VD-439

SP
45min×3


NHK総合



プロジェクトX


(7) 「執念が新幹線を生んだ」 〜老友90歳・戦闘機が姿を変えた〜

「東京〜大阪3時間への可能性」。昭和32年5月、国電の車内に張り出された講演会の吊り広告が、
戦後日本最大のプロジェクト「新幹線」建造の道を開くことになった。
この講演会は、国鉄鉄道技術研究所にいた旧陸海軍出身の技術者たちが中心となって企画したものであった。
中心人物の一人、三木忠直は戦時中、爆撃機の設計を行っていた航空技術者。
人の命を奪うための技術開発に心を痛めていた三木は、戦後、「人の役に立つものを作りたい」と鉄道技術研究所に入所。
「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み、「夢の超特急」を設計する。
この計画は、当初国鉄内部では「非現実的」と受け入れられなかったが、講演会の発表が世論を動かし、
翌年、新幹線プロジェクトが動き出す。流線型の車体、振動を吸収する新型の台車、ATC(自動列車制御装置)・・・。
旧陸海軍出身の技術者は次々に新しい技術を開発し、昭和38年、新幹線は、世界最高速度256km/hを記録。
新幹線は世界に日本の技術の高さを見せつけると同時に、欧米の鉄道界をも劇的に変えていく。
戦争の負の記憶を心に秘めながら、戦後、「新幹線」に第2の人生を賭けた技術者たちの姿を描く。

ゲスト:田中真一さん (元鉄道技術研究所)


2000-05-09 STEREO



(8) 「カール・ルイスの魔法の靴」 〜超軽量シューズ・若手社員の闘い〜

1991年、東京世界陸上100メートル走決勝。
すでにその時代は終わったと誰もが思っていたカール・ルイスは、9秒86の世界記録を樹立し、金メダルを獲得した。
その足には、日本のスポーツ用品メーカーと、神戸長田区の靴問屋が二人三脚で作り上げたスペシャルシューズが履かれていた。
ミズノ入社4年目の木村隆也は1987年、信じられない命令を受けた。ロス五輪で4冠に輝いたあのカール・ルイスの靴を
開発する任務だった。当時、スポーツのコマーシャリズムはアマチュアの陸上界まで席巻。
ミズノも広告塔としてのルイスに期待して契約を結んだ。しかし、ベン・ジョンソンの出現、ソウル五輪の屈辱を経るうちに、
メーカーとしての商品化を度外視して、世界記録樹立に貢献する道を探り始める。
木村は、靴問屋や繊物工場の協力を仰ぎ、世界最軽量 115グラムの靴を作り上げていった。
スポーツと企業のあるべき関係を模索しながら、
世界記録の陰でトップアスリートを支え続けた「スペシャルシューズ」プロジェクトを描く。

ゲスト:高野 進さん (元オリンピック陸上選手)
    首藤道代さん (ミズノ社員)


2000-05-16 STEREO



(85) 「わが友へ 病床からのキックオフ」 〜Jリーグ誕生 知られざるドラマ〜

今年6月、開かれるサッカーワールドカップ。この世界最大のショーに地元日本は史上最強と呼ばれる代表チームで挑む。
今や、野球を凌ぎ、国内最大の競技人口を誇るサッカー。全ては、10年前に誕生したプロリーグ「Jリーグ」に始まった。
かつて日本サッカーは、オリンピック、W杯の予選に勝てず、嘲笑を受け続けていた。
選手の所属する企業は、スポーツを宣伝と考え、社員選手の身分は不安定だった。会社を追われる者もいた。
サラリーマン選手が頂点のサッカーに、夢を抱く子供は殆どいなかった。
「企業スポーツから脱却して、老若男女、地域密着のプロリーグを作りたい」
立ち上がったのは、不治の病に倒れ、夢破れた元サッカー選手・木之本興三。 奇病・グッドパスチャー症候群にかかり、腎臓を切除。
数年の命と宣告されていた。木之本の情熱に、高校からマネージャー人生一筋の男や、
日本サッカー界に絶望し、一度はサッカーを捨てた男たちが集結する。
しかし、その道は、困難を極めた。スポーツのアマチュアリズムを掲げる日本サッカー協会は反対。
しかも、チーム名から企業名を外すことに、スポンサーの大企業が猛反発した。「100年かかっても無理だ」。
周囲の目は冷たかった。しかし、木之本は、週三回、人工透析を続けながら、執念で説得を続けていく。
番組では、地域密着のプロリーグ・Jリーグ創設に命を賭けた男たちの、情熱と友情のドラマを描く。

2002-04-24 (4/23放送の再) STEREO



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