発表し、その必要性を訴えた。
1920〜30年代、イスラーム世界の国際会議がカイロやメッカなどで行われたが、第2次世界大戦で中断、
復活されたのは1969年の「イスラーム首脳会談」からであった。
一方、「ナショナリズム」は、欧米列強からの独立を目指した「民族自決権」の運動として第2次大戦後広がった。
「パレスチナ紛争」は、このナショナリズムと「イスラーム復興」の動きが複雑にからみ合った問題である。


(text from NHK site)

2002-04-30 / 05-07・14・21


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