VD-441

SP
45min
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NHK総合



プロジェクトX


(14) 「厳冬・黒四ダムに挑む」 〜断崖絶壁の輸送作戦〜

のべ1千万人が働き、巨大プロジェクトの代名詞といわれた「黒四ダム」。
その難工事の最大の焦点は、断崖絶壁がそそり立つ秘境・黒部に、60万トンにおよぶ資材をいかに運び上げるかだった。
資材輸送の大動脈としては、長野県から山をくり抜き黒部に達する「大町トンネル(現・関電トンネル)」が計画された。
しかし、最低1年かかるトンネルの完成を待っていては、7年の工期に間に合わない恐れがあった。
ダムの本体工事を受注した間組は、壮大な輸送作戦を計画する。400人に及ぶ強力で人力輸送を始める一方、
標高2700メートルの立山の尾根をブルドーザーで越える前代未聞の挑戦に乗り出した。
更に、トンネルをダムの建設地点から迎え堀りをするために、零下20度の黒部に5ヶ月間留まる越冬隊を組織した。
指揮に当たったのは、「大まむし」の異名をとった筋金入りのダム屋・中村 精(くわし)。
若者たちは、中村の号令の元に、全身全霊を込めて秘境・黒部に立ち向かっていった。
電力が経済復興の鍵だった昭和30年代、黒四ダムの建設に挑んだ男たちのドラマを追う。
(text from NHK site)

2000-06-27 AFM Stereo



(16) 「翼はよみがえった [前編]」 〜YS-11・日本初の国産旅客機〜

零戦を始めとする数々の戦闘機を開発し、航空王国と言われた日本。その伝統は、敗戦によって途絶えた。
GHQによる航空機の生産・研究・実験の禁止は7年間続き、技術の伝承は最早不可能と誰もが思っていた。
戦後、神戸の職業安定所に並ぶ失業者の中に、英字新聞を片手に順番を待つ男がいた。土井武夫、47歳。
戦闘機「飛燕」など、日本で最も多くの航空機の設計に関わった技術者だった。
日雇いまがいの仕事をしながらも、土井はもう一度空を飛ぶ夢を捨てきれなかった。
それから10年。通産省は、昭和32年に日本人の手による旅客機開発をぶちあげ、
プロジェクトチーム「輸送機設計研究協会(輸研)」を結成した。
集まったのは、土井を始めとする50歳を過ぎた「戦闘機」組と、飛行機に乗ったこともない20代の若き技術者だった。
両者は、はったりまじりの完成模型(モックアップ)を作り上げ、頭から信用しなかった政府から予算を獲得していった。
YS-11開発が緒に付いた昭和34年までを前編として描く。
(text from NHK site)

2000-07-11 AFM Stereo


video8-90MP


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