VD-440

SP
45min×3


NHK総合



プロジェクトX


(10) 「全島1万人・史上最大の脱出作戦」 〜三原山噴火・13時間のドラマ〜

1986年11月21日、伊豆大島の三原山が大噴火。流れ出た溶岩がゆっくりと住宅地区に迫り始めていた。
島内4地区に散らばる一万人の島民をどう脱出させるのか、町役場では関係者の知恵を寄せ集めた急造の対策プロジェクトが動き出した。
島民を輸送するバス・船会社、避難を誘導する消防団、無線網を握り溶岩を監視する警察・・・
家族を心配しながらも、男たちは自分たちの職分を尽くそうと立ち上がった。
東京電力の出張所では、発電機を回し、夜間の避難と防災活動を支えるため、3人の職員が島に留まらざるを得なくなった。
勤務していた職員は6人、すべてが幼い子持ち。しかし、まず、自分が残ることを決めた所長が「あと2人頼めるか」と
涙ながらに聞いたとき、すべての男たちが静かに手を挙げた。夕方から早暁にかけての13時間、
一人の犠牲者もなくパニックを起こさずに島外脱出ができたことは、奇跡といわれた。
自分をおいて島民全てのために動いた男たち。島民たちの結束力の強さに裏付けられたその13時間のドラマを描く。

ゲスト:石川好さん (作家)
    秋田壽さん (元大島町助役)


2000-05-30 STEREO



(11) 「美空ひばり復活コンサート」 〜伝説の東京ドーム舞台裏の3000人〜

昭和62年4月、歌手・美空ひばりが倒れた。重症の肝硬変と大腿骨骨頭壊死で、マスコミは再起不能とまで報じた。
「もう一度、ステージに立って歌いたい」。入院先の病院で夏を迎えても、ひばりは「喉を痛める」と冷房もつけず、治療に耐えていた。
その姿に、医師や制作スタッフは「ひばりを復帰させ、舞台に立たせる」ことを誓う。そして壮大な計画は持ちあがった。
それが、ドーム球場に生まれ変わる「東京ドーム」でのこけら落としコンサートだった。
総勢300名にのぼる、ひばり復活公演プロジェクトが動き始めたのだ。しかし、東京ドームには巨大空間ゆえの問題があった。
大きな音を出せば出すほど、こだまのように音が残ってしまう「残響」の問題だった。
通常のホールで2秒の残響が、東京ドームでは5〜6秒にもなる。そのままでは歌えない可能性もあった。
さらに、歩くと苦痛にさいなまれる状態のひばりを、必要以上に動かさない工夫が必要とされた。
それらの条件のなか、スタッフは復活の舞台を演出しなければならない。そして病に倒れて1年後の昭和63年4月11日。
美空ひばりは、5万人の観客が見守るなか、東京ドームの舞台に立った。
"不死鳥"美空ひばりと、その翼となってステージを支えたスタッフたちの「復活への情熱」を描く。

ゲスト:島倉千代子さん (歌手・東京ドームコンサートを客席で見守っていた)
    川崎亜雄さん (ドーム公演音響担当)


2000-06-06 STEREO



(12) 「裕弥ちゃん1歳・輝け命」 〜日本初・親から子への肝臓移植〜

1989年、出雲市にある島根医科大学に、瀕死の状態の1歳の男の子が運び込まれた。
肝臓移植をしなければ助からない、胆道閉鎖症を患った杉本裕弥ちゃんだった。
永末直文医師を中心とする医療チームは、難しい選択を迫られる。
当時、脳死による臓器移植は認められておらず、助けるには健康な人の肝臓を切り取り移植するしかなかった。
手術に成功しても、失敗しても倫理上の非難が集中することは必至だった。
しかし、医師たちは肝臓提供を申し出た父親や家族の思いを聞くうちに、日本初の生体肝移植への決意を固めた。
15時間に及んだ難手術、285日目に訪れた別れ。母親は、「自分をあーたん(母さん)と呼んでくれた瞬間を持てただけで、
手術をお願いした甲斐がありました」と語った。その後、生体肝移植の技術は固まり、1000人を超える子供たちが助かっている。
小さき命を救うために手術に初めて挑戦した、医師と家族のプロジェクトを描く。

ゲスト:山内喜美子さん (ノンフィクション作家)
    松尾 進さん (松山赤十字病院小児外科部長)


2000-06-13 STEREO


video8-150MP


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